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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 今回で3回目となった事業仕分けも今日が最終日となります。回を重ねるごとにしわけ人にと呼ばれる人たちの表情が険しくなってきているように感じるのは私だけでしょうか?

 事業仕分けは、その第1回から利権にしがみつこうとする悪の官僚組織とこれに切り込む正義の仕分け人という構図で捉えられていたように思います。仕分け人の容赦ない質問に対し官僚が答えに詰まるのを見て、観客が溜飲を下げるという図式はまるで水戸黄門のようです。

 それだけに事業仕分けのあり方がこれでいいのかな、という疑念も湧いてくるのです。

 限られた仕分け人たちが限られた時間の中で次々と判断していくというのは、なんだか乱暴なように私には思えます。仕分け人による合議制をとることで判断の誤りを回避しようとしているかのようにみえますが、議論にはその場の空気というものがあって、得てして結論が空気に流されるということもあるものです。
 なにがいいたいかというと、仕分け人が誤りを犯さないと何が担保しているのだろうか? という疑問を感じてならないということです。

 第1回の事業仕分けの際に、スーパーコンピュータの開発を巡る議論の中で、「2番目では駄目なんですか?」という発言があって、科学者たちから猛反発を受けたのは記憶に新しいことです。この出来事は、世の中には(仕分け人たちが得意とする)経済原理に基づく思考法になじまない問題も存在するということを気づかせてくれました。しかし、仕分け人たちがそのことを自覚して議論に臨んでいるかどうかはわかりません。むしろ、案外自覚していないのではないか、とも思えるのです。

 「内省のない正義はやがて暴走する」という命題があります。マンガや映画の中で、これまでヒーローとして様々なキャラクターが創造されてきました。(これは日本だけでなくアメリカでも同じです。)
 それらのキャラクターのうち、どれでもいいので思い出していただきたいのですが、どのヒーローも「自分が持っている力の使い方はこれでいいのだろうかという疑問に悩む」という設定がされています。というのは、自分の持つ力があまりにも強大であるがゆえに、力の使い方を誤れば大変な災厄を招いてしまうという事実に、どのヒーローも気づいてしまうからです。
 物語では、そういう設定をすることによって、ヒーローの人間像に深みを持たせることができるからそうしているわけです(逆に言えば、絶対的な正義というキャラクターは薄っぺらな感じがして、記憶に残らないといえます)が、このような疑問は案外的を射ているのではないかと思います。
 というのは、「ヒーローの持つ強大な力」を「国家権力」と言い換えても、この疑問は成り立つからです。
 そうなると、自分の力の行使は本当にこれで間違っていないのか? という疑問を持ち続けることのできる人間のみが強大な力を持つことを許されるということになります。しかし、これは物語の世界の話であって、現実にはそのような「できた人間」がそういるわけではありません。むしろ。そうでない人間の方がが権力を志向する傾向が強いといってもいいかもしれません。無自覚な権力者のもたらす弊害は歴史をみれば枚挙にいとまがないほどですから、これに懲りた人類は「選挙」という制度を発明しました。つまり、誰かに権力を託すにしてもそれは期限付きであって、期間が満了したときには、その人に権力を託したことが適切であったかどうか(つまり再度権力を託してもよいかどうか)を投票によって審判するというものです。

 事業仕分けも3回目となり、仕分け人のうちメインキャストは固定してきているようです。悪の官僚組織VS. 正義の仕分け人という構図はご本人たちも充分意識しているはずなので、それなりの成果をあげてくれるとは思いますが、テレビ中継されている議論の様子、特に仕分け人たちの顔つきを観ていると、なんだか暴走しそうな危うさが感じられてなりません。
 本来であれば、議論を2~3回に分けて、1回目は状況と問題点の提起を行い、メンバー以外からもいろいろな意見が出てくるのを見定めたうえで、2回目3回目の議論を行って結論を出すという手法の方が確実ではないかと思います。
 官僚にしても一発勝負で後がないというやり方は不本意でしょう。今まで自分たちがやってきたことが否定されることが最初から決まっている中で、仕分け人に対し説明をさせられるのですから、これはもう道化以外の何者でもありません。

 そういう議論の進め方でいいのでしょうか?

 民主党政権が誕生して既に1年以上が経とうとしています。「政治主導」を標榜するわりに、事業仕分けの場で説明するのは官僚ばかりというのも気になります。
 第1回の事業仕分けのときは、それまでの自民党政権下で行われてきたことの否定という意味合いがありましたから官僚に答弁させて問題はなかったのですが、今回は違います。
 大臣を初めとする政務三役が主導して省内の改革を進めていくというのが「政治主導」でしょう。ところが改革を担当するのは仕分け人なわけですから、各省庁の政務三役は今まで何をしていたのかということになると思いませんか?
 そういう意味で事業仕分けというのは身内の恥を炙り出しかねないところがあるのですが、終始官僚に答弁させることによってそのあたりは曖昧になっています。
 聞くところによれば、仕分け人になりたい民主党議員は大勢いるのだそうです。正義の味方として国民に強烈にアピールできるわけですから、次の選挙はかなり有利になると考えた議員がそれだけ大勢いるということなのでしょう。
 しかし、悪の官僚組織VS.正義の仕分け人という構図をいつまでも解消できないでいる(そうなる可能性は極めて高いと思います)と、今度は民主党政権の統治能力に疑問が突きつけられることになってしまいます。人気取りのつもりでやっていることが逆に不信感を招いてしまうというのは皮肉なものですね。
by T_am | 2010-10-31 00:20 | その他
 「日本のたばこの価格は諸外国に比べてまだ安いのだから、欧米並みに引き上げるべきだ」という小宮山厚生労働副大臣の発言を前回取り上げましたが、それがなぜ愚かななのかを充分にご説明していなかったと思います。お詫びして補足いたします。

 端的にいってしまえば、日本の企業が日本の国内向けにつくっている製品の価格を、外国の価格と比較したうえで、外国の価格水準に合わせる必要がどこにあるのか? ということです。日本の小売店で、店頭価格を決める際に、いちいち外国に調査員を派遣したうえで価格設定をしているところがあるでしょうか? 
 ちょっと考えれば、いかに馬鹿げているかがおわかりいただけると思います。しかし、その馬鹿げたことを真面目な顔をしていう人たちがいて、それが今回は小宮山副大臣だったということです。て

 国の経済を考えると、完全に企業に委ねるのではなく、政策的に価格を決定しなければならないものというのはあります。公共交通機関の料金がそうですし、ガソリンの価格もそうだといえます。でも、それだって外国の価格と比較したうえで決定するわけではありません。国内の事情だけを考慮して運賃を決めているはずです。

 外国の価格に追随する必要がどこにあるというのでしょうか?

