ニューヨークのデモとTPP
代表的な買い手は消費者です。消費者は売り手(生産者や流通業者)に比べて知識も乏しく情報も充分ではありませんから、消費者を保護するための法律が整えられるというのも当然のことといえるでしょう。
その国の経済力を示す指標としてGDP(国内総生産)がよく用いられています。昨年は中国が日本を抜いて世界第二位の経済大国となったと報じられていましたが、その際に用いられた数値がGDPです。
ところで、GDPが高くなるというのはどういうことでしょうか?
その回答のひとつとして、あらゆるコストが高くなる、ということをあげてもよいのではないかと私は思っています。コストのひとつのくくりである生活費をとれば、このことは経験的にご納得いただけるはずです。生活費の中には住居費、食費、水道光熱費、被服費、娯楽費、医療費、教育費などが含まれます。さらに社会的コストとして負担しなければならない税金や社会保険料なども含めると、日本という豊かな国に暮らす私たちが負担しなければならないコストはかなり高いということがおわかりいただけると思います。このように国が豊かになるということは、それに比例して国民の生活費もかかるようになるということを意味しています。
このことは企業にとっても同じであり、販管費の主なものを占める設備費と人件費を押し上げる要因となっています。
それでもコストを吸収できるだけの収入があれば誰も文句はいいません。つまりどれだけ支出しても手元に金が残るようであれば何の問題もないのです。ところが、ここ十年ほど日本も含めて先進国といわれている国々では、グローバリズムという名目で投機家が国際間で活動できるようにする制度を整えながら、金の集中を促進する政策をとり続けてきました。その際のバロメーターはどれだけ利益をあげたかであり、そのために効率が追求されてきました。企業は利益をあげることで新たな投資が可能になるのであり、新たな投資は新たな生産と雇傭を生み出し、経済の成長に寄与するという論理です。また、外国人投資家が参入しやすい環境を整えるのは資金導入を促すためというのが理由です。
日本における派遣業法の改正や企業減税(個人増税とセット)の実施もその一環として行われてきたと理解してよいでしょう。しかし、その結果、金を持っている企業や個人はますます金を増やし、もともとあまり持たない個人や中小企業はさらに貧乏になっていくということになってしまいました。
豊かな国で、生活に必要なコストを負担できないとどうなるかといえば、まず電気ガス水道が止められ、いずれ住むところも失うということになります。生活保護という救済策もありますが、受給者の増大は財政を圧迫していますから、今後支給額が減額されたりあるいは支給基準が厳格化される可能性も否定できません。生活保護を受けられない人は、最悪の場合餓死することもあるでしょう。
ロンドンの暴動とニューヨークにおけるデモはこのような政策に対する抗議であると理解してよいと思います。すなわち、その国で暮らしていくためのコストを負担しきれない人がそれだけ増えたということです。
この時期にTPPに参加するかどうかが取りざたされるのは皮肉なことだと思います。日本に対しTPPへの参加を突きつけているのはアメリカであり、日本は事実上アメリカの属国なのですから拒否できるはずがありません。(このことは、アメリカの属国でなくなればよいのだという単純な論理を導くのですが、本稿ではそこまでは扱いません。)
TPPとは参加国の間で人と物と金の流れに対する規制を撤廃していくというものですから、産業界は歓迎(関税が撤廃されれば輸出にとってプラスになるから)していますが、外国産農産物との競争が予測される国内農業にとっては大きな影響が避けられないと思います。
農業=国土ですから、農業に与える影響は軽んじていいものではありません。そのことは大勢の方が指摘されているので、ここでは違った視点からTPPについて考えて見たいと思います。
参加国の間で人と物と金の流れに対する規制を撤廃していくとどうなるかというと、これまで以上に富の格差が拡大していくという結果を招くものと予想されます。
正社員を減らして派遣を増やす事で人件費を減らせばそれだけ利益は増えます。しかし、その利益を国内で投資して工場を新たにつくっても固定資産税その他のコストがかかります。それならば海外に投資した方がはるかに安いコストで同じだけの成果をあげることが期待できるわけです。政府が個人増税企業減税によって企業の利益を確保してやっても、それらが海外に流出していき国内に還元されることがなければ、なんのために我慢したのかということになります。かつて小泉純一郎は「痛みを伴う構造改革」という名言によって喝采を浴びました。しかし、それは嘘であり、「痛みを強いる構造改悪」が行われたわけです。
TPPへの参加は資金の海外流出を招きます。関税が撤廃されて輸入品の値段が安くなっても、消費者がそれを買うだけの金を稼げなければ意味がないと思いませんか?
