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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 使いこなすと便利なExcelですが、使いこなすというのが案外ハードルが高いように思います。
 実は、Excelを使いこなすにはコツがあって、それは「両手を使って作業をすること」なんですね。キーボードのブラインドタッチができる人はおわかりだと思いますが、両手を使って入力できるようになると、作業のスピードが格段に上がったはずです。同じように、Excelでの作業もできるだけ両手を使って行うようにした方がいいのです。

 そのためのポイントは、ショートカットキーを使うところにあります。

 今回はExcelを使う上で、知っておくと便利なショートカットキーについてそれぞれ掲載しておきます。全部覚える必要はありませんが、覚えておいて損はないという項目には◎をつけてあります。
 ショートカットキーは、CtrlキーやAltキーと組み合わせて使うことが多いのですが、次のような指使いをするとよいと思います。

左Shiftキー(薬指)
左Ctrlキー(小指)
左Altキー(親指)


 まず最初に、マウスでしかできない操作もしくはマウスを使った方が効率がよくなる操作について掲載しておきます。


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 次は入力中のキー操作です。F2キーによる編集モードへの切替やCtrl+Zキーによる直前の操作に戻すやり方は是非とも覚えていただきたいと思います。


 
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 意外と知られていないのが、入力の確定です。


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 このアクティブセルの移動と、その次の範囲選択を覚えておくと作業効率が飛躍的にアップします。


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 あともう少しの辛抱です。

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by t_am | 2014-01-08 19:09 | Excel のあの手この手
 安倍総理が靖国神社を参拝したことで諸外国の反発が高まっている中で、元日の午後、新藤義孝総務大臣が靖國神社に参拝しました。新藤大臣は参拝後記者団に、「戦争で命を落とした方々に尊崇の念を込めてお参りした。平和への思いを新たにした」と述べており、さらに「説明する必要はあるが、どこの国でも国のために命をささげた方には同じような行為がなされている。問題になるとは考えていない」とも述べたそうです。
 新藤大臣の母方の祖父は栗林忠道陸軍大将であり、硫黄島の守備隊指揮官として戦死した人ですから、祖父への思いもあったのだろうと思われます。

 戦死した家族や親戚の霊にお参りするというのは何も咎められることではありませんし、国のために戦って死んだ人を悼むという行為はどこの国でも行われているという指摘にもその通りだと思います。

 自宅の隣にある墓場には、他の墓石よりもひときわ高く「陸具兵士○○の墓」と書かれた墓石がいくつかあって、盆と彼岸になると線香と花が絶えることはありません。また戦争に行った兵士の軍隊での履歴を調べ、1人見開き2ページくらいにまとめたものを集めて本にするというサービスを見たことがあります。他にも勲章などの遺品をきちんと装釘して額に納めてくれるサービスもあります。そういうものにお金を払って個人が生きた証を形に残したいという遺族の気持ちもわかるような気がします。同時に、故人のことをきちんと評価してほしいという遺族の思いも理解できます。
 けれどもそれらのことと靖國神社に政治家が詣でるというのはまるで次元が違うといわなければなりません。たとえば、総理大臣が千鳥ヶ淵に参拝しても誰も問題にしませんが、靖國神社に詣でると中国や韓国を中心に諸外国から反発されるのはなぜなのかを考えてみたいと思います。

(戦犯と戦争犯罪について)
 ご存知の通り戦犯というのは、戦争犯罪人の略であり、具体的には東京裁判で戦争犯罪人として断定された人々を指します。戦争犯罪には3種類あって、極東国際軍事裁判所条例第5条では、イ)平和に対する罪、ロ)通例の戦争犯罪、ハ)人道に対する罪が定義されています。
 平和に対する罪というのは、大雑把にいってしまえば「戦争を仕掛けたこと」であり、また「戦争を計画したこと」も含みます。A級戦犯というのは、平和に対する罪を問われ有罪判決を受けた人を指す言葉であって、単なる符号に過ぎないので、罪の重さを示すものではないと私は考えています。
 通例の戦争に対する罪というのは、戦争放棄や慣例に違反した行為を指します。占領地における市民への虐待や略奪、都市の破壊などをいい、捕虜の虐待なども含まれます。この項目に該当するのがB級戦犯になります。
 人道に対する罪というのは、戦争前や戦争中にすべての人民に対して行われた迫害や殺害、せん滅、奴隷化、移送及びその他の非人道的行為、もしくは政治的、人種的または宗教的理由にもとづく迫害行為を指します。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺をイメージしていただくとわかりやすいと思います。この項目に該当するのがC級戦犯です。

 冷静に考えると、都市部への無差別爆撃や原爆の投下は人道に対する罪に該当するのではないかと思いますが、戦争犯罪人というのは敗戦国の中にだけ存在します。つまり、同じようのことを行っていたとしても、罪に問われるのは敗戦国であって、戦勝国がその罪を認め責任をとるということはありません。それはおかしいじゃないかと思われるかもしれませんが、戦争に負けるということはそういうことなのです。(現に、そういうことを政治家として発言したのが橋下市長です。もっとも彼の場合それ以外の発言も同時にしており、そちらの方で反発され、このもっともな指摘は悉く無視されました。)それが嫌なら、もう一度戦争を仕掛けて、それに勝ってからこちらの論理を押し付ける以外に方法はありません。