 思うに、たばこ増税容認論者というのは、喫煙車には懲罰が必要だと考えているように思えます。健康に対する悪影響(これは医療費の増大につながります)や副流煙による周囲の人への迷惑と被害。それらはすべて喫煙車が引き起こしているのだから、ペナルティを喫煙者に負担させても構わないというものです。
 この考え方に同調する人が多いので、喫煙者としては肩身が狭いのですが、よく考えてみましょう。なんか変だと思いませんか?

 たばこが社会にとって本当に有害であるならば、製造を中止し国内での販売を禁止すればいいだけのことです。しかし、実際に国内でたばこを独占的に製造している日本たばこ産業(略称「JT」)は、日本国がその株式の大半を保有する企業です。つまり、社会にとって有害で迷惑なものを国が資金を出して製造させているわけです。これって矛盾していると思いませんか。

 例えていうならば、売春は社会にとって有害だといいながら公営の売春宿を設置するようなものであり、しかも、社会にとってめいわくだからという理由で「公定価格」を引き上げても構わないと主張しているわけです。
 まともな頭脳と良心の持ち主であれば、社会にとって有害かつ迷惑な存在であるとわかった時点で、なんとかしてそれを社会からなくそうと考えるはずです。そうは思いませんか?
 それがそうならないのは、「たばこの害というのは、放置しておいても社会に致命的なダメージを与える程のものではないけれども、私にとっては不愉快である。」と多くの人が思っているからにほかなりません。

 私が不愉快の思いをしている。ゆえに、その原因となっている人間に対して懲罰を加えても構わない。

 こういう論理をどこかで聞いたことがありませんか? そう、「いじめ」を正当化するのがこの論理です。
 小学生や中学生ならともかく、厚生労働副大臣という要職にある政治家が小学生や中学生並みの論理を公然と主張するのですから、民主党というのはよほど人材がいない政党なのだろうということを前回申し上げたわけです。(この政党に蔓延する幼児性については次回も取り上げたいと思います。)
by T_am | 2010-10-29 21:56 | その他
 26日の政府税調で、たばこ税についてはこの10月に実施した増税の影響を見極めるまで追加の値上げは困難であると判断したという報道がありました。さらに、厚生労働省の小宮山洋子副大臣が税調の場で「日本のたばこは諸外国に比べて安い」と主張して、1箱あたりの価格を欧米並みの600円程度に引き上げるよう主張したということもあわせて報道されていました。

 ニュースの文脈から察するに、小宮山副大臣がいう「諸外国」というのはアメリカとヨーロッパのことであることは明白です。つまり、この人にとってアジアやアフリカというのは「諸外国」ではないのですね。そして、日本のたばこは「諸外国」に比べてまだ安いのだから「諸外国」並に値段をあげるべきだという論理を展開しているわけです。

 小宮山副大臣がどういう人なのか、私は知りませんが、はっきり申し上げてこの程度の知能の持ち主でも副大臣に任命されている民主党政権というのはよほど人材がいないのだろうと推察します。

 欧米崇拝とアジア・アフリカ蔑視というのは日本人の多くが陥っている偏見ですが、明治時代ならいざ知らず、現代の日本の政治家がそういう偏見を持っていたのでは困ります。
 また、外国と比較して日本の方がおかしいというのであれば、その理由を示さなければなりません。国によって事情は異なるにもかかわらず、それを無視して単純に高い安いというのは乱暴な話です。どうしても比較したいのであれば、せめて牛肉をアメリカ並みに安くしてから主張していただきたいと思います。

 ちなみに、所得税の最低税率は日本が5%、アメリカで10%、イギリスが20%、ドイツが14%、フランスが5.5%となっています。(財務省のサイトのうち「個人所得の国際比較」に基づく)
 日本の税率がもっとも低いので、小宮山副大臣の論法でいけば、これも欧米並みに引き上げるべきだということになってしまいます。しかし、そんなことを主張すれば次の選挙で落選することは目に見えていますから、小宮山副大臣が口にするはずがありません。

 これらのことからいえるのは、小宮山副大臣という人は、自分が絶対安全な位置にいるときには好きなことを言うけれども、そうでない場合には口をつぐむタイプの人であるということです。

 こういう性格の人はあまり信用されませんし、また他人から尊敬されるということもありません。にもかかわらず、副大臣という要職に任命されているのですから、民主党というのはよほど人材がいない政党なのだなと思ってしまうのです。


付記
 小宮山副大臣のプロフィールをみたら、NHKの解説委員を務めていたとのことです。なるほど、それでこういう性格なんだ、と妙に納得してしまいました。
by T_am | 2010-10-27 23:26 | その他
 携帯電話ではあらかじめ搭載されている機能しか使うことができませんが、スマートフォンは違います。公開されているアプリケーション(無料のものもあれば有料のものもあります)を選択してインストールすれば、機能を拡張することができるので、自分流に機能をカスタマイズすることができるという自由度の高さがスマートフォンにはあります。

iPhoneのアプリで、Google Mobile というのがリリースされています。(携帯用の Google Mobile のサイトも用意されています。)Googleが提供するサービスへの窓口みたいなアプリですが、これに実装されている音声検索という機能が割と使えます。
今までは文字列を入力して検索していたのですが、Google Mobile の音声検索では検索したい言葉をiPhoneに向かってしゃべるだけでいいのです。

試みに、いくつか実験してみました。左側が喋った言葉、右側が音声を認識した結果です。

コウセイブッシツ        → 抗生物質
エーケービーフォーティーエイト → AKB48
 キホンゴウイ          → 基本合意
 コッカシュセキ         → 国家主席
ネンブツノテツ        → 念仏の鉄
 コップ テン          → コップ10
 ユビワモノガタリ       → 指輪物語
 フカダキョウコ        → 深田恭子
インノウスイシュ       → 陰嚢水腫

 Google Mobile の凄いところは、音声検索というだけあって、喋った言葉に基づくGoogle の検索結果がいきなり表示されるところにあります。特に、「念仏の鉄」や「陰嚢水腫」などのどうみても一般的でない言葉まで認識するのには驚かされました。

 いったいどうやって音声を認識しているのだろうと何度か試しているうちに、Google Mobile が音声を認識して正しい文字列に変換しているというよりも、Googleのデータベースに照会してもっとも近い用語を選び出すという機能を持ったアプリなのではないかと思うようになりました。

 以下は推測です。
 
1)Google Mobileは音声の波形をデータ化してGoogleのサーバーに送信しているのではないか?(あるいは音声を文字コード-たぶんひらがな-に変換している?)
2)Googleのサーバーでは、送られて来た波形データをそれぞれ対応する音に変換し、Googleのデータベースと照合したうえで、もっとも適していると思われるものをひとつ選び検索する。
3)検索した結果がiPhoneに送られて画面に表示される。

