ブログトップ

カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

<   2013年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 iOS7がリリースされましたが、これまでとは操作方法が異なっているところもあり、戸惑っておられる方も多いのではないかと思います。
 今回は、iOS7の操作方法をおさらいするつもりでまとめたものを掲載することにします。きちんと勉強したいという方は、下記のリンクをクリックしてマニュアルをダウンロードしてください。

「iPhoneユーザガイド」
http://manuals.info.apple.com/MANUALS/1000/MA1565/ja_JP/iphone_user_guide_j.pdf


1.ロック画面での操作
 iPhoneのロック画面で、下の方にある「スライドでロック解除」という文字を右にスライドすると、パスコード(4桁の数字)入力画面が現れます。パスコード入力画面では、左下の「緊急」をタップすると電話をかけることができますが、あくまでも緊急電話専用であって、一般の電話にかけることはできません。


 ロック画面からは、コントロールセンターの呼び出しとカメラアプリの起動ができます。
画面下端(横棒)を上にスワイプすると、コントロールセンターが表示されます。(コントロールセンターを閉じる場合は逆に下の方にスワイプさせます。)
 なお、コントロールセンターはホーム画面からでも同じ操作で開くことができます。


 コントロールセンターでは、iPhoneの設定の一部とすぐに使いたいアプリの起動ができます。


c0136904_21573181.jpg



 画面の最下段にはアイコンが4つ並んでいます。左から順番に「懐中電灯」「タイマー」「電卓」「カメラ」となり、それぞれタップするとアプリが起動します。(アプリを終了させるときはホームボタンを押してください。)

 下から2段目にはAirDropと表示されています。これは、MacOSやiOS7のデバイス間でファイルのやりとりをするためのツールです。これを使うには下記の条件が満たされていなければなりません。

1.ファイルをやりとりしたい相手もAirDropを有効にしていること
2.相手と自分が同じWi-Fiに接続していること、または10m以内にいること

 この条件を満たすケースといえば、パソコンとiPhoneでファイルを共有したい場合か、何かの会合で集まった人同士がファイルを共有したい場合など、限定されたケースではないかと思います。AirDropを使うには、たとえば写真アプリであれば、送りたい写真を選択してから下図の画面左下の赤丸で囲んだアイコンをタップします。

 下から3段目は、オーディを再生アプリの操作ツールです。下から順番に、音量調節、早送り・巻き戻し・再生・停止、再生時間表示となります。

 その次は画面の明るさの調節です。右にスライドさせればそれだけ画面が明るくなります。ただし、電池の消耗も速くなります。

 その上には丸で囲まれたアイコンが5つあります。左から順番に、

1.機内モードのオンオフの切り替え
2.Wi-Fiのオンオフの切り替え
3.Bluetoothのオンオフの切り替え
4.おやすみモードのオンオフの切り替え
5.画面の向きのロックの切り替え

 おやすみモードをオンにしておくと、電話がかかってきても着信音が鳴らなくなり、画面が光ることもありません。会議や会食中に利用するとよいと思います
 画面の向きのロックとは、iPhoneの画面を縦方向にロックするかどうかを設定するための機能です。初期設定ではロックはオフになっており、iPhoneを横向きにすると画面も横向きになります。ロックをオンにすると、iPhoneを横向きにしても画面は縦向きのままとなります。

2.ホームボタンの操作と検索フィールドの表示
 iOS7ではホームボタンの操作が若干変わりました。

(ホームボタン長押し)
 Siriを起動させます。
 なお、ロック画面中にSiriが起動する設定になっていると、自分の個人情報が漏れる恐れがあります。というのは、ロック画面からSiriを呼び出して「私は誰?」と質問すると自分の個人情報を教えてくれるのです。これを防ぐにはロック画面ではSiriが起動しないようにする必要があり、「設定」→「一般」→「パスコードロック」で4桁のパスコードを入力してから、「ロック中のアクセスを許可」からSiriをオフにしておきます。

(ホームボタン1回押し)
 iOS6までは、ホームボタンを1回押すと、ホーム画面に戻りましたが、iOS7ではアプリを起動する直前の画面に戻るようになりました。どういうことかというと、アプリをどうやって起動したかによって異なります。

1.ホーム画面から直接アプリを起動した場合、ホームボタンを押すとホーム画面に戻ります。
2.フォルダからアプリを起動した場合、ホームボタンを押すとそのフォルダを開いた状態に戻ります。もう1回ホームボタンを押すとホーム画面に戻ります。

