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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 iPhoneからPC宛に送ったメールをOutlook2010で受信したところ、本文が文字化けするという現象が起こりました。ヘルプを見ても解決法が見つからず、またOfficeオンラインを見ても解決法が見つからなくて困っていたところ、書きのサイトに解決方法が記載されていました。

http://report.station.ez-net.jp/software/microsoft/office/outlook/2010.encode.asp

 この記述をアップされたTomohiro Kumagaiさんにお礼を申し上げるとともに、多少補足して備忘録としたいと思います。

1.文字化けしているメールをダブルクリックして開きます。
2.リボンの中の「メッセージ」タブにある「アクション」をクリックして、「その他のアクション」をクリックします。
3.「エンコード」をクリックして、「その他」をクリックします。(ここで表示されるドロップダウンリストでチェックされているものが規定のエンコード方式です。普通は「日本語(自動選択)」にチェックがついているはずです。)
4.エンコード方式のリストが表示されるので、「Unicode(UTF-8)」をクリックします。
5.メールを閉じるときに、「プロパティが変更されました。この変更を保存しますか?」と訊いてくるので「はい」を選択します。


(エンコードとは)
 コンピューターでは、文字をそのまま扱うのではなく、文字コードと呼ばれる数値に変換して扱っています。電子メールでも文字をそのまま送るのではなく、いったん数値データに変換したものを送信しています。
 厄介なことに、この変換ルールは何通りもあるというのが現状です。
 送信側と受信側とで同じ変換ルールを用いていれば電子メールの文字化けは起こりませんが、異なる変換ルールを使用していると受信側で文字化けが起こります。この変換ルールのことをエンコードといい、メールソフトでは文字化けした場合に備えてエンコードを手動で変更することができるようになっています。
 Outlook2010では、Tomohiro Kumagaiさんが指摘されている方法でエンコードを変更することができます。(本当に助かりました。重ねてお礼を申し上げます。)

 ソフトがバージョンアップして機能が充実するのはありがたいのですが、操作方法がこのように変更されるとユーザーは戸惑ってしまいます。せめてヘルプに記述があればいいのですが、ユーザーが困っているときにヘルプはあまり役に立たないというのは昔から変わらないようですね。
by T_am | 2010-09-30 23:04
 今日のニュースで、受動喫煙によって肺がんや心筋梗塞で死亡する人は年間およそ6800人に上るという報道がされていました。国立がんセンターの研究グループの発表によれば、たばこを吸わずに肺がんや心筋梗塞で死亡した人を「受動喫煙」の有無によって2つのグループに分けて比較したところ、こうした病気で死亡する危険は受動喫煙がある方がない方に比べ1.3倍程度高まることがわかったとのことです。これを国内の統計に当てはめて分析すると、受動喫煙の影響による死亡者数は肺がんでは女性でおよそ1500人、男性でおよそ650人、心筋梗塞では女性でおよそ3100人、男性でおよそ1600人と推計されるということだそうです。これらを合計するとおよそ6850人となりますから、控えめに見ても年間およそ6800人の人が受動喫煙の影響によって肺がんや心筋梗塞で死亡していると推計できるというものです。
 折しも10月1日からたばこの値上げが行われることになっており、まことに「タイムリー」な報道であると申せましょう。

 ところで、こういうニュースでいつも思うのは、メディアは調査の結果だけを伝えますが、どのようにしてその結果が導き出されたかについてはまったく報道しないということです。発表者が国立がんセンターの研究グループだから間違いはないということなのでしょうか? しかし、このような数字は常に推論に過ぎないのですから、その計算方法に誤りはないかを検証するというプロセスがなければなりません。ところがメディアはそのようなプロセスを常に無視しているのですから、これでは情報の垂れ流しであると批判したくなるというものです。
 
 現時点では、肺がんや心筋梗塞で亡くなった人について喫煙習慣の有無を尋ねれば、喫煙者(あるいは過去に喫煙習慣があった人)の方が、そうでない人よりも多い結果になるはずです。というのもかつては喫煙者の方が多かったからです。
 どういうことかというと、あと30年もして同じ調査をすれば、肺がんや心筋梗塞によって死亡した人の中では喫煙習慣のある人の方が少ないという結果が出るはずだからです。なぜならば、既に喫煙者の方がはるかに少なくなっているからです。厚生労働省によれば、平成20年の調査では喫煙率は21,8%にまで下がっています。

http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd100000.html

 絶対数が減っているのですから、肺がんや心筋梗塞で死亡する人の数もそれだけ減るのは当たり前です。逆に喫煙しない人は78.2%もいるのですから、そのうち肺がんや心筋梗塞によって死亡する人の絶対数は喫煙習慣のある人たちよりも増えるのが当然であるということなのです。
 30年後喫煙者と非喫煙者とでは、非喫煙者の方が肺がんや心筋梗塞で死亡する人の方が多いという結果になったときに、「これはすなわち非喫煙者の方が肺がんや心筋梗塞になりやすいといえるのだから、健康のためにたばこを吸うようにしましょう。」こういう主張も論理的には成立することになります。

