言葉狩り再び
このような「舌禍」事件に共通のパターンがあるようです。
1.発言者の真意よりもそれによって傷ついた人がいるということの強調。
2.その場合、傷ついた人というのは社会的な弱者であること。
3.発言者の謝罪とつるし上げ
1.に関して、MSN産経ニュースではこの発言があった当日の夜に怒りの被災者たちの声をアップしていました。その熱意と行動力は見上げたものだと思います。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111018/dst11101820510011-n1.htm
思うにこれは、記者が被災者に対して「平野復興対策担当大臣が今日こんな発言をしていましたが、どう思いますか?」という質問を投げかけ、それに対する反応を取捨選択して掲載したものでしょう。つまり、どのような質問をするか、それに対する回答のうちどれを誌面に掲載するかというのは完全にマスコミの裁量に属するわけです。
誰であろうと、自分の発言の真意が伝わらず誤解を受けた経験があると思います。そのことで相手の怒りを買えば、その場で謝罪訂正し、自分の思いを改めて伝えようとする努力を怠らないというのが普通のあり方だと思います。このときに、相手が誤解しているとわかったから謝罪し訂正するのか、それとも相手が怒っているから謝罪するのかとでは天と地ほども差があります。平野大臣はその日の夜のうちに謝罪の会見を開いていますが、大臣の気持ちがどちらに傾いていたかについては、各人が感じたまま判断する以外にありません。ついでに申し上げておくと、相手の顔を見ながら話しを聞くときの人間の直感力というのは侮れないものがあると私は思っています。もちろん、まるっきりの勘違いということもあるのですが……
これまで新聞・テレビ・出版社はこのようなクレームの申し立てを数限りなく経験してきたはずです。かつてクレームの矢面に立たされてきたのが、攻守を変えて、今では閣僚を追い落とす側に与する立場になっているのは興味深いところです。
数限りないクレーム処理の結果、マスコミは、自主規制と称する放送禁止用語や紙面への掲載を忌避する用語のリストを拡張され続けてきました。それがマスコミや出版業界の誠意によるものなのか、それとも面倒なことは避けたいという事なかれ主義によるものなのか、これまで仄聞するところによればどうも両方が複雑に入り交じっているようです。 亡くなった横山やすしが筆禍事件(このときは差別問題)に巻き込まれたときに、横山やすしは、クレームを申し立てて来た団体の代表者との面会を重ね、自分の気持ちを伝えるとともに先方の主張にも耳を傾け、最終的に自分の非を認めて謝罪を表明しました。(このあたりの経緯については「まいど!横山です」という本に載っています。この本にはときどき変な言い回しもあって、この人が自分で書いたことがわかります。まず希少本といってよいでしょう。)生前何かと問題を起こした人でしたが、自分の言動に責任をとろうとする姿勢を曲げたことはなく、その点立派だったと思います。
そういう気概がマスコミにもあればいいのでしょうが、組織人というのは、自分の非を認めることは更迭や左遷につながるので、期待するほうが無理かもしれませんね。
今回もそうですが、平野大臣の発言に対する怒りの声と紹介されているのは例外なく震災の被害者たちです。すべての被災者が平野大臣の発言に怒りを感じているかというと、中には無関心という人もいるでしょうし、そこまで目くじらを立てなくてもいいのではないかと感じている人もいることでしょう。そういう声が拾われることはなく、平野大臣の発言に対する被災者の怒りの声だけが報道されるというのも、もはや定型化しているといえます。こうすることで、弱者に対する配慮を欠いた軽率な政治家という図式が完成するわけです。
もっとも、マスコミや対立政党の政治家がこのような発言を奇貨としていることは多くの国民が知っています。本来政治家に求められるのは社会的弱者の生活の不安を取り除く政策の実施ではないでしょうか。弱者を傷つけたと非難するのは結構ですが、それよりも社会的弱者の生活不安をそのままにしている政府・政治家にこそ非難の矛先を向けるべきでしょう。
そういうことを考えると、今回の平野発言をめぐる報道にはマスコミと政治家の品性の卑しさが透けて見えるようで、いい加減うんざりしています。この後国会でも平野大臣に対するつるし上げと野田総理の任命責任の追及が行われるのは明白です。むしろ、そんなことに国会審議の時間を費やすほうが、実は被災者のことを何とも思っていないことを雄弁に物語っていると私は思います。も
新聞テレビがこぞってイエロー/ジャーナリズムに成り下がり、政治家でも三流以下の人物が政党の要職についているということが改めて確認された。今回の平野大臣の発言を巡る一連の騒動にはそれだけの意味しかないといってよいと思います。