高校授業料無償化に朝鮮学校を加えるべきか
今後の予定としては、基準が正式決定されれば個別の審査に入ることになるわけであり、朝鮮学校も無償化の対象となる可能性が高いとのことです。
高校授業無償化というと、普通高校や商業高校、工業高校など(学校教育法第1条に定めるいわゆる一条校)を思い浮かべますが、そのほかにも高校とおなじような教育を行う施設に各種学校があります。インターナショナルスクールがそうですし、朝鮮学校もそこに含まれます。ただし、各種学校の範囲は広く、自動車学校や予備校、洋裁学校、料理学校なども含まれます。一条校に比べてそれだけ自由裁量の幅が広いというふうに考えればよいということでしょう。
ここで問題となっているのは、朝鮮学校が朝鮮労働党の支配下にあるという事実です。授業料無償化という名目で朝鮮学校に補助金を渡すということは結局朝鮮労働党に資金(それは日本人が収めた税金です)を提供することになるのではないかということなのです。
この問題への対処について民主党のやったことはあまりにも杜撰かつ無責任です。そのひとつは、対応を文部科学省に丸投げしたこと。二番目は、無償化を実施する当初の目的から議論が逸脱しているのにそれを放置していることです。
行政の現場が判断するときの根拠は法令による規定となるべきです。形式的とか杓子定規であると批判されがちですが、大岡裁きのような人情味の溢れる判断をしてくれる官僚はどちらかというと例外的存在ですから、自由裁量の余地はなるべく減らしていくという方がいいのです。
今回の場合、文科省がとった方法は、外部の有識者にご意見を伺い、それに基づいて原案を作成するというものです。これは、行政が何かをしようというときの常套手段であり、一見公正なようですが、委員を委嘱するのは官僚たちなわけですから、結局は自分たちの描いたストーリーに沿った勧告が出されることになります。ところが、形の上では外部の利害関係のない有識者による「ご意見」ということになるのですから、水戸黄門の印籠のような権威が備わることになります。そのことで何か問題が生じたとしても、官僚が責任をとる必要はないわけです。
このような背景がある以上、外部の有識者たちによる委員会が出す結論というのは、各種学校である以上、それが高校と同じような条件を備えていれば、教育内容を検討することはしない、という結論となることは当然でしょう。なぜなら、教育内容を問題にするという方針を立てれば、では何がよくて何がダメなのかという「基準」を示す必要があるからです。朝鮮学校も無償化の対象とすべきだという勢力(昔でいう「左派」のことです)が国内にも存在する以上、敢えてそのような「基準」づくりをやったとしても、その勢力から睨まれることになるだけですから、官僚たちが取り組むはずがないのです。
政治家であればそういうことは充分わかっているはずであり、また「政治主導」を標榜していながらこの問題への対応を官僚たちに丸投げしたわけですから、民主党という政党の統治能力の低さがはっきりしたといってよいかもしれません。
高校授業料の実質無償化というのは、親の負担を軽減するために高校の授業料を無料にしようというところからスタートしました。ところが、個々の家庭に支給する方法は事務手続きが煩瑣になるという理由から、高校に支給して授業料に充てるという方策がとられるようになりました。朝鮮学校を無償化の対象に含めるのはおかしいのではないかという議論はここから始まったと記憶しています。
これに対し、朝鮮学校の生徒だけを無償化の対象から外すのは差別であり、かわいそうだと主張する人たちもいます。(本稿の主題とはそれますが、この「○○がかわいそうだ」という論理の展開をする人たちの中には、ずいぶんと酷薄なことを平気でできる人もいるのですから、議論にこのような情緒的な言葉を持込む人はあまり好きにはなれません。) 朝鮮学校を無償化の対象から除外するべきだという主張は、朝鮮学校で教えている内容に偏向やウソがあり、生徒のためにならないことが教えられているにもかかわらず、それを税金で手伝うのはおかしいのではないか? そういう教育をやめさせようとするのがどうして差別になるのか? というものです。
この主張は至極まともであると思います。
学校教育で教える内容の何が正しく何が間違っているかというのは、その時代背景と国の事情によって異なります。アメリカではキリスト教の教えに反するという理由で進化論を教えることを州法で禁止したところもあります(さすがにこれは違憲とされたようですが)。また、中国では江沢民政権の時に反日教育が行われました。これらは他の国の人々からみれば間違っていることになりますが、当事者たちにとっては「正しいこと」なのです。
そこで、自分たちが正しいと思い、「お前たちがやっていることは間違っているのだから直ちにやめなさい」といえば戦争になります。たとえ戦争を回避することができたとしても、対立が解消されることはありません。
私たちが正しいと信じているものは、ある視点でものごとをみたときに正しいといえるのであって、異なる視点でみたときには間違っていることになってしまう可能性もあるということを忘れるべきではありません。(仮に、日本が北朝鮮に侵略されてその支配下に置かれれば、朝鮮学校で教えていることが「正しい」ことになってしまうのですから。)
しかし、無理のある社会体制や制度はいつまでも続くものではありません。現に、朝鮮学校では1970年代をピークに生徒数が減少してきており、学校の統廃合も進んでいます。正しい社会体制、正しい制度などというものは存在しないのであって、時代の変化に適応できるか、そうでないか、しかありません。適応できない制度や体制は消えていく以外にないのです。
したがって、権力が教育に介入すべきではないと私は思います。
議論が逸脱しているということを先ほど申し上げました。これは、本来生徒の保護者に対し支払われる予定であった補助金を学校に支払うことにしたことによるものです。つまり、朝鮮学校をめぐる問題は補助金の支払い方法によるものですから、各種学校の生徒に対しては学校ではなく保護者に直接補助金を支給するようにすればいいのです。(一条学校である高校については学校に支払うことに異論を唱えている人はいません。)
各種学校に通う[高校生」の数は少ないのですから、事務手続きの量はたかが知れています。また、そうすれば、保護者を援助するという当初の目的を達成することができ、朝鮮学校そのものに対して補助金を交付するということを防ぐことができるようになります。
授業料の支援を受けた生徒がどの学校を選択するかは本人とその家族が決めることです。生徒数が減少するということは、その学校の存在意義が失われつつあるということですから、政治や世論がどうこういうよりも時代の流れに判断を委ねればよいのではないかと思います。
付記
朝鮮学校を含む各種学校に対しては授業料相当額を学校に支払うのではなく、生徒の保護者に直接支給するという方法をとる利点はもう一つあります。それは、今度の政権は生徒の人権を守りながら、北朝鮮に対する制裁の手を緩めないということを国際社会にアピールすることができるというものです。
国際社会が高い評価をすれば、それは国内に伝えられますから、ひいては世論の支持率もアップするということにつながります。そのためには、支援すべきは朝鮮労働党=朝鮮総連=朝鮮学校ではなく、生徒とその保護者であるということを強くアピールすることです。
見方を変えれば、この問題は民主党政権のイメージをよいものにする絶好のチャンスなのですが、そこまで考えている政治家は残念なことに民主党内にはいないようです。それは民主党にとっても不幸なことであるといえますが、同時に日本にとっても不幸なことであると申し上げないわけにはいきません。もっとはっきりいうと、無能な政治家の跳梁跋扈を許していては、日本にとっていいことは何もないということです。