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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

仕事について考える  禁句について

 今回から不定期に、仕事について考えてみることにしました。人間にとって睡眠時間を除けば最も長い時間を費やしていること、および景気が悪くなって労働環境が悪化していることを思うと、一度じっくり考えてみるのも悪くないと思った次第です。

 労働者が決して口にしてはいけない言葉が二種類あります。ご存じでしたか?
 それは次の言葉です。

「私の仕事じゃありません。」

「できません。」

 なぜこの言葉を口にしてはいけないのかというと、もしもあなたがこの言葉を口にしたとすると、理由の如何を問わず、その瞬間からあなたは戦力として計算に入れてもらえなくなるからです。

 「私の仕事じゃありません」というのは二通りの場合が考えられます。第一に、その仕事の担当者はほかにいて自分ではない場合。第二に、その仕事の担当者がはっきり決まっておらず、自分がそれをやることによって自分の仕事がおろそかになってしまう場合です。
 いずれの場合も断るに充分な理由が成立するように思われますが、世の中そう単純ではありません。
 というのは、労働者は自分の労働(仕事)の成果に対して給料が支払われていると考えがちですが、実際のところ会社が労働者から買い取っているのは、その労働者が持っている「労働力」だからです。
 「あなたにはこの仕事をやってもらいます。その成果に対して月末にこれだけの給料を支払います。」という雇用契約を会社と結んでいる労働者はほとんどいません。いるとすれば、それは出来高払い(あるいは歩合制)賃金となります。むしろほとんどの労働契約の実態は、「あなたが提供する『労働力』に対してこれだけ給料を支払います。」というものにすぎません。仕事の中身と勤務地は会社が自由に決めていいという内容の「包括的労働契約」が締結されているのであって、だから辞令一本でたとえば経理部から営業部へ行くという人事異動が平気で行われ、労働者もそれを疑問に思わずに受け入れるわけです。
 このように、仕事は会社が指示するものであり、労働者が自分で選択できる種類のものではないのです。ですから、「それは自分の仕事ではありません」と、自分で仕事を選ぼうとする人は、次第に与えられる仕事の幅が狭くなっていき、かつ単純な仕事しかまわしてもらえないようになっていきます。
 そんなことをいっても、ほかに担当者が決まっている場合はどうするんだ。その人の仕事を奪えというのか。こう思われるかもしれませんが、その場合は、「この仕事の担当者は○○さんですが、私から○○さんに伝えておきましょう」と言っていればよいのです。このときに「お急ぎですよね?」とひと言添えることができれば完璧です。
 だいたい、担当外の人間に仕事を頼むというのは他部署の人間と相場が決まっています(あるいはもっと偉い人であることもあります)。同じ部署内であれば、仕事の分担についてわかっているはずです。しかし他部署の人間や偉い人というのは、その辺の事情を知りません。そういう人に向かって、「それは私の仕事じゃありません」と言ってのけるのは、敵にまわすようなものです。同じことを言われたら腹が立つでしょう?

 「できません」というのは、もっといろいろな場合が考えられます。第一にあげられるのは、やりたくないという場合です。
 第二に、忙しくてやってる余裕がないという場合が考えられます。この場合「他の人に言ってくれませんか」「自分でやってください」というのも同義語となります。
 第三は、それをやるだけの能力が自分にはない場合です。どうやったらいいかわからない(やり方を知らない)という場合も能力がないということに含まれます。
 第四は、それを実現するための条件が揃っていないことが明らかである場合です。
 総理大臣が官房長官に対して、三年後に消費税の税率アップをするように、という指示を出したときに、官房長官が「できません」と答えるのが四番目の事例にあたります。
 このように「できません」という背景には様々な事情があるのですが、「できません」と言った時点でそれは一律に「拒否」とみなされます。情状が酌量されるのはせいぜいで最初の1-2回だけです。「拒否」が度重なると戦力としてアテにできないと思われてしまいます。そうなると、重要な仕事はまわってこなくなり、誰にでもできる簡単な仕事、単純な仕事ばかりをやらされるようになっていきます。さらに、運が悪ければ、こいつはやる気がないな、と思われることだってあります。いずれにせよ、あまり幸せな未来は待ち受けていないと思ってよいでしょう。

