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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 先週末にかけて開催されたフィギュアスケート全日本選手権の模様がフジテレビによって独占中継されていました。最終日の女子フリーは2時間半の特別枠でしたから、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

 浅田真央が復調していい演技を見せてくれたと思ったら、安藤美姫がそれを上回る演技で逆転優勝し、大会そのものは大いに盛り上がったのですが、番組としては決していいものではありませんでした。

 数年来のフィギュアスケート人気のおかげでジュニアのレベルが高くなってきていることが改めて確認できたのはよかったと思います。それだけに、余計なインタビュー、余計なシーンをはさむくらいならば、出場者全員の演技を放映してくれたほうがはるかによかったと残念でなりません。
 スポーツ中継の番組に芸能人を呼んで喋らせるのはいい加減やめたらどうかと思います。国分太一に悪意はないのですが、それよりも八木沼純子と荒川静香の両解説者にじっくりと解説してもらったほうがずっと面白いと思ったからです。
 今の技はこういうところが難しいとか、こういうところに注目してほしいとか、素人にはわからないことを誰にでもわかるように解説することで、スポーツ中継の面白さは断然違ったものになります。ひいてはフィギュアスケートのファンを増やす事にもつながるのですから、長い目で見ればみんながハッピーになれるのに、どうしてそういうことをしないのか不思議でなりません。
 思うに、「知名度の低い選手の演技を放映しても、浅田真央や安藤美姫に比べれば見劣りするのだから、視聴者は飽きるのではないか。せっかく2時間半という特別枠を組んで多くのスポンサーをつかまえたのに、チャンネルを変えられて視聴率が下がったのではスポンサーに申し訳が立たない。」ということなのでしょうね。これを企業の論理といい、企業は金を払ってくれる人のほうを向いて仕事をするという典型的な事例です。
 そういう姿勢がテレビをつまらないものにしていると思うのですが、放送局の皆さんの考えることは違うようです。
 それはそうと、長時間番組になるとコマーシャルが多くなるように感じるのですが、皆さんはそうは思いませんか?
by T_am | 2010-12-30 00:10 | その他
 12月26日の夜のニュースで、福島県西会津町の国道49号線でスリップした大型車が道を塞ぎ、後続の車がおよそ300台立ち往生しているという報道が行われました。27日の朝刊にはもう少し詳しい内容が載っていたのですが、25日に現場に居合わせた者として、これらのニュースが決して正確な情報を伝えていないという思いがあり、今回はそのことを書いておきます。

 ニュースによれば、大型車がスリップして国道を塞いだのは25日夜であるということですが、実際は違います。以下、私が知っている事実を書きます。

1.25日正午の時点で磐越自動車道は、大雪のため西会津ICから郡山東ICの区間で通行止めとなっていた。(通行止めとなったのは25日朝から))

2.このため、磐越自動車道を通って新潟から会津若松方面に向かう車はすべて西会津ICで降ろされた。(ただし、西会津ICの手前から渋滞が発生しており、午後1時に渋滞の最後尾についてからICを出たのは午後2時半だった。)

3.西会津ICを出た国道49号線では会津坂下方面に向かって既に渋滞が発生していた。

4.先へ進むことを諦め新潟に戻るため、私が西会津ICに入った午後3時の時点では、ICの料金所を出た車が国道49号線に出ることができずに、まったく動かない状態となっていた。

5.磐越自動車道は午後3時20分頃、津川ICと西会津ICの間も通行止めになった。


 このように、国道49号線の渋滞は25日の昼間から既に発生していました。高速道路を降りた車で通行量が増えればスリップする車も増えるのは当然です。時間の経過とともに渋滞がしだいに深刻なものとなっていったのです。
 立ち往生のきっかけは、たしかにスリップした大型車が道を塞いだことにありますが、300台もの車が立ち往生することになった原因は、磐越自動車道を通行止めにしておきながら、それ以上の対策をとらなかったことにあります。
 25日昼の時点で国道49号線の渋滞が発生していたのですから、高速道路の通行止め情報とともに49号線の渋滞情報も流していれば、この区間を走る車の量も減ったはずです。けれども、高速道路上では高速道路の情報しか手に入れることができません。並行して走る一般道の情報は高速道路を降りるまでわからないというのが実情です。そうである以上、高速道路を走っているドライバーはインターを出たところでさらに渋滞が待っているとは夢にも思いませんから、構わず走って行くというのが人間の心理です。