 というふうに思ったのは、同音異義語や知名度の低い固有名詞を認識させようとすると失敗することが多いからです。
 たとえば、Google Mobile に向かって「酒」と発音するときちんと「酒」の検索結果を表示してくれます。ところが、「鮭」と発音しても「酒」が検索されてしまうのです。また、「オノタロウ」と発音したときには「河野太郎」という検索結果が表示されました。ちなみに、自分の名前を発音してみたところ、二文字違いのグラビアアイドルの名前が検索されたのには笑ってしまいました。

 こうしてみると、Google Mobile の音声検索は誰もが知っているような著名人の名前や固有名詞(これらはGoogleのデータベースに登録されている)を検索するのには向いているけれども、データベースに登録されていそうもない言葉の検索には弱いということがわかります。もともと検索を目的としたアプリなのですから、軽快に動作してしかも誤認識が少ないというレベルを達成するには、音声を完璧に認識することにパワーを注ぎ込むよりも、もっとも似ている言葉を探すというアプローチの方がはるかに合理的であるといえます。
 こういう大胆な割り切りができるというところがこの会社の強みなのかもしれません。実際、キー入力しなくても音声だけで検索ができるというのはとても便利です。

 なお、初期設定は日本語で検索することになっているので、英単語であっても日本語読みした方が認識精度は高くなります。

 これだけの機能を備えていてしかも無料で使えるというのですから、悪口をいっては罰が当たるというものです。
by T_am | 2010-10-27 00:02 | Excel のあの手この手
 10月22日付産経新聞によれば、高木義昭文部科学大臣は22日の定例会見で朝鮮学校への高校授業料無償化の適用を判断する基準を11月に正式決定する方針を示したとのことです。この発表は、その前に、民主党として文部科学省の専門家会議で作成された基準案を了承したことを受けたものです。その基準案とは、専修学校(高等課程)の設置基準を参考に作成され、具体的な教育内容は問わないということなのだそうです。
 今後の予定としては、基準が正式決定されれば個別の審査に入ることになるわけであり、朝鮮学校も無償化の対象となる可能性が高いとのことです。

 高校授業無償化というと、普通高校や商業高校、工業高校など(学校教育法第1条に定めるいわゆる一条校)を思い浮かべますが、そのほかにも高校とおなじような教育を行う施設に各種学校があります。インターナショナルスクールがそうですし、朝鮮学校もそこに含まれます。ただし、各種学校の範囲は広く、自動車学校や予備校、洋裁学校、料理学校なども含まれます。一条校に比べてそれだけ自由裁量の幅が広いというふうに考えればよいということでしょう。

 ここで問題となっているのは、朝鮮学校が朝鮮労働党の支配下にあるという事実です。授業料無償化という名目で朝鮮学校に補助金を渡すということは結局朝鮮労働党に資金(それは日本人が収めた税金です)を提供することになるのではないかということなのです。
 
 この問題への対処について民主党のやったことはあまりにも杜撰かつ無責任です。そのひとつは、対応を文部科学省に丸投げしたこと。二番目は、無償化を実施する当初の目的から議論が逸脱しているのにそれを放置していることです。

 行政の現場が判断するときの根拠は法令による規定となるべきです。形式的とか杓子定規であると批判されがちですが、大岡裁きのような人情味の溢れる判断をしてくれる官僚はどちらかというと例外的存在ですから、自由裁量の余地はなるべく減らしていくという方がいいのです。
 今回の場合、文科省がとった方法は、外部の有識者にご意見を伺い、それに基づいて原案を作成するというものです。これは、行政が何かをしようというときの常套手段であり、一見公正なようですが、委員を委嘱するのは官僚たちなわけですから、結局は自分たちの描いたストーリーに沿った勧告が出されることになります。ところが、形の上では外部の利害関係のない有識者による「ご意見」ということになるのですから、水戸黄門の印籠のような権威が備わることになります。そのことで何か問題が生じたとしても、官僚が責任をとる必要はないわけです。
 このような背景がある以上、外部の有識者たちによる委員会が出す結論というのは、各種学校である以上、それが高校と同じような条件を備えていれば、教育内容を検討することはしない、という結論となることは当然でしょう。なぜなら、教育内容を問題にするという方針を立てれば、では何がよくて何がダメなのかという「基準」を示す必要があるからです。朝鮮学校も無償化の対象とすべきだという勢力(昔でいう「左派」のことです)が国内にも存在する以上、敢えてそのような「基準」づくりをやったとしても、その勢力から睨まれることになるだけですから、官僚たちが取り組むはずがないのです。
 政治家であればそういうことは充分わかっているはずであり、また「政治主導」を標榜していながらこの問題への対応を官僚たちに丸投げしたわけですから、民主党という政党の統治能力の低さがはっきりしたといってよいかもしれません。

 高校授業料の実質無償化というのは、親の負担を軽減するために高校の授業料を無料にしようというところからスタートしました。ところが、個々の家庭に支給する方法は事務手続きが煩瑣になるという理由から、高校に支給して授業料に充てるという方策がとられるようになりました。朝鮮学校を無償化の対象に含めるのはおかしいのではないかという議論はここから始まったと記憶しています。
 これに対し、朝鮮学校の生徒だけを無償化の対象から外すのは差別であり、かわいそうだと主張する人たちもいます。(本稿の主題とはそれますが、この「○○がかわいそうだ」という論理の展開をする人たちの中には、ずいぶんと酷薄なことを平気でできる人もいるのですから、議論にこのような情緒的な言葉を持込む人はあまり好きにはなれません。) 朝鮮学校を無償化の対象から除外するべきだという主張は、朝鮮学校で教えている内容に偏向やウソがあり、生徒のためにならないことが教えられているにもかかわらず、それを税金で手伝うのはおかしいのではないか? そういう教育をやめさせようとするのがどうして差別になるのか? というものです。

 この主張は至極まともであると思います。

 学校教育で教える内容の何が正しく何が間違っているかというのは、その時代背景と国の事情によって異なります。アメリカではキリスト教の教えに反するという理由で進化論を教えることを州法で禁止したところもあります(さすがにこれは違憲とされたようですが)。また、中国では江沢民政権の時に反日教育が行われました。これらは他の国の人々からみれば間違っていることになりますが、当事者たちにとっては「正しいこと」なのです。
 そこで、自分たちが正しいと思い、「お前たちがやっていることは間違っているのだから直ちにやめなさい」といえば戦争になります。たとえ戦争を回避することができたとしても、対立が解消されることはありません。
 私たちが正しいと信じているものは、ある視点でものごとをみたときに正しいといえるのであって、異なる視点でみたときには間違っていることになってしまう可能性もあるということを忘れるべきではありません。(仮に、日本が北朝鮮に侵略されてその支配下に置かれれば、朝鮮学校で教えていることが「正しい」ことになってしまうのですから。)
 しかし、無理のある社会体制や制度はいつまでも続くものではありません。現に、朝鮮学校では1970年代をピークに生徒数が減少してきており、学校の統廃合も進んでいます。正しい社会体制、正しい制度などというものは存在しないのであって、時代の変化に適応できるか、そうでないか、しかありません。適応できない制度や体制は消えていく以外にないのです。
 