 いかなる事情があろうとも戦争を行ったことを肯定することは許されない、というのが戦勝国の側の論理です。そしてそのような視点に立つと、日本の政治家が靖國神社に参拝することは過去に日本が行った戦争を肯定しようとしているように見えるのだと思います。(ただし、中国や韓国の場合、外交上優位に立つためのカードとして利用しているという面もあるのは事実です。そのことを歯がゆく思う人もいることでしょうが、それを封じる有効な手段が日本側にないということも認めるべきだと思います。)
 中国や韓国が政治家による靖國神社の参拝に反発するようになったのは、いわゆるA級戦犯が合祀されるようになったからだといわれています。また、天皇が靖國神社へ行かなくなったのもA級戦犯が合祀されてからだともいわれています。
 A級戦犯の合祀が問題であるならば、分祀すればよいではないかという意見もありましたが、現在ではほとんど省みられていないように思います。
 A級戦犯の合祀というのは、靖國神社への参拝が政治問題となるきっかけになりましたが、むしろ問題の所在は「A級戦犯を合祀させたもの」の方にあると思います。それは、どのような理論付けをしようとも「あの戦争を肯定しようとする意志」に他ならないのです。


(靖國神社の政治性)
 日本の国のために戦って命を落とした人を祀るというのは非の打ち所のない論理ですが、そこには勝った側の立場として祀るのだという前提条件があります。たとえば、戊辰戦争であれば新政府軍の戦死者のみが対象であり、旧幕府軍や奥羽列藩同盟の戦死者は対象外とされています。また、西南戦争でも薩摩郡の兵士は対象外とされています。
 つまり、靖國神社は明治政府のために戦って死んだ人を祀る神社としてスタートしたわけであり、いい方を変えれば「あなた方が命を落としたあの戦いは決して意味のない戦いではなかった」ということを死者に告げることにより、現在の政治体制の正当性を主張しているということになるわけです。
 それは、国家権力が、戦死した家族を弔いたいという遺族の思いに便乗しているといってもいいのかもしれません。そのことによって、少なくとも、将来発生する戦闘の正当性(ということはその戦闘を決断した政治の正当性)を担保する機関となりうるからです。

 このように考えると、靖國神社は個人の信仰のための施設であるという他に、極めて政治的な性格を帯びた施設であるということがわかります。そこに政治家が参拝すれば政治問題になるというのは当然の帰結であり、そのようなこともわからない(つまり理解できるだけの能力がない)閣僚に政治を託してよいのか疑問に思います。もっともわからないふりをしているのかもしれませんが、それならそれで、余計に質が悪いといえます。


(戦争の非合理性)
 戦争というのは割に合わない行為です。それは有り金のすべてを賭ける大ばくちですから、負ければすべてを失ってしまいます。それだけに絶対に負けないということがわかっているときにしか戦争をしてはいけませんし、それでも、自分の掛け金と戦争に買ったことで得られるもの(現在では賠償金が取れるということはまずありません)とを比較した損得勘定の結果、プラスになるという計算が成立するときにしか戦争を行ってはなりません。
 既に経験しているように、戦争に負けるというのはすべてのものを失うということでもあります。この前の戦争後は、アメリカが日本を共産主義に対する防波堤として利用するという選択をしてくれたので、今日の日本があるわけですが、この次戦争があって、不幸にして勝つことができなかったときに同じような結果になるかどうかは誰にもわかりません。もしかすると、戦勝国によって分割統治されることになる可能性も無視はできないのです。


(日米安保条約について)
 どこの国でも防衛上の仮想敵国というものを想定しており、現代の日本では公にはされていませんが、おそらく北朝鮮と中国が仮想敵国として想定されているものと思われます。
 この両国と交戦状態になるというのは、それぞれ状況がまったく異なるものと想定されているはずですが、不幸にも戦闘行為に突入した場合在日米軍をかなりアテにして、戦略戦術を立案しているものと考えられます。日米安保条約がある以上、そのような計算をするのは当然なのですが、条約というのはいわば国家間の契約であり、契約である以上いつか破棄解消されるときが来るということを忘れてはなりません。
 そもそも日米安保条約の内容が、アメリカが片務的に義務を負うというものになっているのはなぜなのでしょうか?

 それは日米安保条約の目的が在日米軍を合法化正当化することが目的だからです。なぜそんなことを行うのかというと、在日米軍を置くことで守られるアメリカの利益があると考えられているからです。その利益が大きければ、アメリカは身銭を切ってでも在日米軍を維持しようとするでしょう。けれども在日米軍の駐留経費と在日米軍が存在することによって得られる利益を比較して、その収支が悪化すれば、アメリカは在日米軍を縮小しようとします。
 そうなっては困ると日本政府が判断したことにより、在日米軍の駐留経費の一部を日本が負担する「思いやり予算」がつくようになりましたし、自衛隊の戦力の増強にも予算が向けられるようになりました。自衛隊の兵器の調達先はアメリカが多いので、そういう意味でも在日米軍がアメリカにもたらしている利益は大きいといえます。

 けれども、このような蜜月関係がいつまでも続くという保証はどこにもありません。アメリカもしたたかな国ですから、在日米軍の損益計算書が赤字になり、しかも改善の見込みがないということになれば当然撤退することにもなります。それよりも、近い将来実際に日本近海で紛争が生じたときに、在日米軍を動かして得られる利益と動かさないで得られる利益の双方を比較して、動かさないで得られる利益の方が大きくなった場合、日米安保条約は保護にされると覚悟しておいた方がいいと思います。
 そういうことにならないように、アメリカと強固な関係を築いておくのだという外交戦略上の選択肢があることは私にも理解できます。普天間基地の辺野古への移設は、政府によるそのような計算のうえで進められていることなのでしょうが、その割に、靖國神社への参拝という、アメリカを苛立たせるような行為を総理大臣とその閣僚が懲りずに続けているというのがよくわからないのです。
by t_am | 2014-01-02 11:45 | その他