 今回の立ち往生を伝えたニュースでは、磐越自動車道の通行止めにふれたものはありませんでした。ですから、事情を知らない人は「なんで高速道路を通らなかったのだろう?」と不思議に思ったことでしょう。実際には、高速道路が通行止めになっていたので、高速を降りたら渋滞に巻き込まれたというのが真相です。
 ところが、新聞をよほど注意深く読まないとそういう事情はわかりません。というのは、今回の立ち往生は予測不可能の事態によるものだという論調でニュースが組み立てられているからであり、その原因はマスコミが当局の発表を鵜呑みにしてニュースをつくっているからです。
 国道を管理している国道交通省が今回の事件の責任を認めるはずがありません。これは高速道路を管理しているところも同様です。そのかわり、事件の真相がうやむやにされてしまいますから、適切な対策がとられないまま今後も同種の事件が起こることになります。それによって社会が被る損失の大きさを考えれば、同じような事件を起こさないようにするにはどうしたらよいか、それを考えるのが道路を管理する人の「責任」ではないかと思います。
 何かあるとすぐ個人の責任追及(犯人捜し)に偏るというのがマスコミと私たちの悪癖です。犯人が見つかるとそれで満足してしまい、同種の事件を防止するにはどうしたらいいかという事にまで考えが及ばなくなるという悪癖もあります。
 マスコミが第4の権力といわれ報道の自由が確保されているのは、真実を明らかにすることで社会的な議論を喚起することができると期待されているからであろうと思います。
 しかしながら、マスコミがその役割を果たさないのであれば、事実を知る者がそれを社会に伝えるということをしなければなりません。
 それゆえに、あえて申し上げます。今回の300台立ち往生というのは人災であると。
by T_am | 2010-12-27 22:19 | その他
 都議会で、東京都の淫行条例違反や社会規範に反する性交または性交類似行為をしている作品を規制の対象とする条例(もう少し正確にいうと東京都青少年健全育成条例の改正案)が12月15日可決されました。
 今年6月にも規制条例案が議会に提出されましたが、民主党などの反対により否決されたことにより、今回は「刑罰法規に触れる、または婚姻を禁止されている近親者間における性交」を描く漫画等に自主規制を求め、「著しく社会規範に反する性交または性交類似行為」を「不当に賛美し、誇張するように描写した表現物」を「不健全図書」として指定できるというものに改めました。
 「自主規制」というのは売場を区分して成人向けコーナーに置くということを意味します。また「不健全図書」として指定されれば、事実上一般書店やコンビニの店頭に置くことはできなくなります。

 この条例による自主規制は平成23年4月1日からであり、7月1日からは販売規制がスタートします。そうなると、たとえばボーイズ・ラブを描いたマンガが不健全図書に指定される可能性は否定できません。現在でもこれらの図書は一般書店の一角を占めているのですから、そうなった場合の影響は大きいといえます。(具体的には、「風と木の詩」や「日出処の天子」のような作品が不健全図書に指定されることを想像してみてください。一般書店では買えなくなるのですよ。)

 そういえば、源氏物語がマンガ化されたら東京都はどうするのでしょうか? 義母との密通を描いたシーンは「著しく社会規範に反する性交」そのものですから、条例の趣旨からいえば当然「不健全図書」に指定されなければなりません。だからといって、マンガ版源氏物語を不健全図書に指定すれば東京都は世界中の嗤いものになることは火を見るよりも明らかです。でも石原都知事のことですから、そのような批判に耳を貸すとは思えません。やはり不健全図書に指定することになるのでしょうね。