 したがって、権力が教育に介入すべきではないと私は思います。

 議論が逸脱しているということを先ほど申し上げました。これは、本来生徒の保護者に対し支払われる予定であった補助金を学校に支払うことにしたことによるものです。つまり、朝鮮学校をめぐる問題は補助金の支払い方法によるものですから、各種学校の生徒に対しては学校ではなく保護者に直接補助金を支給するようにすればいいのです。(一条学校である高校については学校に支払うことに異論を唱えている人はいません。)
 各種学校に通う[高校生」の数は少ないのですから、事務手続きの量はたかが知れています。また、そうすれば、保護者を援助するという当初の目的を達成することができ、朝鮮学校そのものに対して補助金を交付するということを防ぐことができるようになります。
 授業料の支援を受けた生徒がどの学校を選択するかは本人とその家族が決めることです。生徒数が減少するということは、その学校の存在意義が失われつつあるということですから、政治や世論がどうこういうよりも時代の流れに判断を委ねればよいのではないかと思います。


付記
 朝鮮学校を含む各種学校に対しては授業料相当額を学校に支払うのではなく、生徒の保護者に直接支給するという方法をとる利点はもう一つあります。それは、今度の政権は生徒の人権を守りながら、北朝鮮に対する制裁の手を緩めないということを国際社会にアピールすることができるというものです。
 国際社会が高い評価をすれば、それは国内に伝えられますから、ひいては世論の支持率もアップするということにつながります。そのためには、支援すべきは朝鮮労働党=朝鮮総連=朝鮮学校ではなく、生徒とその保護者であるということを強くアピールすることです。
 見方を変えれば、この問題は民主党政権のイメージをよいものにする絶好のチャンスなのですが、そこまで考えている政治家は残念なことに民主党内にはいないようです。それは民主党にとっても不幸なことであるといえますが、同時に日本にとっても不幸なことであると申し上げないわけにはいきません。もっとはっきりいうと、無能な政治家の跳梁跋扈を許していては、日本にとっていいことは何もないということです。
by T_am | 2010-10-24 13:05 | その他

 生きもの会議、世界目標採択めざし本会合開幕 名古屋

 これは朝日新聞の見出し(10月18日付)です。はて、名古屋で開かれる国際会議の名称は「生物多様性条約第10回締約国会議」というのではなかったのか? こう思ったのでネットで調べてみたところ、「国連地球生きもの会議」というのが通称であり、朝日新聞の見出しはそれをさらに簡略化したものであることがわかりました。
 
 それにしてもひどいネーミングですね。こういうときの名前のつけ方は、それで中身がどんなものかだいたい想像がつくようなものにするというのが原則ですが、「国連地球生きもの会議」と聞いて何の会議なのかわかる人はそういないのではないでしょうか? 私はワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)のことかと思ってしまいました。
 この変な通称の出所はどうやら環境省のようです。平成22年1月19日付の報道発表資料にこの通称が載っています。

http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=12013

 なお、このサイトには「地球いきもの応援団」という組織があることも触れられているのですが、「生きもの」と「いきもの」という用語があって、どういう意図で使い分けしてているのかが私にはわかりません。言葉に対するこのような鈍さというか無神経さはこの官庁の伝統というべきであり、広告代理店か企画屋といわれる人たちがバックについているのではないかと密かに疑っています。(もっとまともなことに税金を使ってくれよな。)
 そういえば、このサイトには「MY行動宣言式」という言葉もありましたから、ここまで来ると、もうビョーキというほかありません。

 それでもこのサイトを読んでわかったのは、生物多様性条約には次の3つの目的があるということで、これは収穫でした。

(1)生物の多様性の保全
(2)生物多様性の構成要素の持続可能な利用
(3)遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分

 NHKがやっている在来種を絶滅の危機から救いましょうというのはこの(1)に基づくものであり、人の情に訴えるところがあって、もっとも受け入れられやすいと思います。
 また、(2)は、たとえば乱獲によって漁獲量が減ってきているマグロなどを思い浮かべればどんなことが議題となるのかがだいたい想像がつきます。(3)は主に薬品業界とその知的所有権の問題なのでしょう。
 これらの問題は、地球温暖化対策がそうであるように、政治問題でありかつ経済問題でもあります。一言でいってしまえば、「人間の都合のいいように自然から略奪するルールを決めていきましょう」というものです。自然を略奪の対象とみなすのは欧米人に特有の考え方であり、私たちがそれにつきあう必要はないと思うのですが、世界第二位の経済大国(もうすぐ第三位に転落しそうですが)としては、「俺も混ぜてくれ」といわないわけにはいかないのでしょう。
 この条約には2つの側面があって、絶滅種を救うという感傷的な面と生物資源は金になるというシビアでハードな面です。
 ところが環境省が「国連地球生きもの会議」という意味不明の通称をつけたことによって、センチメンタルな側面ばかりが強調されることになってしまいました。新聞やテレビで行われているキャンペーン報道はこの視点に立っています。極めつけは朝日新聞による「生きもの会議」というネーミングです。おかげで「遺伝資源の利用について先進国と途上国との間の対立が深い」などという会議内容が報道されると、いったい何の会議なのだ、と不思議に思うということになってしまいました。なぜかというと、遺伝資源(ここではウィルスのこと)は「生きもの」ではないからです。そういえば、「生きもの」といった場合、主に動物を指し、植物は含めないことが多いので、この点でも「生きもの会議」というネーミングは妥当性を欠いているといえます。

 それよりもこの言葉からは、初対面の人間から「ねえねえ、お兄さん。いい話があるんだけど、ちょといいかしら?」と馴れ馴れしく手を握られたような気持ちの悪さを感じてしまいます。

 もしかすると、生物資源は経済問題であることが明らかになってしまうと、環境省はおよびでないということになるのを恐れたのかもしれません。この会議の議長は環境大臣が務めるようですから、なおのこと他の省庁の介入を阻みたかったのかもしれません。
 そうだとしても、「もうすこしまともなことに税金を使ったらどうなのかね。」といいたくなるのです。
by T_am | 2010-10-18 22:17 | その他
 パソコンで文書や資料をつくっていると、マウスで操作しなければならないことがもどかしいと感じるときがあります。理想的なのは、考えるスピードに合わせてパソコンに入力できるということであり、ブラインドタッチが奨励されるのはこのためです。ところが、マウスを操作しなければならないというのは、このリズムを停滞させることになるのでもどかしく感じるわけです。
 マウスの採用は、初心者にも直感的でわかりやすい操作性を実現してくれました。ところが、しだいに慣れてくるとマウスを使うとかえって遅くなるというのは皮肉なものだと思います。

