国会議員の責任
とりわけ13日に行われた国家公務員法改正案の採決では、三宅雪子議員が転倒したことの方が大きく取り上げられ、そんな法案が通ったことも知らない人が多いのではないでしょうか。
国会の会期(6月16日まで)が残り1ヶ月を切ったということもあるのかもしれませんが、世間の注目が他のことに向いている間に重要法案を通してしまうというのはちょっと乱暴なやり方であり、野党時代の民主党が反発していた手法ではなかったのか? という気がしてなりません。
それはともかくとして、自分の選挙区の国会議員が何をしているのか知らない人が多いというのは否定できない事実であるといえます。もちろん有権者の関心が低いというのも理由の一つとして揚げられるでしょうが、肝心の議員の側も積極的に知らせていこうという意識が低いといえます。
国会議員の仕事とは、法案を提出すること、法案を成立させること(もしくは廃案にすること)、法律を改正すること(もしくは廃止すること)に大別されると思います。
特に重要なのは法案を提出することですが、政府提案に比べると議員立法は極端に少ないというのが現実です。その理由は国会議員が抱えるスタッフの陣容が貧弱であること、そして国会議員が陣笠議員に成り下がっていることが考えられます。
事業仕分けで独立行政法人にメスを入れるということが行われ、近々第2弾があるそうですが、まず議員定数にメスを入れるのが先決でしょう。議員定数を今の2割程度に減らし、その代わり一人の議員に支給する調査費などを5倍に増額した方が、議員の質は今よりもはるかに向上するはずです。(議員定数が減っているので総額は今と変わりません)
転んで怪我をして、車いすで登院したことで名前を覚えてもらったというのは、国会議員としては(本来ならば)屈辱的な出来事であるはずです。
失礼ですが、今回の店頭事件があるまで三宅議員のことはまったく知りませんでした。
それは、知ろうとしない国民と、知らしめようとしない議員本人と、伝えようとしないマスコミの連帯責任です。でも、なぜそんなことになるのかというと、採決のときに議員が持っている票こそが重要だからです。意地悪な言い方をすれば、与党・政府が提出する法案に賛成票を投じるのであれば、議員が誰であっても構わないというのが実態です。
その実例が、タレントやスポーツ選手などの知名人を候補者に仕立て上げるという動きであって、個人の適性や能力などというのはどうでもいいと思われている証拠に、タレント出身議員の議員生命は短いのです。
こういうのを使い捨て議員と呼ぶべきではないかと思いますが、議員として大した仕事をしなくてもいいようになっているというのが、使い捨て議員が一向に減らない理由です。
そこで提案ですが、国会(委員会と本会議)の採決では、誰が賛成し、誰が反対したか、また誰が棄権し、誰が欠席したかというのをきちんと公開するべきです。議員立法の場合は提案者が誰か公開されていますが、それだけでは不十分です。法案の提出に取り組むわけでもなく、党の指示に従って賛成票や反対票を投じるだけの議員ははっきりいって無用の長物です。そんな人に歳費を支給するくらいなら、きちんと働いてくれる議員に余分に支払った方がはるかに国益に叶うはずです。
要は、きちんと働いてくれる議員は誰なのか、いてもいなくても体制に影響のない議員は誰なのか、そして、いない方がいい議員は誰なのかが国民に明らかになるような仕組みがあることが大事なのです。
民主党は期待はずれ。かといって今更自民党に投票する気にもなれない。その他の政党に投票するのもどうかと思う。そんな人が増えていると思います。このままだと、投票に値する政党がないという理由で夏の参議院議員選挙では投票率が下がることが心配されます。
その場合、投票所には行くけれども白紙で投票するということをすればいいのですが、大半の人は面倒くさがって棄権するのでしょう。
それというのも、一部の候補者を除き、わが国では個人よりも政党に投票するという傾向が強いからです。
考えてみれば、投票というのは一種の白紙委任状ですから、それを政党に託すというのも無謀な行為であるといえます。なぜかというと、個人の場合であれば責任をとって議員辞職するということも起こりえますが、政党の場合、失政の責任をとって政党を解散するということはあり得ないからです。つまり、個人は責任をとることがあるけれども政党が責任をとることはないのです。
責任を負わないものに白紙委任状を託すというのは、よく考えればおかしな話ですが、私たちは長年そのことを疑問に思いませんでした。今もそうです。
もしも読者が日本の政治はおかしいと感じているのであれば、政党という無責任体質の組織に投票するのではなく、政治家個人に投票する(適当な人がいなければ白紙で投票する)というふうに考え方を切り替えた方がいいと思います。そのために、国会議員が何をして何をしなかったかということが有権者に公開される仕組みづくりを要求すべきでしょう。
仮に、投票率60%、無効票(白紙)の割合60%となったとすると、有効な投票というのは全体の24%(=100%-40%-60%×60%)にすぎません。それを複数の候補者で分け合うのですから、当選者の得票割合というのは有権者全体の十数パーセントということになります。有権者の十数パーセントしか得票できない人が国民の代表ですということが本当にいいのかどうか、そういうことを考える時期に来ていると思いますが、いかがでしょうか?