(ホームボタン2回押し)
 現在起動中のアプリの画面のサムネイル(縮小画面)がアイコンとともに表示されます。アプリの切替はこれを使って行います。また、不要なアプリを終了させる場合は、このサムネイルを上に放り投げる間隔でスワイプさせます。不要なアプリを終了させれば、それだけ電池の消耗を抑えることができるようになります。

(検索フィールドの表示)
 iOS66までは、ホーム画面を右にスワイプすると検索フィールドが表示され、iPhoneの内部を検索することができましたが、iOS7ではホーム画面の中央を下にスワイプすると検索フィールドが表示されるようになりました。なお、どのアプリやデータを検索するのかについては、「設定」→「一般」→「Spotlight検索」で変更することができます。

(その他)
 カメラアプリ起動中に、音量調節ボタンを押すとシャッターを切ることができるのは従来の通りです。
 また、電源ボタンを押しながらホームボタンを押すと、今表示されている画面を画像(スクリーンショット)として保存することができるのも変更ありません。

(着信中の電源ボタンの操作)
 1回押しで着信音を止めます。
 2回押しで、留守番電話につなぎます。
by t_am | 2013-09-27 21:59 | iPhoneを使いこなすために
 大阪市の橋下徹市長は19日、市立幼稚園の保育料を2015年度をめどに私立幼稚園並みに値上げする意向を示しました。

「市立幼稚園の保育料、私立並みに値上げへ 橋下市長意向」朝日新聞デジタル9月19日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130919-00000024-asahi-pol
 
 この記事によれば、橋下市長は大阪市にある市立保育園59園をすべて民営化する考えとのことですが、保護者や市議会が反発し、まず19園を民営化もしくは廃園にする案を示しているそうです。今回の保育料の値上げもその一環のようですが、なぜ幼稚園をすべて民営化しなければならないのか私には理解できません。というよりも、民営化すればすべて上手くいくと思う根拠が何なのか私には理解できないのです。
 そんなことを考えていたら、こういうブログを目にしました。

「やっぱりまともな橋下氏の政策」
http://ameblo.jp/englandyy/entry-11617467542.html

 これを書かれた方の意見としては、橋下市長の改革には「おかしなものも入っている」けれども、今回の政策はまともであるというものです。その理由として「いうまでもなく公立の教育施設は効率性が悪いしいい成果を残していない。」という指摘をされておられますが、何のことをいっているのか私にはさっぱりわかりません。そもそも「教育施設の効率性」って何のことをいうんでしょうか。また、「いい成果を残していない」と断言されてますが、「いい成果」とは何を指すのでしょうか。
 これは橋下市長の意見らしいのですが、「少なくとも民間の私立が十分に実績を残しているのだから効率(註)が存在する意味はあまりない」ということにも賛成しておられますが、本当にそうなんでしょうか? 利益を追求する民間企業にはできないから公立の学校を設けているのだし、公立の学校とは違った教育をやりたいと思う人が私学を創立している(経営を助けるために補助金を出している)のだと思っていましたが、違うのでしょうか?

(註)たぶん「公立」の誤変換でしょう。推測ですが。

 この文章を読んで「公立の教育施設は効率性が悪いしいい成果を残していない」

 もう一つ、「幼稚園/学校間の競争をより促す」ということも書かれていますが、少子化が進行しているということはそれだけ市場が縮小しているということですから、「幼稚園/学校間の競争をより促す」というのは、他の幼稚園/学校の生徒を奪い、自分のところのシェアを高めるということにつながります。それが何になるのかも私にはわかりません。

 おそらく、このブログの筆者は、消費者としての目で教育を見ておられるのだと思います。幼稚園や学校が自由競争に晒されることによって、劣悪な幼稚園/学校は淘汰されていき、結果として社会の利益につながるという理屈なのでしょう。

 でも、本当にそうなるのでしょうか?