 性というのはあからさまに見せられると退屈なものです。誰もが最初は好奇心をそそられますが、やがて飽きてしまいます。にもかかわらず、性を扱う作品(小説、マンガ、写真、映像など)が後を絶たないのは、この市場に次々と新しい顧客が参入し、やがて去っていくからです。
 このように、新しい需要と新しい供給が次々と生まれる中で、すぐ忘れ去られる作品もあれば、時代を超えて生き残る作品もあります。今回の東京都の条例によって、時代を超えて生き残るような作品が今後生まれなくなる可能性がで生じたといえるでしょう。これは焚書坑儒に匹敵する文化的犯罪であるといっても過言ではありません。

 ついでに申し上げておくと、後世に残るような作品をリアルタイムで読むことができるというのは、読者にとって無上の喜びであるといえるのです。
by T_am | 2010-12-23 00:31 | その他
 政府税調が、地球温暖化対策を促すために石油や石炭などに課税する環境税を来年10月から段階的に導入する方針を決めたとのことです。企業がこれを負担するはずがありませんから、消費者が負担することになります。
 「段階的に導入」というのは、一気に負担させるのではなく、3年半かけて税率を段階的に引き上げるのだということです。
 地球温暖化対策を促すといっても、各国の思惑と利害が対立する中で、人類は未だに有効な枠組みを構築することができていないのが実情です。それよりも、今までに行われてきた対策によってどれだけ効果をあげてきたのかが発表されたという話はいっこうに聞きません。おかしいと思いませんか?

 仮に、「日本人が省エネに積極的に取り組んだことにより、昨年一年間のCO2濃度の上昇率が前年比で1%減ったことが明らかになった」という報道が行われたとします。あなたならこれをどのように解釈しますか?

 「日本人があれだけ努力しているにもかかわらず、世界全体ではあいかわらずCO2濃度は上昇を続けているのはけしからん。」と思うのが普通の感覚でしょう。中には「われわれが努力しても結局はCO2濃度は上昇していくのだから、無駄な努力はもうやめよう」と思う人もいるかもしれません。
 私は猜疑心が強いせいか、CO2濃度が上昇したことで自然災害による被害額がどれだけ増大したのか知りたいと考えてしまいます。
 しかし、現実には、氷河が何メートル後退したとか、北極海の氷が溶けたとかいう断片的な現象しか報道されていません。地球の姿というのは地球ができて以来常に変わり続けているのですから、現在起きている現象も一時的なものであり、未来永劫その状態が続くとは考えられません。

 「縄文海進」という言葉があります。これは、縄文時代の日本では、地球の平均気温が今よりも1~2℃ 高かったために、海水面が今よりも3~5メートル高かったために、それだけ海岸線が内陸部まで入り込んでいたという現象を指します。同じようなことが現代に起これば一大事だと心配する気持ちもわからないわけではありませんが、縄文海進の頃、縄文人の人口は増え続けていたということにも目を向ける必要があると思います。というのは、温暖化によって、それだけ食糧が豊富にあったからです。
 ところが、縄文時代の中頃、地球が寒冷化に向かうと海岸線は後退しましたが、食糧が乏しくなり、人口の伸びは停滞してしまったのです。
 このことは生物にとっては、温暖化した地球の方が寒冷化した地球よりも棲みやすいということを意味します。けれども環境省もマスコミもそのようなことは教えてくれません。
 地球温暖化が進行すると何か恐ろしいことが起こるかのようにいわれ、それを鵜呑みにするということを私たちは行って来ました。これは地球温暖化に限ったことではありません。
 狂牛病の問題が起こったときは、牛肉の需要が止まり、替わりに豚や鳥の需要が急増しました。その結果何が起きたかというと、急増する需要に対応するために輸入した鶏肉の偽装表示(ブラジル産の鶏肉に対し国産であると表示すること)が行われ、社会問題化しました。(この部分は、井上ひさしさんの著書「あてになる国のつくりかた」光文社 に収録されている山下惣一さんの講演からの受け売りです。詳しく知りたい方はこの本をお読みください。)
 鳥も豚も生きものですから、育つまでに時間がかかる(ブロイラーで約2ヶ月、豚で半年)のですから、需要が急激に増えても供給量をすぐに増やすことはできません。まず飼育施設を増やし、それからやっと飼育する鳥や豚の数量を増やすことができるのです。しかも将来需要が元に戻ってしまえば、それらは過剰設備となるだけでなく、生産過剰となった鶏肉や豚肉は値崩れすることはわかりきったことです。すなわち、工業製品と違って農産物というのはおいそれとは増産できないのです。
 しかし、消費者はそのことを知らないので、自分たちが欲しいと思うときに欲しいだけの肉が提供されるのが当然であると思っています。そこで、産地の偽装表示をするのは不届きであると怒るわけです。