 Windowsでは、キーボードだけで操作できるよう工夫がされており、それはメーカーが異なってもある程度共通性が維持されています。たとえば、Altキーを押せば、メニューがアクティブになり、「←」か「→」を押してメニューを選択することができます。選択したメニューを展開するには、「↓」を押すかEnterキーを押せばいいのです。

 そのほかに、ショートカットキーというのが用意されており、これを活用すると操作は格段に早くなります。私が普段よく使っているのは次の通りです。

上書き保存   Ctrl + S
コピー     Ctrl + C (範囲の選択は、Shiftキーを押しながら「→」または「↓」)
貼付け     Ctrl + V
元に戻す    Ctrl + Z
印刷      Ctrl + P 
すべて選択   Ctrl + A
本日の日付   Ctrl + ;(セミコロン。ExcelとAccessのみ)
現在の時刻   Ctrl + :(コロン。同上)
検索      Ctrl + F

 Excelで便利なのはCtrl + ↓(→)と、Ctrl + Shift + ↓(→)です。列方向にデータが連続して入力されている場合、Ctrl + ↓ で最後にデータが入力されているセルに移動します。(Shift キーと組み合わせると、その間のセルをすべて選択することができます。)
行方向に同じ操作を行うには、→ キーを用います。
 これの応用として、Ctrl + home と Ctrl + end という組み合わせがあります。Ctrl + end は、今アクティブになっているセルから、そのワークシートでデータが入力されているセルのうち、最も右下にあるセルに移動します。Shift キーを組み合わせて使うと、この間のセルをすべて選択することができるので、表を印刷するときに便利です。
 ここでさらに、Shiftキーと「→」「↓」「←」「↑」を組合わせて使うと、選択した範囲の微調整ができます。
 逆に、Ctrl + home は、今アクティブになっているセルがどこであろうと、セルA1に移動します。先ほどと同様、Shift キーを組み合わせて使うと、この間のセルをすべて選択することができます。

 このようなショートカットキーはメニューや、メニューを展開して表示される項目の右側にどのキーを押したらいいかが書かれていたのですが、マイクロソフトでは考え方が変わったのか、Office2007以降ではその表示が消えてしまいました。
 しかし、実際にはAltキーを押すことでショートカットキーを一時的に表示させることができるのですが、このことが書かれている解説本はあまりないので、ここに書いておくことにします。


 これはExcel2010のリボンです。

c0136904_22545149.jpg


 ここで、Altキーを押すと次のようになります。(Excel2007でも同じです)リボンのタブのところにショートカットキーが表示されています。ここでそのキーを押すと該当するタブがアクティブになるのです。
 試みに「H」を押してみます。


c0136904_22554958.jpg



 今度は「ホーム」タブグループの中にあるアイコンに、それぞれのショートカットキーが表示されました。

c0136904_22561265.jpg



 ここでは、入力した数値の書式を%スタイルに変更したいので、「P」キーを押してみます。


c0136904_22572516.jpg



 書式が%スタイルに変更されました。
 なお、ショートカットキーが「FP」のように表示されているときは、「F」と「P」を順番に押します。


付記
 ちなみに、Internet Explorer 8 以降ではメニューが表示されなくなっていますが、Alt キーを押すと一時的に表示されます。こういう変更はユーザーを戸惑わせるので困ったものであるといえます。
by T_am | 2010-10-17 23:00 | その他
 コンプライアンス(法令遵守)のセミナーに出席すると、最初に教えられることは、違反した企業がそれぞれどのようなペナルティ(損害)を被ったかという実例集です。それを聞いた受講者は、これは大変だということで、会社に帰ってから社内向けの講習会でそのことを紹介する、というのがどこの会社にもみられるパターンではないでしょうか?
 ここで面白いのは、法令に違反してはならない理由として、それに背いた場合のペナルティがあるからだと私たちは思っており、それに違和感を持つことはないということです。

 なぜなのでしょう? 不思議に思いませんか?

 私がこどもの頃(もう数十年も前になりますが)、親に怒られるときの決まり文句というのがあって、「(そういうことをすると)よその人に怒られるぞ」という意味の怒られ方をするのが常でした。そういえば、大人になって他の県へ行ったときに、スーパーの店内で母親が幼いこどもを叱るときに「お店の人に怒られるでしょ!」と怒鳴っていたのを覚えています。してみると、このような躾のしかたは「村社会」に暮らす日本人に共通したものなのかもしれません。ただし、現代では「村社会」もだいぶ解体してきているようですから、今の親たちがわが子にどのような叱り方をしているのかはよくわかりませんが。

 日本では長い間、大半の人が裁判所とは無縁の生涯を送るという状態が続いてきました。というのは、これらと関わりを持たずに平穏無事な人生を送るのがよいと思われていたからであり、法律にどのようなことが書かれているのか知らなくても、常識だけで生きていくことができたからです。そのような社会では隣人と争いごとを起こさないように気をつけていれば大過なく過ごすことができます。
 日本人がルールや規則を、疑いもなく従順に受け入れるというのはこの辺の事情があるように思います。大事なのは軋轢や問題を起こさないことであって、そのためには規則を守ってさえいれば間違いないからです。
 そこで、規則を破ったときにどのようなペナルティが科せられるかを教え込んでおけば、誰も規則を破る者は出てこないということになったのだと思います。

 しかし、規則には2種類あって、人類が長い歴史の中で自然発生的につくりあげてきた規則もあれば、現代のように法によって定めた規則もあります。前者であれば、その規則の正当性有効性は長い時間をかけて検証されているので何の問題もないのですが、法によって定められた規則の中にはずいぶんとおかしなものもあるというのが実情です。そのようなものまで、「お上が決めたことだから」と無批判に受け入れるというのはいかがなものかと思います。

