鏡を使うわけ
テレビ番組で、犬や猿に鏡を見せて、どう行動するかという実験をご覧になった方もいらっしゃるかと思います。最初は、驚き、威嚇したりするのですが、やがて鏡の後ろに回ったりしてそれが実体を伴わないことに気づくと、鏡に対する興味を失ってしまいます。
しかし、人間は違います。
白雪姫の継母は、魔法の鏡にこう尋ねることを日課にしていました。
「鏡よ、鏡。この世でいちばん美しいのは誰?」
つまり、人間が鏡を使うのは、自分を確認するためなのです。
女性は鏡を見ながら化粧をします。髪を梳かすときは男も鏡をみます。髭を剃るときも同様ですね。
一方、休みの日で、境は誰にも会わずどこにも出かけないというのであれば、敢えて鏡を覗き込む必要はないといえます。しかし、いつかは出かけ人に会わなければなりません。そのときは鏡を覗き込むことになるのです。
アタシはどこにも出かけない日でもちゃんと鏡をみて顔を洗うわよ。
ブラボー。そうであれば話しは早くなります。
つまり、人間は、鏡によって自分を確認することで、鏡が手放せなくなっており、実は鏡を見ることが好きになっている、ということがいえるのです。(もちろん例外もあって、鏡を見ることが嫌いな人もいるでしょう。その人は鏡を覗き込むことはしません。)
鏡を見るのが好きというのは、たとえばこういうことです。
よし。今日は眉の形がばっちり決まったわ。
鏡を見ることで好ましい自分を発見できると、私たちは嬉しくなります。しかし、逆に好ましくない自分を発見すると、私たちの気分は憂鬱になります。
このことは何かに似ていると思いませんか?
そう、他人との関わりと一緒なのです。
私たちは、人から褒められると嬉しいと思います。(カワイイといわれて不愉快に思う女性はいないと思います)。しかし、人から怒られると憂鬱な気分になります。反発を覚えることだってあるでしょう。(「そんなこといったって、アタシのせいじゃないのに・・・」とか、「自分はどうなのよ。人にいえた柄じゃないでしょ。」とか。)。
これらのことに共通していえるのは、私たちは他人(あるいは鏡という「もの」)によって自分を発見させられている、ということです。
カワイイといわれて嬉しいのは、その人によってカワイイ自分を発見することができたからです。
「何やってんだ! ちゃんとやらなきゃダメじゃないか!」と怒られて気分が落ち込むのは、その人によってドジでグズな自分が発見されたからです。それが自分にとって好ましくないのであれば、それを指摘した人に対して反発を覚えることになります。
これが人間の心の働きなのですが、ここから次の2つのことが浮かび上がってきます。
1.私たちは他人(あるいは鏡という「もの」もしくは「出来事」)を介在しなければ自分自身を発見できない。すなわち、独力で自分自身を発見することはできない。
2.自分が発見される時期を私たちは選ぶことができない。それは突然訪れる。
(この稿続く)