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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 Access2010を使っていると、3日に1回くらいの割合でVBAが動かなくなることがあります。イベントプロシージャを実行させようとすると、Accessが強制終了するというものです。コードを調べてみるとプロシージャの区切り線がなくなっていることがわかるのですが、最悪の場合、VBAコードを表示させることすらできない場合があります。
 そんな場合、壊れているデータベースを再起動させ、別な名前で保存して(このときに「開いているオブジェクトを閉じますか?」と訊いてくるので、「はい」をクリック。)それを開き直したところ「セキュリティの警告 一部のアクティブコンテンツが無効にされました。クリックすると詳細を表示します。 コンテンツの有効化」というメッセージが表示されたので、迷わず「コンテンツの有効化」ボタンをクリックしたところ、無事にVBAコードを開くことができるようになりました。
 これで、コードが壊れているところ(赤く表示されています)をさがして、すべて削除した後、再度コードを入力すれば、それ以降は正常に動くようになります。


(セキュリティの警告)
c0136904_0493934.jpg



(詳細をクリックしたところ)
c0136904_0503661.jpg



(壊れているVBAコード)
c0136904_0513314.jpg




(正常なコード)いったん削除してイベントにコードを入力し直したもの
c0136904_0523243.jpg





 この図の中にある横線が消えてしまっているためにイベントプロシージャが実行されなくなってしまい、強制終了する羽目に陥ったわけです。
 それを解決するためには、横線が消えているプロシージャをすべて削除して、それぞれのイベントにコードを入力し直すと復旧します。

 Excel2010ではメールで送られてきた添付ファイルが開けなくなるという現象が起きています(この場合、いったん添付ファイルを保存してから、右クリックでプロパティを開き、「ブロックの解除」をクリックすると開くようになります)。
 Access2010では、このようにVBAのコードが破壊されてしまうことがある(原因は不明)ことがあります。
 Office2010のこのような問題に対し、どう対処したらいいかわからずに困っているユーザーも多いのです(私のブログでは今のところExcel2010のファイルが開けないという記事のアクセス数が最も多い)から、不完全な製品を出荷するのはいい加減にしてほしいものだと思います。
by T_am | 2011-09-28 00:55 | その他
 Excel では日付を1900年1月1日を1とするシリアル値(連番)として扱います。これは、1900年以降であればある特定の1日に対し、絶対に他の日付とダブらないひとつの数値が割り当てられているということを意味します。したがって、Excelでは日付として表示されていても、実際には数値がデータとして格納されていることになります。このことにより、日付は足したり引いたりして計算ができるようになっています。
 ちなみに、1900年1月1日よりも前の日付は単なる文字列として扱われますから、これを計算対象にすることはできません。

 さて、日付計算には大雑把に分けて次の2種類があります。

1)ある日付を基準にしてほかの日付を計算する。

(計算例)
・今日から6ヶ月後の日付を計算する。
・今日から2年間毎月末日の日付を計算する。

2)2つの日付の期間を計算する。

(計算例)
・自分が生まれた日から今日までの年数と月数、日数を計算する。
・今度の自分の誕生日まであと何日あるかを計算する。

 これらの計算をするために覚えておくべき関数は次の6種類です。逆に言えば、これら6種類の関数さえ覚えておけば、たいていの日付計算が可能になるということです。

1)TODAY()
 今日の日付を求める関数。計算結果はシリアル値となり、日付で表示されます。引数はありません。

2)DATE(年,月,日)
 日付に対応したシリアル値を求める関数。計算結果は日付として表示されます。また、引数には数値を用います。Date関数は以下に述べるYear関数・Month関数・Day関数とセットで使います。

3)YEAR(シリアル値)
 表示されている日付から年を取り出す関数です。結果は数値となります。

4)MONTH(シリアル値)
 表示されている日付から月を取り出す関数です。結果は数値となります。

5)DAY(シリアル値)
 表示されている日付から日を取り出す関数です。結果は数値になります。

 YEAR関数、Month関数、DAY関数はそれぞれDATE関数の引数として使うことができるので、これら4つの関数はセットで使うためにあると考えてよいと思います。

6)Datedif(開始日,終了日,集計単位)
 2つの日付の期間を計算する関数です。期間を集計する単位は次の通りであり、数式を入力する際は文字列であることを示すために ” ”で囲まなければなりません。

Y  期間内の満年数(1年未満の端数は切捨て)
M  期間内の満月数(1か月に満たない端数は切捨て)
D  期間内の満日数(切捨ては行いません)
MD 1ヶ月未満の日数(Mで切捨てられた日数に相当します)
YM 1年未満の月数(Yで切捨てられた月数に相当します。なお、日数は切捨てします)
YD 1年未満の日数(YMで切り捨てられた日数に相当します)



(計算例1)今日から6ヶ月後の日付を計算する
 今日から6ヶ月後というのは、今月に6を足せば導くことができます。ただし、6ヶ月後というのですから、日にちは1日だけ遡る必要があります。


c0136904_2118171.jpg



計算式を表示させるとこうなります。
c0136904_21185488.jpg



 セルH3には今日の日付が入っているわけですから、Month(H3)+6 というのは今月から6ヶ月後の月を求める計算式となり、Day(H3)-1 というのは今日の日付の1日前の日付を求める式となります。(セルH3の日付を変えれば、H4の計算結果も変わります。)