 「個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)」というのがあります(長ったらしいので、本稿では以下単に「法」ということにします)。平成13年に成立した法律には欠陥があり、それが社会の混乱を招いていると私は考えています。
 そもそも個人情報とは何を指すのかといえば、「特定の個人を識別できる情報」と「法」で定義されています。わかりにくいいい方ですが、要するに一人の人間を他の人と区別するために必要な情報という意味であり、プライバシーとは意味が異なります。
 そこで「特定の個人を識別できる情報」とは具体的には何をいうのかが問題となりますが、実は、氏名と住所の2つの情報さえあれば「特定の個人を識別」することができるのです。それ以外の、生年月日・性別・電話番号・勤務先(学校)・年収・家族構成などは、それらがあれば個人の特定を揺るぎないものにすることができますが、個人を特定するために最低限必要な情報ではありません。どちらかというとプライバシーの方に属する情報であると考えてよいと思います。
 たとえば、契約書に署名捺印するときは住所と氏名を自筆することになっています。そうすることで、契約の当事者がその人であると特定できるからです。氏名だけであれば同姓同名の人がいる可能性もあって個人を特定することはできませんが、住所も一緒に書くことによって、それがこの世にただ一人であることが立証できるという理屈です。
 ただし、先ほども述べたように、氏名と住所以外の情報はどちらかというとプライバシーに属する情報ですから、安易に取り扱っていいというものではありません。「法」では、このあたりの区別が曖昧になっており、そのことが個人情報の取扱いを巡る誤解と偏見を生み出す原因となっているように思われます。(なお、私個人の見解では、氏名と住所だけであれば、たしかに個人を特定するのに必要最低限の情報であるけれども、特段保護するほどのものではないと思っていることを申し上げておきます。)

 個人情報の取り扱いを巡る誤解と偏見の一例として、学校ではクラス名簿がなくなったと聞いたことがあります。昔であれば、クラス替えが行われるたびに、生徒の氏名・住所・電話番号・親の職業を記載した名簿が作成され、クラスで配布されたものですが、現在はそれがありません。というのは、個人情報にかかるからと拒む親がいるからなのだそうです。(親の職業まで名簿に記載するというのは私もどうかと思いますが・・・)
 「法」が保護のために定めているのは、(過去6ヶ月以内に5千人を超える)個人情報を持っている事業者に対し、原則としてあらかじめ本人の同意がない限り第三者に提供してはならないというものであり、また、本人に対し個人情報の利用目的を通知または公表しなければならないというものです。
 したがって、個人情報だからといって親が自宅の住所や電話番号を学校に教えるのを拒むというのは「法」とは何の関係もないことがわかります。むしろ個人情報[保護」法という名称を曲解して主張しているに過ぎないのです。
 このような基本的な情報をクラスの生徒や親に対して公開するかどうかは、それによって得られる利益と失われる利益の双方を考慮しないと決めることはできません。たとえば、法務局には登記簿があって、それを見れば誰でもその管内の土地や建物の所有者が誰で、どこに住んでいるかがわかるようになっています。これなども立派な個人情報ですが、公開をやめないのは、公開することで社会全体が得る利益の方が大きいと判断されているからです。
 ですから、自宅の住所や電話番号の公開を拒む親に対して、学校はこのような議論をした方がよいと思います。(ただし、そのような手間暇をかけるだけの余裕があるかどうかは別な問題となります。)実際には、連絡網として、クラスの生徒の名前と電話番号を記した紙が配布されているのですから、そこに住所が加わったとしてどれほどの実害が生じるというのでしょうか。用事があれば訪ねていくこともあるでしょうが、得に用事もないのに訪ねていくほど現代人は暇をもてあましているわけではありません。
 しかし、面倒なことに関わるのが嫌なせいか、そういう議論を行う学校があると聞いた例はありません。これは企業でも同じことです。
 企業にはプライバシーポリシーという文書があって、「個人情報保護基本方針」と訳されているように、企業が個人情報を取得する目的とどのように扱うのかが記されています。「法」はそれを個人に対し、「通知」するか公表することを求めていますから、企業のホームページに掲載されていることが多いようです。ここで「通知」とカギ括弧をつけて書いたのは、特に説明する義務までを負っているわけではないということを強調したいからです。実際に生命保険やクレジットカードの契約にあたり、企業の担当者からプライバシーポリシーについて説明を受けたという人はまずいないはずです。クレジットカードを作る場合、申込書の裏側に細かい字で書いてあるのを読みなさいということになっており、それで「通知」したことになるのです。
 したがって、企業の方でも担当者に対し、わが社のプライバシーポリシーはこうであるときちんと教育しなくてもよいということになり、結局コンプライアンスに取り組む部署の人間だけが知っているという事態を招くことになります。

 社内にコンプライアンス委員会などの専任部門を設けている企業は増えていますが、従業員に対して法令の教育をきちんと行っている企業がどれだけあるのか疑問です。私たちの身近なところでいえば、小売業では景品表示法・家庭用品品質表示法・食品衛生法・消防法など遵守しなければならない法律はけっこうあります。これらの法律の規定が従業員に対しどれだけ教え込まれているのか、それを知りたければその店へ行ってみることです。
 売り場に立って天井を見上げると防火シャッターやスプリンクラーが設置されていることがわかります。防火シャッターが降りるところに商品や什器が置いてある店、スプリンクラーから放水される水を途中で遮るようにして商品を積み上げている店というのは、例外なく消防法の教育を怠っている店であると考えてよいでしょう。甚だしい場合は、売り場の一角に「消火器」というプレートが取り付けられているにもかかわらず、消火器が置かれていないというところもあります。
 身近な例ということで、たまたま小売業を引き合いに出しましたが、他の業界も似たり寄ったりであるといえます。むしろ企業の本音は、何か問題が起きたときに責任を追及されないようにするにはどうしたらいいか、というところに関心があるというところでしょう。コンプライアンス(法令遵守)というのはその隠れ蓑にされているようにみえます。

 なぜこんなことが起こるのかというと、原因のひとつに、わが国ではそのような教育が長年行われてきたから、というのがあるのではないかと思います。
 試験勉強というと「暗記」というイメージが思い浮かぶように、生徒に対し知識を授けることに重点が置かれた教育が行われてきました。そこでは、「なぜそうなるのか」などと余計なことを考える暇があったら、問題の解き方のパターンをひとつでも余分に覚えた方がマシということになっています。(実際、受験は、他人より多くの知識と問題の解き方のパターンを覚えている生徒の方が合格するという仕組みになっています。)
 これを長年繰り返していると、よほどのひねくれ者は別にして、余計な詮索をするよりも結論や結果だけを覚えた方がいいという人間が量産されることになります。自分で考えるというのは面倒なことであり、それよりは決まったことを受け入れたほうが楽だと思う人が増えるのです。

 企業の現場からは、個人情報保護法のように欠陥のある法律に対して疑問や批判の声が上がってくることはありません。法律を読むよりも要点だけを教えればいい(教えてもらえばいい)という人たちが多いので、そもそも問題があるなどという認識がないからです。 その結果、誤解と偏見が生まれ、社会に混乱を招くことになるのですが、それを収集しようという動きは今のところありません。その理由は、前回申し上げたように、そのようなことに精を出しても組織の中では評価してもらえないからです。


