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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

大家と間借り人とオーナー(2)

 前回は、私たち日本人は国を大家さんだと思い、自分のことは間借り人だと思っているという小田嶋隆さんのご指摘を紹介したうえで、国民がこれといった負担を求められなくて済んでいる日本は天国みたいな国だと申し上げました。
 しかしながら、実際には教育改革・医療改革・財政改革・行政改革・政治改革などさまざまな改革がこの国では必要だといわれていますし、読者の中にもそのことに同意していらっしゃる方も多いのではないかと思います。けれども、よく考えていただきたいのは、これらの改革というのはどれも運営に関する改革の必要性がいわれているのであって、日本という国のあり方の改革が必要だというわけではないということなのです。

 にもかかわらず、日本のあり方そのものを改革する必要があると主張する人たちがいます。それは誰かというと、安倍総理率いる自民党と一部の識者にほかなりません。彼らがが主張している「日本を取り戻す」というスローガンは、今の日本を否定し、かつて存在していたけれども今では失われてしまった日本を復活させようというものです。
 それでは、どのような日本を取り戻したいのかというと、江戸時代以前の日本のはずはないのですから、これはやはり戦前の日本であると考えるべきでしょう。
 実際、彼らの主張を聞いていると、天皇を国家元首に戴き、強力な中央集権国家をつくりたいために、個人の権利が制限されることもやむを得ないという考えかたであることがわかります。自民党も世代交代が進んだおかげで、戦争の悲惨さを身体で感じていた人たちが引退しつつあります。その代わりに、軍事オタクや秀才が空想する理想社会に近づけようという動きが今の自民党の主流派となりつつあります。

 戦前の日本の特徴は、国が強力な権力を持つ一方で個人の権利はかなり制限され、しかも地方では餓えと隣り合わせの毎日を送らなければならないというものでした。そんな劣悪な環境であっても、お国のためであれば兵隊に行くのも厭わないという気持ち(実際には、軍隊に入れば米の飯が腹一杯食べられるという期待感もあったことでしょう)があったことは間違いないと思います。この、お国のためならば戦地に行ってもよいという気持ちは、今の日本人にはかけているのは明かですから、安倍総理は、お国のためならば進んで戦争に行くという日本人の復活を望んでいるのかもしれません。そういえば、自民党での憲法改正案では、個人の権利を大幅に制限したうえで、戦争ができるようにしようということが書かれています。 

 戦前の日本は、たしかに天皇を国家元首とする強力な中央集権国家でした。それは、欧米列強による植民地支配を免れ、独立を保ちたいという目的を実現するためには、この体制がもっとも現実的だったからです。その未来図は非常な苦労を伴いながらも、何とか実現に漕ぎ着けることができ、その頂点が日露戦争だったといえます。
 日露戦争後の日本は、独立を維持するという当初の目的を達成した後の新しい目標として、八紘一宇(大東亜共栄圏はひとつのいえのようなものである、という意味)というスローガンを掲げ、海外で植民地経営を行う国家を目指しました。日本がかつて侵略を行ったというのはこのことを指しているわけです。

 安倍総理をはじめとする「日本を取り戻す」と主張する人たちの考えが今ひとつ理解できないのは、戦後日本のような中央集権国家を復活させてどうするつもりなのか?という疑問が拭えないからです
 おそらく彼らの気持ちの中にあるのは、いつまで経っても中国や韓国から、「日本がかつて侵略を行ったのはけしからん」といわれ続けるのが嫌になってるということなのでしょう。
 たしかに、中国や韓国がこの問題を外交カードとして使っているということもわかります。けれども、中国や韓国にいつまでも同じことをいわせる日本の側にも甘さがあると行ってよいと思います。どういうことかというと、こういう問題が発生したときのお家芸である「トカゲのしっぽ切り」(あるいは「スケープゴート」といってもよいでしょう)が、この問題では一切行われていないからです。本来であれば、「あの戦争への日本をリードしていった一味は既に処罰され、一掃されてしまいました。今後は人心一新して世界の平和に貢献できる国家づくりに邁進して参ります。」といって、過去の日本を切り離したはずだったのです。
 東京裁判によって処刑された人たちを昭和殉難者として昭和53年に靖國神社に合祀し、しかも総理大臣が靖國神社に参拝することによって、いったん切り離したはずの戦前の日本と現代の日本が再びつながったかのように、外国の人々には見えるのでしょう。実際に、「日本を取り戻す」というスローガンは、戦前の日本を否定するのではなく、むしろ積極的に肯定し、再現させようという動きを現しているかのように私には思えます。
 内閣を延命させるためには、平然と閣僚を更迭することにためらいを見せないのに、どうして戦前の日本を否定しようとしないのかよくわからないのですが、ひとつだけこうではないか? という仮説があります。
 それは、敗戦のときに、本来ならば責任をとらなければならなかったはずの「尊きお方」がお咎めなしで終わったからだ、というものです。
 