(計算例2)今日から2年間毎月末日の日付を計算する。
 月末の日付というのは、月によって30日になったり31日になったり、さらに2月の場合は28日になることもあれば29日になることもあって非常に複雑です。しかし、見方を変えると月末の日付の翌日は必ず1日になるのですから、月末の日付=翌月の1日-1という計算が成り立つことがわかります。


c0136904_21193675.jpg



これも計算式を表示させるとこうなります。
c0136904_21201120.jpg





 ここで、翌月末日というのは翌々月の1日-1のことですから、

=DATE(YEAR(C5),MONTH(C5)+2,1)

 これは翌々月の1日を求める式であり、そこから1日遡ることによって、翌月の末日の日付を求めることができるようになります。

=DATE(YEAR(C5),MONTH(C5)+2,1) -1


(計算例)自分が生まれた日から今日までの年数と月数、日数を計算する。
 期間を求める計算はDatedif関数を使います。


c0136904_21205073.jpg




 セルD11には次の計算式が入っています。

=DATEDIF(C3,C5,"Y")

 また、セルF11には次の計算式が入っています。

=DATEDIF(C3,C5,"YM")

 同様に、セルH11には次の計算式が入っています。

=DATEDIF(C3,C5,"MD")

 なお、集計単位YM、MDを使わない場合、次のように補助計算のためのセルを用いれば同じ結果を求めることができます。


c0136904_21212532.jpg




 ここでセルC8には、誕生日から満年齢数を経過した年(すなわち今年)の誕生日の日付を求める数式が入っています。この日付と今日の日付の期間月数を求めたものがセルF11に入っています。
 また、セルC9には、今年の誕生日からセルF11で求めた月数を経過した月(すなわち今月)の日付を求める計算式が入っているので、今日の日付までの期間日数を求める数式がセルH11に入っています。


(計算例)今度の自分の誕生日まであと何日あるかを計算する。


c0136904_2127559.jpg



 これは今までの応用です。今度の誕生日というのは生年月日から満年齢経過した次の年の誕生日のことですから、

 YEAR(自分が生まれた年月日)+自分の満年齢+1 で次の誕生日の年が何年になるかを求めることができます。(今年の誕生日が過ぎていれば来年になりますし、まだ誕生日が来ていなければ今年になります。)
 あとはDATE関数でその日付を求めたうえで、DATEIF関数で今日の日付を開始日とした期間日数を求めればよいのです。


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by T_am | 2011-09-26 21:27 | Excel のあの手この手
 野田総理が国連総会から帰ってきて、今日の大相撲秋場所の千秋楽で優勝を決めた横綱白鵬に内閣総理大臣杯を手渡しました。そのニュースを読んでいて、安倍晋三以来の総理大臣というのはどれも仮免の総理ではなかったかと思い当たりました。
 国会が指名したわけですから法的には何の問題もない以上一国の総理に向かって仮免の総理とは失礼ではないか、というお叱りの声も聞こえて来そうですが、今の野田総理にしても身内である民主党の国会議員によって選ばれたから総理大臣になったのであり、国政選挙を経ていないのですから、仮免と呼んでも間違いではないと思います。
 議院内閣制という制度上国民が直接総理大臣を選ぶことができないために日本の総理大臣は、アメリカなどと比較して、極めて不安定な地位にあるといえます。アメリカ大統領の場合は4年間の任期中死亡しない限り途中で辞めるということはまずありません。唯一の例外はウォーターゲート事件により任期中に辞任したリチャード・ニクソン大統領だけです。
 ところが日本の総理大臣は、めでたく首班指名を受けてもその後の選挙で負ければその政権基盤は不安定なものになります。安倍晋三、麻生太郎、鳩山由紀夫はそのために辞めてしまう羽目になったといってもよいでしょう。
 このように考えると、総理になった後の選挙に勝って初めて本格政権になることができるのであり、それまでは仮免の総理であり政権であると理解した方がよさそうです。
 このことは、仮免の期間中に大きな変化を成し遂げようとした総理は結果として次の選挙で負ける可能性が高いということにつながると思います。安倍晋三は総理就任後エネルギッシュに改革に取り組んだために参議院選挙で敗北することになりました。また、鳩山由紀夫は変化に取り組もうとしましたが、空中分解してにっちもさっちもいかなくなって参議院選挙を前に辞任してしまいました(党内から「このままでは7月の参議院選挙が戦えない」という声が強くなったため)。そうかといって麻生太郎のように手をこまねいて状況を悪化させるだけの総理では選挙に勝てないのですから、日本の総理大臣であり続けるというのは至難の業であるのかもしれません。

 野田総理は震災からの復興財源の確保のためには増税が必要であると主張しています。もっとも、増税といっても法人税は予定されていた減税時期を先送りするだけですから、もっぱら所得税の増税によって財源を確保しようとしています。企業を優遇する政策は自民党時代と何ら変わりないのですから、財務省の思惑通り野田総理が動いていると思われてもしかたないといえます。(所得税の増税だけでは反撥を招くと心配したせいか、たばこ税を増税する可能性にも言及するようになりました。)
 野田総理のこのような姿勢は財界からは好意的に見られているようですが、仮免の期間中であるにもかかわらずこういう大きな変化をもたらそうとする以上、次の選挙で反動が起こることは避けられないといえます。そのためか、野田総理は「政治的空白をつくるべきではない」という理由で当面総選挙を行う考えがないことを述べています。
 したがって、今後考えられる展開としては、このままずるずると内閣支持率が低下していき、野田政権も短命に終わる可能性が高いと考えられます。たとえそうであっても、増税を行ったという事実は消えないのですから、財務省にすれば野田政権が短命政権であっても構わないということなのでしょう。すなわち、総理大臣が官僚に使い捨てにされる時代になりつつあるといえるのではないでしょうか。

