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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 福島県の生協「コープふくしま」が、家庭の食事にどれくらいの放射性物質が含まれるのか、食卓を丸ごと調査する取り組みを始めました。

(食卓の放射性物質を丸ごと調査-NHK NEWS WEB)
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/0328.html


 今回結果が公表されたのは、応募のあった組合員の家庭、福島県内各地の96世帯の調査結果です。そのやり方は、家族の人数より1人分を余分に食事を作って検査のためのサンプルにするというもので、2日分の朝昼晩ごはん、合わせて6食分のサンプルを生協の検査センターに送ると、およそ2週間程度で含まれていた放射性物質の量が知らされるのだそうです。コープふくしまの検査機器は1kgあたり1ベクレルまで測定できるという精度の高いものであり、誤差を考慮しても信頼できる検査結果になるものと期待してよいと思います。

 今回の調査では、個々の食材に対して放射性物質を測定するというものではなく、1回の食事全体でどれだけ放射性物質が含まれるかというものです。したがって、食事を通じてどれだけの放射性物質を取り込むのかという目安になるものですから、調査の結果は私のような素人にも分かりやすいものになっています。

 もっとも、今回の調査の対象となったのは生協の組合員という「偏ったサンプル」であり、しかも市場に流通している食品を無作為に抽出して検査しているわけではありません。したがって、何を食べても安心してよいと断言できるわけではありませんが、今後もこうした調査を定期的に実施していくことには意義がある思います。

(調査結果の概要)
1.96世帯のうち86世帯では放射性セシウムは検出されなかった。
2.福島県産の野菜を使った世帯でもセシウムが検出されない世帯があった。
3.セシウムが検出された世帯でも最高値は12ベクレル/kg に過ぎなかった。
4.自然界に存在する放射性物質であるカリウム40はすべての世帯の食事から検出された。
5.カリウム40の検出値は15ベクレルから56ベクレル(1kgあたり)であった。

※カリウム40
 太陽系がつくられたときから存在する放射性物質で半減期は12.8億年とされています。自然界に存在する放射性物質には存在比というのがあって、たとえばカリウム40の存在比は0.0117%であるとされています。これは放射線を出さない天然のカリウムの中に放射能を持ったカリウム40が0.0117%含まれるということを意味しています。
 なお、カリウム40はベータ線を放出するので、通常の測定器(もっぱらガンマ線を測る)では検出することができません。それではコープ生協がどうやって検出したのかというと、想像になりますが、食事に含まれているカリウムの量を化学的に測定したのだろうと思われます。カリウム40の含有量(存在比)は一定ですから、カリウムの量がわかればそれに存在比をかければカリウム40の量もわかるということになります。
 また、ベータ線は飛行距離が数十センチから数メートルと短いので、外部被曝よりも内部被曝の方が人体に与える影響が大きいといえます。

(この調査によってわかること その1 意外と身近に存在する放射性物質)
 私たちは毎日の食事を通じて、微量ですが、カリウム40という放射性物質を摂取しています。カリウムが野菜や魚・肉に含まれているのでカリウム40を摂取しないというわけにはいきません。カリウムは生物にとって不可欠の元素ですが、過剰に摂取したカリウムは腎臓から排出されます。つまり、人体には常に一定濃度でのカリウムが存在しているのであり、そのうち0.0117%はカリウム40なのですから、カリウム40を気にしてもどうにもならないのです。これは政府の責任ではありませんし、東京電力のせいでもありません。

 それよりも、放射性物質がどこにでもあり、誰の身体の中にでも存在することが確認できたわけですから、原発事故の被災者に対する差別が根拠のないものであるということが分かると思います。

(この調査によってわかること その2 食品の規制値)
 自然界に存在する放射性物質があって、それらは人体にも取り込まれているからといって、原発事故により放出された放射性物質を無視してよいということにはなりません。政府は昨年「暫定」規制値として食品に含まれてもよいとする放射性物質の基準値を定めましたが、甘い基準であるという批判を浴びました。今回の調査結果は、その甘い規制値のもとで流通している食材を使った食事について調べたものです。だからといって甘い規制値でも充分安全性が確保されているという根拠にはなりません。既に述べたように、市場に流通しているすべての食品について調べたわけではないからです。とはいうものの、セシウムなどの放射性物質に汚染された食品を流通させないという施策が有効であることに間違いはありません。

 個々の食品についてはそれぞれ規制値が定められていますが、私たちが口にするのはそれらを複合的に組み合わせて調理した食事です。したがって個々の食品の規制値の設定をどれくらいの水準にすれば1食あたり総合的な放射性物質の量がどれくらい含まれることになるのか、については今後も継続して調査する必要があります。それによって規制値の妥当性を判断する材料を得ることができると思います。

(被災地の瓦礫の広域処理について)
 宮城県と岩手県の被災地の瓦礫を広域処理することについて、住民の中には受け入れ反対という人が多いことも報道されています。その理由は、自分たちが住む町に放射性物質なんか持ち込んでもらいたくないということであり、その思いは私にも理解できます。(ほかに放射性物質を日本中に拡散させることにつながるという批判もあります。)

 今回の調査によって、日本中のどこにでもカリウム40という自然界に存在する放射性物質があることが示されました(ほかにも炭素14というベータ線を放出する放射性物質があります)。 

