三が日のゴミkara
スーパーマーケットが新しく出店するときに、その地域の家庭から出るゴミを調べてどの店で買い物をしているかを調べる、という話を聞いたことがあります。今でもそんなことをやっているかどうかは知りませんが、確かにゴミの内容を調べれば、その家がそういう生活をしているかがわかるだろうということは否定できません。
生鮮食品の場合、ほとんどがトレイに入れてラップをかけていますから、買えば買うほどトレイが増えていくことになります。すなわち、家族の多い家、育ち盛りの子供がいる家などはそうでない家庭に比べてどうしてもゴミの量が増えるはずです。
また自分で料理をつくると気づくのですが、食事をつくるとどうしても野菜くずなどのゴミが出ます。100% 外食をすればゴミは減るのでしょうが、そんなことをしていたら財布が保たなくなります。つまり、人間が生きていく以上どうしたってゴミが出るのです。
ゴミの量が増える要因はいくつか考えられます。
1.家族が増えた。
2.育ち盛りの子供がいる。
3.たくさん買い物をしている。
逆に、これと反対の状況になればゴミの量はそれだけ減ることになります。
私が住む新潟市では平成20年6月からゴミ(燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ゴミの3種類)が有料化されました。それ以外の資源ゴミ(食品トレイなどのプラスチック包装容器、ペットボトル、古新聞、空き缶空き瓶など)は無料のままです。
市のホームページでは毎月の家庭ゴミ排出量の推移が公表されています。
http://www.city.niigata.jp/info/haiki/gomi/gomiryou.html
それによれば、ゴミの有料化以来ゴミが減少しているというコメントがつけられています。確かに前年同月と比較するとゴミの量(重量)は減っているのですが、今年の6月以降は微増傾向が続いています。
なぜこんなことを書いているかというと、ゴミの排出量(=焼却量)を減らすためにゴミの有料化をするというのが新潟市の説明であり、最初の1年間はその通りになったのですが、生活実感としてゴミというのはそんなに減るものではないと思うからです。
ゴミを有料化することはゴミの排出を抑制する効果があるかもしれません。しかし、ゴミが増えたり減ったりする要因はそれ以外にもあるはずです。ざっと考えただけでも次のようなものがあります。
1.人口の変動(21年11月末現在では、新潟市全体で前年同月よりも100人増えています)
2.消費の増減
3.自然災害の後片付け(滅多にあることではありませんが、ゴミは増えます)
実は、ゴミ袋の有料化よりもこういった要因の方が、ゴミの排出量に及ぼす影響力が強いのではないかと思えてなりません。また、家庭ゴミをコンビニなどのゴミ箱に持ち込んでも家庭ゴミは減ることになります。そこまで図々しい人はそうはいないと思いますが、自家用車の車内ゴミをコンビニのゴミ箱に捨てている人は多いのではないでしょうか(コンビニは大いに迷惑していることと思いますが)。
しかも、不景気でそれだけ消費が減っているはずなのにゴミが微増しているのですから、景気が回復すればさらにゴミが増えるのではないかとも予想されます。
こうして考えてくると、ゴミ袋を有料化したことの効果というのは実は測定が非常に難しいといえるのではないかとも思います。せめて新潟市が公表しているゴミの排出量のデータが種類(燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ゴミ)別に公表されていればいいのですが、燃えるゴミと燃えないゴミの組成割合(平成19年と20年の比較)しか公表されていません。
ゴミが有料化された最初の年のゴミの排出量が減ったのは粗大ゴミ(前年までは無料だった)を出さなくなったからではないか、つまり家の中に残っているのではないかという疑いを捨てきれないのですが、粗大ゴミの推移が公表されていないので確かめようがありません。
そもそもこういう統計データというのは、自分に都合のいいものを公表し、都合の悪いものは出さないというのが普通ですから、発表を鵜呑みにするのも考えものです。
ゴミの有料化というのは本当に効果があるのか疑問は残ったままです。
また、不景気だけれどもゴミの排出量は減っている状態と、ゴミは増えているけれども景気はいいという状態とどちらを選ぶかといわれれば、ほとんどの人は景気がいい方を選択すると思います。(消費が増えてもゴミを減らすことができるという主張は理解に苦しみます。簡易包装に切り替えても結局ゴミが増えることに変わりはないのですから。)
もともとできもしないことを、さもできるかのように説明して市民に負担させているのではないか? 案外私たちの社会というのは、こういうコスト負担が積み重なって高コスト社会になってしまっているのではないかと思います。それでもまだ財源が足りないと自治体も政府も主張するのですからきりがありません。
増税して財源不足を補ったとしても、何年かすればまた財源が足りないと言い出すことは過去の経験からして明らかです。日本の人口は減少期に入っており、その分社会的なコストは減っていくはずなのです(人口1億人の国と5千万人の国とでは国家予算の規模が違うということです)が、いっこうにその気配はありません。不思議だと思いませんか?