男の話、女の話
「別にたいしたことじゃないわ。」
「でも、喋る早さは僕の3倍なんだよ。ということは、僕の3倍の早さで頭脳が回転しているということになる。」
「女にとっては特別なことじゃないの。」
当時はこれが不思議でしかたありませんでした。そして、これもやっぱり才能なんだろうな、と思っていたのです。
後年、男と女では脳が異なる。この違いは胎児のときに形成される、ということを知ってようやく合点がいきました。
生まれ変わったら男と女、どっちになりたいか、という質問をされたときに、たいていの男は「男」と答えますし、ほとんどの女の人は「女」と答えるはずです。これは、その人の脳が回答しているからで、脳が自己否定するということはあり得ないからです。
女の人の話というのは水平に展開していきます。つまり、深みはないけれども、話題がどんどん発展していくという傾向になるのです。その中で、話題が飛躍するというのもしょっちゅうありますが、当人たちにとっては飛躍でも何でもありません。同じ水面上の話しなのですから。
これに対して男の話は垂直に展開していきます。話題から外れることがないように、それを掘り下げていくという形態をとります。ビジネスの場でも同様の思考形態が求められるので、ビジネスマンたちは嫌でも垂直的に思考を展開しいくことを訓練づけられていることになります。
男たちは仕事によって、女たちは会話によって、お互いの脳の持つ特質に磨きをかけていくわけです。
こういう生活を何年も続けていると、夫婦の間で話をしてもお互いに退屈になっていきます。
夫にすれば、妻の話に答えても(たいていの夫は聞き役にまわります)、次の瞬間には、別な話になっており、こいつ俺のいったことを聞いてるんだろうか? と疑ってしまうことがあります。これを何度か経験すると妻の話しについて行く気力が衰えてくるので生返事をするようになります。
一方、妻の側からみれば夫は、いつまでもネチネチと同じことを繰り返す鬱陶しい男、自分の話をちゃんと聞いてくれない薄情な男、と思うようになっていきます。
相手の話しが退屈だというのは、脳が異なるために話しが発展する方向が異なるからだ、とまず理解しましょう。
男はそのときの話題を垂直に掘り下げていきますが、女は水平に展開していきます。お互いに悪気があってやっているわけではありません。その人が持っている癖と同じで他人にはどうしようもないものなのです。
ではどうするかというと(こういう発想も「垂直的」ですね)、このことに気づいた方が相手に合わせる、という以外に方法はないと思います。
コノヒトトハ ハナシガアワナイ
このように判断するのは誤解というものです。