 震災(津波)による瓦礫は莫大な量であり、岩手県と宮城県の処理能力をはるかに超えています。これらの瓦礫を取り除かなければ復興ができないのですから、早いうちに処理をしなければなりません。そうかといって、広域処理を受け入れることで放射性物質が持ち込まれるのではないかという心配があることもわかるのですが、被災地以外の土地でももともと放射性物質が存在しており、さらに風や雨などによって原発から飛散した放射性物質が少しずつ運ばれて来ているというのが実情です。


(学校の貯水槽から放射性物質 NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120329/t10014065151000.html


 自然界に存在する放射性物質は薄く均等に分布していて、濃縮されるということがありませんが、原発由来の放射性物質は主に自然現象と生物によって濃縮されていきます。このニュースが伝えるところは、雨水に含まれている放射性物質が貯水槽の中で沈殿して溜まった結果これだけの量になったというものです。雨水の中にこれだけ濃度の高い放射性物質が含まれているというわけではありません。

 このような現象は神奈川県だけでなく東日本の至る処で起こっているものと思われますが、誰も測定しないので明らかになっていないだけであるといってよいでしょう。だからといって不安に思う必要はありません。人間に害を及ぼすのは放射線ですから、要は放射線を浴びないようにすればよいのです。そのためには、原発由来の放射性物質がどこにあるかわからないという状態よりも、むしろ自然現象(重力や水や風の流れ)によって放射性物質が集まってくれた方が都合がよいといえます。(たとえば雨水に含まれている放射性物質は下水道に流れ込めば汚泥の中に沈殿していきます。)

 ただし、今の時点では放射性物質がどこに集まっているのかよくわかっていません。そこで測定によって放射性物質が集まっている場所をひとつひとつ見つけていくことが重要となります。そうやって発見された放射性物質の塊を人間から隔離して、危険がなくなるまで保管しておくという取り組みが、今必要なのではないかと思います。もちろん、飛来した全ての放射性物質が集められるというわけではありません(中には河川を通じて海に流れ出すものもあるはずです)が、このまま何もしないでいることは危険を放置することになるのですから、はるかにましであるといえるでしょう。

 これは被災地の瓦礫を広域処理する場合でも同じことです。瓦礫に付着している微量の放射性物質は焼却することによって空気中に飛散するか、もしくは焼却灰の中に残るものと思われます。焼却場の煙突にはフィルターが取り付けられていますが、極微細な放射性物質を完全に除去できるとは思えません。何割かは空気中に飛散することになるものと思われます。
 このことは、新たな放射性物質を環境中にまき散らすことになるのですが、それでも瓦礫の広域処理は行われるべきだと私は思います。というのは、東日本の地域であれば被災地でなくとも飛来した放射性物質に対する取り組みが必要になってきているからです。瓦礫の受け入れは嫌だといって何もしないでいる間に、少しずつではありますが、原発由来の放射性物質が飛来してきているのです(福島第一原発では今も放射性物質の飛散が続いています)。それならば、これらの放射性物質に対する取り組みに着手し、その一環として瓦礫の受け入れも行うこともできるのではないでしょうか。

付記
 環境省では瓦礫の焼却灰に含まれる放射性物質が8000ベクレル/kgであればそのまま埋め立てしてもよいとしていますが、埋め立てされた放射性物質が土壌や地下水を汚染する可能性も排除できない以上、これは無責任極まりない指針であると思います。むしろ焼却灰や汚泥を固化して放射性物質がしみ出したり飛散しないような措置をとったうえで、専用の保管場に運び込んで社会から隔離するべきだと思います。
 原発からの放射性廃棄物の保管場は今も設けられていません。政府は福島第一原発の周辺に「中間」貯蔵施設を設置する考えを持っているようですが、こういう言葉のごまかしのようなことをいつまで続けるのかと思います。高レベル放射性廃棄物でない限り三百年間保管できればそれはほぼ無害化されるのですから、三百年間絶対に周辺環境を汚染しないという施設を建設するので同意していただきたいと約束すればよいだけのことです。現在はドラム缶に入れたまま放置されているのですから、それよりははるかにマシであるはずです。


 原発は安全ですから安心してください、というのがこれまでの住民説明のやりかたでした。しかし、実際にこれだけの大事故が起こったのですから、もはやこの手法は通用しません。にもかかわらず、停止中の原発の再稼働について、政府も電力会社も従来と似たようなやり方を続けようとするので不信感を招いているのだといえます。
 
 それよりも、「これをすることによってこういうリスクが発生します。それに対してはこういう対策を用意しています。また、こういうリスクも予想されますが、こういう対策を用意しています。」という説明とそれに対する質疑応答を繰り返すことの方が、政府にとっても住民にとってもいいように思います。当局は、煩わしいことは避けたいと思うのか、肝心なことには触れないで説明を済ませようとします。また、賛成する人たちは、もはやこれ以上議論する必要はないとばかりに速く結論を出すよう求めているようですし、反対する人たちにおいても、反対という結論が出ているために議論に応じようという意識が希薄になっているようにみえます。

 こうして問題点が明らかにされないまま放置されることになり、不信と不安がいつまでも解消されないという状況が続くのだと思います。

 このように、リスクを曖昧なまま放置してきた結果福島第一原発の事故が起こったと考えることもできます。事故のきっかけは「想定外の」地震と津波ですが、あのような大事故にまでつながった直接的な理由は東京電力と政府による不作為であるといえます。ただし、そのような状況を事実上容認してきたわたしたちにも責任の一端があることを自覚した方がよいと思います。