 「1円でも安い買い物をするために主婦は苦労しているのよ。」というのは家人が時々口にすることばです(本音は、「それに比べてあなたは無駄遣いばかりして!」といいたいのです)。おそらくどこの家庭でも似たり寄ったりだと思うのですが、1円でも安い食料品をという思いは外国からの食糧の輸入を促すことになります。それによって、たしかに野菜や肉は安くなるのですが、それらの食糧の安全性が保証されているとは限りません。日本で禁止されている農薬が使われているかもしれないという可能性もあれば、食肉であれば抗生物質が残留しているかもしれないという危険性も伴うことは案外知られていません。
 私たちの祖父母の世代までは、真面目に生きてさえいればきちんと家庭を持って安心して子どもを育てることができましたが、現代は違います。卒業しても就職できるかどうかわからないという時代ですし、無知であればそこにつけ込まれて財産を奪われかねないという時代になってしまいました。

 このたびの環境税というのも、私たちの無知につけ込む税金であるといえます。2400億円もの税金が何に使われるのかはっきりしていませんし、それがどれだけ効果をあげるのか検証する術も整っていません。こうして日本に暮らすことで個人や企業が負担しなければならないコストが増えていくのであり、その結果が産業の空洞化や正規雇用の圧縮という現象に現れています。
 これは政治家や官僚に責任があるのですが、はっきりとNoといわない私たちにも責任の一端があるといえます。自分や自分の子どもの身を守るには、政府のいうことを鵜呑みにせずにきちんと自分で知識を身につけるということが必要な時代になっているということなのです。
by T_am | 2010-12-16 00:13 | その他
 ここ一週間ばかり風邪気味の状態が続いています。寒気がする。喉が痛い。いずれも極軽い症状であり、熱も上がらなければ咳も出ないというものなので、身体が温まるものを食べて、風邪薬を呑んで早めに寝るということを続けています。以前であれば、一晩で治ったのですが、なかなか治りません。これも歳をとったということなのでしょうか。
 おかげで、病気になるとはどういうことなのかが少しわかったような気がします。

 人間の身体は絶えず病気の元となる細菌やウィルス、微生物の攻撃に晒されています。それを防いでいるのは私たちが持っている免疫などの防御機能のおかげであり、防御機能の方が優勢であれば病気になることはありません。
 ところが、何かのきっかけで防御機能の方が相対的に劣勢になると、病気が発症することになります。
 したがって、病気になりたくなければ、防御機能を援護することを意識して毎日を過ごすに超したことはありません。すなわち、深酒や夜更かしはしない。その日の疲れは翌日に残さない。きちんと栄養のバランスの取れた食事をする。等々・・・
 
 脳には、ゆっくりと進行する身体の変化を感じ取る能力は低いといえます。たとえば、歳をとって若い頃のようには身体が動かなくなっているにもかかわらず、脳だけはあいかわらず若い頃のように身体を動かそうとします。そうなると、脳の命令に身体がついていけないことになりますから、転んだり途中で息が切れたりするわけです。
 フィギュアスケートの浅田真央選手がこのところ不調に喘いでいますが、その原因は浅田選手の身体が少女から大人に変わりつつあり、脳と身体の同期にずれが生じているのではないかと思うのです。(同じ不調は安藤美姫選手も経験しました。)

 人間の身体の防御機能は常に一定の水準を保っているというわけではありません。その時の体調によっても変化しますし、年齢を重ねるにつれ少しずつ衰えていきます。しかし、脳はそのことに気づかないので、今までと同じ生活スタイルを維持しようとします。それが続くと身体に疲労が少しずつ蓄積されていき、防御機能を低下させることになります。そうして、細菌やウィルスの攻撃力が防御機能を凌駕するようになったときに病気に罹るわけです。
 ここではっきりしていることは、どのように健康に留意していたとしても、人間はいつか死ぬということです。異なるのは、病気で死ぬか、事故で死ぬか、あるいは老衰で死ぬかという死因の違いしかありません。