 「そんなバカなことはない!」 そう思うでしょ。でもそういう結論を論理的に導き出すことは可能なのですよ。
 今回はそのことを申し上げてみたいと思います。

 このような常識に反する論理が帰結する理由は、因果関係と相関関係を混同しているからです。因果関係というのは、2つの出来事の間に原因と結果の関係がある場合をいいます。たとえば、スイッチを入れたらテレビがついた、というのは因果関係です。この場合、スイッチを入れなければテレビはつかない、といいかえることもできます。
 これに対して、相関関係というのは2つの出来事の間に、片方がもう一方に影響を与えているかのように見える関係をいいます。
 たとえば「夏の気温が上がればビールの販売数量が増える」というのは相関関係です。相関関係というのは見かけの関係ですから、「ビールの販売数量が増えると熱中症患者の数も増える」といっても間違いではありません。

 しかし、2つの出来事の間に相関関係があるからといって、因果関係があると断定することはできません。
 たとえば、次のようなケースはその誤りの典型的な例です。

1.ビールの販売数量が伸びると熱中症患者の数も増える。
2.したがって、ビールが熱中症の原因である。

 この場合では、ビールの販売数量と熱中症患者数の双方に影響を与えている要因として気温の変化があるわけですが、敢えてそれを無視して論理を展開するとこのような暴論がまかり通ることになるのです。
 ただし、これなどは比較的単純な事例ですから、嘘を見破ることは容易なのですが、人間の社会にはもっと複雑な要因が絡み合っているという事例はいくらでもあります。病気もその典型的な事例であって、たばこだけが危険因子というわけではないはずです。危険因子として他に考えられるのは、飲酒、ストレス、運動不足、薬物による副作用、生活習慣などがあげられます。
 医学や生物学では、このような場合他の因子の干渉を排除するために、対照実験といって、ある特定の要素が存在するグループと存在しないグループに分けて、それ以外の要素はまったく同じという状況をつくりだして経過を観察するということを行います。その結果、両方に異なる状況が認められれば、その要素は原因であると考えることができるのです。
 今回の国立がんセンターの発表した内容は、どのような手法に基づいて導き出されたものなのかわからない以上、その当否を検証することは不可能です。それでも対照実験を行ったわけではないらしいということは推測できます。いずれにせよ、検証できない結論を聞かされたときは、「ふーん、そんなもんかね。」と聞き流しておくのがいいのです。誠実な学者であれば、自分の手法を公表して他人が追試できるようにしますから、それによって検証されるのを待っていればいいのです。


追記
 ニュースの中で、「危険がおよそ1.3倍程度高まる」という表現がありました。これを数字で表現すると、受動喫煙の経験のない人の死亡者数割合43.5%、受動喫煙の経験者の死亡者数割合56.5%であるということになります。(0.435×1.3≒0.565)
 その差は13.5ポイントです。単純に割合を提示するよりも、「1.3倍危険」といった方がインパクトが強いのでこのような表現をしたものと思います。修辞法としてはアリかもしれませんが、科学者が用いる表現方法としてはいささか不適切なような気がします。
by T_am | 2010-09-29 00:53 | 科学もどき
 電池が切れて腕時計が止まってしまいました。ホームセンターに行って電池交換をしてもらえばいいのですが、何となく面倒くさいことと、皮膚が弱い(その代わり面の皮は厚い)ので、今年の猛暑により腕時計をしていると皮膚が赤くなって何度も外していたこともあって、いっそのことしばらく腕時計なしで生活してみようと思いました。

 その結果、腕時計がなくても思ったほど不便ではないということがわかりました。
 自宅や事務所には壁掛け時計がありますから、ちょっと顔を上げれば今何時かがわかります。そういえば腕時計をしていたときでも、壁掛け時計の方を見て時刻を確認していたので別に違和感はありません。腕時計だと、下を向く、手首をひねるという2つの動作が必要になるので、顔を上げるだけで時刻がわかる壁掛け時計の方が便利だと無意識のうちに悟っていたのだと思います。

 これは余談ですが、パソコンの画面の右下には時刻が表示されています。今この文章をお読みいただいているあなたのパソコンの画面の右下にも時刻が表示されているはずです。しかし、たぶんそこに時計があるということに気づいている人は誰もいないのではないかと思います。サイドバーのガジェットとしてわざわざ時計が提供されているのはそのためです。

 それでは外に出たときはどうかというと、自動車を運転している間は車についている時計を見れば時刻がわかるので、それを見ている自分に気づきます。ナビがついている自動社であればナビの画面に時刻が表示されています。これは腕時計をしても同じであって、手首をひねって時刻を確認するよりも、視線を動かせば時刻がわかるという方がはるかに楽だからです。これも壁掛け時計を見るのと同じ理由です。
 