 教育に競争を持ち込むべきだという主張が行われたのは、これが初めてではありません。もう何年も前から似たような指摘が行われてきました。教育に競争原理の導入するのが正しいのであれば、既にその成果は出ているはずです。だってそうでしょ。今まで、さんざんそういう主張がされてきて、教育改革がなされてきたわけですから。
 ところが、この方は「いうまでもなく公立の教育施設は効率性が悪いしいい成果を残していない。」と指摘されています。ということは、教育に競争原理を持ち込んだけれどもまったく効果は上がっていないと考えるべきなのか、それとも競争原理の導入が不十分だと考えるべきなのか、いずれかであろうと思います。
 でも、教育の効率性って何のことなんでしょうね? これが、社員教育なら私にも理解できます。社員教育の目的は、「従業員に対し特定の作業や業務ができるようにすること」ですから、その目標を達成するまでに要した時間と費用が少なければ少ないほど「効率がよい」ということになります。実際、社員教育の場では達成度合いを測定することが可能(その作業をやらせてみれば一目瞭然)ですから、効率の善し悪しを評価することは可能です。
 では、学校教育ではどうなのでしょうか? 学校教育の目的のひとつは一定水準以上の学力を身につけさせることだということに、異存がおありの方はいらっしゃらないと思います。(ただし、学力をリテラシーであると解釈すると、学校教育はてんでダメと申し上げざるを得ません。テストの成績はいいかもしれませんが、今何が起こっているかをきちんと理解する能力が育っていないということが、原発事故によって明らかになりました。)
 しかし、学校教育の目的はそれ以外にも存在するということが、たとえばクラブ活動や受験科目以外の授業がなぜカリキュラムに組まれているのかを考えればわかります。すなわち学校教育の目的はひとつではないというところが、単一の目標を達成するための社員教育とは決定的に異なるのです。
 したがって、学校教育の成果を測定する尺度は多様であり、極論すれば個人によってすべて異なるといってもよいと思います。にもかかわらず、このブログの筆者が「公立の教育施設は効率性が悪いしいい成果を残していない」と断言されるのは、単一の尺度で捉えておられるのではいかと思ってしまいます。

 消費者は対価を支払う以上、売り手に対し、自分を満足させるモノやサービスを提供するよう要求する権利があると考える人が増えています。おそらく競争原理の導入を支持する人たちもそのように考えておられることでしょう。
 けれども、学校に対し、すべての生徒とその保護者が「自分たちを満足させるサービスの提供と学力を保証せよ」と要求したと仮定して、はたしてそれが実現可能だと思いますか? 
 あるいは、質問のしかたを変えてもいいのですが、橋下市長はこのブログの筆者が大好きな民間の学校や幼稚園では、すべての生徒とその保護者が満足する教育が行われているのでしょうか? 
 私立の学校や幼稚園では受験を通じて生徒を選ぶことができます。けれども公立の幼稚園や小中学校ではそれはできません。これは決定的な違いであると私には思えます。学校はその効率性を追求すべきだというのであれば、小中学校であっても勉強に特化した学校・スポーツに特化した学校あるいは音楽や美術に特化した学校を設けるべきでしょう。ところが現実にはそうではありません。何に向いているのかひとりひとり全部違うこどもたちを大勢集めて教育しているのが実態なのですから、効率性が悪いのは当たり前であると私には思われます。
 にもかかわらず競争原理を導入すれば問題が解決すると考えるのは、風邪を引いている患者に水虫の薬を処方するようなものです。開業医ならばヤブ医者と呼ばれても文句は言えないところですね。
by t_am | 2013-09-22 17:54 | その他
 前回、「日本をそういう『いい国』ではないようにしたい人たちが増えてきている」ということを申し上げました。どういうことかというと、日本を自分の理想の姿にしようと考えている人たちが増えているということを意味します。
 日本を理想の国にしようというのであればそれは結構なことではないか? そう思われるかもしれません。けれども、その「理想の国」には居住資格のようなものがあって、その条件を満たさない人はいられないようになっているのです。

 以下、具体的に観ていきましょう。

(橋下徹市長が「チャレンジ特区」を提案=能力主義・競争主義を全面に打ち出す【争点:アベノミクス】)-The Huffington Post(2013年9月12日付)から
http://www.huffingtonpost.jp/2013/09/12/toru_hashimoto_n_3911018.html