 その点、うまく立ち回ったのが小泉元総理でした。「痛みを伴う構造改革」というどうにでも解釈できる標語を掲げ、選挙に勝った後はじっくりと「いつまでも痛みが消えない構造改革」に取り組みました。また、構造改革の本命であった郵政民営化に反対する勢力が侮れないとみるや、解散総選挙に打って出て、自民党が圧勝した後は好き放題やることができたわけです。

 以上のことから、新たに総理となった場合、次の選挙で勝てるだけのスローガンを打ち出してできるだけ早い時期に総選挙を行うけれども、具体的な政策に取り組むのは選挙に勝ってから、というふうにすべきであるということがわかります。これは一見権道であるかのようにみえますが、仮免期間中の政権には大きな変更に取組んでもらっては困るのです。どうしても取り組みたければ総選挙をやって国民の信を問うという手続きが必要だということで、このようなことを述べているわけです。

 特に、政権にとって落とせないのが、衆議院と違って総理の解散権が及ばない参議院選挙です。参議院は3年に1回しか選挙がやってこないので、いったん決まった勢力図が3年間変えられないということを意味します。
 次の参議院選挙は2013年7月です。すでに国会が「ねじれ」状態にある以上、民主党政権を引き続き維持するためにはこれは絶対に落とせません。しかし、それまであと2年もあるわけでから、何かしら実績を挙げておかないと国民から見放されることになってしまいます。そのためには、衆議院選挙を行うことによってビックプロジェクトに対するお墨付きを得ておく必要があると思います。
 野田総理の場合、政策的に自民党と大きな差はないので、選挙に持ち込んでも争点を明確にできないまま戦わなければならない可能性が払拭できません。民主党にとっては逆風が吹いているだけに苦戦することは避けられないといえます。

 結局、野田政権というのは、(その是非はともかくとして)増税という大きな課題に取り組むためには政権基盤が弱すぎる(衆議院を解散しても勝てる見込みは薄い。かといって増税を実現させると国民の反撥が大きくなり、政権をそれ以上維持できなくなる)というジレンマを抱えているように思えます。それもひとえに総理大臣が仮免総理であることに由来するのだといえます。
by T_am | 2011-09-25 22:03 | その他
 橋下知事といえばストレート(そして過激)な発言をする人です。言っていることは頷けることも多いのですが、過激なあまり反撥を招くことも多いように思います。
 9月14日付の読売新聞サイトで、大阪都構想に反対する大阪市の幹部職員を外し、賛成する職員を抜擢するためのリストづくりを維新の会の大阪市議団団長に呼びかけたという記事を読んだときは唖然としました。

http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110913-OYT1T00102.htm

 記事の中には、「都構想を『踏み絵』に幹部を登用する手法とみられ、市側からは『恐怖政治の始まり』などと反発が強まっている。」とも書かれており、記者の「ここまでやるのか」という気持ちが伝わってくるようです。

 日本は法治国家ですから法を犯さない限り、どのような思想信条の持ち主であっても処罰されることはありません。

 というのは建前で、実際は違います。典型的な事例は、ついこの前辞任した鉢呂前経産大臣でしょう。辞任のきっかけとなった「死の町」という発言は他の国会議員も行っていますし、「放射能つけちゃうぞ」という発言に至っては信憑性も疑わしいと思われます。鉢呂氏が経産大臣に相応しい人物であったかは別にして、よってたかって辞めさせたというのが事実です。
 よってたかって叩かれる政治家として小沢一郎という人もいます。それでもいっこうにめげない、キレないというところはたいしたものだと思ってしまいます。

 民間レベルでも、トップの逆鱗に触れた幹部が左遷されるというのはよくあることですし、管理職が気に入らない部下をいじめ抜くというパワハラに至ってはありとあらゆるところで行われています。

 自分が気に入らない人間を外すという点では、橋下知事もたいした違いはないように私には思えます。けれどもご本人はそれが当然と思っているのであり、その根拠は、大阪都構想を掲げて大阪市長選に立候補するのだから、当選すればその政策が支持されたということになるのであり、大阪都構想を実現させることが民意に叶うことになる、というもののようです。
 9月21日の橋下知事のツイートでは次のように述べられています。


民主的統制下の職務命令。これは民意の発露であってこの職務命令に違反する公務員を放置することは国民主権といえるのか。


 このツイートは君が代起立斉唱に反対する教員に対する一連のツイートの一部であり、大阪都構想に反対する職員の処遇とは直接の関係はないのですが、知事の考え方が伺える文章だといえます。
 また、橋下知事はこのようにもツイートしています。


知事在任中、確定的な職務命令に違反する行政職員など見たことない。反対意見を持つ職員も含めて議論は徹底的にするが最後決定されたら、皆それに向かって動く。それが組織だろう。決定する立場にない職員も、決定が出た以上はそれに従う。そのために議論を尽くす。命令違反するのはごく一部の教員のみ