 そうなると、まわりに時計がないところに行ったときに不便を感じると予測されるのですが、携帯電話には時刻が表示されていますから時計がないというわけではないのです。ただし、女の人はバッグから携帯電話を取り出さなければならないので、腕時計に比べるとその分不便に感じるかもしれません。(ネックホルダーに携帯電話をひっかけておくというのをよく見かけますが、なんとなく野暮ったい気がしませんか?)
 残る問題は飛行機の中にいるときで、携帯電話の電源を切らなければなりませんから、この場合は時刻を知ることはできません。(通りかかった客室乗務員に尋ねるという方法はあります。)しかし、そういつも飛行機に乗っているわけではないので、普段の生活では腕時計がなくても別に困らないという結論に達しました。(iPhneでは機内モードをオンにすれば電波を出さなくなるので、飛行中も使うことができます。)

 そういえば、携帯電話の普及に伴って腕時計の販売数が落ちてきていると聞いたことがあります。時刻を知るという用途であれば携帯電話で充分であると考える人が増えているということなのでしょう。そうなると腕時計はアクセサリーステータスとしての価値を高めていかないとますます衰退していくのではないかと思います。

 腕時計をしないようになって始めて気づいたのですが、私たちは時間に対して結構アバウトな生活を送っています。会社へ行くにせよ電車に乗るにせよ、時間に遅れないようにある程度余裕をもって到着するようにしていれば、時計が少しくらい狂っていても問題はありません。
 皆様お気づきでしょうか? いつの間にかテレビから時報が消えてなくなっています。
 地デジチャンネルではデジタル信号を映像信号に変換するために、アナログチャンネルよりも1秒程度遅れて映ります。当然音声も遅れることになりますから、今まで通り時報を流していたのでは、不正確な時刻を知らせることになってしまいます。それで時報がなくなってしまったのですが、それでも社会問題になっていないことを思うと、普通の生活を送る限り正確な時刻というのは必要ないということがわかります。
 むしろ、あらかじめ予定された時刻まであとどれくらい時間が残っているかがわかるということの方がはるかに重要です。つまり、4時に約束していて、このペースだと余裕を持って到着できるとか、またはこのペースだと遅刻してしまうということがわかることであり、あるいは、いつもの電車に乗るためにはこの時間までには家を出なければならない、それまでまだ多少余裕がある(もしくはもう出なければ間に合わない)とわかれば充分だということです。

 このことは、私たちは、あとどれくらい時間が残っているか? を知ることを通じて時間というものを認識しているということです。私たちにとっての時間というのは、二つの時刻の間の量の大小であって、その瞬間の時刻というのはあまり意味がないのです。
 その場合時間の目盛りは秒単位である必要はありません。せいぜい1分から数分というアバウトな目盛りで充分です。あるいは三十分から1時間という単位で充分な場合もあります。

 昼休み前、あるいは退社時刻前の時間というのは分単位で認識されます。
 睡眠時間というのは通常は1時間単位ですが、朝目が覚めるときは5分・10分単位で認識されます。
 残業しているときは、三十分から1時間単位で時間を認識しています。
 一方デートしているときはどうかというと、あまり細かい時間は問題にされません。例外があるとすれば、不倫中の夫(あるいは人妻)であり、これ以上遅くなるとまずい、と時間を気にしながら逢瀬を重ねているのではないかと思います。

 このように、私たちの時間に対する認識というのは結構アバウトであり、かつ主観的なものですから、正確な時刻を知る必要性はあまりないといえます。


付記
 会議中時計を見ることができずに、あとどれくらい辛抱しなければならんのだ、と思ったときはどうするかというと、隣の人(あるいは向かいの人)の腕時計を見れば済みます。なんだか卑怯な気がしますが、何も問題にならないのですからよしとすべきではないでしょうか?
by T_am | 2010-09-27 23:44 | その他
 尖閣諸島の漁船衝突事件で中国人船長を釈放したら、中国政府は日本に対し「謝罪と賠償」を求めてきました。中国政府はこの事件が起きた直後から日本に対し即時釈放を要求し、さらには政府間協議の延期、中国人観光客の来日キャンセル、SMAPの中国公演延期、レアアースの対日輸出手続きの遅延、日本人の拘留など矢継ぎ早に手を打って来ました。日本経済に占める中国の位置は大きなものがあるだけに、政府は今後の日中貿易に与える影響を懸念して、船長を釈放することで事態の収拾を図るつもりだったのでしょうが、思惑が外れた格好になってしまいました。
 中国がここまで強硬姿勢に出るのは、反日感情という世論があること、および政権交代(胡錦濤から習金平へ)を控えている中で、政府高官内でポスト争いが起こることは確実ですから、このタイミングで親日的なポーズを見せることは自己の利益にならないという打算も働いているのだという観測もあります。(今朝の新聞から)
 中国政府内にそのような事情があるのであれば、もっと早く報道してくれていればいいのにと思うのですが、新聞もテレビも出来事を報道するのに精一杯で、それが意味するものを分析する余裕(もしくは能力)がないのでしょう。

