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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

他人を説得するレトリック

 自分の意見の正当性を主張する際に用いられるレトリックには様々な種類がありますが、最も多用されているのは次の2つではないかでしょうか。

1.私の言う通りにすると、こういういいことがありますよ
2.私の言う通りにしないと、こういう悪いことがありますよ

 1.はテレビショッピングやラジオショッピングなどの通販で多用されています。そこでは、「この商品を使うとこういういいことがありますよ。しかも今回は特別に普段よりもずっと安く買えますよ。」という二段構えのセールストークが繰り広げられているのが普通です。いわば、人間の欲を刺激するレトリックであるといえます。
 2.の論理は霊感商法でおなじみですが、基本的には相手に恐怖感や不安感などを植え付けて自分に従わせようとするものです。
   
   勉強しなさい。遊んでばかりいると大人になってから苦労するわよ。

 世のお母さん方がわが子に向かって一度は口にしたことがある言葉ですが、あまり高圧的にいうとかえって子どもの反発を招きます。一部の占い師でこのような言い方をする人がいますが、どちらかというと少数派です。実際には、もっとソフトに、次のような説得の仕方がとられます。

2’.このまま何もしないでいると、こういうことが起こりますよ。
  それを回避するには、このようなことをしなければなりません。

 このようなレトリックは日常至る所で見受けられます。社会保険料の値上げや増税がなされたときもそうでしたし、最近では温室効果ガスの排出削減の正当性を訴えるために用いられています。
 このようなレトリックはなにも霊感商法の専売特許というわけではなく、政府広報でも用いられていますし、かくいう私自身も用いたことがあります。
 このレトリックが多用されるのはそれだけ効果があるからです。それだけに、これを用いる人は、なんとしても相手を説得したいという意図を持っています。それは善意に基づく場合と悪意に基づく場合とがありますが、根底にあるのは自分のやっていることに疑問を感じていないということです。

 上手に嘘をつく秘訣は、99%の真実を並べた中に1%の嘘を織り交ぜることです。ここでいう「嘘」とは、自分で考えついたことを指します。99%の真実が1%の嘘にきづかないようにしてくれます。逆に、真実の割合が低ければ、すなわち嘘が多ければ、相手に見破られる危険性は高くなります。

 また、何も嘘をつかなくとも、自分に都合のいいところだけを強調して、都合の悪いところは敢えて伏せておくということも行われます。2004年に成立した年金改革法では、厚生労働省は法案が成立するまで前年の出生率を公表しませんでした。それまで、出生率は前年並みと見込んで作成されたプランだったのですが、実際に公表された出生率は02年が1.32であるのに対し、03年は1.29でした。国会での審議中にこの数字を公表すると法案の成立に支障をきたすことを恐れて、敢えて公表を遅らせたものと考えられています。
 統計数値やグラフは、相手を説得する有効なツールとして、プレゼンテーションでは必ず用いられています。しかし実際には、良心的でない人たちに自分の都合のいいようにつくられた資料が用いられています。
 そのような作為を見破るには、多少の専門的な知識が必要となります。といっても高校卒業程度の学力があれば充分理解することができるのです。

 人は自分が見たいと思うものを見るものですし、信じたいと思うものを信じるものです。

 「僕は君のことを信じている。だって、君のことが好きだから。」というのは、論理としては支離滅裂ですが、感情としては筋が通っています。ここで、「君のことを信じることができる」といっているわけではないことに注意してください。言っているのはあくまでも「君のことを信じている」という意思の表明に過ぎません。なぜわざわざこんなことを言うのかといえば、信じようとしなければ好きだという思いが冷めてしまいかねない、ということに不安を感じているからです。したがって、このようなメッセージは「君のことを好きでいたいから、君を信じる。」という意味であると解釈することができます。そして、その後には次のようなメッセージが隠れています。

 「だから、君を疑うことにつながる事実は見たくないし、知りたいとは思わない。」

 一方、人間が誰かを嫌ったり憎んだりするときは、これと逆のことが起こります。すなわち、その人のいいところを見ようとはせずに、悪いところだけを見ようとするのです。けれども自分の気持ちが次の通りであることに、自分自身では気づいていません。

 「この人のことを嫌いで(憎んで)いたいから、この人の悪いところだけを見ていたい。それを覆すような出来事は見たくないし、知りたくもない。」

 このような気持ちを持っている人は、何かあるとことさら悪い方に解釈しようとします。これを偏見といい、人が誰かを憎んだり疑ったりするときに発生します。

 話が脱線してしまいました。申し訳ありません。

   このまま何もしないでいると、こういうことが起こりますよ。
   それを回避するには、このようなことをしなければなりません。

 このレトリックも効果がない場合があります。
 それはどのような場合であるかというと、相手がへそ曲がりである場合とまるっきりの無知である場合です。
 タバコのパッケージには、ご丁寧にこう書いてあります。

  喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。

 あるいは、医者は喫煙癖のある患者にこう諭します。

  このままタバコを吸い続けていると、そのうち癌になりますよ。

 せっかくの忠告も、肺気腫や癌の恐ろしさを知らない人には効果をあげることができません。また、へそ曲がりは、「いいんだよ。どうせ人間はいつか死ぬんだから。」といって取り合おうとしません。さらに、頭のいい人であれば、反論してくることもあるでしょう。
 私は、どちらかというと、こういうへそ曲がりの方が好きです。
 この人たちにとっては、他人が言うことに素直に従うということが嫌なのです。そのため、善意に基づいて説得を試みる人にとってはどうにも手に負えない厄介者と思われてしまいます。それだけ損をすることもありますが、当人はそのことを意に介していません。
 へそ曲がりが歳をとって角が取れてくると、何ともいえない人間味がにじみ出てきます。
 さらにいえば、へそ曲がりでも抹殺されずに生きていける今の世の中を、かけがいのないものであるとも思っています。
by T_am | 2009-02-28 07:03 | 心の働き

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