付記
 法律や契約書にかかれている文章はどうしてあんなに読みにくいのでしょうか?
法的な文書を作る際の要点は、曖昧さを排除して他の解釈ができないものにするというものですが、それにしてもひどいと思います。
 そういう状況を考えると、要点だけがわかればいいという気持ちにも一理あるかなと思ってしまいます。
by T_am | 2010-10-17 21:39 | その他
 大阪地検特捜部の前田元検事によるFD改竄事件に関して立花隆さんが今月初め新聞に寄稿しています。検察による「初めにストーリーありき」という姿勢がこのような事件を起こした背景にあるという指摘に対する反論を展開されており、その大意は、初めにストーリーをつくり、それに基づいて操作を進めていく中で、ストーリーとリアルな現実とを対比させて検証しなければならず、ストーリーと現実との間にずれが生じたらストーリーの方を修正するのが当然である、というものです。前田元検事が行ったことは、自分のストーリーに合うように証拠を改竄したことですから、これは科学者が、自分の仮説に合うように実験データを改竄することに等しいのであって、そのようなことを行う人物は社会から追放されなければならない、とも述べておられます。

 科学では、現実という実験(観測)データに対し、なぜそのようなことが起こるのかを合理的に説明するための「仮説」が設けられます。これが立花隆さんがいわれる「ストーリー」にあたるのですが、それが正しいかどうかは別の現実(実験データ)と対比して検証するという作業が不可欠となります。そこでずれが見つかれば、それは仮説の方が間違っているということになるので、仮説を修正するか破棄しなければなりません。その繰り返しによって真理に到達しようというのが科学です。
 というのも、真理とは認識するものであって存在するものではないので、その人がこれこそ真理だと思い込んでしまえば(本当は間違っていたとしても)そうなってしまうからです。

 しかしながら人間の心は次の2つの状態の間を振り子のように揺れ動いています。

(1)これこそが真実だと思い込んで、それに反する事実に向き合おうとしない。
(2)様々な事実を集めて自分なりの仮説(ストーリー)を見つけようとする。

 人は感情的になると相当に教養のある人でさえも(1)の状態に自らを追い込んでしまいます。人間は自分が見たいと思うものを見て、聴きたいと思うものを聴く生き物ですから、このような「思い込み」に陥りやすいのです。

 今日のニュースで、中国で大規模な反日デモが行われたと伝えられていました。尖閣諸島で起きた中国人船長の逮捕事件がきっかけで起こった反日行動は(1)の典型的な例であるといえますが、このことは私たち日本人の中に中国に対する反感をひきおこすことにつながりますから、私たちも(1)の思い込みに陥る可能性があります。
 ごく一部の人はこのような思い込みから免れる方法を自然と身につけていますが、大部分の人はそうではありません。そこで不可欠となるのが、正確な情報が遺漏なく提供されるルートが社会に確保されていること、そして教育を通じて科学的な考え方が伝えられることです。
 残念なことに、マスメディアが提供するニュースの対象は国内とアメリカの情報に偏っており、アジアやアフリカの情報はほとんど無視されているのが現状です。また、北朝鮮や中国に関する報道は比較的多いといえるのですが、それもネガティブなものに偏っている傾向があることは否定できません。それが続くと他の国や国民に対し特定のイメージが定着することになり、いったん定着したイメージは容易に覆ることがありません。

 人間はあり合わせの情報でものごとを判断しているということを、特に権力者の身近にいる者たちはよく知っています。彼らは権力者に対し偏った情報を吹き込むことができるという特権をフルに活用して、権勢をふるうことに情熱を注いできました。中国の歴代王朝における愛妾、宦官がそれにあたりますし、日本でも同じような地位にいる者たちが権力をほしいままにしてきたという事例があります。(室町幕府における松永弾正がその代表的人物ですが、面白いことに彼らは皆後世からは悪人というレッテルを貼られています。それというのも庶民の感情を逆撫でするものがあるからなのでしょう。)
 愛妾がピロートークで権力者に対し家臣の悪口を吹き込む。こう書くといかにも性悪女のようにみえますが、女房が亭主に向かって他人の悪口をいうのはどこの家庭でもみられることです。同じことは男もやっているのであり、上司や同僚に向かって気に入らない奴の悪口を吹き込むというのはどこの職場でも行われています。俺は他人の悪口を言ったことがないという人でもない限り、誰でも似たようなことをしているのです。
 悪口というくらいですから、そこで語られる情報は当然偏ったものになります。仮に、褒めるべき行為があったとしてもそれは黙殺されます。つまり、私たちは見たいと思うものを見るし、聴きたいと思うものを聴くと同時に、伝えたいと思うことを他人に伝えるという性質を持っているのです。
 伝えるべき事柄を意図的に取捨選択することに普段から慣れていれば、そこに利害が絡んだときに、伝えるべき内容を「弄(いじ)る」というのは指呼の間に過ぎません。心理的なハードルは思いのほか低いのです。

 誹謗中傷というのはこのようにして行われます。困ったことに、人は誰でも、たとえ間違っていることでも何度も聞かされているうちに、それが本当のことだと思ってしまうという傾向があります。その被害に遭われた経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、誹謗中傷はいつでもどこでも起こりうるのだと理解しておいた方がよいと思います。
 私たちが他人の悪口を捏造すれば中傷となりますが、警察や検察が同じようなことをすればそれは冤罪となります。
 大阪地検特捜部で前田元検事によって行われたFDの改竄の背景には、初めから有罪とすることを前提に事件化するという検察の体質があるのではないかという疑いが持たれています。つまり、検察の内部では誰もが似たようなことをしてきていたのではないか? という疑いです。
 そのこと自体は厳しく糾弾されなければなりませんが、もっと広い目で見れば、何も検察だけの問題ではないということに気づきます。
 
 今日ではプレゼンテーションという手法がどこの組織・職場でも用いられています。プレゼンテーションというのは、自分が立案した企画や意見を説明することを指し、その目的は自分の考えを採用してもらうことにあります。そのため、用いられる資料はわかりやすく訴求力が高くなるように編集・加工されなければなりません。当然「不必要だと思われる」データはカットされることになりますし、特に強調したい事実は誇張されることがあります。そのこと自体は合法的であり、道義的にも問題はないといえるのですが、プレゼンテーションに慣れた人ほど暴走する危険性が高くなるともいえます。
 
 ここで、明らかに暴走と思われるプレゼンテーション資料の事例をご紹介しましょう。
下記のURLはチームマイナス6%のサイトにある資料です。

http://www.team-6.jp/futsugou/index.html

 これが暴走であるという理由は、色使いがおどろおどろしく扇情的であること(文章も体言止めと感嘆符が多用されています)、事実の一部しか伝えていないことによります。このブログで既に何度も申し上げたように、不安を煽ってそこにつけ込もうという意図(私はこれを「霊感商法」と呼んでいます)が感じられるのです。