 今回のことで改めてわかったのは、双方の利害が対立して争いが起こったときは、国際社会では結局力の強い方が勝つという単純な真理です。力が強いというのはまず第一に軍事力の裏付けがあること。ただし、安易に戦争をしかけるわけにはいきませんから、それ以外の分野で「自分の優位性を築く」ように普段から持っていくことが二番目に必要となります。こういうのも国家戦略であり、国内問題だけを扱うのが国家戦略ではありません。
 中国の持つ潜在的なパワーというのは日本とは桁違いに大きいといえます。広い国土と豊富な資源、日本の十倍の人口。どれをとっても日本がかなうものではありません。そのような状況で日本の優位性を確保する手段として、とりあえず2つのことが考えれると思います。

 ひとつには、ASEAN諸国との関係を深めていくというものです。日本では尖閣諸島ばかりが話題となっていますが、中国は南シナ海でベトナム、シンガポール、マレーシア、インドネシアとの間で領有問題を起こしているという事実はほとんど報道されていません。(ベトナムの漁船が領海を侵犯したと行っては拿捕している)
 今朝の新聞で、アメリカとASEAN首脳会議で「南シナ海を含む紛争の平和的解決でアメリカとASEAN首脳が一致」したと報じられていました。これらの国が個別で中国と交渉しても相手にならないのはよくわかっていることですから、利害関係が一致する国が団結して中国包囲網を築いていくという戦略があって、そこにアメリカを巻き込もうとしたものです。しかしながら、オバマ政権の関心は国内の雇用・経済情勢であり、アジアに対する関与は経済問題の一環という部分に限定したいようです。このあたり、絶えず「次の選挙」を気にしなければならず長期的な視野に立って戦略の立案がしづらいという民主主義体制の限界があらわれていると思います。普段からきちんと情報を国民に提供し、合意形成をはかる努力をしていればいいのですが、アメリカという国ではそのようなことが行われたことは過去に一度もないのではないかと思います(911のときは国民感情を煽るというやり方であり、理性に訴えるというものではありませんでした)。もっともこのことは日本もあまり変わらないと思いますが・・・
 領有権問題では日本もASEANと歩調を合わせて中国と交渉していくことを考えるべきでしょう。その際に憲法は集団的自衛権を否定しているという見解が足かせになります。これをASEAN諸国に対して認めれば中国に対する大きな圧力となります。そのうえで日米安保条約を見直して東アジア全体の安全保障という姿に持っていくことも視野に入れるべきだと思います。日本列島は東シナ海に蓋をするように展開しているという地理的優位性を最大限に利用するということを考えて今後の戦略を練ることが肝要です。

 二番目の優位性は、日本が持つ技術です。中国は急速な経済発展を遂げているので、そのひずみがいろいろなところであらわれてきています。それらが大きな問題にならないのは、経済成長の恩恵の方が今のところ大きいからなのですが、そのような状態がいつまでも続くはずがありません。少しずつ体質を転換しようとしているとはいえ、中国の経済成長を支えているのは相変わらず低賃金労働です。既に兆候が現れているように、労働者による待遇改善の要求は今後ますます激しくなっていきます。賃金が上がると経済成長にブレーキをかけることになり、それは労働者の待遇改善が停滞するということに結びつきます。そうなったときに、それまでのひずみが一気に吹き出すことになるはずです。
 日本でも高度成長に伴って各地で公害問題を起こしましたが、現在それらは技術的に解決されており、新たな公害が発生しているということはありません。
 今後中国が必要とするのは環境を保護するための技術になっていくと予想されますが、この分野では日本の方がはるかに進んでいます。その技術を日本の優位性を確保するために活用していったらよいと思うのです。

 日本人というのはお人好しなところがあって、自分が善意を持って行動すれば相手もそれに応えてくれるだろうと期待してしまうところがあります。結果論となりますが、今回の船長釈放もそういう期待が働いたように思われます。同一の文化・習慣を持つ間柄であればそのような期待も有効でしょうが、国際社会ではそういうわけにはいきません。
自分の物差しで相手の行動を予測(というよりは期待)するというのは無意味です。
 ですから外国に技術を持ち込む場合、肝心要の部分は渡さないということも必要だと思うのです。
by T_am | 2010-09-26 12:22 | その他
 那覇地検が、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で逮捕した中国人船長の釈放を決めました。そもそもの逮捕容疑は、この漁船が海上保安庁の巡視船に対し、故意に衝突してきたという公務執行妨害です。
 ここでこの事件を整理してみましょう。

