才能を伸ばすには
「人間は誰でも何かひとつくらいは一流になれるくらいの素質があるの。それをうまく引き出せないだけの話。引き出し方のわからない人間が寄ってたかってそれをつぶしてしまうから、多くの人々は一流になれないのよ。そしてそのまま擦り減ってしまうの。」(村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」上 新潮文庫)
人間にはそれぞれ多くの才能(あるいは素質)が眠っています。
けれども村上春樹が書いているように、ほとんどの人はそのことに気がついていません。
才能を引き出し、それを伸ばしていくのはあくまでもその人が自分でやらなければいけないのですが、周りにいる人間(特に親)が手助けできることが3つあります。まず第一に、才能を発見した時に驚いてあげる(感心してあげる)こと。次に、才能を発揮する場を与え、芽が出るまで根気よく待つこと。うまくできたときは褒めてあげること、そして、それ以降は一目置いて(認めて)あげること。これだけです。
ところが、学校や会社というところは個人の才能を開花させてくれるところではありません。学校は、あらかじめ用意されているカリキュラムを生徒が習得する、このためにあるのであり、また、会社は与えられた仕事を遂行することが求めらるところです。すなわち、どちらも余計なことをしてはいけないところであって、先生も上司も、あなたの中に眠っている才能を開花させるために存在しているのではないのです。中には良心的な先生や上司もいるかもしれませんが、そこまで手が回らないというの実情でしょう。
では自分の才能を磨くにはどうしたらいいのか?
まず第一に、自分自身の才能(素質)を意識するというところから始まります。といっても決して特別なことではありません。今の自分が関心を持っていること、興味のあること、やってみたいと思うことに、その人の才能が隠れていることが多いのです。ですから、これをやってみたいと思うことを見つけるところからすべては始まります。(あなたにお子さんがいる場合、子供が何に興味を示しているかを理解してあげてください。そこにお子さんの才能が隠れていることが多いのですから。)
次にやるべきことは、「模倣」です。絵画や音楽であれば、好きな画家、演奏家の真似をすることです。文章を書くことが好きな人は、好きな作家の文章を書き写すことは効果があります。漫画を描くのが好きな人は、好きな漫画家の画をまねるという方法があります。
模倣する際には、必ず誰か師匠を持つということが行われます。といっても師匠に弟子入りを認めてもらうというものでない場合が多いのです。それは、「私淑」という関係です。
私淑というのは、「私はこの人を先生とする」と思うだけで成立します。教える側の意志とは関係なく、教わる側の一方的な思い入れで成立するのが「私淑」という関係です。したがって師匠とされた方は弟子について逢ったことがない、というのが当たり前となります。ということは、既に死んでしまってこの世にいない人に対しても私淑することができるということになります。こうすることで、いつでも好きなときに(ほとんどタダで)自分が師と決めた人から教わる(模倣する)ことができます。
根気よく模倣という練習を繰り返していると、次第に脳の中に新しい回路ができあがっていき、なぜそれをするのか(しなければならないのか)が感覚としてわかってきます。よく、身体が覚えるといいますよね。だから真似をするのであれば、頭と身体の両方を使いながら真似をした方がいいのです。(例:本を読むときは声に出して読む)
また真似をする対象はいいもの(一流)であるべきです。自分が模倣するもの(あるいは師事する人)の善し悪しによって、後で大きく差が出てしまうことになります。
そこまで達すると次は応用(臨機応変)となります。というように、それまで学んだことを状況に応じて応用していくということがそれにあたります。
そこまで達するためには、やはりある程度の時間と手間をかけることが必要です。ときにはお金が必要なこともあるでしょう。でも、苦労して手に入れるということも大切なことなのです。
人は簡単に手に入れたものは簡単に捨てることができる。苦労して手に入れたものはなかなか捨てようとは思わない。
そこからあとは自分自身でやっていくことになります。
焦らず頑張ってください。