人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

さしたっての課題は温暖化対策ではない

 地球が温暖化している傍証として様々な現象が報告されています。中でも、サンゴの白化現象というのは、私たちにに訴えかける力が強いようです。
 サンゴの白化現象というのは、水温が上昇することで、サンゴの体内に住む褐虫藻が逃げ出していくというものです、サンゴの色は体内の褐虫藻がつくりだしているので、これらが逃げ出すことで、サンゴは白化してしまいます。ところが、褐虫藻はサンゴの体内で光合成を行うことにより、サンゴに栄養を供給しているのですが、これらがいなくなるとサンゴは十分な栄養をとることができず、やがて死んでしまいます。
 こうした現象が、沖縄だけでなく、世界中で広がっているわけですが、その原因は地球の温暖化による海水温の現象にあると考えられています。



 サンゴにとって、地球規模で海水温が上昇するということは、冷静にみると、サンゴの生息適正区域が北上するということです。
 人間は(たぶん)地球上でもっとも環境への適応力を持った生き物ですから、他の動植物もそうであると思いこんでしまいがちです。ところが実際には、人間以外の動植物は特定の環境下でしか生存できないのです。
 以前は北海道にはゴキブリはいない(冬が越せないから)といわれていましたが、現在では北海道でもゴキブリは繁殖しています。ゴキブリが越冬できるように環境が変わったことが原因なのですが、それよりも、あれほど生命力の強いゴキブリが人間よりも寒さに弱いということに注目していただきたいと思います。

 批判を承知で申し上げますが、温暖化により海水温が上昇すると、サンゴの生息区域はより高緯度地域に移ります。現に、関東でサンゴが観測されたという事例があるように、決して地球上から死滅するわけではないのです。
 サンゴの白化現象を聞いて胸を痛める人は、地球や環境に対して敬虔な気持ちを持つことができると見込んで申し上げるのですが、時間軸の目盛りを地球規模に伸ばすと、現在の地球環境はその長い歴史のうちの一部分でしかありません。氷河期を迎えたこともありますし、人類はその氷河期を経験したこともあるのです。
 したがって、現在私たちが暮らす地球環境を唯一無二であるかのようにとらえる考え方には与することができません。
 アメリカという国は、人間が自然を開拓してできた人工国家です。けれどもよく考えると、あの場所だから開拓できたのであって、メイフラワー号がアラスカやカナダを目指していたら、今日のアメリカ合衆国は存在しなかったでしょう。
 このように人間といえども、地球環境に適応して生きていかなければならないのであり、私たちが土木工事や焼き畑農業などで環境を変えることができるのもある一定の範囲内でしか認められていません。焼き畑も度が過ぎると大雨が降ったときに洪水となり、表土が流出してしまいます。そうなると植物が再び育つようになるまで気の遠くなるような年月がかかります。北朝鮮で毎年のように起こる洪水は、斜面の樹木を伐採し段々畑にするという、権力者の思いつきが原因です。今年7月に起きた神戸の都賀川の突然御増水をみてもわかるように、自然への干渉が限度を超えると、私たちに跳ね返ってくることはどなたも異存がないことと思います。

 人類ができることといえば、明確な意図を持たずに自然を破壊することであり、逆に、明確な意図を持って自然環境を保護しようというのは、その規模が大きくなれればなるほど難易度が高くなると思います。
 尾瀬や立山のように、ごく限られて地域であれば、環境を保護することは可能かもしれません。しかし、地球規模でこれを行おうとすると、残念ながらそれは不可能であると思います。CO2(二酸化炭素)などの温室効果ガスが地球温暖化の原因であるとすると、産業革命によって爆発的に化石燃料の消費が増えてから二百年経ってからその影響が現れてきているわけです。それを解消するには、少なくとも同程度の年月がかかるとことになります。それも前年よりも大気中のCO2の増加量(排出量ではありません。ここでいう大気中の増加量とは、地球が吸収するCO2マイナス排出されるCO2の量のことをいいます。単純に排出量を減らしても、それが地球が吸収できるCO2の量よりも上回っていれば、相変わらず大気中のCO2濃度は増えていくことになります)がが確実に減るという状態になるということが前提です。それでも数十年から数百年という時間軸でとらえない限りは効果が現れないのです。

 ギリシャや中東、北朝鮮の山野の現在の姿は人間が行った自然破壊がどのような影響をもたらすかを教えてくれます。けれども、その結果人類が滅亡したかというとそうではありません。それらの地域が衰退していったという事実があるのみです。つまり、他の動植物同様に人間もまた生存に適した地域を求めて移動するのであり、その地域にはわずかな人数の人間しか住むことができなくなるということです。

 今後。地球の温暖化が進むことによって、より豊かな土地を求めて人口移動が行われるかもしれませんが、CO2の排出は化石燃料が枯渇すれば自然と止まります。あとはゆっくりと(数十年から数百年という)時間をかけてCO2濃度が下がっていくので、それほど騒ぐ必要はないと思います。
 
  むしろ、今考えなければならないのは、化石燃料がなくなったらどうするか? ということの方であると思います。
 以前「燃料に依存する文明」で述べましたが、1億2千万人という現在の日本の人口は、化石燃料によって維持されています。日本の発電量の60%は火力発電所がまかなっており、化石燃料がなくなれば電力の供給量は最大でも現在の40%にまで下がってしまいます。さらに、乗用車やトラック、トラクターやコンバインという内燃機関によって動く機械は動かなくなります。当然日本のGNP(国民総生産)は減るので、現在の人口を養うことができなくなります。
 そういう時代が、後何年先かは定かではありませんが、確実にやってくるのです。
 これは、愛知大学の武田邦彦先生が指摘されていることですが、資源には、太陽エネルギーのように絶えず補充されているものと、有限で使い切ったらそれでおしまい、というものと二種類あります。化石燃料は地球の近く部分に埋蔵されている資源ですから、使っていればいつかはなくなります。
 いつかは使い切るといったって、その頃にはどーせ自分は生きちゃいねーや、と開き直るのもひとつの考え方ですが、あいにくと私には子供が何人かいます。私が死んでも子供たちは生きていかなければなりません。そうすると、子供たちが生きて行きやすい世の中にしておいてバトンを渡すいうのが、現役世代である親の務めであろうと思います。
 社会や世界は、自分以外の誰か偉い人たちが責任を負えばいいのであって自分には関係がない、という考え方は結局世の中を悪くすることに荷担していると思います。
 ですから、自分にできることから始めようという思いで、リサイクルやエコに協力することで資源を節約しようとする人たちの精神は尊いと思います。それを毀誉褒貶するつもりは毛頭ありません。
 資源を節約しようという気持ちは、それが有限であるという認識から出発していることは間違いありません。であるならば、資源を節約することでその延命を図ると同時に、資源がなくなった後の人間の社会のグランドデザインはどうあるべきかということを考えるのも合理的なことなのではないでしょうか?

 許せないのは、自己の利益のために資源の節約を煽るものたちです。この人たちに共通するのは、どーせ自分が死んだ後のことなんだから、俺の知ったことじゃねーや、という無責任な意識です。
 そういう考え方は、いいかげんやめにしませんか?

                      t_am@excite.co.jp
by T_am | 2008-08-31 20:55 | 科学もどき

by T_am