 それでも、生き延びる可能性があるのであればそれを追求するというのは決して悪いことではないと思っています。

 私たちは、もしかすると、病院というのは病気を治してくれるところであると思っているのかもしれません。たしかに、医者や薬の力を借りなければ助かるものも助からないという病気はいくらでもあります。しかし、よく考えてみると、外科的手術というのは患部を取り除くということであり、薬を服用するというのは病気の元となっているウィルスや細菌、微生物を弱らせるか、あるいは衰えてしまった身体の調節機能を補完する(血糖値や血圧を下げるなど)ことが目的です。それ以上のことはできません。あとは自分自身で治していくしかないのです。
 
 そうすると、病気にかからないようにするのが一番ですが、万一病気に罹ったときは早期発見早期治療というのが重要となります。
 なんだか身体の調子が思わしくなく、何らかの症状が現れているときは迷わずに病院へ行って検査をしてもらった方がいいと思います(検査というのは病気に罹っているかどうかを判断するために行うものであり、病気が見つかった場合、治療を行うということが前提となっています)。現代の医学では、ほとんどの病気は適切なタイミングで適切な治療を行えば治るといっていいのですから、仕事が忙しいとか、私がいないと家族に迷惑をかけるという逡巡はそれだけ時間を失うことにつながります。その間に病気は進行していくのですから。
 検査の結果、病気に罹っていることが明らかになった場合は治療に専念すると割り切るべきでしょう。入院というのは世間から強制的に隔離することで治療に専念してもらおうという手段です。仮に、入院するほどではないと診断されても、病気であることに違いはないのですから、そのことを意識した生活をすることが重要です。
 ところが、そのことを忘れて健康だった頃と同じような生活スタイルを続ける人が多いのですね。結局、病気が進行し、喪わなくてもいい命を喪うことになるのです。

 日本の平均寿命が世界一であるといわれて久しいのですが、最近亡くなる人の年齢をみていると、まだ若いのに、と思う人がけっこういるのも事実です。
 病気治療に専念するということは、それを最優先で行動するということです。治療中でもダイエットを続ける人がいるとは思われませんが、病室に仕事を持ち込むビジネスマンはけっこういるようです。しかし、戦力を一点に集中させ決して分散させないというのは戦争だけでなくビジネス一般にも通用する原則です。治療中、中途半端に家事や仕事をするくらいなら、早く治して復帰する方がよほどマシだと思いませんか?
by T_am | 2010-12-12 09:52 | 科学もどき
 12月7日、ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アサンジ氏がロンドンで警察に出頭したところを逮捕されました。その前に、イギリスの警察がスウェーデン当局に詳細情報を求めたという情報があったことから、同氏がイギリスに潜伏しているのではないかという見方もありました。
 ウィキリークスに関しては、スイスの郵政公社も寄付金の振込先となっていた口座を閉鎖しており、ウィキリークスを潰そうとする動きは国際的になっています。

 今回の逮捕は、一連の騒動の終わりではなく、ウィキリークスのような存在を国際社会は徹頭徹尾拒否するのか、それとも何らかのポジションを見いだすのか、そのための議論のきっかけになることを望みます。
 アサンジ氏が警察に出頭したというのも、強姦事件の容疑者というレッテルを貼られたまま潜伏先で逮捕されるという事態に陥るよりも、自分の容疑が冤罪であることをアピールする意図があったものと思われます。

 今回、ウィキリークスに掲載された情報を自社の誌面やニュース番組で紹介したマス・メディアは同氏に対する今後の扱いを報道する責任があります。中には、アサンジ氏が強姦容疑で逮捕されたとして、それで一件落着というマスコミもあるでしょうが、私は読者として、どのマスコミがどのような報道姿勢をとるのかを観察してみたいと思っています。

