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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

あいまいな国のあいまいな人々(2)

 前回、論理よりも情緒を優先させる方が人間関係がうまくいくけれども、「あいまいさ」としてわたしたちにつきまとうということを述べました。
 私たちについてまわる「あいまいさ」のひとつに「運用のあいまいさ」というのがあります。



 買った商品を返品する場合は一週間以内にレシートを添えてお持ちください、というのはどこのお店でもやっていることです。(中には開封後の商品は返品不可という店もありますが、ここでは無視します。)
 ところが期限を1日過ぎてから商品を返品しようとした場合、「今度からは期限内にお持ち込みくださいね。」といって返品を受け付けてくれるお店があります。(生鮮食料品は別です。当たり前ですが。)
 このように便宜をはかってもらうと、この次も買い物をするときはこの店を使おうという気持ちになるので、お店としては結局のところプラスになっているわけです。
 逆に、店側が1週間という期限を盾にとって、断固として返品を受け付けない場合、客の方では、1日くらいええやないか、と最初は下手に出ますが、それも通用しないなると、融通の利かん奴や、と逆ギレすることがあります。
 こうしてそのお店は顧客を一人失うことになります。

 このように、決められたルールの運用に手心を加えることによって相手に便宜をはかると、そのことがお互いの関係を良好にし、いずれは自分の利益に結びつくことがあります。
 けれども、手心を加えるということは、ルールを敢えて無視しているということであって、厳密に言えば糾弾される危険性をはらんでいます。
 こうなると、運用におけるあいまいさが一切まかり成らんということになり、厳格なルールの運用が行われるということが起こります。
 最近の例でいえば、建築基準法の改正に伴う運用の変更がそれにあたります。
 従来であれば、建築確認申請を出して許可が下りた後に、一部の図面の差し替えということが認められていました。つまり、必ずしも完全な申請図書でなくとも申請を受理してもらえたということです。
 ところが構造計算書の偽造問題(姉歯事件)が発覚して、建築基準法が改正されてからは、このような手法が一切通用しなくなりました。申請図面の一部を訂正するのであれば、申請をもう一度最初からやり直しなさいということになったのです。このため、申請図書は完璧なものでなければ受理してもらえなくなりました。したがって今は、受け付けてもらうまでに今までよりもはるかに時間がかかるという状況が生じているのです。
 こうして新規建築工事の着手が滞るという事態が発生しています。
 以前は、ルールはあってもそれが厳密に守られないことで、かえって上手く回っていたのです。
 では、なぜこのように担当者の態度が急変したのかというと、欠陥のある申請書が問題として顕在化したときに、自分は責任をとりたくないという思いが働いているからです。その人の職業倫理意識が高いから、というわけではありません。

 一般に、人がルールの運用を任されたときには、次の3通りのケースが発生すると考えられます。

1.責任感の強い人が、定められているルール通りの運用をしようと、妥協を拒否する。
2.責任感の希薄な人が、慣例だから(みんながやっているから)という理由で手心を加える(あるいは手を抜く)。
3.責任感の強い人が、それによって問題が起こったときは自分が責任をとるという覚悟でルールを無視する。

 1.のような人を私たちは「石頭」と呼びます。感情的に嫌いだからです。
 建築確認申請を受理する立場の人たちや社会保険庁の職員たち、あるいは偽装表示が発覚した食品会社には2.に該当する人たちが多かったと思われます。
 ついでにいっておくと、責任感の希薄な人ほど、問題が起こった後はルール通り厳格な運用をし、一切の妥協を拒否するようになるという傾向がみられます。要するに責任をとるような羽目に陥りたくないのですね。その代わり責任を追及されることはないとわかると、とたんに手を抜く人たちでもあります。したがってこの人たちは1.とは明らかに異なります。

 ただし、人間の責任感や正義感というのは、その人が置かれた環境によって少しずつ失われていきます。
 このことは、「モラル・ハザードはなぜ起こるか」でも書きましたが、トップが生殺与奪も含めて一切の権限を握っている組織では、トップに対していいことしかいわない人だけが優遇され、反対意見を述べる人は飛ばされるということが容易に起こります。このような環境では、責任感や正義感は身を滅ぼすもとにしかなりません。
 こうして人は責任感とモラルを喪失していきます。
 ですから、企業がコンプライアンスというのは結構なことなのですが、トップが変わらなければ単なるかけ声に終わってしまいます。
 むしろ、「我が社では今までコンプライアンスに力を注いできました。このたび当社の従業員がこのような不祥事を起こしたということに大いに驚いておりますが、直ちに第三者を交えた調査委員会を発足させ、原因の究明と今後の対策に全社を挙げて取り組みたいと考えます。なお、このたび被害を受けた皆様には心よりお詫びを申し上げる次第であります。」などと、トップ自身の免罪符として使われるのではないかと疑っているくらいです。(いずれ書きますが、責任をとるというのは必ずしも辞めることだけを言うのではないと考えています。念のため。)

 私たちが、普段あまり意識していない「ルール適用のあいまいさ」にはこのような無責 任体質が潜んでいます。そして何か問題が起こるとルール運用を厳格に行うようになります。この二つは見た目は正反対ですが、根は同じなのです。

 このように考えてくると、私たちの社会が円滑に機能するには3.に該当する人たちに依存している部分が大きいということに気づくのです。
by t_am | 2008-02-22 23:51 | あいまいな国のあいまいな人々

by T_am