 そのうえで、わたしたちにできることは何かといえば、自分自身で考えること、わからないことがあれば説明を求めること、その説明がわかりくいものであれば分かるように説明してくれと要求することであると思います。そのような議論を重ねるうちに自ずと結論は導かれるのですから。
by t_am | 2012-03-30 08:36 | その他
 3月21日の岡田副総理の記者会見で、国家公務員に希望退職制を導入する考えがあることを示したそうです。(NHKニュース)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120322/k10013881621000.html

 これは政権公約に掲げた国家公務員の総人件費の2割削減を達成するための取り組みの一環であり、中高年層の退職者を募る一方で新規採用を抑制していくのだそうです。そういえば、岡田副総理はこの前、平成25年度の採用者数を政権交代前に比べて約7割削減する考えも表明していました。(実際には、平成22年度には前年対比で4割削減されており、23年度には21年度対比で3割削減されています。)

 赤字に陥った企業が従業員を減らすというのはよく聞く話です。その際に対象となるのは人件費が高い中高年層と解雇しやすいパート従業員です。バブル崩壊後のあの手この手でのリストラを思えば、早期退職者を募るというやり方はまだ穏当なほうだといえるかもしれません。(非正規雇用労働者は1ヶ月前の予告か、1ヶ月の解雇手当を支払って終わりです。)

 国の財政が大幅な赤字となっているのですから、公務員の人件費を削減するために退職者を募るというのは当然であるという意見もあることと思います。(また、いい気味だと思う人もいるかもしれません。)けれども、企業が人員整理を行って、それが許されるのは「そうしないと会社が潰れる」という状況にあるときに限られるのであり、この前提条件だけは絶対に崩してはなりません。経営再建のために不採算部門を整理・撤退した結果人が減って人件費が下がるというのが本来のあり方であって、人件費の削減を目的とする改革というのは本末転倒です。(こういうことは労働組合がいわなければならないのですが・・・)

 経営者の視野は自分の会社の中がすべてであって、そのほかのことまで構っている余裕などない、何も手を打たなければ会社が潰れてしまう、というのが本音でしょう。そのことは誰もがわかっていることですから、たとえばどこかの大企業で、従業員を整理するという発表(不採算部門の整理・縮小という発表も同時に行われているのですが、そちらの扱いは小さなものになっています)が行われると、会社って冷たいところだな、と思われるけれどもそれ以上非難されることはなくそれで終わってしまうわけです。

 政治家は経営者とは違います。財政のことも考えなければなりませんが、国民全体のことも考えなければなりません。企業の経営者と同じ発想をされたのでは困るのです。

 かつて日本では、政権が替わったときに大量の失業者を出してきました。豊臣政権から徳川幕府に替わったときには、戦に負けて取りつぶしにあった大名の家臣たちが浪人となりましたし、明治維新では旧士族という失業者があふれました。武士は武力を持っているだけに、大量の失業者が発生すると社会不安に直結します。現に、失業した武士たちの不満は江戸時代では由井正雪の乱(島原の乱にも浪人が参加していました)、明治政府にとっては西南戦争を頂点とする一連の不平士族の乱につながっていきました。どちらも、武士の失業者対策がほとんど考慮されなかったこと、最終的には弾圧して決着をつけたことが共通しています。

 現代の国家公務員は武力を持っているわけではありませんから、民主党政権による国家公務員の大量整理が実施されたとしても、それがただちに内乱に結びつくとは思いませんが、それでも社会を不安定にするだろうという予測を否定することはできません。あるべき論となりますが、政府の役割は失業者対策をどうするかであって、自ら失業者をつくることに荷担するというのは本末転倒であると申し上げざるを得ません。岡田副総理によれば、民間の再就職支援企業の活用も視野に入れているということですが、新たに雇用を創出する政策を打ち出しているわけではないので、要するに、他人任せで後は知らないよといっているに等しいのです。

 さらに気になるのは、最近公務員が目の敵にされているということです。大阪維新の会では不逞教職員や不逞公務員をターゲットにした政策を展開しており、市民もそれを応援しているという状況になっています。また、大阪市では、市営バスの運転手の給料を4割引き下げて民間並みにするという発表が行われました。この発表を大阪市民は歓迎しているので、組合がこれに反発すればするほど世間の目が冷たくなるという構図ができあがっています。

 このブログでも過去にさんざん官僚の悪口を書いてきましたから他人事ではないのですが、政府が公務員に対する苛酷な処遇を発表するというのは、国民の不満のガス抜きを企図しているように思います。消費税増税のために政治家や公務員も「身を切らなければならない」という理屈もそうですね。そうやってなだめておきながら、実はあやふやなものにしてしまうという手法です。

 震災からの復興財源とするという理由で国家公務員の給与を2年間削減することになりました。それがいつの間にか、「消費税増税のために身を切った」ということになっています。だから国会議員の定数も削減しなければならないという理屈を展開したいわけです。

 野田総理は3月22日官邸で民主党が主催する学生インターンシップに参加した大学生30人と懇談した際に、学生が国家公務員の新規採用削減に懸念を示したのに対し、「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合うため理解してもらいたい」と答えたそうです。総理が言っているように、「痛みを分かち合う」というのは「みんなで」というのが前提条件です。ところが、国家公務員の新規採用削減というのは特定に人たちだけが対象ですから、「みんなで痛みを分かち合う」ことにはなりません。したがって、野田総理の発言は「君たちには痛みを押し付ける形になるけど我慢してね。そのうち他の国民にも痛みを感じてもらうようにするからさ」といっているように聞こえます。

