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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

あいまいな国のあいまいな人々(11)  平和ボケと謗られてもかまわない

 現在の日本は、問題を多く抱えていますが、平和な国です。あの戦争が終わってから六十二年経ちました。ですから、戦争体験のある人が年々少なくなって来ています。
 戦後の日本をつくったのは、私たちの祖父母・父母の世代です。もう戦争はしたくない、という強い気持ちあったことと思います。
 最近はだいぶ怪しくなってきましたが、ある程度豊かな社会が実現できたのも、この六十年間の平和が寄与するところが大きいと思います。



 今の日本の平和は、直接的には二つの要因によってもたらされています。ひとつは憲法第9条、もう一つは日米安保条約です。
 憲法9条に関して、これが有効に機能しているのは、日本が法治国家を標榜しているからです。つまり国民の大多数が、国は法によって運営されるものだ、という考えに同意を与えているからだということなのです。
 もしも国民の大多数が、超法規的な存在に国の運営を委ねるということに同意すれば、憲法は簡単に停止されてしまいます。このような超法規的な存在を私たちは独裁者と呼び、歴史上その事例はいくらでも見ることができるのです。
 ですから、平和とは誰かが与えてくれるものではなく、自分たちの努力によって維持するものである、ということがわかります。

 平和をもたらしている2番目の要因となっている日米安保条約ですが、特に第5条をみると、日本や日本のアメリカ軍基地が攻撃された場合、アメリカは自国の手続に基づいて対処(報復攻撃)できるということが規定されています。
 このような関係を、軍事的属国であるということも可能ですし、もっとソフトに、アメリカに守ってもらっていると表現することも可能です。いずれにせよ、日本のバックにはアメリカがついているのですから、ちょっかいを出す国はないわけです。ただし、そのためにアメリカ軍の駐留基地が日本の国内に複数設けられており、これらを維持するために日本(と基地周辺住民)が「多大な代償」を支払っているというのも事実です。(駐留基地による恩恵を被っているという側面もあると思います。)

 もう何年も前になりますが、長谷川慶太郎さんが「日本で政権を維持するには世論とアメリカの支持が必要であり、どちらか一方が欠ければその政権は倒れる」ということを指摘していました。
 小泉政権を除けば、歴代の自民党政権はいずれも世論の支持を失って崩壊していきましたし、アメリカの支持を失って倒れた例として田中内閣をあげることができます。以来、日本政府はずっと親米的な政策を採り続けてきています。(日米双方の首脳の相手国への訪問回数を比べてみると、日本の方がずっと多いのではないかと思います。数えたことはありませんが。)ですから、長谷川慶太郎さんのこの指摘はまさに慧眼であろうと思います。
 アメリカによるこのような政治的軍事的介入のしかたは、日本という国のアイデンティティーにとって重大な問題であるとお考えの方がいらっしゃるとすれば、それは間違いではないと思います。日米関係についてどのような表現をしようとも、日本はアメリカに頼らなければならない、という事実があるのですから。
 では、日本が安保条約を破棄して軍事的に自立した方がいいかというと、(私としては)よくわからない、と述べざるを得ません。
 日本には選択肢が少なくとも3つあると思います。
 第1は、日米関係を維持しながら自衛隊を軍隊に昇格させ集団的自衛権を持つこと。
 第2は、安保条約を破棄して、自助努力によって防衛と外交を維持すること。
 第3は、現状を維持することです。
 1番目の選択肢を選んだ場合、日本はアメリカの意向に反した行動をとることはできません(今もそうですが)。日米関係は「更に強固なもの」になり、アメリカの敵は日本の敵として、海外派兵がおおっぴらに行われるようになります。
 2番目の選択肢を選んだ場合、いずれは「国益を守るために」他国と軍事的衝突が行われることになると予想されます。そのときのために外交によって、普段から味方となってくれる国をつくっておく必要がありますが、六十年間の平和に慣れた日本に果たしてそれだけの能力があるかは疑問です。
 3番目の選択肢は、アメリカが日本に対し「守るだけの価値がある」と思っている間だけ効果があります。そのためにも、日本は愛想を尽かされないように、今後もアメリカにすり寄った政策をとり続けなければなりません。
 1番目と3番目の選択肢は、日本が今後もアメリカの事実上の属国であり続けることを意味します。
 また、1番目と2番目の選択肢では、日本が「自衛のための戦争」を始めた場合、その費用は国民が負担しなければならないことになります。経済的な視点からは、戦争というのは再生産を伴わなず、国のリソースを浪費するだけの割の合わない行為なのです。ですから戦争が何年も続くと、国民生活はそれだけ窮乏することになります。

 このように大ざっぱな比較ですが、自民党が主張する改憲案である1番目の選択肢は、実は3つの選択肢の中で最も損な選択であることがわかります。
 国としてのアイデンティティーを追求するならば、2番目の選択肢以外ありません。ただし、この道は戦後六十年間の平和のツケを官民の両方が払わなければならないイバラの道でもあります(どうすれば戦争を回避できるかということを誰も考えたことがないのですから)。そのうえ、この道は「いつか来た道」になる可能性もあります。したがって平和を維持するには、誰かが与えてくれるのを待つのではなく、自分たちが努力しなければならないのです。(もっともアメリカの国益に反するので、アメリカが黙ってみているとは思えません。つまり、よほど用意周到に取り組まないと実現の可能性が低い方法であるといえます。)

 こうして考えながら文章を書いていても、2番目の選択肢が理屈の上では最も整合性がとれているとは思うのですが、これがイチオシであると断言するだけの勇気がありません。なぜかというと、いずれの国にも隷属せず、自衛権を行使するための軍隊を持つということは、いつかきっと「自衛のための戦争」を始めることになるからです。それがいつになるかはわかりません。もしかしたら私が生きている間はそんなことにはならないかもしれません。そのことは誰にもわからないことなのです。(1番目の選択肢を選んだ場合、「自衛のための戦争」の決定権はアメリカが握っているので、戦争に巻き込まれる可能性は更に高くなります。)
 そうなったとき、戦時下も含めた極限状況においては、人間(むろん私も含みます)は他人に対していくらでも残酷になることができます。前の戦争で、そのような体験を私たちの父母や祖父母はしてきました。そのうえで、彼らがつくった(あるいは受け入れた)のが今の日本の体制です。
 私は、自分が他人に対して、どこまでも残酷になるような状況に追い込まれるのは、はっきりいって嫌です。これが会社や学校であれば辞めて逃げ出すこともできますが、戦争となるとそうもいきません。
 こういう考え方が既に平和ボケであるとお叱りを受けるかもしれませんが、それでもかまわないと思うのです。
by t_am | 2008-04-10 00:01 | あいまいな国のあいまいな人々

by T_am