 知事のスタンスは、自分の構想を実現させるために職員たちと議論を徹底して行うというものであり、その過程で自分の意見を引っ込めることもあるようですが、そのうえで決定するというもののようです。大阪府の職員たちが橋下知事をどのように見ているのか、声を聞いてみたいところですが、正攻法であると私には思えます。

 橋下知事の発言は過激で強引な印象を与えますが、手法は(基本的には)まっとうなものであり、別に異論を唱えるわけではありません。問題は、その目指すところそのものだということです。
 具体的な政策を掲げて選挙に臨んだ政治家が当選した場合、国民が彼を選んだと思われています(小泉元総理の郵政民営化解散選挙を思い出してください)。橋下知事の信念もこの前提に拠って立つものだと思います。
 そこで、前回の大阪府知事選の結果について調べてみました。(こういう情報がたちどころにわかるのですから、ネット社会というのは便利ですね。)

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 次点の候補者の2倍近い票を得て当選しているのですから、まず圧勝といってよいでしょう。しかし、投票率と得票率をかけてみると次のような結果であることがわかります。

橋下候補              48.95%×54.0%≒26.4%

 この数字が何を意味しているかというと、大阪府の有権者のうち橋下知事に投票した人の割合はこれだけだということを示しています。次に橋下候補者以外の候補者に投票した人の合計得票率と投票率をかけてみます。

橋下候補者以外の全候補者    48.95%×46.0%≒22.5%

 これは(くどいようですが)、大阪府の有権者のうち橋下候補以外の候補者に図評した人の割合を示しています。
 さらに、投票しなかった人が51.05%いたわけであり、それらの人々の気持ちを知る術はありませんが、「橋下候補を積極的に支持するわけではない」ということだけはいえると思います。(投票しなかった人の中には「どーでもいい」と思っているひともいれば、「どちらかといわれれば橋下さんかな」という人もいるでしょうし、その温度差はかなりのものがあると思います。)

 今後行われる大阪府と大阪市のダブル首長選挙によって橋下徹氏が大阪市長に当選するかもしれませんが、投票率によっては有権者の支持率が3割を切ることも予想されます。(だからといって、過半数を超えていれば問題ないといっているわけではないので誤解しないでくださいね。)つまり、当選したからといって、自分が掲げる政策に対して白紙委任状が与えられたというわけではないと政治家自身が認識すべきだということなのです。
 禊ぎ(事件を起こした政治家が次の選挙の洗礼を受けること)といい、選挙に勝てばそれですべての問題が解決すると政治家は安易に考えていますし、私たちもそれを許しているといえます。その最たる例が野田総理が掲げている増税路線でしょう。増税に関する政府高官の発言にほとんど反応がないというのが不思議というか不気味でなりません。あたかも既定路線となったかのようですが、野田総理というのは身内である民主党の国会議員の投票によって選ばれただけに過ぎません。震災による復興財源の捻出にせよ、やはり国政選挙による国民の判断を仰ぐというのが筋です。

 橋下知事の大阪都構想も同様であると私は思います。今度の選挙で橋下市長が誕生したとしても、それで大阪市民が大阪都構想に賛成したとみなすのは早計です。多数決が意味を持つのは、議決までに充分議論を尽くしたというプロセスがあるからです。賛成するものも反対するものも意見を出し尽くしたのであとは決定するだけという雰囲気になったときに、多数決による決定に潔く従うと思えるのです。しかし、選挙はそうではありません。
 橋本市長が当選したとして、大阪都構想をより具体的なものにする作業を進めることは構わないと思います(それを許した有権者たちがいるわけですから)。そのうえで、大阪都とはどういうものになるのかを住民に示した上で、住民投票によって実施するかどうかを決定するというプロセスが不可欠であると思います。
 ところが、大阪都構想に反対する市の幹部職員の降格や賛成する職員の登用という手段を橋本市長が誕生したときに行うというのはどう考えてもおかしいと思うのです。
 選挙によって橋本市長が当選したとしても、大阪都構想に賛成する住民は全体の一部であり、それに反対する住民だっているわけです。したがって、この段階では大阪都構想をより具体的なものにして、住民に対する説明を行うための準備に着手しても構わないと有権者から委ねられたに過ぎないと解釈するのが妥当であると思います。また、そういう目で行政がやることを見ていかないと、いつの間にか後戻りのできないところまで来てしまうということになりかねないのですから。
by T_am | 2011-09-24 09:52
 村上春樹さんがエルサレム賞を受賞したときのスピーチの中で、「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵」という比喩がありました。有名なスピーチですから、覚えておいでの方も多いと思います。

(スピーチの日本語訳全文)
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php?page=all

 このスピーチに関連して、畔上くんが「高い壁」になってしまった「卵たち」について書いています。

http://azeway.com/

 システムをつくり運用するのも人間ですから、本来は「卵」である人間がいつのまにか「高い壁」になってしまうことがあるという指摘には目からウロコが落ちる思いがしました。
 どうして「壁」になってしまったのかについても畔上くんが書いているので、ここでは私が感じたことを書いてみたいと思います。

