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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

人はなんだかよくわからないということが嫌いです

 今回も、人間が犯す過ちの話です。人妻の過ちとか、そういう類の話ではありません。あしからずご了承ください。



 これは、私たちの脳の習性といってよいと思いますが、人間は何かの出来事に接するとそれを解釈しようとします。何らかの解釈が成り立てばそれでいいのですが、よくわからないというときに、人はストレスを感じます。
 たとえば、

・試験の答案
・部下が書いたレポート
・ローンの契約書

 などがあるかと思います。下手な字で書かれた答案を採点しなければならない教師はお気の毒だと思います。ストレスを八つ当たりすることもできないのですから。その点、上司というのは、部下を呼びつけて、ネチネチと小言を聞かせることができるので、まだマシかもしれません。(ちなみに、自分がつくった表やグラフがわかりにくいと他人から指摘された経験のある方は、いくらか独りよがりの傾向があるので、他人の気持ちを推し量るということを心がけたほうがいいように思います。これは自分の経験からそう申し上げているのですが、自分は大丈夫という方はどうぞ聞き流してください。)
 ローンの契約書は、そもそも普通の人は読もうという気にもならないでしょう。
 実は、わからないものでもわかることはできるはずだ、という気持ちは人間に共通する心理としてあるようです。だからストレスを感じるのではないかと思うのです。
 このような心理は、科学技術の発達によるところが大きいと思います。人間が持つ好奇心は自然界の仕組みを解きほぐしてくれつつあります(ただし、まだ全部解明できたというわけではありません)。その経験から、身の回りの森羅万象は必ず何かの理論によって説明できる、という信念のようなものが私たちの中にできあがっているのではないでしょうか?
 また、人によっては、謎解きが大好きな人がいます。よくわからないものを解き明かすことに快楽を感じる人たちで、人間には大なり小なりこのような傾向があると思いますが、推理小説が廃れないのはこのようなマニアックな人たちが存在するおかげです。

 人間が知覚した情報(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)は脳の中で、その人が持っている記憶と照合されて、それが何であるかという解釈が行われます。読者が今ご覧になっているのは、パソコンか携帯かどちらかでしょう。そのまま回りを見回していただくと、あなたの目に入るものは、(室内であれば)机であったりテレビであったり、すべてあなたが理解できるものばかりであるはずです。
 養老孟司先生が指摘する「都市化」とは、こういうことをいうのではないでしょうか。すなわち、身の回りのすべての事象を脳が解釈することができる状況が「都市化」であり、脳がそのような状況を欲しているのだ、と。
 私たちは自分の脳が解釈できない(説明することができない)出来事に遭遇するとストレスを感じます。脳は、わからないということが嫌いなのです。
 そのことがプラスの方向にあらわれたものが好奇心ですが、マイナスの方向にあらわれたものが無関心と拒絶でしょう。科学者で、理屈に合わないものは否定する、と公言する人がいますが、これも説明のできないということが嫌いだから、と解釈できます(かくいう私自身が、解釈することを求めているわけです)。

 私たちの脳には、自分が納得できるような解釈の仕方を示されると、それに飛びつくという傾向があります(このとき、脳はたぶん快感を感じていることと思います)。
 人間のこの習性は、科学技術を進歩させた原動力でした。ただし、それはあくまでも原動力に過ぎません。推力が与えられても方向が間違っていれば、何にもなりません。科学技術の進歩は、これで説明がつくと思われた理論のうち、それが正しいという検証がなされたものだけを認めるという姿勢に負っているのです。

 この検証ができているかどうかが、私たちが過ちを犯すかどうかの境目となります。検証がされていない(あるいは検証が不能)けれども、人を納得させるだけの力を持ったものには次のようなものがあります。

・血液型性格分析
・テレパシーなどの超能力
・霊魂の存在
・宇宙人の存在
・カルト宗教
・うまい話(金儲けや出会い系サイトへの勧誘)

 これらの中には無邪気なものもありますが、他人に害を及ぼすものもあります。概して金品を請求するものは疑ってかかるべきですが、当人には自分が騙されているという自覚がない場合がほとんどです。
 騙されたくないという人は、「99.9%は仮説」ということを忘れない方がいいと思います。事象を説明するために理論がつくられますが、それが正しいと証明されるまでは「仮説」としてカッコ付きで扱うという姿勢が有効であるといえます。
 ここでもうひとつ述べておくと、人間は自分が正しいと信じているものを容易に翻すことはできない性質も持っています。見解が対立した場合、簡単に翻意するようでは困るのですが、自説に固執するというのも困る場合があります。ではどうしたらいいかというと、冷静に議論するというのが唯一の手段です。
 このことは、「仮説」は平等に扱うということにもつながります。社会にとって有害なものは力づくで排除しても構わない、というのは魔女狩り(焚書坑儒といってもいいでしょう)を現代に再現させることになります。
 たとえば、オウム真理教に強制捜査が入ったのは、地下鉄サリン事件などの嫌疑がかけられたからでした。あの日、日本中がその様子を注視していたことを記憶しています。その後破防法の適用が公安調査庁により申請されましたが、公安審査委員会はこれを却下しました。この判断は適切であったと思います。

 人間は過ちを犯す生き物です。その過ちは自分を被害者にすることがありますが、もしかすると自分が加害者になるかもしれないということを忘れてはなりません。

                                           t_am@excite.co.jp
by T_am | 2008-11-04 06:16 | 心の働き