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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

高等教育に対する親の思い込み

 以前、子供に対する思い込みの一例として、子供は純真無垢であるかということを申し上げました。今回は、学校教育に対する思い込みということを述べてみたいと思います。

 日本では小学校・中学校が義務教育(何度も繰り返しますが義務を負っているのは親の方です。行政が義務を負っているのではありません。)とされています。実際には高校もほぼ全員が進学するという状態が続いています。。

 親はなぜわが子を学校へ行かせるのでしょうか? 小学校・中学校へやるのは義務教育なので、そのことについて考えたことがなくても仕方ありませんが、その上である高校や大学、専門学校へ進学させるのはなぜでしょう?
 そのことに対する回答は人によって違いますが、あなたがどう思っていうかは、次の設問にどう回答するかで明らかになります。



設問1
 あなたは自分の子供に高卒以上の学歴を身につけさせたいと思いますか? 思うと答えた方にお訊きします。なぜそう思うのですか?

設問2
 あなたのお子さんが、大学に進学したくないと、言ってきたと仮定します。あなたならどう答えますか?

 設問1に対する回答で多数派を占めるのは、おそらく「高校くらいは出ておかないと就職するときに不利になるから」というものではないかと思います。もう少し詳しくいうと、「企業は従業員に対し高卒以上(できれば大卒以上)の学歴を求めるから」ということと「みんなが高校に行っているのにわが子が行かないのでは、相対的に不利になるから」という二つの考えが混ざっています。
 これは、経験知として社会的に広く知られている考え方です。それが間違っているというのではありません。けれども、会社勤めをして給料をもらう仕事に就かないのであれば高校へ行く必要はない、ということがいえるのもおわかりいただけるかと思います。
 実際に、プロの棋士を目指す人や売り出し中の芸能人にとっては、(極論かもしれませんが)高校以上の学校へ進むことは時間の浪費でしかありません。なぜなら、それだけ働く時間(将棋について研究する時間)が失われるのですから。
 このように、職業によっては高校へ行かない方がいい場合もある、ということは理屈としてご理解いただけるかと思いますが、それは自分の子供には当て嵌まらないとお考えの方も多いと思います。
 それはすなわちあなたが、「自分の子供がどんな才能を持っているか分からないけれども、特殊な才能を必要とする職業に就くことはないだろう」と考えているということをあらわしています。
 実際に、日本の勤労者の最大多数はサラリーマンと呼ばれる給与生活者たちです。私もサラリーマンですが、その人に特に際だった才能がない場合、サラリーマンになるのが最も有利で堅実な選択であることは間違いありません。

 会社が従業員に共通して求めるものというのは、実は単純なことです。読み書きする能力と簡単な計算ができる能力、自分勝手な行動をせずに他人の指示に従うこと、モラルを備えていることです。
 読み書き計算は小学校卒業程度の学力があれば充分ですし、起立・礼・着席という号令に従って行動することは小学校でも身につきます。けれども他人の指示に従うというのは部活動を通じて知らず知らずのうちに訓練されることです(上級生になると、部活動は他人に指示をするという訓練の場ともなります。今はどうか知りませんが、私が就職活動をした頃は、部活動の部長経験者は有利であるといわれていました)。
 モラルを備えているというのは、会社のお金や備品、商品、製品、原材料をネコババしないこと、勤務時間中はさぼらずに一生懸命に仕事をすることが当然と思うこと、などです。
 安倍内閣のとき(平成18年)に成立した改正教育基本法では道徳教育の重要性が強調されていますが、こういうことが盛り込まれるようになったということは、世界的に見てもはるかに高かった学卒者のモラルが年々低下してきており、それが危険水域に達しつつあるということなのだと思います(厚生労働省の官僚ですらも、勤務時間中に業務とは関係ないホームページを閲覧してはゲームに興じたりブログに書き込みをしていたことが明らかになったくらいですから、他は推して知るべしというところでしょう)。

