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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

負の感情はなぜ人を捕らえて離さないのか?(2)

 前回に続いて、負の感情が働くメカニズムについて考えてみる第2回目となります。

(被害妄想)
 他人に対するカン違いがきっかけとなって、その人が自分に害を加えようとしていると思い込んでしまうことは誰にでも起こりうることです。ほとんどの場合、些細なことで済んでしまうのですが、ごく稀にエスカレートしてしまう人がいて、そういう心の状態を被害妄想と呼んでいるようです。
 既に申し上げたように、妄想の特徴は合理性・整合性を欠いていること、そして他人の意見を聞こうとしない(訂正を受け入れようとしない)ところにあります。傍で見ているとわかるのですが、なんでこんなことにこだわるのだろうと不思議に思うくらい「囚われている」ことに気づきます。何に囚われているのかは人によって違うのですが、そこには囚われるだけの理由があるようにわたしには思われます。
 嫉妬が妄想に結びついていく条件として「何かしら不満を感じている」ということを申し上げましたが、被害妄想の場合も、同じように「何かしら罪悪感(もしくは不満)を抱えている」ことが、妄想を生み出す要因となっているのではないかという気がしています。
 「罪悪感」というのは、何か失敗を犯したときに、自分が叱責されたり処罰されたりするのではないかと不安に思うことに由来するのではないかとと思います。人は不安を感じているとき、センサーが過敏になっているので、ちょっとしたことであっても自分が心配に思っていることと結びつけて考えがちになります。周囲の人からみれば、そんなの考えすぎだよ、と思うようなことでも本人にとっては無視することができないのです。
 困ったことに、このような「関連づけ」がいったん成立してしまうと、似たような「関連づけが」次から次へと行われるようになってしまいます。こうなると、考えたくないと思ってもつい考えてしまうという制御不能の状態に陥ってしまいます。何かのきっかけで他のことに注意が向いて気が紛れたとしても、それは一時的なものであり、またすぐに妄想の迷宮に立ち戻ってしまいます。このような負のスパイラル(連鎖)が続くと心身ともに疲弊し、本当に病気になってしまうことがあるので、周囲は心配することになります。


(強迫観念)
 出かけた後や車を降りた後で「そういえば鍵をかけただろうか?」と何度も気にしたりすることはありませんか。このようなとき、最も有効な解決策は「確認する」ということに尽きるのですが、それができない場合もあります。そうなるといつまでも不安は消えずに残ります。何か他のことに集中していったんは忘れたとしても、またすぐに思い出して囚われてしまうことになりかねません。
 これまでの例と同じように、ごく軽微な強迫観念というのは誰にでも起こりうる現象です。ところが、それが笑い話で終わってしまう(つまりたいして気にしないでいられる)人がいる一方で、次第にエスカレートしていく人がいることも想像に難くありません。
 たとえば、ジンクスを異常に気にするセールスマンがいるとします。その人には以前得意先を訪問する前にたまたまカツカレーを食べたところ商談が大成功になったという経験から、大事な商談の前には必ずカツカレーを食べるというジンクスをかついでいると思ってください。運良くカツカレーを食べることができれば、このセールスマン氏はリラックスして商談に臨むことができとんとん拍子に話が進む可能性が高くなるといえます。ところが逆に、カツカレーを食べることができなかったとき、このセールスマンの気持ちの中には「もしかしたらうまくいかなくないではないか?」という不安が生まれることになります。不安は余計な緊張をもたらしますから、些細なミスを招きやすくなります。そうするとさらに緊張感は増してしまうので、一層ミスを犯しやすくなるといえます。
 こういう経験が何度か繰り返されることによって、セールスマン氏の中で「商談前にカツカレーを食べると成功する」というジンクスはますます強固なものになっていくわけです。

 ごく軽微な強迫観念は誰にでも起こりうるものですが、それが重度のものに発展していくには「本人の自信のなさ」というのも影響している場合があるのではないかと思います。(もちろん例外もあるでしょう。むしろそうでないケースの方が多いかもしれません。このように例外が常に存在すると思えることが心の健康を保つ上で重要だと思っていただいてよいのです。)
 人間にはいろんな人がいて、中には自信過剰というか根拠のない自信の凝り固まりという人もいます。そういう人は強迫観念とは無縁であろうと思います。

 それでは逆に、他人によって自信を奪われた人はどうなるのでしょうか? よくいわれるのがパワハラというやつです。これは、自分が優越的な地位にあることを利用して、自分よりもより弱い者に対していじめや嫌がらせをするというもので、相手の人格を否定するということも行われます。
 パワハラの被害者が強迫観念の虜になるであろうことは容易に想像できます。たしかにパワハラは物理的に外傷を負わせるわけではありませんが、被害者の心に傷を負わせるという点で加害行為であることに疑いはありません。心の傷によって体調を崩し、病気になったり最悪の場合自らの命を絶つということも起こるわけです。(ただし、心の傷とパワハラとの因果関係を立証するのは困難ですが・・・)

 他人によるいじめやパワハラげ原因で起こる心の傷の進行をくい止めるには、原因となっているパワハラやいじめを止めることが一番の解決策になります。ところが、そうはいっても口でいっていうことをきくような相手であれば何も苦労するはずはないのであって、加害者から身を隠すというのも有効だと思います。
 

(負の感情はなぜ連鎖するのか)
 既に申し上げたように、負の感情は脳内にドーパミンのような物質を分泌させるのではないかとわたしは考えています(根拠はありませんが)。そして、これらの脳内物質は習慣性・依存性・耽溺性をもたらすものと思われます。
 ではいったいなぜ、負の感情が脳内物質の分泌を促すのかというと、これも憶測に過ぎないのですが、「そのほうが個体としての生存に有利だから」と考えた方がいいように思っています。
 なぜかというと、これまで述べてきたような負の感情の連鎖というのは、条件さえ満たせば誰にでも起こりうることであって、その理由は「わたしたちの中にはそのようなメカニズムがあらかじめ組み込まれている」と考えた方が説明がつくからです。自然淘汰の原則からいえば、そのようなメカニズムをもった人間がメカニズムを持たない人間よりも生存競争上有利であったがために、メカニズムを持たない人間が子孫を残すことができず、メカニズムを持った人間の子孫が増えてきたのだと考えることができます。

 このように考えると、負の感情があたかもブラックホールであるかのように人の心を虜にし、捕らえて放さないというのは、人間が本来持っている心と身体のメカニズムが暴走しているのだと解釈することができます。

 そのことがわかれば、では負の感情に囚われないようにするにはどうしたらいいいか?ということが次の問題になるわけです。
 そこで、次回は負の感情から自分を解放するにはどうしたらいいかについて考察してみたいと思います。
by t_am | 2015-03-07 19:48 | 心の働き

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