 3月21日に行われた春の選抜高校野球の開会式での選手宣誓がニュースで大きく取り上げられていました。未来を信じて疑わない心、自分たちが守られているという自覚と感謝の思いが自分たちに何ができるのかということにつながって、あのような選手宣誓になったのだと思います。百戦錬磨の政治家たちよりも、自分の率直な思いを吐露した一高校生の方が人間としてはるかに好ましいように私には思えます。
by t_am | 2012-03-24 07:58 | その他
 大阪府立和泉高校の卒業式で、教職員に対する君が代の起立斉唱という職務命令が実行されているか確認をするために、校長が教頭に指示をして教員の口元チェックを行ったという報道がありました。

(3月13日付YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120312-OYT1T01232.htm?from=tw

 このことに対し反対意見がツイッターなどで相次いだことを受け、3月15日橋下市長が反論するツイートを公表しました。

(橋下市長のtwilog)
http://twilog.org/t_ishin/asc

 なお、和泉高校の中原校長もブログで、当日の状況やご自分の考えを表明しています。これを読むと、抑制の効いた理性的な文章であることがわかり、クレバーな人なのだろうと思います。

(大阪府立和泉高校 中原校長のblog)
http://ameblo.jp/nakahara-toru/entry-11192795624.html

 中原校長に対する批判の根底にあるのは「やり方が陰湿」であるという思いでしょう。君が代斉唱のときの不起立教員のチェックくらいであれば、一目見ればわかるのですからこれほど批判を浴びることもなかったはずです。(現に、不起立教員の有無のチェックは過去において何度も行われています。)ところが、君が代を歌っているかどうかを確認するとなると、一目見て済ませるというわけにはいきません。どうしても「監視」というイメージがつきまとうのは避けられないと思います。
 それでは、そういう監視的な管理が妥当なのかどうかということになると、橋下市長がツイートしているように、教育委員会が府立高校の全教員に対し君が代の起立斉唱を命じており、さらに校長に対しその状況報告を求めている以上、中原校長の行動は責められるべき筋合いはないということになると思います。(こういう書き方をするのは橋下市長や松井知事に対し失礼かもしれませんが、)悪法もまた法であり、状況報告を求めるという職務命令も公序良俗に反するほどのものではないといえますから、中原校長のとった行動は正当なものであるといわざるを得ません。

 職務命令ということについて、もう少し考えてみましょう。上司の部下に対する命令というのは次の4つのステップを経て完了します。

1)命令
2)実行
3)報告
4)報告の承認

 このうち、1)と4)は上司が行い、2)と3)は部下が行います。以外と忘れられているのが、4)の上司による報告の承認です。部下がきちんと命令を実行したかどうかを確認して初めて命令が完了するのです。(ですから、部下から回って来た伝票や報告書にロクに目を通さずにハンコを押すのは上司としてふさわしい行動ではないことになります。)
 今回の中原校長の行動はこのステップに忠実に沿ったものであるといえます。
 このとき、部下が行った結果が保存されていないと上司は確認をすることができません。たとえば、朝の通勤時間帯に駅頭で、通行人に対し自己紹介した上で歌を1曲歌ってくるように、という職務命令があるとします。部下が駅頭で自己紹介したことも歌を歌ったことも形として保存されていないのですから、これを確認するために上司はその場に同行するか、その様子をビデオ撮影するよう他の部下に命令するなどのことをしなければなりません。
 しかし、組織というのはそんなにヒマなところではありませんから、自分や他の部下が同行してその場に居合わせなければ確認できないできないようなことを職務命令として命じることはしないのが普通です。(上司がいちいちそんなことをしていたら自分の仕事ができなくなります。)

 橋下市長は、「『斉唱』の確認は口元チェック以外にどうやってやるのでしょうか?」とツイートしています。ここで考えられるのは次の2つです。

1)口元チェックを行ったのは和泉高校だけでなく府立高校全部で行われていた。
2)他の府立高校の校長はロクにチェックせず、適当な報告をしていた。

 どちらが正しいのか知る術はありませんが、2)に該当する校長が全くいなかったのかというと、そんなことはないだろうという気がしてなりません。というのは、こういうやり方をした場合、自分にとって都合の悪いことは報告しないのが人間という生き物だからです。
 これは、畏友セイヤさんから教えてもらったのですが、韓国で原発事故防止対策が発表され、その目標は「故障ゼロ」、方法は「厳罰」だったそうです。その結果どういうことが起きたかというと、その発表があったその日の午後8時に古里原発1号機の電気が途絶えたけれども、現場でこれを見ていた職員が60-100人いたにもかかわらず、この事故は1カ月以上も伏せられたそうです。

(【現場から】原発事故より怖いのは嘘だった=韓国・古里)
http://japanese.joins.com/article/183/149183.html


 そういうことを考えると、中原校長という人は勇気のある人なのかもしれないと思いますし、橋下市長がツイートしているように中原校長を責めるのは筋違いであるようにも思います。
 しかし、私自身は今回の一連の措置が妥当であってとは思っていません。その理由として次の2つのことを指摘しておきたいと思います。

1)一部の不逞教員に対する締め付けのつもりなのでしょうが、真面目に仕事に取り組んでいる教員に対しても同様の締め付けを行っているわけであり、あまりにも陰湿であると思います。
 批判者の多くは同じように感じていると思います。そのとばっちりを食ったのが中原校長なのだということになるのでしょう。有能な管理者にこのような「汚れ仕事」をやらせるのは気の毒ですから、大阪府教育委員会はぜひ来年度からは卒業式に監視カメラを設置して検討していただきたいものですし、松井知事にはその予算化をしていただきたいと思います。同様に、大阪市でも教職員基本条例が可決されて暁には同様に監視カメラを設定していただきたいものです。そんな財源はどこにもないとおっしゃるかもしれませんが、優秀な人材というのは金銭に換算できないのですから、みすみす人材を喪うようなことはされないほうが大阪府民と市民のプラスになると思います。