 領海侵犯をした船舶に対し、海上保安庁は停船を命じ、船舶に乗り移って臨検を行い、船籍・目的地・航行の目的・積荷・無通報の理由などを聴取し、場合によっては逮捕することがあります。今回の中国漁船は停船命令を無視したばかりでなく、巡視船に対し故意に衝突してきました。巡視船が停船を命じたにもかかわらずこれを無視して逃走しようとした場合、巡視船は威嚇射撃をすることで強制的に停船させるようにします。これが普通のやり方ですが、今回の場合、そうなる前に漁船が巡視船に衝突してきたわけですから、公務執行妨害で船長が逮捕されのは当然の成り行きであるといえます。ることはなかったと考えられるのです。
 ところで、これが日本の領海内ではなく日本のEEZ内や公海上であればどうなっていたでしょうか。EEZ内であれば漁業法に基づいて立ち入り検査を行うことができます(拒否した場合は停船を命じることができる)が、公海上ではそれもできません。

 したがって、中国漁船衝突事件で海上保安部が国内法に基づいて船長を逮捕したということはこの海域が日本の領海内であるということを世界に向けて宣言するのと同じですから、中国政府としてはこの船長の逮捕そのものを絶対に容認するわけにはいかないという事情があったのです。そこで中国政府が日本に向けて様々な圧力をかけてきたことは連日のニュースで皆様よくご存知のはずです。
 
 その結果、本日、那覇地検は「計画性は認められず、日本国内での前科もない。加えて日本の国民への影響や今後の日中関係を考慮」した結果、処分保留で釈放するという発表を行いました。決定にあたり、那覇地検では福岡高検や最高検と協議したとのことです。、処分保留というのは起訴しても有罪に持ち込むだけの材料がない場合に行われるものであり、巡視船に別段の被害もなくまた乗組員にけが人もいなかったことから、さほど重大な事件であるとはみなされないという判断が働いたものと思われます。もっとはっきりいえば、たいした犯罪でもないのに起訴に持ち込んでも、日中関係に与える影響の大きさを考えるととても割に合わないと考えたのでしょう。有罪判決を勝ち取ってもたいして評価されるわけでもなく、逆に騒ぎが大きくなれば責任を取らされるという心配をしたものと思われます。

 大阪地検特捜部の主任検事が逮捕された事件をみてもわかるように、日本の司法は法の番人であることを放棄してしまっているといえます。正義よりも自分の利益・保身を優先させるという体質は大阪地検特捜部に限ったことではないということが明らかになりました。今日の決定までの間に政治の圧力もあったであろうことは容易に想像できるのですが、船長の釈放という決定が、現場でそれこそ命がけで職務を遂行しようとしている人たちの意欲を著しく削ぐことになるのは間違いありません。
 のは日本の至る所で見ることができます。今回の決定に対する批判が轟轟と湧き起こることになるでしょう。しかし、まじめに努力している人たちが馬鹿を見るという暗黙の事実が日本の社会の活力を奪っているということを指摘する人はあまりいないのではないかと思います


付記
 領土問題というのは結局は力の問題です。日本が日清戦争で得た遼東半島を三国干渉によって放棄させられた事例をみてもわかるように、どんなに正論を述べようとも力が弱ければ通用しないのです。それが悔しければ力をつける以外にありません。その点中国は、かつて力が弱かったために列強によって蹂躙されたという経験があるだけに、そのことをよく知っている国です。金を払ってアメリカに守ってもらえば自分たちは金儲けに専念できると思っているうちは、同じようなことはこれからも繰り返されることになるはずです。
by T_am | 2010-09-24 23:26 | その他
 武田邦彦先生が、大阪地検特捜部の主任検事が逮捕されたことについて、相手が厚生労働省の局長だったからであり、これが平民だったら検事は不問に付されると書いておられます。

http://takedanet.com/2010/09/post_a6cd.html

 過去に冤罪事件はいくつも起こっていますが、それで逮捕された操作関係者はいないわけですから、なるほどと思います。そういえば逮捕された当日のニュースで「異例の事態」とマスコミが報道していましたが、これは「本来逮捕されるはずのない人が逮捕された」という意味で「異例」だったのですね。

 今回のフロッピィディスクに保存されているデータの更新日時(タイムスタンプ)の書き換えというのは、そのことにとらわれるとかえって問題の本質を見失う恐れがあるように思います。

 Windowsパソコンではファイルの内容を変更して上書き保存すると更新日時(ファイルのプロパティを開くと見ることができます)が書き換えられます。更新日時を書き換えるには専用のソフトが必要ですから、逮捕された検事が供述しているように「間違えて書き換えてしまった」というのはあり得ません。更新日時はそれを書き換えるためのソフトがない限り変更できないのに、それを書き換えたというのは、検察がそういうソフトを用意していたということを意味します。
 つまり、次の2つの条件を満たさないと更新日時の書き換えはできないのです。

1.あらかじめ更新日時を変更する意図があって専用ソフトを入手し、パソコンにインストールした。た。
2.更新日時を変更する目的でそのソフトを起動し、使用した。

 ところが、逮捕された検事は「誤って変更してしまった」と供述しているのですが、誤って専用ソフトを入手しインストールしたうえで使用したということは考えられません。むしろ日常的にこのソフトを使っていたのではないかと疑われるのです。さらに、当時誤って変更してしまった」という報告を受けた大阪地検幹部もそのことを了承している以上、大阪地検ではこのソフトが日常的に使われていたと推測することができるのです。(更新日時が変更できるということを上司が知らなかったのであれば、どういうことなんだ、と問い質して自分が納得できるまで追及するというのがまともな上司の行動です。)