 何か大きな問題が起こったときに、「それは会社(組織)の問題であるから部署の垣根を越えて問題の解決に臨む必要がある」と考える人と、「それは他部署の問題であるから自分には関係ない」と考える人がいます。興味深いことに、組織の中での地位が高い人ほど後者に属する人が多くなるなるようです。(これをお読みのあなたはいかがですか? また、あなたの上司はどちらのタイプですか?)
 いうまでもなく、人間として尊敬できるのは前者のタイプです。しかしながら、実際に何か問題が起こり、その原因を究明する際に、いつのまにか自分には責任がないことを立証するというスタンスで発言し行動していることが多いのです。このような心理は多かれ少なかれ誰にでもあるものであって、だからこそ事故の原因究明は犯人捜しになってはいけないということになっています。

 「この問題は自分以外の誰かに責任がある」という論理では、同種の事故の発生を防ぐことにはつながりません。なぜならば、「とりあえず自分に責任がないことが証明されればそれでいい」という意識でいるうちは、「今後同じような事故を発生させないためにはどうしたらいいか」という発想は出てこないからです。

 鉢呂前経産相の辞め方をみると、この国では(他の国でもあまり変わらないと思いますが)、熾烈な競争を抱える組織では他人の失敗や責任に対して不寛容というのが当然であると思われていることがわかります。そのような状況下では、なんとかして言質をとられないように気を遣う、自分に責任がかかってこないように振る舞うということが日常的に行われるようになるといってよいでしょう。
 その典型的な例が「国会中継」で見ることができます。あれを見ていると、立場が変わるということも変わるのだとつくづく思います。面白いのは、政党が変わっても、野党質問(というよりは追求といった方がよいですね)のロジックと政府答弁のロジック(極端ないい方をすれば「はぐらかし」)は同じだということです。民主党の支持率が下がりっぱなしで浮上しない理由の一端がここにあると思うのですが、質問をする方も答弁をする方も大真面目で不毛な議論を繰り返すばかりで、いっこうに変わる気配がありません。
 答弁の作文は官僚が下書きするはずですから、官僚の世界でも同じようなことが日常敵に行われていると思ってよいでしょう。すなわち、自分の昇進はライバルが消えることによって実現するというものですから、そういう風潮に染まると次の人間ができあがるようになります。

・自分が持っている情報は他人には明かさない。その代わり、他人が持っている情報は欲しがる。
・手柄になりそうなことは首を突っ込んで横取りすることも辞さない。その代わり、手間だけかかって評価につながらないことは他人に押しつける。
・他人が関わって問題となったことは公式の記録に残すが、自分が関わったことは(後日追求されることがないように)一切記録に残さない。
・上司やトップの喜びそうなことな何かという判断基準で動き、上司やトップに叱られそうなことについてはそのままにしておく。
・他人の痛みや苦しみについて、しだいに鈍感になってゆく。

 このタイプの人は、自分の業績を優先するあまり、ときとして組織の不利益に結びつく行動をとることがあります。もちろん、組織のより上位の存在(会社そのものや国家という存在)を意識することはあまりありません。「会社の利益」とか「国家の尊厳」とか言うときは、自分の意見の正当性を補強するためであって、常日頃そのようなことを意識しているわけではありません。

 誤解しないでいただきたいのですが、こうして長々と書いてきたのは、「世の中にはこういうタイプの人間がいる」ということを申し上げたいわけではないのであって、人間は誰でもこのようになりかねない生き物だということを申し上げたかったのです。
 このような人たちは大企業や中央省庁のような大きな組織であればいくらでも見かけることができます。(中小企業に少ないのは、競争が比較的少ないからではないかと思います。)そのような組織では効率が悪化し活気が喪われていくことになるのですが、皮肉なことにこのような人たちが頑張れば頑張るほどその傾向は強くなっていきます。
 無論、そうならない人も大勢いるわけですが、その違いはどこから来るのかというと畔上くんが指摘しているように、「その人が組織に人生あるいは生命与奪権を握られているから」です。以前申し上げたように、選択肢がより少ない方を弱者といいます。追い詰められた弱者は他人に対していくらでも酷薄な仕打ちができるものです。

 その根本には「恐怖による支配」があるといっていいのかもしれません。
  
 恐怖による支配への対抗手段としては、「この仕事を辞めても喰っていける」という自信を持つことが有効であるように思います。
by T_am | 2011-09-18 16:29 | その他
9月10日自民党の石原伸晃幹事長が盛岡市内の講演で、9.11について「産業革命から続いた西欧文明、キリスト教支配に対するイスラム圏の反逆で、歴史の必然として起きた出来事ではないか」(毎日新聞からの引用)と述べたことについて、テロを正当化するものではないかという指摘がされているそうです。
 ここで引用した毎日新聞のサイトでは「同時テロの犠牲者への配慮を欠くとの批判を浴びそうだ」という書き方もされていました。

 内田樹先生は9月11日、このようにツイートしています。

 僕が知る限り、日本のジャーナリストは「ワルモノ」ではありません。主観的には善意で、日本を正しい方向に導こうとしている人たちです。自分の善良さを信じているからこそ自分の攻撃性を抑制できないのです。
 だから、メディアを批判するひとたちがまた「自分の善良さを信じて、攻撃性を抑制できない」語法を採用するなら、結果的には合わせ鏡のように「同じタイプの言説」が社会を埋め尽くすことになる。