 このサイトには事実やデータの改竄はないかもしれませんが、資料を「効果的に」使って他人に信じ込ませようという意思があります。そのような思いが決して特殊なものでないことは、「鉛筆を舐める」という慣用句があることによって証明されているといってよいでしょう。情報を操作したり数字を書き換えるという意味のこの言葉は、そのような行為が広く行われてきているということを意味しています。
 そのように考えると、私たちの社会では「鉛筆を舐める」ことを忌避する意識が低いということに思い当たります。ですから、前田元検事の行ったことは確かに犯罪行為なのですが、程度の差はあれ、同じような行為は至る所で行われており、また私たち自身がそのような行為に荷担する(もしくは積極的に実行する)ことも充分あり得るということを自覚すべきでしょう。

 このようなことが行われるというのは、手段はともかく手柄を立てた者が評価されるという風潮が社会の中にあるからです。誰でも、よく思われたい、出世したいという気持ち(上昇志向)はありますから、何をすればプラス評価に結びつくか、何をしてもプラス評価にはならないか、ということに対する嗅覚は自然と身につくようになります。
 まして、トップが率先して実績主義・実力主義を標榜するところでは、やがて組織ががたがたになっていきます。というのは、手柄を立てない限り、それ以外のことに心血を注いでも誰からも評価してもらえないことに管理職や担当者が気づいてしまうからです。そうなると、手間がかかって成果の乏しい仕事は他人に押しつけ、自分は見栄えのする仕事だけに取り組むという輩が横行するようになりますし、管理職はといえば、部下が仕事しやすい環境をつくりあげることよりも、部下を道具として扱うことの方に熱心になっていきます。
 そういう管理職がいる職場では、ミーティングは何のために行われているのかといえば、上に報告する材料集めが目的となっています。どれだけミーティングに時間を費やしても管理職が判断しない、方向性を示さないという場合、そのミーティングは管理職の保身のために設けられていると考えてよいと思います。そのような管理職の関心事は、どうすればトップに怒られないか、どうすれば気に入ってもらえるかというところにあり、その辺の嗅覚のすぐれた者ほど出世していくことになります。それを見ている下の者も当然その真似をすることになりますから、それが企業のDNAとなって受け継がれていくことになるのです。

 前田元検事は、そのような特殊に見えるかもしれませんが実は誰もが持ち合わせているDNAを色濃く受け継いだ末裔であると考えられます。ですから、検察という組織をいくら責めても今後同種の事件が根絶されるということにはつながりません。前田元検事の上司だった人たちが最高検の捜査に真っ向から抵抗する姿勢を示しているのはこのあたりの事情をよく物語っているといえます。すなわち、当事者に責任をとらせてもDNAを根絶することにはならないからです。(元上司らを免責すべきだと申し上げているわけではありませんので、誤解しないでくださいね。)
 むしろ、そのようなDNAが誰にでも受け継がれていることを直視して、DNAが発現しない、たとえ発現しても影響を及ぼさないような仕組みを講じることに意識を向けた方がはるかに社会にとって有益であると思います。


付記
 このことは大きなテーマなので、今後も折に触れて取り上げてみたいと思います。
by T_am | 2010-10-16 23:55 | その他
 iPhoneそのものには、受信したメールを振り分けるためのフォルダを作成する機能がありません。このたび、増えてきたメールを整理するためにフォルダを追加しようとしたところ、歳のせいで、やり方をすっかり忘れてしまっていたために、もう一度調べ直す羽目になりました。
 今後も同じように忘れることになると思うので、そのときのために、ここにメモしておくことにします。

(i,softbank.jp メールの場合)
 iPhone に最初から備わっている「i.softbank.jp」メールの場合、「My Softbank」(Webブラウザ「Sfari」のブックマークに登録されている)で、新しいフォルダを作成します。iPhone本体の操作をシンプルにするために、本体にフォルダを設けるのではなく、メールサーバーの中にフォルダを設定するというわけです。これは、次に述べるGmail でも同じです。

1.My Softbank を開いて、「ログインはこちら」ボタンをタップ。
2.携帯電話番号とパスワードを入力してログインします。
3.画面が切り替わるので、画面を下にフリップして「メール設定[Eメール(i)]ボタンをタップします。
4.「フォルダ管理」をタップします。
5.「新規フォルダ作成」をタップして、作成するフォルダ名称を入力して「確認」ボタンをタップします。
6.間違いなければ「OK」ボタンをタップします。
7.操作が終わったらログアウトしておきます。

(Gmailの場合1 フォルダを作成する)
 Gmailでは、メールサーバーに割り当てられている領域が大きいうえに、受信したメールの自動振り分け機能が備わっています。これ以外にも何かと便利なGmailなので、Gmailの方でメールを受信する(Gmailアドレスを人に教える)ようにしておくとよいと思います。
 Gmailの設定は、パソコンで行います。なお、Gmailではフォルダのことを「ラベル」と呼んでいます。

1.GoogleのホームページからGmailのページに移動し、Googleアカウントにログインします。(新規アカウントの作成もこのページから行えます。)
2.Gmailの受信トレイが開いた状態の画面に切り替わるので、メールの件名が表示されている枠の上か下にある「ラベル▼」ボタンをクリックします。
3.「ラベルの管理」をクリックします。
4.下の方にある「ラベル」の右横にある白枠の中に、新しく作成するフォルダの名前を入力して、その右にある「作成」ボタンをクリックします。

 これで新しいフォルダが作成され、その変更はiPhoneにも反映されます。

(Gmailの場合2 自動振り分け機能を設定する)
 メールの送信者によって保管するフォルダを振分けるという場合が多いと思いますので、以下はそれを自動的に振分けするための設定方法です。
1.受信トレイで、自動振分けを設定したい人から来たメールをクリックして開きます。(その人からまだメールが来ていない場合は、そのメールアドレスを控えておきます。)
2.メールを開いた状態で、「その他の操作▼」(メール件名表示枠の上と下の右端にあります)ボタンをクリックして、「メールの自動振り分け設定」をクリックします。(メールの件名表示の状態では「自動振り分け設定」は表示されないので注意してください。)
3.From の欄に、その人のメールアドレスが入力されているので「次のステップ」ボタンをクリックします。(その人からまだメールが来ていない場合は、この欄にそのアドレスを入力します。)
4.「操作の選択」のなかほどにある「ラベルをつける」の右横にある「ラベルの選択」にある▼ボタンをクリックして、ドロップダウンリストを表示させます。
5.振り分け先のラベルを選択します。
 このとき、その人から送られて来たメールがあれば、その下に一覧表示されているので、いっしょに振り分けを行うには、「フィルタを作成」ボタンの右横にある「このフィルタを下記の○件のスレッドにも適用する」にチェックを入れておきます。
6.「フィルタの作成」ボタンをクリックします。
7.操作が終わったらログアウトしておきます。


 
by T_am | 2010-10-14 07:39 | iPhoneを使いこなすために