 以上、まるで会社の回し者みたいなことを書いてきましたが、ここでもう少し突っ込んで考えてみたいと思います。それは、ほかに言いようもあるだろうに、なぜ「自分の仕事ではありません」とか「できません」という(自分に不利な)言い方をしてしまうのか? ということです。

 今まで、「自分の仕事ではありません」とか「できません」と言っている人をたくさん見てきましたが、その人たちには共通点があって、ちっとも楽しそうでないのです。もしかすると、私に対する個人的な恨み辛みがあったのかもしれませんが、中には初対面の人もいましたから、少なくとも初対面の人たちは自分がやっていることにやりがいを感じていなかったのだろうと想像できるのです。嫌々仕事をやっている、と考えれば、これ以上仕事が増えることを嫌うのは無理もありません。
 もちろん、人間には、どうでもいい人に対して、ときにはとてつもなく冷酷にふるまうことができるという性質があることも忘れてはならないでしょう。そういう根性の悪さは多くの人が持っています(私自身は性格が悪いのでそういうことがわかるので、それだけに自分の性格の悪さをどうやったら隠しおおせるかということも重要な関心事となっているのです)。
 自分の性格の悪さは、自分自身が意識することで現れないようにすることができます。そうしなければ、不利な目に遭うのは結局は自分となります。これを自業自得というのでこれ以上触れませんが、仕事にやりがいや面白さを感じていないことによって、自分がとる行動が自分をますます不利な立場に追い込んでいくというのは、極めて不幸なことであると思います。
 仕事が嫌なら辞めればいいじゃないかと思うかもしれませんが、転職すれば解決できる問題かというと、どうもそうではないような気がします。というのは、人間は集中力を持続させることができれば、それが楽しいと思うようにできているからです。傍から見ればつまらないことでも、集中してやっていると結構楽しいと本人は感じているのです(好きなことに対しては集中状態に入るまでの時間が短い)。
 にもかかわらず、仕事にやりがいが感じられない、少しも面白くない、というのは何か理由があるはずです。そういう人たちに、「あなたは何がやりたいの?」と訊くと、明確な答えが返ってくることはありません。自分は何をしたいのかということはわからないけれども、今やっていることはやりたくないということだけはわかるのです。
 仕事が面白くない、やりがいが感じられないというのは、職場の人間関係に問題がある場合もあるので一概には言えないのですが、仕事は与えられるものであるけれども同時に自分でつくり出していくものでもある、と考えることができるかどうかで変わってきます。
 先ほど、仕事は会社が指示するものであり、労働者が自分で選択できるものではない、ということを書いたので、それと矛盾するのではないかと思われるかもしれません。しかし、全然矛盾しないのです。仕事ができると認められている人ほど、会社が指示している仕事がその人のやっている仕事の中に占める割合は少なくなっているのが普通です。会社は他の人と同じだけの仕事を指示しているのですが、仕事ができる人はそれよりもはるかに多くの仕事を自分でつくり出しているのです。仕事のえり好みもしていません。えり好みが出るとすれば、気が乗らない仕事ほど後回しになりやすいということでしょうか。それでも拒否することはないのです。
 その証拠に、自分の仕事の成果に対して報酬を受け取る職業の人たち(芸能人や弁護士などの特殊な技能の持ち主)は、仕事のオファーに対して「できません」と答えることは基本的にはありません。自分ができないと答えたら、代わりに手を挙げる人はいくらでもいるからです。そういうシビアでハードな世界で生きていけるのは、彼らが自分の仕事にやりがいと面白さを感じているからです。そういう仕事だから、やりがいや面白さを感じることができるのではなく、やりがいや面白さを感じられるから続いていると考える方が正しいと思います。
 このことは、特殊な技能を要する仕事にだけ当てはまるのではなく、すべての仕事に当てはまるのだといえます。相手が期待した以上のことをやるから評価されるわけで、それが積み重なっていくと、より大きな仕事が任されるようになっていきます。しかし、期待通りのことをやっている限りは、求められる仕事が変わることはありません。いつまでも同じことをやる羽目になります。
 その違いは、自分がやることを自分で作り出していくことができるかどうかというところにあります。
 そこで、次回は仕事をつくり出すということについて考察してみたいと思います。
by T_am | 2009-02-10 06:55 | 社会との関わり

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