2)上司の管理手法によって、部下が「私はこの仕事をやらされている」と思う場合と「私はこの仕事を任されている」と思う場合に分かれます。どちらが高いパフォーマンスを発揮するかは申し上げるまでもないでしょう。管理者はもとより教職員までもが上しか見ない組織になったときに一番迷惑するのは庶民です。
 大阪府が府立高校に対し行っていることの辿り着く先は「私はこの仕事をやらされている」と受け取る教員が増殖するというものです。だから教育委員会に対し、ロクに確認もしていないのに嘘の報告をした校長がいるとすれば、既にその兆候が現れているということになります。
 そうではなく、現場の校長は自発的にこういう「マネジメント」を行っているのだとしたら、それはいずれ府民の反発を招くことになるでしょう。不逞教員・不逞公務員を懲らしめるために管理体制を強化することは一時的に府民の喝采を浴びるかもしれませんが、そのやり方が陰湿であると庶民が感じた場合、その反発はそれを指示した知事や市長に向かうことになるわけですから。
by t_am | 2012-03-15 20:56 | その他
 福島第一原発の事故調査委員会はいくつもあります。昨年5月に発足した政府による事故調査委員会(畑村洋太郎委員長、東京大工名誉教授)があり、次に昨年11月には財団法人日本再建イニシアティブによる民間の事故調査委員会(北澤宏一委員長、前科学技術振興機構理事長)がスタートしました。さらにその翌月には、国会による事故調査委員会(委員長黒川清・元日本学術会議会長)も活動を開始しました。
 このうち民間の事故調査員回の報告書はすでにできあがっていますが、「当初は非売品として部数を限定して作成して」いたそうです。今回のような巨大事故の調査・検証を行う目的は、事故の経緯や原因を明らかにして公表することで人類共通の財産とすることにあると思うのですが、この財団の考え方は違うようです。その後、報告書を出版して有償で配布することになりましたが、そのアナウンスのすぐ下には「福島原発事故に関わる情報提供のお願い」ということが書かれてあって、随分と虫のいいお願いもあったものだと思ってしまいました。

 政府事故調は12月26日に中間報告をまとめました(こちらの方はネットで閲覧することができます)が、その内容に目を通してみると「事故や被害の概要」および「事故に対する対応」については細かく記載されていますが、事故がどのようにして起こったのかについては触れられていません。無理もないと思います。というのも、誰も原子炉の内部に立ち入ることができないからです。肝心な部分がいっさいわからない中で、事故の経緯や原因を検証するということは誰にもできません。考えられる可能性として推測を並べるか、民間事故調の報告書がそうであったように、事故後の政府・東電の対応の妥当性を検証するものに終わってしまう可能性も否定できないと思います。大きな権限を与えられている国会事故調であっても、状況は同じです。原子炉の内部に入れない以上、現場検証ができないわけですから、あの事故がどのようにして起きたのかを検証することはたぶん不可能だろうと思います。

 現在停止中の原発の再稼働について、新潟県の泉田知事は福島原発の事故の検証が終わらないうちは判断できないというコメントを繰り返しています。これは考え方としては至極もっともなものであると私は思います。つまり、事故の原因が明らかになっていないのだから事故防止のためにとられた対策が妥当なものであるかどうか判断できないわけで、地方自治体のトップとして軽々に再稼働に同意することはできないというものです。
 このように、泉田知事の発言は論理的には全く正しいのですが、肝心の事故の検証が進まない(これは事故調の委員の責任ではありません)だけでなく、事故の原因の特定ができるのはいったいいつになるのか誰にもわからない以上、再稼働を認めるかどうかの判断を凍結せざるを得ないということになります。ひょっとすると永久に判断が下せないという可能性も否定できないわけですから、そうなると事実上廃炉にすると宣言しているのと同じことだといえます。

 原子力を推進する立場の人たちにとって、これは非常に具合の悪い事態であることは私にも理解できます。彼らの脳裏にあるのは、千年に一度の大地震と大津波によって起きた事故なのだから当分の間同じような災害に襲われることはないだろう、という思いでしょう。原発は停止中も維持管理のためのコストが発生しているわけですし、地元の経済に与えるダメージも無視できないものがあります。そのことに日頃向き合っている立場の人であれば、原発を再稼働しないで発生するコストやダメージと、再稼働した後万一災害に襲われ事故が発生した場合のコストとダメージを比較した場合に、前者の方がより身近で切実なものに感じられるはずです。そうなると、次にいつ起こるかわからない災害に備えて原発を止めておくという選択肢は考慮に値しないことになり、再稼働ありきでものごとが進めていくことになるわけです。
 実際に、事故直後は原子炉を冷やすための電源さえ失われなければ大丈夫なのだという観点から、非常時の代替電源の確保と追加が指示され、各地の原発ではその取り組みを行っています。しかし、だから安全になったと断言できる人は誰もいませんし、安心だと信用する人もいないはずです。もっとも、電力会社が本社支社を各地の原発の敷地内に移転すれば少しは変わるかもしれませんが・・・

