教育への思い込み(1)
http://www.ustream.tv/recorded/8551014?lang=ja_JP
そんなのめんどくさくて見てらんねーや、という方のために孫社長のスピーチの内容を要約すると、次のようになります。
日本の競争力は著しく低下してきており、このままでは30年後には取り返しのつかないような状況に陥る。
日本のGDPはこの20年間成長していない。それは「ゆとり教育」やこどもの競争心を失わせる教育を行って来たことに由来する。
そこで競争力を取り戻して成長を達成するようにしなければならない。その際に現在伸びているIT産業を伸ばすべきである。
日本の出生率は低下し続けているのだから、知的レベルを伸ばすことを考えた方がいい。今の日本の姿は外国から知的レベルで負けている。それには国家戦略として教育の改革を考えるべきである。そうしなければ国家の成長はない。
働き盛りは40歳前後なのだから、30年後の40歳、すなわち今の小学校4年生に対して30年後役に立つことを教えなければならない。30年後の教え子から先生から教わったことは何の役にも立っていないといわれたら悔しいではないか。
30年後の企業人が求めるられるもの
1)交渉力
2)競争意欲
3)知的能力
4)リーダーシップ
5)プレゼン能力
6)思考力
7)検索能力(暗記しなくても良い)
8)分析力(なぜそうなるのかの方がはるかに大事)
丸暗記するよりも、そのとき必要な知識を検索できる能力があればそれで充分であるし、それよりもなぜそうなったのかを分析する能力の方がはるかに大事である。
丸暗記しなければならない教育はもうやめた方がいい。30年後役に立たないことがあまりにも多く教え込まれている。
ここまでが前半です。この後は日本中の学生と教師全員に無料で電子教科書を配るという主張になっていくので、そのことと分けて考えることにします。
まず指摘しなければならないのは、孫社長は実業家であるということです。だからでしょうか、孫社長の主張は有能なビジネスマンを育てる教育を行うべきだといっているように私には聞こえます。言い方を変えれば、現在の教育は有能なビジネスマンを育てることに寄与していないと考えているのです。
教育は有能なビジネスマンを育てることのためのみにあるのかという疑問はさておき、日本の教育が有能なビジネスマンを量産することに寄与していないのはおそらく事実であると思います。だから、経済界は大学に対し、もっと即戦力になる人材を供給するように、という要求を行っているわけです。
日本で有能なビジネスマンを育てる体制が整っていないのは、教育に問題があるというよりも、画一的な人材を求めてしまう財界の圧力こそが原因であると考えられるからです。
このことについては、内田樹先生が昨日(8月6日付)のブログの中で、茂木先生のツイートを引用して紹介しておられます。以下引用させていただきます。
そもそも、新卒一括採用という慣習は、経営的に合理性を欠く愚行だとしか言いようがない。組織を強くしようと思ったら、多様な人材をそろえるのが合理的である。なぜ、一斉に田植えでもするように、同じ行動をとるのか?
ここでは就活に対する疑問を述べておられるのですが、大学3年生になったら就活をすることに何の疑問も抱かない従順な学生ばかり採用してどうするんだという指摘です。社会全体が学生に対して今就活をしておかないと就職できないぞという圧力をかけて、学生を一律の物差しで査定しようとしている状況を批判しておられます。
孫社長が主張していることも同類です。有能なビジネスマンを育てる教育というのは、学生を画一化して一律の物差しで査定しようということと何ら変わりません。そのように学生を画一的に扱おうとする圧力(孫社長にいわせれば、運動会でみんなで手をつないでかけっこするようなもの)が学生の学力低下を招いてきたことは、おそらく孫社長も感覚的に理解しているはずです。そこで学力(知的レベル)を向上させるために、別な画一的な基準(有能なビジネスマンになることが人生の幸せである)を教育に持ち込もうとしているわけですが、このような圧力が学生の知的レベルを損なってきたことにいい加減気づくべきです。
30年後に役に立つことを教えようという孫社長の主張は説得力があるようですが、でもよく考えてみましょう。それでは小学4年生に教えて30年後に役に立つことっていったい何ですか?
おそらく「英語」という答えが真っ先に返ってくることが予想されます。そこで、それでは英語さえ喋ることができればそれでいいのですか? と問いかけるとそれだけではないということになるはずです。そこでこう質問してみましょう。「それはいったい何ですか?」
この質問に答えられる人はたぶん誰もいないであろうと思います。
財界人も政治家も、そして官僚ももっと効率のよい教育を行うべきだと考えているように思います。その背景には、今の教育はムダなことを教えている部分が多いので、それを省いて本当に必要なことだけを教えるようにすれば効率がよくなるのだから、学力は絶対向上するはずだという確信があるのでしょう。
しかし、それは幻想にすぎません。それが本当に可能だと考えているのであれば、自分のこどもに対し、必要だと考えるカリキュラムだけを教え、あとはまったく教えないという実験を個人的に行ってみればよいのです。
でも、そんな勇気はないでしょ? そんなことをすればこどもがかわいそうだと思うのではありませんか?
自分のこどもにはやらせたくないことを他人のこどもにやらせることは厭わない。教育に効率を要求する人たちにはこういう身勝手なところがあります。そういう人たちが教育に口出しするとロクなことにならない、私にはそのように思えてなりません。
孫社長がいうように、日本の企業が外国の企業に比べて競争力が衰えているというのは教育に原因があるのではなく、単に次の2つの条件を満たしていないからに過ぎません。
1)他社の追随を許さない技術力を持っている。
2)技術力が同等であれば外国の企業よりも安くつくって売ることができる。
国内でそういう製品をつくることができないからこそ、外国から輸入してくるのではありませんか。できない理由を教育のせいにするのはフェアではありません。むしろ責任転嫁というべきでしょう。ゆえに財界人には教育に口出しする資格はないといえるのです。
このように考えると、孫社長の主張は一見もっともなことをいっているようですが、よく考えると決してそうではないことがわかります。ご自分の思い込みで教育を語っており、それに引きずり回される弊害は大きなものがあると思います。そこで、次回は講演の後半のテーマであるデジタル教科書を導入すべきだという主張について取り上げてみます。