謝罪を要求するマスメディア
また、不祥事を起こした企業のトップが記者会見するとき、やはりメディアはその様子を報道します。
どちらの場合も謝罪があったかどうかが必ず触れられますが、ここに違和感があります。 最近の例でいえば、中国製餃子中毒事件で、製造元である天洋食品の工場長が記者会見をしたときの様子では、日本の被害者に対しお見舞いを述べたものの謝罪の言葉はなかった、という報道がありました。(2008年2月4日)
また、元時津風親方が逮捕された2月7日、相撲協会の北の湖理事長が記者会見をしたときの様子も報道されていましたが、最後に「明確な謝罪は行わなかった。」というコメントがつけられています。
ここで感じるのは、謝って当然という意識がメディアの側にあるということです。
けれどもどちらの場合も、直接の加害者ではない(天洋食品の場合、「らしい」というカギカッコがつきますが。)のです。
事故の関係者ではあるけれども加害者ではないという立場の人が、被害者に向かって述べるとすれば、それはお見舞いの言葉以外にありません。
ところがメディアはそれでは納得しないのです。
なぜかというと、中国に対しても、相撲協会に対してもコンセンサスとしての先入観が存在するからです。凶悪事件の容疑者に対しても、お前がやったんだろうという先入観があります。
中国には、共産党独裁の下で官僚組織は腐敗し、一部のものだけが法やモラルを無視して富を独占しているというイメージが定着しています。
また、相撲協会に対しては、体質が古い、外部の声を聞こうとせず内輪だけでやっているというイメージがあります。
メディアもこういう予断を持ちながら取材をしており、これはもはや報道という範疇を逸脱しています。
香川県で祖母と二人の孫娘が殺害された事件で、連日の報道の中で、孫娘の父親が怪しいのではないかという雰囲気ができあがったことがあります。結局真犯人は他にいたのですが、悔しい思いをされたことと思います。
同様のことは松本サリン事件のときにもありました。
いつの間にか、この国ではマスメディアが犯人を決めているという状態になりました。
そして、悪いことをしたんだから謝るのが当然だろう、という居丈高な姿勢で取材にあたります。
でもメディアには、別に謝ってもらわなくてもいいと思っているフシがあります。
というのも、「謝罪がありませんでした」と伝えると、とんでもない奴だ、というリアクションが視聴者の側に起こって、続報に対する関心が高まるからです。
こうして、「売れるニュース」がつくられていくことになります。
このような加熱する一方の連鎖を断ち切るには、ニュースの受け手である我々が、自分はそのようなメディアに容易に踊らされがちであるという、自らの愚かさを自覚することが必要なのだと思います。