 福島第一原発の事故後、各地の原発では様々な安全策が追加的に講じられてきました。それに対し、管直人前総理は、浜岡原発を停止させ、さらにストレステストの実施を打ち出しました。これらの指示が妥当であったかどうかというのは後世にならないと評価できないと思いますが、少なくとも国民の目には「政府がやっていることを首相が否定した」というふうに映ったことは間違いありません。さらに悪いことに、事故の直後から政府・東電による情報公開が不十分であり、むしろ意図的に隠していたのではないかと疑われている始末ですから、それらの疑いが晴れない限り地元住民が再稼働に同意するということは考えにくいと思われます。

 本来であれば、事故調の活動によって事故の原因が究明され、それに基づいて他の原発で然るべき手が打たれるということになるはずです。しかし、既に申し上げたように、肝心の原子炉の中に入ることができないのですから、事故原因を究明することはできません。
それではいつになったら原子炉の中に入ることができるのかというと、それもはっきりとした見通しが立っているわけではありません。

 以上のことからいえるのは、原子力というのは人間の手に余る代物だということです。そして、私たちは、言葉にはしないもののそのことに気づいているはずです。原発の再稼働にあたって、様々な手続きや検討を追加的に実施しておきながらいっこうに決断する人が現れないのはこのためです。本来ならば決断すべき立場の人が、このままこの状態が続くことは困ると思ってはいるものの原発が絶対に安全だと自信を持って断言することができないために、さまざまな人を巻き込んで共同責任という状態をつくりあげようとしているように私には思えます。

 仮に、誰か決断力のある政治家が原発の再稼働を決定したとして、猛反発が起こることは間違いありません。けれども、彼が、再稼働に反対する市民グループの反対運動をときには無視し、ときには実力で排除しながらも原発を再稼働させたならば、原発事故そのものがそのうちに忘れ去られてしまうだろうと思います。今後、日本を今回のような大地震や大津波が襲い、原発が制御不能の事故に見舞われるかどうかは正直言ってわかりません。
 ただいえるのは、数年という短いスパンの中では発生しないことでも数十年数百年という長いスパンの中では発生確率は桁違いに高くなるということです。そのときに、今回の事故の知見が生かされているかどうかによって事故の被害影響はまるで違ったものになるはずです。
 ゆえに、事故調による原発事故の検証がきちんと行われなければならないのですが、何度も申し上げるように、原子炉の中に入ることができない以上極めて難しいと思っています。そのことが意味するものは、今回の事故は私たちが無視してきた、あるいは見落としてきたメカニズムによって引き起こされたかもしれないのに、私たちはそれに気づく機会を奪われているということです。(事故の原因が想定外の津波による全電源喪失であると断定するのであれば事故調を設ける必要はありません。)
 自然災害は、巨大なシステムのあらゆるところに襲いかかります。システムがそれに耐えられれば問題はないのですが、負荷が大きすぎて耐えきれなくなったときに、システムはもっとも脆弱な部分から崩壊します。このような小さな事故が複合的に発生したり、または連鎖的に発生することによって巨大事故は起こります。福島原発における巨大事故はその典型的な事例であり、事故原因は決して単純なもの-作業員が操作ミスをしたとか-ではありません。以前東海村で起きた臨界事故のように単純な原因による事故であれば、それは一過性のものとして終わるのが普通であって、被害があれほど大きくなることもありませんし、これほど長期に渡るものにはならないからです。
 事故調による検証は、本来ならば原発という巨大システムの中の脆弱な部分を炙り出してくれるはずでした。このように過去形で書くのは不謹慎であり、委員の皆様に対し失礼であるとも思いますが、現実には無理だろうと思います。それでも今回の事故から何らかの教訓を引き出すことは可能でしょう。しかし、民間の事故調の報告がそうであったように、ヒューマン・エラーを指摘するものに留まるのであれば、結局その教訓は活かされないことになります。なぜかというと、たとえば政府や東電の対応が不適切であったと指摘しても、その対策は「心を入れ替える」「ちゃんとやる」「人を替える」という甚だ心許ないレベルのものにしかならないからです。
 幸いなことに、政府事故調の委員の顔ぶれをみるとそのような報告書を作成して終わりにするような人はいないことがわかります。昨年12月に公表された中間報告書を読むと、事故の経緯や原因についての記述はないものの、「災害発生後の組織的対応状況」を読むと、私のような素人であっても、事故対策の体制について今後はこのようにした方がよいと思うような記述のしかたがなされています。
 事故の状況からその経緯や原因を推測することは可能だと思いますが、事故現場に入れない以上それを検証できないという大きな制約があります。
 それでも事故調が、今回の事故についての経緯と原因を究明することができるのであれば(そうなってほしいと思いますが)、それは人類にとって大きな財産となるはずです。

 私自身は、原発はすべて廃炉にすべきだと考えています。その主な理由は、今後少なくとも二十万年の間核廃棄物を管理し続けることは人類にはできないと思うからです。既に発生している核廃棄物はいたしかたないにしても、これ以上核廃棄物を増やす行為は愚かです。ただ、いきなりすべての原発を廃炉にすることはできませんから、時間をかけて徐々に廃炉にしていくのが現実的でしょうし、その間は運転を認める原発が出るのもやむを得ないとも思います。
 ただし、この考え方が成り立つのは、人間が原子力を制御できるということが前提となっています。もしも、人間が原子力を制御できないのであれば、再稼働を認めないだけでなく、全ての原子炉から核燃料をただちに撤去する作業にかかるべきでしょう。というのは原発を運転していなくても、そこに核燃料がある限り冷却し続ける必要があるからです。福島原発の事故の要因は核燃料の冷却に失敗したことに尽きる(現に、運転を休止していた4号機では冷却プールに保管されていた核燃料が一時危険な状態に陥りました)のですから、再稼働を認めなければそれで万事解決とはならないのです。さらに、悪いことに、日本では核廃棄物の貯蔵施設が確立されていません。したがって、原発を廃止したとしても、核燃料をどこでどうやって保管するのかという問題が残ります。
 