 昨年起きたクライメートゲート事件をまともに報道した日本のマスコミは1社もありませんでした。というのは、せっかく国を挙げて取り組もうとしている地球温暖化対策ビジネス(マスコミも大きく肩入れしている)に水を差すことになるからです。実態のないものに対し新たに設けた税金や資金を投入するというのは、巨視的にみれば金をどぶに捨てるようなものです。投入された資金によって再生産が行われるというわけではないのですから、経済に寄与するところは何一つありません。
 本来国家権力を監視するために存在しているマスコミがそのような体たらくですから、ウィキリークスのような存在は今後も登場してくるものと思われます。
 本当のことを知りたいと思うのは人間の持つ欲求である以上、それを満たそうという行動は根絶やしにすることができないからです。
by T_am | 2010-12-08 00:32 | その他
 今回もウィキリークスのことについて書いてみます。といっても、今回取り上げるのは主に日本のマスコミです。

 日本政府のウィキリークスへの対応は、コメントもしないし調査もしないというものです。つまり、無視するといっているわけであり、本心からそう思っているのであれば、貴重な情報を前にしてずいぶんもったいない話だと思います。忌憚のないことをいえば、怖いものは見たくないとばかりに、座り込んで目をつぶり耳を塞いでいるこどものような態度だといってもよいでしょう。さらには、そういう機密情報を「暴露」する方が悪いと非難しているのですから、こういう現実感覚のない人たちが日本を率いていていいのか、とも思ってしまいます。もっとも、そのことは尖閣諸島沖での中国漁船の衝突の模様を記録した海保のビデオを非公開と決めたことでわかっていたことなのですが・・・

 マスコミも尖閣ビデオの映像がネット上に流出したときには、犯人捜しというムードを煽ることに熱心でした。さらには、レアアースの中国の輸出がストップしているという「事実」を時折報道したこともあって、事件の本質がうやむやになってしまった感があります。

 今回のウィキリークスの「暴露」事件でも日本のマスコミの報道姿勢は尖閣ビデオのときとよく似ているといえます。ネットで公開された情報の中身をきちんと伝えるわけでなく、伝えられるのは品のないゴシップ的なものばかりですから、ウィキリークスに掲載されている情報というのはそういうものばかりだというイメージを植え付けようとしているのではないかと疑ってしまいます。
 ウィキリークスに掲載されている文書をきちんと検証して、これは日本にとっても重要だと思えば積極的に取り上げてもいいのではないかと思うのですが、そういう動きは今のところ見当たりません。
 どうやら日本におけるマスコミの判断基準というのは、ニュースとして取り上げるのは自社にとって価値のある情報かどうかということであって、国民にとって価値のある情報かどうかということはまったく考慮されないのだと考えて差し支えないようです。

 一連の報道の中で注目すべき点は、ウィキリークスが掲載している情報(その中には各国もメディアが事前に情報提供されて、独自の調査と判断に基づいて掲載したものも含まれています)について報道されているものは極めてわずかであるということ。および、内部告発者から提供された情報をネット上に公開するというウィキリークスの仕組みについての論評が一切ないこと。この2つです。
 その代わり伝えられるのは、ウィキリークスの創設者はどんな人間であるか(現在はICPOによって強姦容疑で国際手配されている)というものであるか、または、ウィキリークスがサイバー攻撃にあっているというものであったり、アメリカ政府が対応に追われているという内容のものばかりです。
 これらを要約すると、日本のマスコミはウィキリークスの事件をゴシップ記事で埋め尽くそうとしている、ということになります。まさに、「出る杭は打たれる」という諺の実物見本を示されているようで、いささか情けない思いを感じています。

 片方には、正義感に燃えた内部告発者が存在し、もう片方には国民が存在しています。その間を仲介するのがウィキリークスであって、その点ではマスコミが果たす役割と何ら変わりはありません。にもかかわらず、日本のマスコミがウィキリークスに冷淡なのは、異母弟に辛くあたる長男を見ているようです。もっとも長男にすれば、やたら行動力があってしかも目立つ異母亭を苦々しく思えるのかもしれません。だからどうでもいいことで異母弟の悪口を言いふらすのではないかと思うのです。