 これは、「御堂筋エリアを対象に、能力主義・競争主義に果敢にチャレンジする高度な能力を持つ内外の人材や、そうした人材を求める企業が集まる条件を整備するため、労働法制の緩和を図る」というものだそうですが、わたしにはこれがなぜ能力主義・競争主義につながるのかさっぱり理解できません。
 現行の法制度の下では、労働時間の上限・解雇制限に該当する労働者の中にはいわゆる管理職は含まれていません。つまり、現行法の下でも管理職には残業制限もなければ解雇制限も存在しないのです。では、現行の労働法が誰を守っているのかといえば、管理職ではない一般労働者になります。ここでいう一般労働者というのは、管理職や経営者の指揮命令の下に働く人のことを指すのであって、そういう人に対し、能力主義や競争主義を適用してどうなるというのでしょうか?
 さらにいえば、現行法制度の下でもやる気があって責任感の強い人は自発的に残業や休日出勤を申告せずに行っています(それがいいことだと言っているのではありません)。この制度の対象者は「一定の年収以上の人」ということですが、そういう人たちは既に自発的な長時間労働に取り組んでいるのですから、わざわざ特区にすることに何か意味があるのだろうか?と不思議に思ってしまいます。
 このように「一定の年収以上の人」という条件が意味をなさない以上、いずれその条件は取り払われることになるのでしょう。最終的には安くて使い捨てできる労働力を供給することが目的になるのではないかと思っています。


(生活保護…自立へシフト 96%世帯で減額)2013年3月5日付読売新聞から
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=73835

 生活保護を受けている人がパチンコに行ったり、酒を飲んだりするのはけしからんという意見があることは事実ですし、また、本人に充分な収入があるにもかかわらず、年老いた親の面倒を見ないために、その親が生活保護を受けているのはおかしいという批判もありました。そういったことも後押ししたためでしょうか、生活保護の減額(3年間で6.5%)が行われることになりました。
 生活保護を貰っている人や障碍者で手当を貰っているの中には、働くよりも手当を貰っている方が楽だという人がいることは事実です。けれども受給者のすべてがそうではありませんし、それよりも受給者数が毎年増えているという事実が何を意味するのかの方を考えるべきでしょう。
 政府や国会議員がその議論に頬被りして、不正受給者や不心得者をクローズアップした挙げ句に支給額を減額するというのは本末転倒といえます。なぜなら、生活保護の受給者が増え続けているというのは、明らかに政策の失敗を意味するからです。

 
(消費税の増税と5兆円規模の経済対策)
 来春から消費税を増税するのかどうか、安倍総理が近々決断するとのことですが、大方の予想は予定通り増税を実施するだろうというものです。
 「財政再建は待ったなし」と言って消費税の増税をごり押ししたのは野田前総理でした。増税により生じる財源は、毎年増加し続ける社会保障費に充てられるということでしたので、それならば増税もやむを得ないと思った人も多いことでしょう。ところがここに来て自民党では、消費税増税が行われた際の景気の腰折れを防止するためと称して5兆円規模の経済対策が必要であるという指摘が登場してきました。これについては、安倍総理自らが法人税の減税の検討を指示したというニュースも伝わってきています。
 せっかく財源を捻出するための増税を実施しようという矢先に法人税の減税を行ったのでは当初の目的がうやむやになってしまいます。経済成長を実現させて景気をよくすれば自然と税収が増えるという考えかたなのかもしれませんが、それならば消費税の増税など不要であるということになってしまいます。
 政府の中には、このような経済対策に反対する意見もあるようですが、当然のことと思います。それでも、既に申し上げた生活保護の削減といい、あるいは介護制度の見直しといい、弱者への支給額を減額する政策ばかりが先行しているのをみると、政府自民党には消費税の増税分を社会保障費に充てるという考えはないのではないか?という疑いを持ってしまいます。

 わずか3つばかりの事例ですが、日本を理想の国にしようという人たちの考える理想とは、「自立自助」と「競争」がキーワードになっていることがわかります。つまり、競争に勝つことができない人や組織・産業、他人に援助して貰わなければならない個人や団体・産業は切り捨てられる方向に向かっていると考えてよいと思うのです。
(この稿続く)

 
by t_am | 2013-09-15 22:43 | その他
 世間ではアベノミクスとか3本の矢といっていますが、そこには2つの視点が抜けており、それが解決されない限り成果は上がらないと思います。

 第1には人口減少による市場の縮小をどうやってくい止め、逆に市場を拡大させていくかという視点に立った政策が欠けているということです。市場が縮小すれば総需要もそれだけ減少するので、その分経済が縮小するのは当然の理屈です。安倍政権では市場の縮小を補うために公共事業を増やして需要を創出していますが、その分赤字国債の発行額は増加することになります。いってみれば、前借りした給料を使って生活しているようなものなので、いずれ誰かがそのツケを払わなければなりません。
 総需要を拡大させるには人口を増やすか、購買力を上げるしかありません。しかし人口が増える目処は立っていませんし、購買力を上げるというのは次に申し上げるように見通しは低いといわざるを得ません。そこで、移民を受け入れて人口を増やすという選択肢も考えられますが、移民を受け入れることによるマイナス面も考慮する必要があります。
 さらに、総需要=総売上という視点に立てば、外国への輸出を戦略的に増やしていくという方法もあると思います。菅政権のときから始まり、安倍総理が熱心に取り組んでいる原発の輸出というのも、そういう意味では効果があるかもしれませんが、福島第一原発の事故によって日本の原発技術は必ずしも信頼できるものではないということが明らかになったわけです。そういう商品をセールスすることの危うさを考えるべきだと思います。