 これは鉢呂前経産大臣の辞任を巡るマスコミの動きについてのツイートですが、いいタイミングで発言されていますね。私も反省しなければなりません。そのうえで、石原幹事長の発言を検討してみたいと思います。

 革命家とテロリスト、またレジスタンスとテロは物事をどちらの角度から見るのかという違いにすぎません。権力の側からすれば、自分たち秩序に反抗する者はすべてテロリストになりますが、政権が覆ったときにはテロリストは革命家あるいは解放者と呼ばれることになるのです。ですから、リビアの反政府軍もカダフィ大佐からみたときにはテロリスト集団ということになります。
 別ないい方をすると、既存の秩序に挑戦しようとする者はすべてテロリストであるということになります。私たちのように、現在の国際秩序を好ましいものと考える人間にとってアルカイダはテロリスト集団ですが、現在の国際秩序を欧米による押しつけと反撥する人たちにとってアルカイダは開放戦士の集団として映っているはずです。

 こういう書き方をすると9.11でアルカイダは何の関係もない民間人を多数殺害したではないか、その中には日本人も含まれているのだと反論されそうです。
 しかし、民間人を殺害するのは正規軍による戦争も同様です。イラク戦争では「誤爆」によって大勢の民間人が殺害されました。さらに、ベトナム戦争や先の大戦での東京大空襲では意図的に民間人に対する攻撃が行われました。これらの大量殺戮の実行者はいずれもアメリカ軍です。
 民間人を殺害したアルカイダが悪であるとするならば、アメリカ軍も悪の軍隊ということになるはずです。ゆえに、テロを許してはならないというのであれば、戦争の犯罪性をも追求しなければならないということになります。

 このように考えていくと、武力紛争が起こった場合、どちらが正しいか詮索してもあまり意味がないという結論に達します。どちらの側も自分こそが正義であると信じています。どちらの正義が正しいかは、結局のところ力の強い方が相手を屈服させることによって決着がつけられてきました。すなわち「勝てば官軍」なのです。

 石原幹事長の発言は、テロを正当化するものというよりは、テロと戦争を等質のものとして考える機会を与えてくれたように、私には思えます。テロを正当化するという指摘は的外れですし、同時テロの犠牲者への配慮を欠くという指摘に至っては、著しくバランスを欠いていると申し上げないわけにはいきません。
 昨日は9.11の10周年の慰霊祭が行われ、その模様はNHKでも報道していました、9.11の同時多発テロの犠牲者の合計は2,973人とされています。そこでお尋ねしたいのですが、イラク戦争で犠牲になった民間人は何人いるのでしょうか? 戦争を仕掛けた側(米軍兵士)の犠牲者はきちんと数られていますが、イラク国民の犠牲者に対する統計はないようです。
 テロを憎み、犠牲者に配慮するという気持ちは立派であると思います。しかし、戦闘行為による犠牲者はアメリカ人や日本人のように自由主義陣営の国民だけではないという事実にも目を向けた方がよいと思います。
by T_am | 2011-09-12 21:31 | その他
 9月10日の朝刊は、同日夜に辞任した鉢呂吉雄前経済産業大臣による「死の町」発言と「放射能をつけちゃうぞ」という発言が⒈面に掲載されていました。どういう文脈で発言したのかわからないので、この人の真意がイマイチわかりませんが、⒈面トップに掲載するような発言だったのか疑問に思います。むしろ、単に、表現力の拙さと幼稚な冗談に過ぎなかったのではないかという気がしています。

 それよりも呆れたのは、この人の「放射能つけちゃうぞ」発言の背景として、9日に福島原発を視察した際に着ていた防護服を着たまま東京に戻ってきて、その格好で記者会見に臨んだということです。
 防護服といっていますが、要するに雨合羽のようなものですから、放射線の外部被曝を防ぐことはできません。それでは何のために着用するのかというと、これを着用しないと衣服に放射性物質が付着する恐れがあり、それを持ち帰ってしまうことが懸念されるからです。
 原発事故により避難している人たちが、警戒区域内に立ち入るときには防護服を着込まなければなりません。警戒区域から戻って来たときには当然防護服を脱ぐことになります。
 これは国の指示によるものですから、総理大臣といえども警戒区域内に入るときには同じように防護服を着なければなりません。当然外へ出るときには防護服を脱ぐことになります。(伝染病の隔離病棟に入った医師や看護師が中から出てくるときに厳重に殺菌を行うのと理屈は同じです。鉢呂前大臣がやったことは、隔離病棟から出てきた医師が、最近やウィルスが付着しているかもしれない服を着たままで人前に現れるようなものです。まともな神経を持った医療従事者であれば絶対にそんなことをしないのはいうまでもありません。)
 鉢呂氏がそれを怠って、防護服を着たまま東京まで帰ってきたというのは、今回の視察がパフォーマンスを目的としていたからでしょう。福島原発から放出される放射性物質も減ってきているし、たいしたことはないと思っていたのでしょう。あんな着心地の悪いものを着たまま東京まで戻ってきて、そのまま記者会見に臨んだというのは、福島原発に行ってきたばかりという生々しさを強調したかったのではないかと推測されます。(あんた、いったい何のために仕事をしてるのさ?)
 パフォーマンス目的の視察の挙げ句、「死の町」だとか「放射能つけちゃうぞ」という発言をしたわけですから、福島の避難者や原発の作業員が怒るのも当然だといえます。