 政府は福島県双葉郡に中間貯蔵施設をつくろうとしていますが、地元がすんなりと受け入れるとは思えません。仮に、つくることができたとしても、それはあくまでも「中間」貯蔵施設であって、「最終」保管施設ではありません。まだまだ解決しなければならない問題は山積みのままです。

 今回の事故調の最終報告書がどのようなものになるのか。原発事故の経緯と原因の究明ができるようであれば、人類は原子力を制御できると考えてもよいのかもしれません。そうなれば、何か起こっても、それが事故に結びつくことを防ぐ堤防をかさ上げすることにつながると考えられると思います。
 
 それでも、ひとつ気になることがあって、それは被害の大きさと事故の発生頻度は反比例するということです。比較的被害の小さい交通事故はしょっちゅう起こっていますが、大勢の人が死ぬ航空機事故はそれほど頻繁に起こっているわけではありません。つまり、滅多に起こらない事故ほどその被害の大きさは桁違いなものになるということです。
 スリーマイルの原発事故が起きたのが1979年。チェルノブイリの事故が起きたのは1986年です。この30年の間に大きな原発事故が3回起きているわけです。(放射能漏れというような軽微な事故はもっと頻繁に発生しています。)しかも事故が起きるたびにその影響は大きなものになってきています。それは知見の蓄積と技術の進歩によって、それまでならば事故につながっていた事態が発生しても何とか回避できるようになったということなのでしょう。そうやって事故を防ぐ堤防のかさ上げが行われてきたのだと考えることもできるのですが、ある日突然その堤防以上の波が押し寄せた場合にやはり事故は起こります。しかもその場合、それまで経験したことのないような被害をもたらすことになります。
 次の原発事故がいつ起こるのかは誰にもわかりません。しかし、いつか必ず起こるだろうということはいえますし、その際には今回の福島原発の事故以上に深刻な被害をもたらすだろうともいえます。

 そういうことを考えると、次の原発事故が起こる前に原発をなくしてしまった方が賢明であるという結論にならざるを得ないのです。
by t_am | 2012-03-11 21:26 | その他
 iPhoneとPCの間で写真をやりとりするにはiCloudを使うのが簡単です。そのためにはiPhoneがiOS5以上であること、PCにiCloudコントロールパネルをインストールする必要がありますが、Wi-Fi環境であれば写真を自動的に共有することができます。

1.iCloudを使う -双方向でのデータ移動可能-
(iCloud経由でiPhoneからPCへ)
 新たに撮影した写真はカメラロールだけでなく、「フォトストリーム」フォルダにも送られ、Wi-Fi環境で自動的にiCloudに送られます。また、iPhoneの画面キャプチャ(電源ボタンとホームボタンの同時押し)や画像のダウンロードでカメラロールに新たに保存された画像も自動的にフォトストリームに送られるので、PCに自動的に転送されることになります。
 iCloudコントロールパネルをインストールしたPCでは、Pictureフォルダの中にPhoto Stream というフォルダが作成され、その中のMy Photo Stream フォルダに写真や画像が自動的にダウンロードされます。

(iCloud経由でPCからiPhoneへ)
 iCloudコントロールパネルをPCにインストールすると、Photo Stream フォルダの中にUploads フォルダが作成されます。iPhoneに送りたい写真をこの中に入れると、iCloud経由でiPhoneに送ることができます。

(iCloudについて)
 iOs5 をiPhoneにインストールするとiCloudを使用することができます。iCloudとはiPhoneやPC間で情報を同期するためのツールです。無料で使用できる領域は2GBですから、よほどのヘビーユーザーでない限りまず不足することはないと思います。iCloudを使用するためには、PCにもiCloudコントロールパネルをインストールする必要があります。
(iCloudコントロールパネル Windows用のダウンロード)
http://support.apple.com/ja_JP/downloads/#internet

(フォトストリームの写真を削除するには)
 iPhoneのフォトストリームフォルダには写真がどんどん溜まっていきます。フォトストリームは元々写真をバックアップするためのツールとして用意されたわけですから、しかたのないことだといえますが、PCに写真を移行し、きちんとフォルダに整理されたならば、フォトストリームに写真が残っている必要はありません。以前は、フォトストリームの写真を削除するのは大変面倒だったのですが、その後改良され、簡単にできるようになりました。

(フォトストリームの写真を削除するには)
http://support.apple.com/kb/HT5125?viewlocale=ja_JP


2.Dropboxを使う -双方向でのデータ移動が可能-
 DropboxをiPhoneとPCの両方にインストールしておくと、双方向で写真の移動ができるようになります。iCloudはWi-Fi環境でしか使えませんが、Dropboxは3G回線でも使用できます。その代わり、どの写真を送るかについては手動で操作する必要があります。

(iPhoneからPCに写真を送る)
 この方法は以前にもご紹介しました。詳しくは下記のリンクをクリックしてください。
http://tamm.exblog.jp/16241239/

