農業と農家
http://mainichi.jp/select/today/news/20111028k0000m010091000c.html?inb=tw
私にいわせれば、JAが守ろうとしているのは顧客である農家です。利益団体が顧客を守ろうとするのは筋違いではありません。顧客のダメージ=自分のダメージなのですから。
農業を守るということは実は農家を守ということなのだと、そろそろ気づくべきだと思います。農家がいるから農業が行われるのです。ところが農業を守るといってしまうと、それは産業としての農業ということになりがちであり、農業の担い手である農家がないがしろにされることになります。
農家の大規模化や国際競争力のある農業を目指すというのも理解できますが、農家とはこうであるべきだという論理には賛成しかねます。なぜなら農業にはその地域の風土にあった作物を作らなければならないという制約があるからです。
大規模農家が成立するのは平地であって山間部ではまず無理です。千枚田に大型機械は入りません。
農業は食糧を供給してくれるだけでなく、国土の保全という役割も担っています。タイの大洪水の理由のひとつに、農地を無計画に潰して工業団地を造成したということがあります。洪水を地球温暖化と結びつけて考える人もいるようですが、以前から洪水は起こっているのです。したがって洪水対策は治水によって行うのが当たり前であり、CO2を減らしても洪水はなくなりません。ただし、温暖化による雨量の増加は疑いのない事実なので、これまで以上に厳しい基準(30年に1度の大雨に耐えるから50年、100年に1度の大雨に耐えるというように)で対策を考える必要に迫られているといえます。
日本の国土の大半が山間部であることを考えると、これらの地域で農業に従事している規模の小さな農家をどうやって守るかということも必要です。すなわち、農家とは大規模農家も農業法人も
零細農家もすべて含むと考えるとべきだということになります。
グローバル化とは、世界共通の尺度である金によってすべてのものの価値判断をするという仕組みづくりです。TPPもその例外ではありません。都市に住む人はそれで構わないでしょう。都市も世界共通ですから。しかし、田舎は国によって全部異なります。そういう違いを無視してすべて金勘定に価値基準を委ねるというのがいいことなのか疑問に思います。
日本の自然の美しさというのは日本人が二千年かけてつくりあげてきたものです。開墾と灌漑によって農地を広げて来た結果が今の日本の姿です。それを無視して都市の都合だけで決めてしまうと、いつか莫大なツケを払う羽目になる、そんな気がしてなりません。