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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

坂の上の雲

 NHKドラマ「坂の上の雲」がオジサンたちの間で人気を集めているようです。私もオジサンですからもちろん欠かさず観ています。

 こうして映像化された作品を観ていると、この作品のテーマが文明というところにあるのではないかと思ってしまいます。
 司馬遼太郎さんが書いているように、文化が地域や国や宗教に固有のものであるのに対して文明は人類に普遍的なものです。たとえば数学や物理学のような学問を文明といってもよいでしょうし、技術を文明ということもできるでしょう。

 歴史は生き物のようにダイナミックに動いており、年表を覚えるように静止画像としてとらえたのではなかなか理解することができません。だいいち無味乾燥で少しもおもしろくないといえます。
 江戸幕府が行った鎖国は海外の文明から日本を閉ざすものでした。それでも江戸期を通じて長崎の出島から針ほどの光が差し込んできており、それは蘭学という形で広まっていきました。同時に、豊臣政権による米を商品化する制度を受け継いだことで商品経済が、徐々にではありますが、津津浦々にまで浸透していき、読み書きそろばんを通じて庶民の間にも計数感覚を身につける人が増えていくという状況をもたらしました。その結果、江戸時代の中後期には独学で科学的合理的思考法を身につけた日本人も登場するようになりました。
 一方、世界は大航海時代を迎えており、捕鯨や海上貿易はますます盛んになっており、日本は補給基地として各国から注目されるようになり、交易の申し入れをする船が幾度も日本を訪れるようになりました。鎖国を続けていた日本人にとって、これら異国の人間の到来は誠に迷惑なものでした。
 このままでは日本は外国人に蹂躙されてしまうという危機感は攘夷運動に発展していきましたが、彼我の軍事力の差は如何ともしがたく、そのことに早期に気づいた薩摩・長州藩では開国して積極的に外国の文明を取り入れるべきだという思想が起こりました。
 幕末というのは、海外からの圧力に対しあいかわらず日本を閉ざしたままにしておこうという勢力と、開国によって外国の文明を取り入れることが日本を救う道であると信じる勢力の衝突の時代であるとみることができます。片方は徳川家を守ることが日本を守ることだと信じていましたし、もう一方は日本を守るためには徳川家を中心とした体制ではもう駄目だと見切りをつけていたのです。
 
 その上で、日本が外国の文明に向かって扉を開けたのが明治維新であるとすれば、明治期はこれら海外の文明国の中で一人前の存在になろうと日本がけなげな努力を続けた時代であるといえます。
 坂の上の雲ではその様子を三人の主人公を通じて描いています。けれども、作者自身が語っているようにこの三人は決して特別な存在でなく、彼らがいなければほかの誰かが同じようなことをやったに違いないと思われます。というのは、この三人は明治期の日本人の代表として選ばれたのであって、彼らがやり遂げたことは非凡ですが、その思考法は文明そのものだといえるからです。
 秋山好古はコサック騎兵と比較して明らかに劣る戦力をカバーするために当時最新鋭の兵器だった機関銃を導入しましたし、弟の秋山真之はバルチック艦隊を全滅させるために必要なことは全部やっておくという考え方で作戦を立案しました。また、早逝した正岡子規は俳句に写実主義を導入したことで知られています。

 このように文明という視点で日本史を眺めると、日露戦争というのは日本が文明社会に変質していく一連の流れ(それは江戸時代から始まっています)の中で、一つの頂点に位置するといってもよいと思います。
 だからこの小説に描かれた明治という時代はカラッとした明るさに満ちあふれています。従来の明治時代に対するイメージは、天皇という絶対君主制が確立した時代としてとらえることにより、暗く貧しい時代というイメージがつきまとっていました。確かに貧しかったことは事実であり、悲惨な出来事も数多く起こりましたが、同時に明るさもあった時代だったと思います。

 この間の、オバマ大統領がノーベル平和賞の授賞式で行ったスピーチの中で、次のような一節がありました。


Somewhere today, a mother facing punishing poverty still takes the time to teach her child, scrapes together what few coins she has to send that child to school -- because she believes that a cruel world still has a place for that child's dreams.

 今日も世界のどこかで、ひどい貧困の中にあっても子供の勉強を見てやる時間をつくりだし、なけなしの小銭を集めては子供を学校に通わせる母親がいる。彼女の境遇は悲惨でも子供の夢を叶えることはできると信じているからだ。

 
 相変わらずの意訳ですが、オバマ大統領自身こういう母親を気高いと考え、尊敬していることが伺えます。
 司馬遼太郎さん風にいえば、長い坂の上にぽっかりと浮かぶ雲を目指して歩き続けるようなものだということになるのでしょう。そういう人たちがつくりあげた時代が明治という時代であると作者は主張しているのです。
by T_am | 2009-12-15 01:31 | その他

by T_am