(PCからiPhoneに写真を送る)
 PCの「documents」フォルダの中に「My Dropbox」フォルダがあるので、この中の「Photos」フォルダに写真をコピーします。
頃合いを見計らって、iPhoneのDropboxを起動すると、写真が送られています。送られてきた写真のファイル名をタップすると写真が開くので、画面右下隅にあるアイコンをタップして「写真を保存」をタップすると、カメラロールに写真を保存できます。

 DropboxはPCとiPhoneとの間でデータをやりとりする鞄のようなイメージですから、データをそれぞれのデバイスで専用のフォルダに保管した後は、Dropboxそのものの写真データは削除して(iPhoneではファイル名を右方向にフリックすると削除できます)おいた方がよいと思います。


3.iTunesを使ってPCからiPhoneに写真を送る
 iPhoneをPCに接続するとiTunesが起動して同期が行われますが、このときにPCからiPhoneに写真を送ることができます。この方法のメリットはUSBケーブルを使って写真をiPhoneに送れることです。ただし、その逆はできません。(このあたり、正直いって不便だと思いますし、もっといえば、USBケーブを使った写真の同期がなぜ完備されていないのか理解に苦しむところです。iPhoneはたしかに便利だと思いますが、appleのこういう独善的なところが好きになれません。)

(PCからiPhoneに写真を送る)
 事前準備として、PCの側でiPhoneと写真を共有するフォルダを作成しておきます。(ここでは仮に「Pictures」フォルダに「iPhone」という共有のためのフォルダを作成することにします。)
 iTunesで同期が終わったら、左側のライブラリの中程にあるデバイスからiPhoneをクリックします。画面が切り替わるので、上の方にある「写真」をクリックします。「写真の共有元」にチェックを入れ、その右側のドロップダウンリストから「フォルダを選択」を選び、既に作成しておいたiPhoneフォルダを選択し、「フォルダの選択」ボタンをクリックします。
 画面右下の「同期」ボタンをクリックします。
 iPhoneの写真アプリを開くと「iPhone」というフォルダが作成されており、その中でPCと写真が共有されることになります。
by t_am | 2012-03-04 21:20 | iPhoneを使いこなすために
 1月に、東京電力が大口契約者に対して電気料金の値上げを通知した際に、東京都が緊急アピールを行いました。東京都ともなれば今回の値上げで大幅な歳出増になるのですから、同然といえば当然ですし、他の契約者のためにも頑張って値上げの撤回に追い込んでいただきたいものです。

 東京都の緊急アピールは猪瀬副知事が中心になって行っているようですから、その概要は同氏のコラムで知ることができます。

(猪瀬直樹の「眼からウロコ」:根拠不明の東京電力一律値上げに「待った」)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120130/297600/?rt=nocnt


 これを読むと、都の主張は、東電が値上げの根拠にしている燃料費の内訳を示していないこと、さらに、ファミリー企業の本社を整理するだけで1年で100億円を算出できるという独自の分析をしていることがわかります。

 猪瀬氏の論理の展開は明解であり、かつ説得力があります。極めつけが「ファミリー企業が都心の一等地でのうのうとしている実態が判明した」というものであり、このあたりは元ジャーナリストの面目躍如というところでしょう。

 このコラムに関する限り、猪瀬氏の主張には頷けるところも多いのですが、ひとつ不思議に思うのは、今政府がやろうとしている増税について、同様の指摘がなぜなされないのだろう? ということです。
 野田政権が訴えている増税も東京電力による値上げの要請も、要は支出が収入をはるかに上まわっているというのが理由です。どちらも猪瀬氏の指摘するような「内訳」を明示してはいません。さらに、「都心の一等地でのうのうとしている」のは東京電力だけではありません。霞ヶ関の官庁街の資産価値は莫大なものになると思いますが、増税の前にそれらを整理してはどうかという指摘がされたことはないようです。
 企業が大幅な赤字に陥った場合、リストラによって資産と余剰人員の整理が行われるのが当たり前であると思われていますが、政府自身にそのような発想はないようですし、政府にそれを求める声もないようです。(国家公務員の給与をカットする法案が参院で成立しましたが、これはカットした分を復興予算に充当するという期限付きの措置に過ぎません。)
 今回の東京都の緊急アピールの内容は充分に理解できるものですが、それならば増税の必要性を訴える野田政権に対しても同じように問題点を指摘するのでなければフェアではありません。東京電力という企業は、原発事故以来の対応のまずさもあって、すっかり悪者扱いされています。したがって、東電を責めれば責めるほど喝采を浴びるという構図ができあがっており、今回の猪瀬副知事らによる緊急アピールもそれを計算して行われているのではないかといううさん臭さが感じられるのです。

 経済界は野田政権の増税策に肯定的です。というのも、このまま財政赤字が拡大していったときに、いつか国債が暴落することを心配しているからでしょう。そうなったときに、日本経済が壊滅的な打撃を受けるとわかっているからです。
 それではなぜ財政支出のムダを削減する方策を主張しないのか、その理由を考えると、政府にはこれまで通り補助金や助成金という名目でばんばん歳出してもらいたい、それが経済成長を実現するのだと思っている人が多いのだと思います。その人たちが望んでいるのは経済成長なのか自分の利権なのか定かではありませんが、放漫財政を継続してもらい、財源が足りなくなれば増税もやむを得ないというのは、それを当てにしている人たちがいかに多いかということを示しているかのように思われます。
 それというのも、行政には貸借対照表の作成が義務づけられていない(臭いものには蓋をするということ)ことが原因だと思いますが、それは別な機会に譲りたいと思います。
by t_am | 2012-03-03 20:41 | その他