 そういえば外務省機密漏洩事件(1972年)のときも、いつの間にか機密情報を入手した手段の非倫理性ばかりが論じられるようになり、肝心の密約そのものは忘れ去られてしまっていました。(どんな事件だったのか知りたい人はWikipediaを参照してください。すぐ見つけられます。)40年も前の事件ですが、それ以降マスコミは何一つ進歩していないということがわかります。

 その情報は国民にとって価値のあるものなのかという視点がぶれなければ、このような本末転倒の状況はおこらないはずです。にもかかわらず、40年前と同じ(性的スキャンダルに矮小化しようとするところも同じ)ように、事の本質を無視した扱いがされているのは、マスコミの報道基準がずれているからだという結論に達するのです。


付記
 外務省機密漏洩事件のときも、情報の流出源がどこかという犯人捜しが政府内で徹底的に行われました。尖閣ビデオの流出事件でもそうでしたが、変わっていないのは政治家も同じであるといってよいでしょう。
by T_am | 2010-12-04 00:31 | その他
 ここ数日、アメリカの外交文書が内部告発によりウィキリークスで暴露されたことが大きな波紋を広げています。クリントン国務長官がウィキリークスを非難したのに続き、前原外相も30日の記者会見で前原外相が「言語道断だ。勝手に他人の情報を盗み取って、勝手に公開する犯罪行為だ。」と強い口調でウィキリークスを非難しました。
 さらに、今日になって菅総理も「こういう形で情報が不当に、場合によっては違法に流出するのは大変問題だ」と述べており、各国の首脳も同じように苦々しく思っているのは間違いないようです。
 マスメディアが報道する「暴露文書の中身」は、それほど大騒ぎするほどのことなのだろうか? という気がします。アメリカ軍の機密文書の暴露ならばともかく、外交文書といっても多くは外交官の主観が書かれたものであり、それらは、こんなことでいちいち目くじらを立ててどうするのだと思うものばかりです。
 外交というのは、対立する利害をいかに調節するかという交渉なのですから、交渉の当事者たちがその相手方に対して様々な感想を持つのはしかたのないことだといえます。たしかに、自分がどのように思われているかを知らせるのは不愉快なことであるのは認めますが、そんなことをいちいち気にしてたら交渉などできません。すなわち、これらの文書は公開することは憚られる類の情報にすぎないのであって、国家機密とするほどのものではないと判断して差し支えないと思います。

 自分たちがやっていることがひょっとしたら暴露されることになるかもしれない、という意識を政府関係者に抱かせることができるのであれば、ウィキリークスのような存在もアリだと思います。本来であれば、権力を監視するのはマスコミの役割なのですが、どうもそういう自覚が薄れてきているように感じてなりません。
 ですから、ウィキリークスを潰そうとする人たちは、ウィキリークスのようなものが存在すると都合が悪いと考える人たちであるとみなしてよいと思います。
 ICPOがウィキリークスの創設者であるジュリアン・アサーンジ氏を強姦容疑で国際指名手配しました。スウェーデンの検察が逮捕状をとったことにICPOが協力したのだそうですが、これもなんだか恣意的なものを感じてしまいます。

 ウィキリークスという仕組みは、権力の側にいる者にとってプレッシャーを与えることになります。そのことが民主主義を健全なものにし、公益を担保することに結びつくと考えてよいと思います。
 あとは、そこで提供される情報の質がものをいうことになります。25万点の外交文書というのはまさに玉石混淆といえるでしょうし、掲載される情報に無意味なものが多ければウィキリークスそのものが軽く見られることになってしまいます。そうなると、掲載する情報を選別するという作業が行われるようになり、誰がどのような基準で選別するのかが焦点となります。

 ウィキリークスという仕組みがマスコミとは別の権力監視装置になるのか、それとも自滅していくのかは、今の段階では予想もつきません。わかっているのは、これを潰そうという動きがあるということです。日本のマスコミがウィキリークスに対してどのような態度をとるのかは今のところ不明ですが、たぶん、本音の部分では苦々しく思っているような気がします。そうかといって無視することもできないので距離を置こうとするのではないかという気がします。
by T_am | 2010-12-01 22:01 | その他