 「日本人は、国が大家さんで自分の事は間借り人であると思っている。」という指摘はけっこう深い意味があると思います。

 日本人の国なのに外国の軍隊が駐留していて、基地の中は治外法権であるという事実。外国の飛行機が飛ぶときは日本の管制よりも優先して飛ぶことができるという事実。駐留している軍人が日本人に対して危害を加えたとしても日本の警察は逮捕することができませんし、日本の法律で裁くことができません。私たちは、この国杭は日本人のものであって日本人のものではないという矛盾を絶えず感じてきています。それでも、これまでは「米軍が日本に代わって防衛を担ってくれているので、日本は軍事費の支出を抑えることができ、安心して経済活動に専念することができるのだ。今後も日本が経済成長を目指すのならば、日米同盟は不可欠なのだ。」という風に思われていました。というよりも、今でもそうだと思っている人の方が圧倒的に多いはずです。
 けれども、日本の防衛関係費は現在4兆6千億円という巨額の支出となっており、この金額は日本が世界でも有数の軍事大国であることを示しています。さらに、防衛費のうちかなりの部分がアメリカ製の兵器(戦闘機やイージス艦など)の購入費に充てられており、さらには購入後のメンテナンスのための部品の調達費用も決してバカにならない金額になっているものと想像されます。
 このように、アメリカが身銭を切って日本を守っていてくれるというのは今日ではもはや幻想であり、根拠のない思い込みでしかありません。むしろ日米同盟は、アメリカが自国の利益のために日本の国内に基地を保有し、いつでも好きなときに日本の上空や領海を通航できる権利を保持し、同時にアメリカ製の高額な兵器を日本に買わせるために存在していると思った方がよいのかもしれません。

 したがって、安倍総理をはじめとする自民党の幹部たちは、「日本を取り戻す」ためにはいずれアメリカと対決することが(論理的に)避けられないはずなのですが、実際にやっていることを見ると、訪米やTPPへの参加といった「アメリカのご機嫌伺い」のようなことを繰り返しているわけです。
 いったい頭の中がどういう構造になっているとこういう矛盾した行動がとれるのか、わたしにはいくら考えてもわかりません。

 落語で大家さんという場合、長屋の所有者は別にいて、実態は管理人にすぎません。(このことは、住宅ジャーナリストの山本久美子さんのブログに詳しく書かれています。)

(落語「小言幸兵衛」の長屋の大家は、実はオーナーではない?)
http://suumo.jp/journal/2012/08/31/27633/

 日本人が間借り人で国が大家であるという比喩が、落語における間借り人と大家の関係を示すとするならば、日本という国のオーナーは誰になるかという疑問が浮かび上がってきますが、その答えについては私が申し上げるまでもないでしょう。
 自民党は、この国をオーナーと大家と間借り人でできている国にしたいと考えているのでしょうが、オーナーを公然と戴く以上、自らが有能な大家であろうとするならば、間借り人に我が儘な真似を許すわけにはいかないというとは当然の論理です。その思いの現れが自民党の憲法改正案になるのでしょう。
 だからといって、私たちがそれにつきあわなければならない義理はどこにもありません。
by t_am | 2013-07-17 22:08 | あいまいな国のあいまいな人々

by T_am