 過去に起きた冤罪事件でも捜査関係者による証拠の改竄・捏造があったことが指摘されていました。すなわち、日本の捜査・司法当局には被疑者の有罪を立証するためには証拠に手を加えることが当たり前であるという体質が存在することが想像できるのです。
 もっともこんなことは私が申し上げなくても、「誤って変更してしまった」という供述が嘘であり到底信じられるものではないということは誰もが感じていることでしょう。そこで懸念されるのは、逮捕された一検事の個人の犯罪ということになりはしないかということです。この検事が自己弁護に走れば走るほど「悪いことをした人間」というイメージが強くなっていくのですから、問題の本質がうやむやになってしまう恐れがあると思うのです。

 今年の1月に公判が始まり、弁護団によって検察の捜査のほころびが次々と指摘されると、3月には大阪地検特捜部の検事11名のうち10名が転出するという人事異動が行われたそうです。唯一残ったのが今回逮捕された検事だけというのですから、検察の威光を傷つけたことに対する懲罰人事であったとみることができます。
 組織に自浄能力があるのであれば、関係者を「とばす」前に実態の究明が行われるのが普通でしょう。処分が行われるとすればその後のことになります。しかし、そういうアクションがなかったということは、上級庁の判断基準がどの辺に座標軸を置いているのかが分かるように思います。
 そういう組織に身を置いていれば、公正に判断し行動するということが行われなくなるのも当然であるといえます(もちろん例外的な検事もいるでしょうが)。

 今後この事件がどのような展開をみせるのかわかりませんが、「エース級検事が犯した犯罪」ということに関心が集中してしまう(高みにある者を引きずりおろすのは快感ですから)と、「あいつはやり方を間違えた」とか「運が悪かった」ということで片づけられ、今後も冤罪事件がなくならないのだろうと思われます。
by T_am | 2010-09-23 21:46 | その他
スーパーマーケットが登場して地方都市では肉屋・魚屋・八百屋・豆腐屋といった店が消えていきました。私が住む新潟県も例外ではないのですが、村松(五泉市)というところに元気で不思議な肉屋さんがあります。
 どこが不思議かというと、店内のメニュー(次の写真)をみていただければわかります。



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 馬肉は熊本へ行けば普通に食べられていますが、ワニや鹿さしというのは珍しいですね。また、これには載っていませんが、カンガルー、ラクダ、ダチョウの肉も扱っています。
 この店の名前は金パリ食肉店。地方の商店街らしくシャッターが下りている店舗が多い中で元気に営業しています。変わった肉だけでなく、安くておいしそうな惣菜にも力をいれていますから、興味のある方は一度訪ねてみてください。全国発送も行っています(冷凍されてパック詰めされている)。



 昨日は、アラカワさんの肝いりでこの店の肉を賞味する会が開かれました。場所はアラカワさん所有の里山スタジオ。新潟市と五泉市の境界近くにある「男の隠れ家」という趣の一軒家です。草深くで落ち着けるところなのですが、ちゃんとフレッツ光が使えるのには驚きました。参加者はアラカワさん、セイヤさん、ユタカさん、RYUくん(彼女といっしょ)、ジュンコさん、それに私です。
 今回調達してきた肉は、

・馬刺し
・鹿刺し
・ワニ
・ラクダ
・ジンギスカン
・馬
・鹿
・カンガルー
・コブちゃん(腸)
・テッちゃん(シマチョウ)
・カエル(下半身のみ冷凍パックに入っている)

 それにサラダを三品つけて一万四千円ちょっと。一人二千円ですからまあ安いものだといえるでしょう。



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これはワニの肉です。鶏肉みたいでしょう?



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珍しい鹿の刺身です。とてもおいしい。



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カンガルーの肉。焼き方に注意しましょう(後述)。



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これはラクダの肉です。黙って出されると何の肉かわかりません。



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カエルの足です。おいしそうに焼けています。


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里山スタジオの食卓。左側の枝豆(ユタカさん差し入れ)の右側にあるのはジンギスカンです。