 こうして考えてみると、会社が従業員に共通して求めることは、実は中学校のレベルで充分身についていることであることがわかります。
 ところが実際には、求人票に記入されている学歴欄には高卒以上と書かれています。大卒以上という求人票もたくさんあります。
 それはなぜかというと、学歴が高い方がそれだけ部活動の経験年数が長い(指示に服従する訓練ができている)こともありますが、将来の幹部候補生を採用したいという気持ちの現れでもあります。
 判断業務をしない人のことをワーカーといいます。この人たちは上司から指示された仕事、あらかじめ決められた仕事をこなすことを求められています。ワーカーを採用したければ、アルバイトやパートタイマーで充分です。何も正社員である必要はありません。
 ワーカーに対し、判断業務を委ねられる人というのは、それに見合う知識と経験が必要になります。学校を卒業した時点でそのような能力を身につけている人がいるはずはありません。そうなるまでには時間と教育(自己啓発)が必要ですが、それに耐えられる人間は高学歴者のほうに多いのです(女性の登用に熱心でない企業は、女はいずれ結婚して辞めていくから育てても無駄であると経営者が考えているからです)。
 新入社員が百人いるとして、それが全員管理職になれるわけではありません。入社時点では、将来誰がどうなるかはわからないのです。したがって、将来幹部となる少数の人間を確保するため、それよりもずっと多めに採用しているというのが実情です。
 管理職となる人に期待されるのは、与えられた目標を達成させるという使命感、現状の問題点を発見して改善策を立案する力、それを遂行する実行力、それらのために他人を従わせるリーダーシップなど、主に戦術面での能力です(経営者には、さらに戦略眼が要求されます。備えている人は少ないですが)。
 これらの能力は学校教育では教えることができません。というよりも教えて身につくものではないのです。

 その職業に就くためには資格や免許(例えば医師免許や教員免許など)が必要であり、そのために進学するという人も多いでしょう。
 そうではなく、単なる高卒・大卒という学歴に対しては、今まで述べてきたような意味合いしか企業は認めていません。つまり、それらの肩書きは将来の高収入を得るための入場整理券ではありますが指定券ではないのです(受験勉強というのは、試験問題を解くパターンをどれだけ覚えたかということに尽きるのであって、よくいわれるように、未知の問題に対処する技能とはまったく関係ありません)。

 日本における「大学」の成り立ちは、近代国家の建設のためには高度に専門的な知識を授ける機関が必要であるという思われたところにあります。高給で雇われた外国人教師がこれらの知識を授けたのです。「大学」を卒業した学生たちはそれぞれ要職に就き、社会的に成功を収めた後、「故郷に錦を飾り」ました。それを見た親たちは、学問は金になることに気づいたのです(それまでの日本では、学問は金にならない、というのが常識でした)。こうして高等教育を受けるものが増えていき、それに応えるべく大学も増えていきました。
 人やモノが特別な扱いを受けるのは、それが希少価値を持っているからです。大学進学者数が増えるにつれて、大学は大衆ブランドと化していきます。そうなると大卒という肩書きに価値はありません。かつては指定券だったかもしれませんが、いまでは入場整理券くらいの意味しか持たないのです。

 今回は非常にシニカルな意見を述べましたが、高等教育を就職のためのステップや未来のわが子が高収入を得るためのパスポートとして捉えるという功利的な見地からは、今まで述べたようなことしか導くことしかできないことをご理解ください。

 その人が、教育に対して持っている考え方は、最初にあげた第2の設問に対して、その人がどのように答えるかによって明らかになります。
 「大学へ行っておいた方が将来絶対に有利なんだから、もうちょっと我慢しなさい」という功利的見地から子供を説得したがる親が、現代では大半を占めると思います。
 しかし、高等教育を功利的立場から眺めると、既に述べてきたように部活以外はまるで無意味という結論になります。そのことに子供自身が気づいてしまっているので、大学には進学したくないといい出すのです。それは、これ以上我慢して嫌々勉強したくないという訴えでもあります(勉強を功利的に理解することに疑問を持たない子供は、そもそも大学に行きたくないなどとは言い出しません)。

 でも、多くの親はわが子に大学に行ってほしいと考えています。

 あなたにお子さんがいると仮定して、あなたに対して「大学には行きたくない」もしくは「高校を辞めたい」と訴えてきたら、あなたならどう答えますか?
by t_am | 2008-07-24 06:44 | 社会との関わり

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