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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

心の「遊び」

 自動車を運転する方はご存じのように、ハンドル・ブレーキ・アクセルにはそれぞれ「遊び」が設けられています。アクセルでいえば、ある程度ペダルを踏み込まないとエンジンの回転数が増加しないというのが「遊び」です。遊びが少ない車では、アクセルペダルをほんのわずか踏んだだけで自動車が加速してしまうことになります。これでは車庫入れや徐行運転のときに不便ですし、危険でもあります。遊びという不作動範囲を入力装置に持たせることによって、操作ミスを防ぐことができるようになります。
 
 人間の心にもこのような「遊び」があった方がいいと思っています。
 人間の感情は絶えず変化しています。いことがあれば嬉しくなったり楽しいと思いますし、逆に嫌なことがあれば傷ついたり怒ったりするのが普通です。
 ところがこの社会はストレスに満ちているので、細かいことにまでいちち目くじらを立てていては疲れますし、身が持ちません。もちろん、他人のミスを絶対に許せないという人はいます。また、鋭角の多い人というのもいます。そういう人たちを見ていると、きっと気の強い人なのだろうけれども家族は大変だろうなあ、とつい思ってしまうのです。
 以下、気の強い人には無縁のことを書きます。

 些細なことでも気になって態度や表情に出てしまうというのは、自分が傷つくか他人を傷つけるかどちらかの事態を招きます。このときに弱い立場の方が傷つくことになっているので、大人よりも子どもの方が傷つきやすくなります。
 人を傷つけたり自分が傷つくのが嫌だという人にとって、他人とは深く関わらないようにしようという考え方やニヒリズムが魅力的であることは知っています。その代わり、他者との間にコミュニケーションが成立したときの充足感を得ることはできなくなります。
 この充足感はそうやたらと感じられるものではありませんが、この人ともっと話をしていたい、このままもうちょっと一緒にいたいと思うのは結構いいものであることは保証します。
 人間は意図せずに他人を傷つけてしまうことがあるので、人を絶対に傷つけないというのは不可能です。ただし、そのことを知っているのと知らないのとではまるで違うということも事実です。友達にするならばどちらの方がいいかといえば、知っている人の方がいいに決まっています。
 ネガティブな感情に対して「遊び」を設けるというのは、嫌なことがあっても見ないふり、気づかないふりをすることで可能となっていきます。日本人はネガティブな感情に対してもともと淡泊な民族ですから、そのうちに「水に流した方がいい」と思ったり、あるいは忘れてしまったりすることができるものです。狭い世間で暮らしているので、些細なことであれば目くじらをたてない方がいいということが経験的にわかっているのではないかと思います。
 けれども誤解しないでいただきたいのですが、理不尽な仕打ちを受けても我慢すべきだというのではありません。私の場合、そういうときは断固戦うことにしています。その分世間が狭くなることもありますが。
by T_am | 2009-03-27 06:58 | 心の働き

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