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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

現代の錬金術-排出権取引-(2)

 前回に続き、二酸化炭素ガスの排出権取引がなぜおかしいかを考察したいと思います。
 
 二酸化炭素は、動物が活動する限り必ず排出する性質のものです。人類が排出する二酸化炭素がなぜ問題になっているかというと、地球を温暖化させるほどの量が排出され続けていると思われているからです(真偽の程はわかりません)。
 大気中の二酸化炭素濃度の高まりが温室効果を起こしており、その結果地球の平均気温が上昇しているのだという立場にたってすべての議論が進められています。ここでは、そのことについてはあえて触れませんが、それでも排出権取引というのがおかしいことは指摘可能です。

 人類が排出する二酸化炭素ガスがなぜ多いかというと、結論はただ一つ、石油を始めとする化石燃料を使っているからです。化石燃料の消費量は、人口と経済成長との間に正の相関関係があります。つまり、人口が増えたり経済成長が行われるとその分消費される化石燃料が増えていくことになるわけです。
 したがって、二酸化炭素ガスの排出量を削減するということは、基本的には、地球人口が減少するか、経済がマイナス成長するかのどちらかでもない限り、達成できるものではありません。しかし、人口を人為的に減少させるということは許されることではありませんし、発展途上国の国民に向かって、「あなたたちは引き続き貧しい生活のまま我慢してください。それが地球温暖化を回避する道なのです。」と説くこともできません。

 読者の中には、バイオエタノールなどの代替え燃料を用いるか、一人一人が石油資源を節約する生活をすればいいのではないか、とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、これらの方法が二酸化炭素ガスの放出削減にどれだけ効果があるかは疑問です。たとえば、バイオエタノールを生産する際には(原料であるサトウキビの栽培や収穫、運搬といった段階から)化石燃料が使われています。また電球型蛍光灯も節電効果はありますが、それを製造する際には二酸化炭素ガスを排出します。また、廃棄する際に環境を汚染する心配もあるので注意が必要です。ということは、その処理工程において二酸化炭素ガスを排出することになります。さらに、太陽電池も製造過程で二酸化炭素を排出しますし、燃料電池で動く自動車は充電するたびに二酸化炭素を排出します。
 このように、新技術によってつくられた製品に置き換えることで従来の製品よりも二酸化炭素の排出量が抑制できるといわれていても、結局は製品(そのための原料の生産も含みます)の製造から廃棄までをトータルして考えないことには意味がありません。
 各地で導入が進んでいるレジ袋の有料化でも、レジ袋の代わりに買い物袋を持ち歩いたとしても、そのための袋を新しく購入するのであれば効果は低くなります。なぜなら、その袋を製造・包装・運搬するために二酸化炭素ガスが排出されているからです。それを回避するには、家にある袋をそのまま使うしかないのですが、それもいつかはダメになります。そうなったときには新しく買い物袋を購入するしかないわけですから、その時点で二酸化炭素ガスの排出に荷担することになります。
 もっと意地悪なことをいうと、あなたがレジ袋を断っても、毎年新しい服や水着、化粧品を買うという生活をしていれば、あるいは休日に長距離ドライブや旅行をすれば、それだけ二酸化炭素ガスの排出に荷担していることになります。それらはレジ袋削減の比ではありません。
 QCサークルで用いられる手法であるABC分析の要諦は、結果の大部分は原因となる事象のうちの一部分によって起こるというものであり、したがってこれに手をつけない限り改善の効果は期待できないというものです。
 自分にできることからやりましょうというのは、とても立派な心がけだと思いますが、枝葉末節の事柄に一生懸命努力を傾けてもそれは自己満足に過ぎません。「何もしないよりもマシではないか」と思われるかもしれませんが、「結果は出ませんでしたが一生懸命やりました」といっても通用しません。だって、二酸化炭素濃度は毎年増え続けており、それが地球温暖化の原因だというからには、二酸化炭素濃度を減らさない限り意味がないではありませんか。目的は二酸化炭素の排出を減らすことではありません。二酸化炭素濃度を下げることで地球温暖化を食い止めることではないのですか?
 政府やマスコミの言い方をみていると、最初は地球温暖化をくい止めなければならないといっておきながら、いつの間にか、あなたが二酸化炭素の削減を心がければ地球温暖化は防ぐことができるという言い方にすり替わっていることに気づきます。この間にはものすごい論理の飛躍があるのです。本当に二酸化炭素濃度を下げようとするならば、誰もが江戸時代の生活に戻らなければなりませんが、そのことは政府もマスコミも絶対に触れようとはしません。もちろん、私も江戸時代に戻れといっているのではありません。できもしないことを、さもできるかのように言うのはおかしいと申し上げているのです。

