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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

バレンタインデーとホワイトデー

 今年のバレンタインデーは、勤務先の女子一同からということでチョコレートをいただきました。
 義理を欠いてはならぬので、ホワイトデーには一人一人にお返しをしましたが、同時に、「来年のバレンタインデーは、みなさんの『チョコレートをあげなければいけないオジサンのリスト』から僕の名前を削っておいてくれませんか。」とお願いしておきました。

 仕事柄出張が多いので、気が向くと事務所の女性たちにお土産を買ってくることがあります。行った地方のお菓子を買ってきて、「これをみんなで分けてね。」と渡すのです。
 これは、自分がそうしたいからしているのであって、何か見返りを期待しているわけではありません。もしも、見返りを期待するのであれば、もっと集中的積極的に贈り物をしなければならず、八方美人的に行動したのでは何の効果も望めないということを、たいていの男は経験によって学習済みです。

 バレンタインデーの義理チョコは、世の女性(おばさんも含めて)の遊び心を掴まえたことから広がりました。チョコレートを贈ってみたいけれどもそんな相手はいないという女性でも、「これは義理チョコです」ということであれば堂々と参加できるようになったのです。
 このようにして定着したバレンタインデーというのは、「遊び」からスタートした風習でした。ところが、誰もが参加するようになったことで誰でもチョコレートをもらえるようになった結果、バレンタインデーというのは身の回りの男にチョコレートをあげなければならない日であるというふうに変化してしまいました。「義理チョコ」が「義務チョコ」になったのです。
 こうなったのは、バレンタインデーは身近な女性からチョコレートをもらえるものだと思い込んでしまっている我々男にも責任があります。それは、「俺にもくれ」という無言のプレッシャーとして、女性には感じられます。プレゼントを誰に贈るかという選択は本来贈る側の自由意志に委ねられるというのが大前提であるにもかかわらず、バレンタインデーに関してはそれが崩れてしまっているのです。(このあたり、まわりと同じでなければなんとなく落ち着かないという国民性が現れているように思います。)
 私がもらった「女子一同から」というのはそのような状況の産物であり、「どうせあげなきゃいけないんだから、もらえない人が出るとかわいそうだわ。でも、今までみたいに、女の子が別々にあげてたんではお金がかかってしかたないから、みんなで一緒にあげた方が経済的よね。」という博愛精神と経済的合理主義によって、職場のおじさんたちに分け隔てなくチョコレートが贈られたというわけです。

 ここで、ちょっと考えてみましょう。
 職場に100人の女子社員がいて、一人千円ずつ出して千円のチョコレートを買うと100個買うことができます。それを職場にいる100人の男性社員に贈ったとしたら、もらった側はどのような行動をとるでしょうか?
 気の弱い男は、100人の女子社員に1個ずつお返しをするでしょうが、合理的に考えるならば、男の方もみんなでお金を出し合って女子社員に1個ずつお返しをするという行動をとることになります。
 このように考えると、バレンタインデーもホワイトデーも大事なのはプレゼントを分け隔てなくあげた(あるいはもらった)という事実であって、あげる側の本音としては、その中身や手法など実はどうでもいいと思っていることがわかります。
 けれども、上司や先輩にチョコレートをあげておかないと後で意地悪をされるんじゃないかしら、と心配される方も中にはいらっしゃることでしょう。事実、そういうこともあると思います。こうなると、たかがチョコレートといいながら、もはや年貢や税金と同じであるといえます。あるいはお中元お歳暮と変わらないといってもいいと思います。
 ですから、女性のみなさんが上司や先輩、おじさんたちにチョコレートを義務的に贈るというのは充分理解できることです。私は、「もうやめようよ。」といいたいのですが、そうもいかないのだろうな、ということもわかります。

 「あげなければならない」という気持ちが露骨にわかる贈り物をもらうと、もらった方は「お返しをしなければならない」という債務を背負うことになります。贈る側がそういう気持ちでいることは何となくわかるものなのです。
 ホワイトデーが登場したことで、バレンタインデーにチョコレートを贈るのと引き替えに見返りを期待しても構わないということになりました。すなわちバレンタインデーというのは女の人にとっては債権を手にする日であり、ホワイトデーは男にとって債務の履行を迫られる日であるといえます。このような人間関係はどこかおかしいと思いませんか?
 私の場合、他人に何か贈り物をするのは自分がそれをしたいと思うからなので、債務を返済するために贈り物をするというのは好みません。そこで、「来年のバレンタインデーは、みなさんの『チョコレートをあげなければいけないオジサンのリスト』から僕の名前を削っておいてくれませんか。」と申し出た次第です。
 こういうことを言うから偏屈オヤジだと思われるのですが、仕方ありません。

 「いいですか、これは義理であげるんですからね。変な誤解をしないでくださいね。」
「あたしがあげないと、誰からもチョコレートをもらえないんでしょ。だからあたしに感謝しなさい。」

 こんなふうにチョコレートをもらったら喜んでお返しをするのですが、世の中思うようにはいかないようです。
by T_am | 2009-03-14 22:01 | 社会との関わり

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