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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

ダウンサイジング(1)

 日本が今の構造的不況から抜け出すのは容易ではないという前提で、では個人はどうすべきか? ということを考えてみます。

 まず、家計がおかれている今日の状況を整理してみると、可処分所得の減少を第一に考えなければなりません。社会保険料は継続的に増額していくことが決まっているので、定期昇給が期待できる若い世代でも、可処分所得はそれほど増えていくわけではありません。定期昇給に期待できない中高年層では、業績悪化を理由とした賃金や賞与のカットも既に行われています。さらに派遣労働者となっている人々は企業の業績悪化の緩衝装置とされており、今回の派遣切り問題で、非常に不安定な身分であることが明らかになりました。 今回の不況は所得が伸びないことが消費の停滞につながっていることが原因です。従来は輸出によって獲得したお金が給料や賞与という形に姿を変えて家計にまで巡っていたいのですが、その流れは既に断ち切られています。そのお金の流通経路が復活する見込みは低い(大企業の経営者たちが心を入れ替えるとは思えません)ので、家計の可処分所得の減少傾向は継続し、将来の収入増加を前提とした購買行動をとることができなくなるということにつながります。
 このことは新築マンションの売れ残りという現象に既に現れており、6月にスルガコーポレーション民事再生法の手続申請(負債額約620億円)をしたのに次いで、7月にはゼファー(同949億円)が、8月にはアーバンコーポレイション(同2558億円)が経営破綻し、つい最近ではダイア建設(同約300億円)が経営破綻しました。
 給与所得者にとって数千万円の買い物となる住宅(マンション)の購入は、長期間にわたって返済をしなければならないうえに、返済が滞れば最悪の場合住むところを失うというリスクがつきまといます。当然、将来の収入と支出を検討し、返済にまわせる余力の範囲内で返済計画を組まなければなりません。つまり、個人によって借りられる額に限度があるわけで、これ以上借りることはできません。(サブプライムローンの問題は、購入した住宅は将来高値で売れるという目論見で購入者の返済限度額を無視した貸し付けが横行したことに由来します。これらの貸し付けを行った企業の中には、返済が不能となることは織込み済みであり、そうなれば住宅を取り上げて競売にかけることで資金を回収するというつもりでいたのです。個人でもこの仕組みに乗っかって、最初から転売目的で高額のローンを組んで住宅を購入した人もいましたが、その目論見は外れすべてを失うことになりました。)
 買いたいという需要があるにもかかわらず事情がそれを許さないという状況によって、今後個人による不動産売買はますます減っていくものと思われます。
 
 ここで消費について考えてみます。
 私たちを消費に誘うものは、テレビや雑誌などのマスメディアによる外部の情報です。そこでは、この商品を買うとあなたの生活はこういうふうに豊かになりますよということをアピールし、私たちの想像力を掻き立てます。高額商品ほどこの傾向が強く、現にそういう動機で購入した商品はどこの家庭にもありますし、旅行や食事に出かけた人もおおいことと思います。
 一方、女性を対象にしたセールスでは、毎年毎シーズンごとに新しい流行がつくられています。化粧品、洋服、水着、小物などその種類は多岐にわたり、これをきちんとフォローしようとすると女の人はいくらお金があっても足りないだろうなあ、などと人ごとながら心配してしまいます。
 実際には、財布に限界があるので何かを諦めるということをしなければなりません。これは男でも女でも同じなので、ほとんどの人は欲しいものはあるれども我慢しなければならず、そのことでストレスを感じている(だからもっとお金が欲しいと思う)、という状態が今日まで続いています。
 この問題を解決するには、どれだけ支出しても耐えられるだけの収入を手にしなければなりません(一時所得では使い切ってしまえば終わりですから根本的な解決にはならないのです)が、それが叶う人は(テレビに出るくらい)きわめて稀です。
 年配の方であれば、この、問題を解決するための鍵はわかっているけれどもそれが手にはいることはないという状態を聞いたことがあるかもしれません。それは仏教でいう餓鬼道です。餓鬼道とは死後の世界のひとつで、そこに墜ちた亡者は餓鬼と呼ばれ、常に飢えと渇きに苦しみ、食べ物や飲み物が手に入ることはありません。私たちは餓鬼ほどお金に渇望しているわけではありませんが、欲しいと持っているものが手に入らず願いが叶わないところは一緒です。餓鬼を苦しめているものは飢えや渇きよりも、手に入りそうで手に入らないという絶望感であって、これはわたしたちにもいえることです。私たちと餓鬼の違いは、餓鬼にも寿命があり、その寿命が尽きるまで餓鬼道から抜け出すことはできませんが、私たちには自力救済が可能だということです。
 抹香臭い話になってしまい恐縮ですが、収入の範囲内で生活することを当たり前と考えることが自立救済の道です。欲しいものがあれば、後先のことを考えずに買うのではなく、お金を貯めてから買うという自制心が自分を救ってくれます。そうやって、身の丈にあった生活をすることに不満を抱かなくなれば、高額な住宅ローンを組むときも無理な返済計画を組むこともなくなります。
 このような考え方は、消費を冷やすのではないかとご心配されるかもしれません。確かに、私が否定しようとしているのは、過剰な消費に拠らなければ成り立っていかない現在の仕組みです。実態とかけ離れた過剰な投資、生産、消費行動によってバブルはもたらされ、その破綻によって大勢の人が傷つきました。現在でも、はるかに小規模ですが、実態にそぐわない消費行動が個人の単位で行われる限り、それはいずれ破綻します(これは企業も同様です)。その波紋は小さいながらも周囲に影響を及ぼし、本人と周りの人を傷つけることになります。
 個人におけるダウンサイジングとは、自分の生活を身の丈にあったものに合わせ、それが当たり前であると思える意識に変革することであると思います。
 そのことが自分を救い、ひいては周りの人を傷つけずに済むことにつながります。私たちは自分にだけ責任を負っているのではなく、周りの人にも責任を負っているのですから。
by T_am | 2008-12-22 07:07 | 社会との関わり

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