 この中で、文句なしにおいしかったのは「鹿刺し」「ワニ」「カエル」「コブちゃん(腸)」「ジンギスカン」です。特に「ワニ」と「カエル」はあっさりした味で、黙って出されれば鶏肉だと思い込んでしまいそうです。また、カンガルーとラクダは薄くスライスされているので、きちんと広げて焼くと水分が飛びすぎてしまい、ぱさぱさした食感となります。そこで蒸し焼きにするように集めて焼くと水分が適度に残っておいしく食べられます(これはセイヤさんが発見した)。
 そのほか気づいたことは、焼き肉で肉の味を味わおうと思ったら刺身醤油がいいということです。ただし、馬肉のようにちょっとクセがある肉の場合、下ごしらえするかタレをつけて食べたほうがいいようです(金パリさんでは下ごしらえした馬肉を渡してくれます)。
 また、焼き肉はきちんと炭で焼いたほうがおいしくなります。肉を焼く場合、アロマ(香り)とテイスト(舌で感じる味)とフレイバー(口の中に広がる風味)を損なう焼き方をすると、せっかくの食材が台無しになってしまいますから、やはり炭火でじっくり焼いたほうがいいように思います。その代り油が炭にしたたり落ちると、燃えて煙が出てしまうことになりますが、おいしいものを食べるのですからこれくらいは我慢しなければならないでしょう(里山スタジオには大型の炭焼用コンロがありますし、窓をあけても近所から苦情がくる恐れもありません)。
 今日食べた肉は普段なじみがないものばかりであり、クセがあるのではないかと思っていたのですが、考えてみれば普段食べている豚肉や牛肉にだってクセがあります。食べなれているから何とも思わないだけで、それ以外の肉はクセがあるのではないかと敬遠するのは実にもったいないことだと思います。
 今回は里山スタジオの裏に生えているミョウガを薬味として使いました(ミョウガもスーパーで買うとけっこう高いのですが、ここではいくらでも取り放題です)。焼き肉とミョウガという組み合わせはけっこう相性がいいというのも新発見でした。
 そのほかにもユタカさん差し入れの枝豆(奥さんの実家でとれた由)、〆にアラカワさんがゆでてくれた十割そばもおいしくいただきました。

 おいしいものを気の合う仲間たちと一緒に食べるたのしさは格別であり、そういう意味で私にとって今回最大の発見は里山スタジオの存在を知ったことだといえます。

 アラカワさん、また寄せてもらいますね。
 
by T_am | 2010-09-20 00:11 | その他
 近所のスーパーに買い物に行くと野菜の値段が高くなっていることが実感されます。春は天候不順で寒く、夏になればなったで猛暑というわけですから、野菜の生育に悪影響を及ぼしているといわれれば、なるほどそういうものかと思います。その一方でロシアが小麦の輸出を禁止したことにより、シカゴの小麦価格が2年ぶりの高値をつけたというニュースが入ってきました。そうすると輸入小麦の価格も高騰するのではないかと心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、一昨年ほどひどい状況になるわけではなさそうですから、それほど心配する必要はないものと思われます。

 農作物が不作となって価格が高騰すると決まっていわれるのが、日本の食糧自給率の低さです。先進国の中でも日本の食糧自給率は際だって低いので食糧安保上問題である。ゆえに日本は食糧自給率を高めるべきである。という論理が展開されます。一般の消費者は、現実に農作物の値段が高くなっているところにこういうことを指摘されると、なるほどそういうものかと思ってしまいます。農作物の不作(価格の高騰)と日本の食糧自給率との間には何の関係もないのですが、タイミングが同じだけに、つい結びつけて考えてしまうのです。食糧自給率を持ち出す人間はそれを狙っているわけであり、ずいぶんあくどいことをするものだと思います。

 マスコミに取り上げれらる食糧自給率とは、通常「総合食糧自給率」のことをいいます。これは日本の食糧全体の自給率はどうなっているかという指標として用いられているのですが、実は指標としてはけっこういいかげんであるといえます。
 自給率というのは、その国で生産される食料の量をその国で消費される食料(廃棄も含まれる)の量で割ることによって求めることができます。これは量の比較ですから、通常は重量で計算します。品目別食糧自給率はこの方法に基づいて計算されています。
 ところが、食料全体ではどうかを知りたいときに個々の品目の重量を合算していいものかという疑問が生じます。品目によって重さも異なれば廃棄率も異なります(果物は果肉しか食べないで皮の部分を捨てる)。極端なことをいえば、米と野菜しか食べない国があって、米は自給率100%であるけれども葉野菜は100%輸入しているという場合、重量の合計だとこの国の食糧自給率は100%に近いものになります。だからといってこの国の食糧安保が万全であるとはいえません。したがって重量を合算して総合食糧自給率を計算するのは乱暴であるといえます。
 次に生産額ベースで計算する方法がありますが、これは不作の年は価格が高騰するので年によっては自給率が変動することになります。そのため、あまり信用できる指標であるとはいえません。
 最後の方法は、日本の農水相が採用しているカロリーベースで食糧自給率を計算するやり方です。しかし、たとえば肉や乳製品などはカロリーが高く、野菜はカロリーが低いことを考えると、その国の風土によって、たとえば牧畜に適した国では生産カロリーが高くなり、逆に耕作に適した国では生産カロリーが低くなることが予想されます。また人口の割に国土が広い国では国内で消費するカロリーよりも生産するカロリーの方が多くなります(日本はこの逆ですね)。さらにいえば、一人当たり国民所得の高い国では人間が消費するカロリーは高くなりますが、後進国ではそういうわけにはいきません。したがって、カロリーベースで食糧自給率を計算しても国によって事情が異なるので、この指標もその国の食糧事情を示しているとは言い難いのです。
 実際、Wikipediaによれば、カロリーベースで食糧自給率を計算している国は、世界中で日本と韓国しかありません。それ以外の国はどうしているかというと、そもそも食糧自給率の計算をしていないのです。(その代わり農水省の役人が頼まれもしないのに大汗をかいて他国の食糧自給率を計算しています。)
 アメリカやオーストラリアのように食料を輸出している国では自給率は100%を超えます。当たり前ですね。そういう国では食糧自給率を計算しても意味がないのであって、それよりも、どうやって価格を維持するかの方が重大な問題となります。
 にもかかわらず、世界各国の食糧自給率が公表されるのは、農水省の役人が大汗をかいて他国の食糧自給率(カロリーベース)を計算しているからです。他の国では関心を持たれていない食糧自給率という指標を日本の農水相の役人が一生懸命計算しているというのは不思議なことです。そうは思いませんか?