 閑話休題。排出権取引という概念が導入されたのは、発展途上国を京都議定書の枠組みに取り込むための方便であったと思います。
 途上国の人たちが、「今まで二酸化炭素ガスをまき散らしてきたのは先進国の人間なのだから自分たちには関係ない。地球温暖化よりも自分の国が発展し、国民が飢えや貧困、病気に苦しまないですむようにすることの方がはるかに重大である」と考えるのは当然です。そのような考え方をする人に対して、地球温暖化がもたらすデメリットを説いても説得力はありません。それよりも、「あなたの国が二酸化炭素ガスの排出を抑えてくれたら、その分を先進国が買い取ることにしますよ。」と持ちかけることの方がはるかに効果があるのです。
 しかし、排出権取引というのは、もともと排出していない二酸化炭素ガスを「排出枠」という権利に置き換えて、それを先進国に売り渡すというものですから、トータルすれば二酸化炭素ガスの排出量に変化はありません。むしろ、途上国では排出権取引によって得た資金は、政治家や役人が着服するのでもない限りインフラ整備などに使われるので、その国を豊かにする方向に作用します。そのことはその国の国民にとってプラスになりますが、結果として二酸化炭素ガスの排出量は増加することにつながっていきます。
 市場原理によって、排出権を売却し続けるためには途上国も新技術を導入して二酸化炭素ガスの増加を抑制する行動をとるはずである、と考えるのは机上の空論でしかありません。たとえば、途上国で発電所をつくろうとするときに、手っ取り早くできるのは火力発電所です。初期費用と運営コストがかかる原子力発電所をつくるとは考えられません。
 同じことは工場にもいえることです。経済発展の途中にある国では例外なく公害問題が起こっており、それは、経済の発展が最優先であって環境汚染対策は二の次にされるからです。豊かになって初めて環境汚染に目を向けるだけのゆとりができてくるのです。
 先進国でも、排出権を購入するコストが惜しいと思うはずだから、二酸化炭素ガスの排出削減に動くであろうという期待もあると思います。しかし、そんなことをするよりも京都議定書を離脱する方がよほど簡単です(現にアメリカがそうでした)。にもかかわらず、先進国が京都議定書に参加しているのは、環境ビジネスが金になると思っているからです。オバマ大統領が地球温暖化対策に積極的に取り組むと表明しているのは、そのことが雇用を生み、アメリカ経済にプラスになると考えているからです。ヒューマニズムで判断しているわけではないと思います。
 省エネやエコのための製品を開発すれば、それが売れることは間違いありません。しかし、そのことが経済の発展(すなわち国民の生活を豊かにする)に寄与するとは考えにくいのです。
 昨年、自動販売機でたばこを購入するための成人識別カードとしてタスポが導入されました。そのために数百億円というお金が投入されました(その原資はたばこの代金から捻出されています)が、その経済効果はほとんどゼロに等しかったといえます。その理由はタスポの普及率が低いからではありません。タスポというカード自体は何も新しい価値を創造しないからです。
 どういうことかというと、たとえば、食料品を購入してそれを食べることで人間はエネルギーを得ることができ、仕事や勉強という活動に携わることができます。それらの活動は物づくりという行動や需要そのものですから、新たな売買活動に結びつくといえます。このように、食料は人間が新しい価値を創造するために使われるのです。
 ところがタスポはそうではなく、持っていても何も生み出さないのです(タスポを持たなくてもたばこを買うことはできます)。
 省エネやエコのための製品は、従来あった製品を置き換えただけのものですから、新しい需要を生み出すものではありません。電球型蛍光灯が省エネになるからといって部屋を増築する人はいませんし、最近の冷蔵庫は電気代が安いからといってもう1台冷蔵庫を買い足す人もいません。それを購入することで従来あったものを廃棄するという行動を伴います。
 それらの製品が経済の発展に寄与するためには、消費者人口が増えるか今まで世の中に存在しなかった製品を作り出す以外ないのですが、現実はそうではありません。まだ使えるエアコンや冷蔵庫をきっぱりと捨てて省エネ型の新製品に買い換えるならば別ですが。

 公害が問題となったときに、工場の排気ガスや排水に厳しい規制が設けられ、企業はそれに従うことで公害問題を解決してきました。そのために開発・導入された技術によって国民の生活がどれだけ豊かになったか測定することは困難ですが、少なくとも環境汚染は低減されました。その結果、公害に対処するために社会全体が負担しなければならないコスト(たとえば医療費など)は軽減されるという効果をもたらしました。
 二酸化炭素の排出量を削減するための方策(たとえばレジ袋を削減するなど)によって社会全体のコストをどれだけ低減することになるのかは明らかではありません。なぜならば、地球温暖化(=二酸化炭素濃度の上昇)によってもたらされた現象であると断定できた被害はまだ存在しないからです。
 さらには、地球全体の二酸化炭素ガスの排出量が増え続けている以上、削減策がどれだけ効果があったのかは誰にもわからないからです。ちなみに、レジ袋を1枚削減すると二酸化炭素をおよそ62グラム削減できるというコマーシャル(@大和ハウス)がありますが、この数字は推定値です。1枚のレジ袋の中に62グラムの二酸化炭素が含まれているわけではなく、製造の際に何グラム、運搬する際に何グラムという推定値の積み重ねをいっているのです。もちろんそれが正しいかどうかは誰にも検証のしようがありません。

 また脱線してしまいました。すいません。
 錬金術というのは、価値の低いありふれた金属を、高価な金に変える技術のことをいいます。核融合でも起こさない限りそんなことは不可能なのは明らかとなっていますが、これだけ科学が発達した現代でも錬金術に取り憑かれる人は後を絶ちません。
 お金を預けるだけで何倍にもなって返ってくるという儲け話や、マルチ商法が廃れることはありません。人間は、額に汗を流してお金を得ることよりも、楽をして金儲けをする方がはるかに好きな動物であるといえます。
 同様に、二酸化炭素というありふれた物質について「排出枠」や「削減量(マイナス○%、マイナス○グラム)」という架空の存在を取引の材料にしてお金に変えようというのは、まさに錬金術であるといってもいいと思います。
 世の中に存在しない物を売りつけようとする人のことを詐欺師と呼びます。錬金術師というのは現代では死語ですが、かつては詐欺師と同義語でした。
 錬金術はいつか必ずぼろが出るものであり、その被害者は錬金術を信じてお金を出してきた無邪気な人たちに限られるというのはいつの時代も同じです。
 念のためいっておきますが、日本が排出枠を買い取るために必要な原資がどのような名目で徴収されるにせよ、最終的にこれを負担するのは消費者であることに変わりはありません。
by T_am | 2009-01-27 07:07 | あいまいな国のあいまいな人々

by T_am