 第2の視点は、企業が利益をあげてもなぜ従業員に還元せずに内部留保としてため込むのかということです。その理由は2つあって、ひとつには内部留保を増やさないと、国際基準にに比較してその企業の財務体質は健全でないとみなされ株価が維持できなくなるからです。ふたつめの理由は、いざというときに銀行は融資してくれないということを経営者が知っているからです。その背景には、日本の銀行には融資先の審査能力がないという事実があり、だからこそあれだけの不良債権を抱える羽目になったわけです。相手を見極める能力のない者が金貸しをして失敗しない最良の方法は、金を貸さないことに尽きます。
 これらの事情が変わらない限り、企業は利益を上げても内部留保を増やすために、従業員に利益を還元するということを無視することでしょう。むしろ、利益を確保するために労働分配率を削減した方が株主から評価されるという状況にあるわけですから、その分非正規雇用労働者が増え続けることになるでしょうし、労働法を改悪して、労働者の保護を見直したり撤廃するということもありうるかもしれません。けれども、それらの施策は結果的には購買力を減退させるので、市場はますます縮小していくことになります。
 経営者にしてもそんなことは百も承知かもしれませんが、10年後の業績よりも今年の業績の方がはるかに大事であることはわたしにも理解できます。ゆえに従業員に利益が還元されるということは考えにくいという結論になるのです。

 これらの視点に立った政策が立案され実行されない限り、安倍総理が描く「経済成長によって得られた資金が国内をくまなく循環してみんなが豊かになっていく」というシナリオは絵に描いた餅に終わるでしょう。そうなっては、わたしも困るのですが、実際には破綻に向けた道筋をひた走っているようにわたしには思えます。
 このままだと、安倍総理は後世から「亡国の宰相」と呼ばれることになるかもしれません。
by t_am | 2013-09-15 22:23 | その他
 何年か前のことになりますが、テレビで「君が代」について論じる番組があって、その中で出演者の一人が「君が代を歌うのが嫌なら日本から出て行け」という発言があったことを覚えています。その人はコメンテーターとして割とテレビで見かける人でしたが、残念ながら名前を忘れてしまいました。

 君が代についてのわたしの考えは既に述べてあります。

「君が代の意味について考える」
http://tamm.exblog.jp/12626952/

 それよりも、なぜそんなことを覚えているかというと、「嫌なら出て行け」という論理を公然と述べる人が登場したと思ったからです。
 「嫌なら出て行け」というロジックは夫婦喧嘩の決まり文句でもありますし、パワハラ上司ならば「嫌なら(会社を)やめろ」というでしょう。つまりこのフレーズには、「もうこれ以上議論はしない。俺のいうことを聞くのか聞かないのか決めろ」という意味が含まれているのであって、上から目線というか相手の気持ちを汲もうとしない強引さが感じられます。
 にもかかわらず、誰が観ているかわからないテレビ番組でこういう発言をするのかという驚きがあったのですが、その方はかなりのご高齢の方ではなかったかと思います。老人特有の頑迷固陋さが現れた発言だったかもしれません。

 結局、公式の行事では、公務員や教職員に対し、君が代の斉唱を義務づける条例が制定されました。それ以降、似たような発言をネット上で目にする機会が増えたように思います。

「日本が好きでない奴は(日本から)出て行け」

 というふうに。
 しかし、よく考えてみると、こういう発言というのは「自分と異質なものを問答無用で排除する」という意思表示であり、卑近な喩えでいえば「いじめ」そのものであるといってもよいと思います。

 自分自身を振り返ってみると、日本が好きだと言い切る自信はありませんが、好き勝手なことを言ってもお咎めを受けないという点では、日本というのは「いい国」だと思っています。

 ただ問題は、日本をそういう「いい国」ではないようにしたい人たちが増えてきているというところにあります。
(この稿続く)
by t_am | 2013-09-15 15:44 | その他