ウォール街を占拠した「99%の叛乱」は、富の不均衡という格差の拡大に人々が耐えきれなくなったという現れです。アメリカで起こった社会現象は遠からず日本でも起こるのですから、このままでは日本もそうなってしまうものと懸念されます。
アメリカの農産物がなぜ安いかといえば、政府が莫大な補助金を出しているからです。その金の出所はどこかというと、いくらドルという基軸通貨を持っているとはいえ無制限にドルを印刷できるはずはないので、結局国債という裏付けの範囲でしか金は出てこないのです。それではアメリカ国債を誰が買っているかというと日本であり、機関投資家であるわけです。日本が出した金がアメリカの農産物に対する補助金となり、(TPPへの参加が実現すれば)日本の農業を圧迫することになるのですから、いったいこの国の政府は誰のために存在するのか疑問を感じてしまいます。
同じことはグローバリズムについてもいえるのであって、日本が買った国債を原資としてアメリカ政府は国内の投資家が活動しやすいように他国の政府に対して圧力をかけるわけです。その結果、日本でも利益の確保と効率の追求ということが国是のようになり、結果として格差の拡大を招いているといえます。(さらにいえば、イラクに対する戦費も国債によって調達されているわけですから、日本は間接的にアメリカによる戦争に参加しているともいえるのです。)
こうしてみると、日本がアメリカ国債を買うというのはアメリカに対する貢ぎ物ではないのかと私には思えるのですが、当事者にしてみればニコニコ貯金(定期預金という言葉が定着する前はこう呼んでいたのです)のつもりなのかもしれません。元も子もなくさなければいいのですが。
冒頭に申し上げた、売り手と買い手とを対等なものにするための諸法律というのはすべて国内法です。外国でつくられたものに対しては、日本の国内に入るまでは適用されません。国内に入った時点でこれらの法律が適用されるのですが、抜け道があることも指摘されています。(たとえば、国内で最終加工されればそれは国産ということになります。)また、独占禁止法も国内法にすぎません。国際間をまたいで経済を規制する法律というのはまだないのです。
法律は人間がつくるものですから、社会現象や市場が先行し、それらの矛盾が許容できないレベルに達した時に法律が制定されるということになります。国境を越えた物や金融の流れがこれだけ盛んに行われているわけですから、そろそろ国際的な経済活動を規制する法律を考えていく時期にさしかかっているように思います。TPPを推進する立場の人たちは猛反対することでしょうが、私にはそれは単なる強欲によるものとしか思えません。
付記
ギリシャの経済危機は、経済統合が先行し政治統合が追随しているEUだからこそ起こったことであると思っています。国内のおける富の再分配は政治の役割(イギリスやアメリカではそれが行われていないことが暴動やデモの原因。その意味では日本も政治が機能しているとは言い難い状況に陥っています。)ですが、政治が影響を及ぼすのは国内だけです。国内にしか権力を行使し得ない政治と国際間にまたがる経済とのアンバランスによって、ギリシャでは資金が国外に流出しそれを糊塗するために無理な財政出動を重ねたことが原因だと思うのです。TPP参加国が増えれば同じことが参加国の間で起こるだろうと思います。