 この人の辞任はやむを得ないと私も思いますが、その理由はここに述べたように、自分の職務の遂行よりもパフォーマンスを優先する目的で視察をするような人間性の持ち主だと思うからです。そういう人物は有害無益であって、速やかにご退場いただいた方がよいと思います。だから、この人の発言が不適当で、避難者や原発の作業員の心を傷つけたからではありません。

 しかし、マスコミはそういう考え方はしないようです。各社ともこの人の発言を⒈面にでかでかと掲載し、続いてその発言に対するいろいろな人の反応(といっても非難する声ばかり)を集めて報道していました。いい方を変えれば、マスコミは火をつけて、さらに大火事になるように煽った結果、大臣が辞任するという事態になったわけです。
 どうやらマスコミは事件を欲する(その方が新聞は売れるし視聴率も上がるから)あまり、事件を仕立てるということをやっているように思います。
 問題発言をした閣僚が不適切だと思うのであれば、堂々と論陣を張って世論に問うのが筋だと思います。しかし、マスコミのやり方は、問題発言に対する市井の人の声を集めて紙面に掲載するという「情報操作」が欠かせなくなっています。おそらく明日の朝刊に鉢呂前大臣の発言を糺す社説が掲載される予定だったと思いますが、今回はそこまで行く前に本人が辞めてしまいました。(使命感の強い人であれば、自分の職務を全うすることを優先して考えるので、簡単に辞任することありません。もともとたいした使命感も責任感もないからこそ簡単に辞任することになるのです。)

 今回の騒動で感じたことは、この国のマスコミというのは怖い存在だということです。マスコミがその気になれば、誰でも簡単に悪者に仕立て上げることができるのですから。
 中世に行われた魔女狩りが、形を変えて現代でも行われているようです。そこではマスコミは告発者であり検察官でもあります。
 これまで、テレビ局は「やらせ」、新聞社は「誤報」を繰り返してきました。その背景にあるのは、事件をセンセーショナルなものにするためであれば、なんだってやりかねないという体質です。したがって、マスコミから「魔女」にされた人は、多勢に無勢で、とうてい太刀打ちできるはずがありません。
 悪い時代になりつつあるといえます。
 
by T_am | 2011-09-11 00:41 | その他
 前回のブログで、細野豪志原発事故担当大臣の「痛みを分かち合う」という発言が無責任であると申し上げました。その理由を明記していなかったのでここに書いておきます。

 あまりいい例えではありませんが、糞尿を満載したバキュームカーが事故を起こして民家に突っ込んでしまったと思ってください。事故の衝撃が大きかったのでバキュームカーのタンクが壊れてしまい、糞尿はこの民家だけでなく隣近所の敷地内にもまき散らされてしまいました。
 通常であれば、誰が糞尿の始末をして後片付けをするのかといえば、糞尿をバキュームカーで運んでいる会社がその責任を負うことになります。ところが、その会社の事故処理担当役員が、「糞尿被害の痛みを分かち合うために各家庭で糞尿の処理をすべきです」と発言したら、あなたどう思いますか?

 いい例えではないので恐縮ですが、バキュームカーは東電、会社は日本国となります。したがって、ここでいう事故処理担当役員というのは細野大臣のことを指していることがおわかりいただけるものと思います。

 ひどい話しだと思いませんか?
by T_am | 2011-09-08 23:35 | その他
 9月4日のNHKニュースで細野豪志原発事故担当大臣(長いので、以下「細野原発相」と書きます)の発言が紹介されていました。
 要約すると、放射性廃棄物(除染によって発生した大量の土壌を含む)を一時的に管理する中間貯蔵施設を福島県に設置しなければならないが、それを最終処分場にしないようにどういうやり方があるかを検討したいというものです。
 (福島県以外に設ける予定の)最終処分場へ放射性廃棄物を運ぶためには、減量化と放射線のレベルを下げることが必要なので、それぞれどういうやり方・技術があるかを考えなければならないのだそうです。
 せっかくのお言葉ですが、よくいえば気休め、悪くいえばごまかしであるとしか私には思えません。さらにこの人は、福島県以外で見つかっている放射能に汚染されている汚泥は各自治体で貯蔵するということになっていることについて、福島の痛みを全国で分かち合うべきだとも発言していますが、こういう情緒に訴えるようないい方は問題をすり替えるだけであり、担当大臣としての責任感のなさを感じます。

 放射能に汚染された廃棄物を減量化するには、放射性物質を分離する以外にありません。たとえば、廃棄物に付着した放射性物質を水で洗い流し、その汚染水に含まれる放射性物質を吸着するというものです。これを行う施設の規模と必要資金は膨大なものになる(それだけ巨大な利権に結びつく)ことが予想されますが、そうしない限りせっかく除染しても汚染された廃棄物をいつまでも同じ場所に仮置きしなければならないことになります。
 
