人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

模範解答の功罪

 人間が下す意志決定に唯一の正解というのはありません。ただし、より「ベターである選択」というのはあります。その代わり、物事にはプラスとマイナスがありますから、Aさんにとってはもっとも好ましいと思われた選択肢が、Bさんにとっては満足できないものである、ということもあり得ます。
 それでも選択をしなければならないときはしょっちゅうあって、意志決定には試験問題とは異なり模範解答は存在しません。
 私たちが犯しやすい過ちは、自分であればこうするという選択肢がその場合の模範解答である、と勘違いすることです。

 日本では長い間、会社の利益のためには法を犯したり、社会道徳を無視して目に見えない他人に迷惑をかけても構わないという考えが支配的でした。昨年あれほど問題になった食品の偽装表示事件はそのような意識が根底にあって起こったものです。また、公害問題というのもこのような意識によって引き起こされたといえます。
 ここで注意しなければならないのは、私たちは、自分の行為の被害者が明白である場合心理的にブレーキがかかるけれども、被害者がはっきりしないときは躊躇することはないということです。身近な例でいえば、空き缶のポイ捨てや海岸にゴミを捨てて帰るというのも、それによって迷惑する人が定かではないので、平気でできるのだと思います。
 ところが、企業のように社会に与える影響が大きい存在が、自己の利益のためには法を犯したり社会道徳に反する行為をしても構わない、と考えて行動することのもたらす被害は思いの外大きいということがしだいに明らかになってきました。そこでこれらの行為が発覚したときは声高に非難され、ときにはこれを罰する法律やルールが制定されるようになりました。コンプライアンス(法令遵守)を企業が意識するようになったのはこのためです。

 食品の偽装表示が発覚した企業の記者会見で、そこの工場長が「社長に言われて逆らえなかった」という意味のことをいっていました。サラリーマンであればどなたもこの言葉が理解できるのではないでしょうか? 
 この言葉には二つの意味があって、自分がやったことに対する責任転嫁と社長のイエスマンである人間が評価され出生していく企業の内部事情がよくわかります。この会社では売れ残って返品されてきた食品に対し、賞味(消費)期限の日付を付け替えて再出荷することが模範解答だったわけです。
 一般に、国や企業も含めてあらゆる組織にはこのような独自の模範解答が存在します。それは組織の体制を維持する上で必然的に発生してくるものです。模範解答を躊躇することなく実行できる人間が組織の中で評価されしだいに力を得ていくというのは、どこの組織にも見られることです。
 異なる価値観の持ち主にとってこのような模範解答の存在は苦痛を感じますし、組織に新しく入ってきた人にとって奇妙に感じることもありますが、いったん模範解答に慣れてしまうとこれほど楽なものはありません。というのも、自分で考える必要がないからです。他人に与えられた言葉やフレーズを唱え、その通りに行動していると高揚感を得ることができるという性質を人間は持っています。組織が強固でなければならない独裁国家や社会主義国家でスローガンが多用されるのはこのためです。

 その体制を維持するために組織の中では模範解答が自然発生する、というのは避けられないことですが、二つの問題を抱えています。
 第一の問題点は、模範解答が強制力を伴うようになるということです。「社長に言われて逆らえなかった」というのはこのことを如実にあらわしています。つまり、その組織の中では模範解答に対して誰も反対できないような雰囲気になっていく、と考えて差し支えありません。
 二番目の問題点は、模範解答がしだいに強力になっていき、その強制力が頂点に達したところで組織は崩壊するということです。
 これはどういうことかというと、多様性が維持されている環境がもっとも活力に溢れたものであり、逆に多様性が損なわれた環境ではそこに暮らす生物は偏った方向のみに順応していくので、いざ環境が変化してしまったときに対応しきれずに滅んでしまうことがある、という事実に基づいています。
 会社の利益のためには法を犯したり社会道徳を無視しても構わないという模範解答は、誰もそれを咎めないうちは、やりたい放題のことができるので次第にエスカレートしていきます。ところが、マスコミによって取り上げられ世間の非難を浴びると、その会社の売上げは極端に落ちてしまいます(スーパーではいち早く商品撤去という対応がとられましたし、料理店では客が激減しました)。最悪の場合、会社が潰れてしまいますし、運良くそれを免れたとしても、自社だけで改善することはできないの外部から人(新しい遺伝子)を入れなければならないようになります。
 この問題点は、あらゆる種類とレベルの組織につきまとうので、運悪く組織の崩壊に立ち会う羽目になった人は悲惨な体験をすることになります。

 かつての日本を振り返ってみると、幕末の頃の模範解答は「攘夷」でした。そのエネルギーによって江戸幕府は消滅しましたが、新たにできあがった明治政府の方針は「開国」と「近代化」による「富国強兵」であり、「攘夷」の影も形も残りませんでした。
 明治政府の「富国強兵」はやがて「大東亜共栄圏」に発展していきましたが、先の戦争で崩壊してしまいました。
 戦後登場したのは「高度成長」です。そのおかげで日本が世界有数の経済大国になったことは否定できません。その過程で公害という環境問題が発生しましたが、これも何とか克服し現在は環境先進国になることができました(薬害という問題も同根であるといえます)。ただし、被害者の救済は未だ完了していません。そうするうちに「高度成長」ということは誰もいわなくなりました。
 その代わりに、今の日本で模範解答とされているのは、「市場原理」であり「CO2削減」ではないかと思います。「市場原理」の方は小泉改革に対する反発やブッシュ政権の失政によって一頃ほどの勢いは失われているようにもみえますが、その信奉者はまだまだ数多くいます。
 一方の「CO2削減」は、国やマスコミがこぞって煽るものですから、私のようなひねくれ者には少し息苦しさを感じてなりません。
by T_am | 2009-07-24 07:40 | その他

by T_am