 今後しなければならないことは、放射能に汚染された物質(除染によって発生した土壌や放射性物質を含んだ汚泥も含む)から放射性物質を分離するための処分場をつくることであって、「中間貯蔵」施設を設けることではありません。さらにいえば、「最終処分」というのは、そうやって分離された放射性物質を、それが無害になるまで貯蔵しておくことをいいます。放射性物質が無害になるまでに要する時間というのは、一応の目安としてその物質の半減期のおよそ10倍の期間を想定しなければなりません。(半減期のおよそ7倍の期間で放射能は100分の1になり、10倍で1000分の1になるからです。)放射性セシウムの半減期はおよそ30年ですから、300年間は貯蔵しておく必要があるわけです。
 その間、保存容器から漏れ出すことがあってはなりませんし、万一漏れ出したとしても環境を汚染することは許されません。そういう施設が日本に存在するかというと、まだないというのが実情です。
 事故が起こらなくとも原発を動かし続ける限り放射能のゴミは発生します。ところが、そのゴミの処分場がないまま原発を稼働させているというのが日本の姿です。

 細野豪志氏は原発事故担当大臣であり同時に環境大臣でもあるのですから、放射能のゴミをどうやって処分するのかについて一元的に管轄する立場にあるといえます。歴代の政権の中で今まで誰も取り組んで来なかったこの問題に取り組んでいただきたいと思うのですが、「痛みを分かち合うべきだ」などと頓珍漢で無責任な発言をしているくらいですから、あまり期待しない方がいいのかもしれません。(担当大臣として責任感がある人ならば「これ以上痛みを増やさない、広げない」という考え方をするのが普通だと私は思います。)

付記
 「放射能のレベルを下げる」とはどういうことなのか、私には理解できません。除染という作業は「放射性物質を移動させる」というだけのことであり、放射能のレベルを下げることではありません。これは放射能に汚染された水の浄化についても同じです。
 放射性物質は原子核が崩壊して安定した元素に変わることによって初めて放射能が消滅します。したがってある程度の時間が経過しないと放射能のレベルは低下しない(半減期が経過すると半分になる)のです。細野大臣の発言は、人為的にこれを変化させることが可能であるかのように受け取れます。本当にそれが実現するのであればぜひやっていただきたいものだと思います。
by T_am | 2011-09-07 23:58 | その他
 小宮山洋子厚生労働大臣が9月5日の記者会見で、たばこ税について「毎年一定額上げていくべきだ。少なくとも700円台まではたどり着きたい」と述べたとのことです。さらに、「世界の平均は600円台。日本は価格が低い」と述べたうえで、「税収のためではなく、健康を守るためにやるべきだ」とも発言し、たばこ事業法が財務省所轄であることについて「(財源確保目的の法律ではなく)健康の法律として厚労省が持てるようになればいい」とも述べています。(引用は、毎日新聞のサイトから)

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110906k0000m040059000c.html

 小宮山洋子氏個人が禁煙を主張するのはいっこうに構いません。しかし、個人の主義主張(あるいは好き嫌いといってもいいかもしれません)を政治の場に持ち込むのはやめていただきたい。わが国の政治家は、権力を握ると自分の主義主張を他人に強制しようとするのはなぜなのでしょうね。

 小宮山厚労相の増税論の根拠のひとつが、「世界のたばこの価格は日本よりも高い」というものです。この発言をみると、小宮山氏のいう「世界」の中には中国を始めとするアジアの国々(日本よりもたばこの価格が安い)は入っていないことがわかります。もっとはっきりいうと、この人にとって「世界」というのはアメリカやヨーロッパのように高級な国で成り立っており、アジアやアフリカなどは度外視されているのです。
 ついでに申し上げると、そんなに外国の価格水準が適性であり、日本のそれが間違っているというのであれば、牛肉の価格をアメリカ並みにしてもらいたいと思います。
 アメリカには、見倣うべきよいところもあれば真似をしてはいけない悪いところもあります。これはヨーロッパの国々もいっしょです。そういうところに小宮山氏が気づいていないはずはないはないので、結局自分に都合のいいときだけ外国の事例を持ち出しているのであって、これは卑怯であると思います。そうではなく、小宮山氏が気づいていないとしたら、失礼ながら政治家としての適性を欠いていると思われますので、すみやかに引退された方が国家のため国民のためだと思います。

 「健康のため」たばこの増税が必要だという前に、食品に関する国の暫定規制値から「暫定」をとる努力をしたらどうなのでしょうか。あなたの大好きな「世界」のどこに、放射線に関する「暫定」規制値を設けている国があるというのですか?

 たばこは本人の自由意思で吸うか吸わないかを決めることができます。しかし、放射能に汚染された水や食料品はそうはいきません。放射線が測定されたけれども国が決めた暫定規制値以下だったので問題ないとして出荷した、というニュースを聞きます。個々の食材は暫定規制値以下であっても、それらを組み合わせた調理加工の過程で放射能が濃縮される心配もあるわけです。学校給食や食品メーカーの工場にそういう食材が紛れ込むと、その影響は計り知れないものがあります。

 チームワークというのは、その局面において自分は何をすべきであるかチームのメンバーが瞬時に判断できる能力を持っていることで成立するものです。小宮山厚労相が野田内閣の一員であるならば、自分が最優先で取り組まなければならない課題は何か、答えは自ずと明らかであるはずです。
 小宮山氏がたばこの増税に取組みたいのであれば、国民の大多数が「厚生労働大臣として小宮山洋子のいうことはもっともだ」と思うような実績をあげてからにしてはいかがかと思います。
 そういうことに自覚のない閣僚がいるということは、野田内閣も案外短命に終わるのではないかという気がします。
by T_am | 2011-09-05 22:45 | その他