 そうやって計算された日本の食糧自給率はカロリーベースではおよそ40%です。農水省では、せめてこの数値を50%程度にまで持っていきたいといっていますが、どうするつもりなのでしょうか?
 カロリーベースでの食糧自給率を変化させるには、現在の食生活を変えるか、あるいはよりカロリーの高い食料品の生産にシフトしていく以外方法はありません。読者は減反している田んぼで小麦をつくればいいのではないかとおっしゃるかもしれません。私も以前はそう思っていましたが、農家に話を聞くとそれは無理であるということがわかりました。というのは、小麦の収穫期に梅雨を迎えること、または、降水量が多いために小麦を植えるには畝をつくらなければならず、それでは刈り入れのときにコンバインが使えないからです。農業人口が減っている日本では機械を使わないと穀物の生産ができないようになっているのです。
 したがって、日本人が今の食生活を続ける限り小麦の輸入国から脱却することはできません。食生活を変えるというのは、現在のようにパンや麺類を食べるのを極力減らし、さらにカロリーの高い食品を好んで食べているのをやめて粗食にかえていきましょうということです。しかし、これが国民に受け入れられるとはとうてい思えません。食品業界も猛反対するでしょう。
 それでは農産物の生産構造を変化させて、農家に畜産を推奨するというほう方法はどうでしょうか? つまり、日本中で牛や豚を飼うわけです。そうすれば国内で生産する食料品の総カロリーは増えるので、食糧自給率は確実に上昇します。でも、農水省がそういうことを奨励しているという形跡はありません。昨年、農地法を改正して農地を簡単に転用できないようにしましたが、それも現在の日本農業の生産構造を維持するということにしか寄与しませんから、食糧自給率を高めることには結びつきません。
 日本の食糧自給率は先進国の中でも際だって低いという指摘がされていますが、それを改善しようとするのであれば日本の産業構造をどうするのかということを考えなければならず、そうなると農業だけの問題ではなくなってしまうのです。
 一昨年の小麦の世界的な不作によって輸入小麦の価格が上昇したときに、日本の食糧自給率が低いといわれ、それを受けてこれ以上農地をつぶさせないという理由で農地法の改正が行われました。ところが、それは現状維持のための政策であって、食糧自給率を高める政策ではないのです。結局、食糧自給率という数字は農水省の役人の権限を強化するための口実に使われたと思って差し支えないようです。

 食糧自給率が意味を持つのは、国民が飢えるかどうかというときでしょう。いかなる事態が起ころうとも国民を飢えさせないという決意が政府の中にあるのであれば、最低限国内で生産しなければならない食品は何か? という問いかけが行われることになります。そのときに意味を持つのは品目別食糧自給率になります。国民が飢えないよう最低限の食料を確保するために米は何トン生産すればいいのか? 小麦はどれだけ生産すればいいのか? 肉は? 魚は? 野菜は? という疑問に対する解答を導き出すのはそれほど難しいことではないと思います。そうなれば、個々の農作物の作付面積はどれだけあればいいのかということが導かれます。つまり、これだけは絶対に農地として確保しなければならない面積というのがあるはずなのです。するとそれを耕作するのに必要な農業人口が導かれます。次の課題は、その人たちが農業で生計を立てていくことができるようにするにはどうすればいいかというものです。ほかにも必要な肥料はどれだけで、どうやってそれを確保していくのかということも考えなければなりません。

 しかし、実際にこのような作業が行われているかというとそうではありません。むしろ現在の経済体制を維持して食料の輸入を可能にする状態を維持する方がいいと思われています。
 この考え方も、現在の状態が変わらないという前提で未来を考えるというものですから、同意するのにためらってしまうのですが、それでも食糧自給率が低いといって国民を不安に陥れては自分たちの権限の強化に利用するという人たちよりsははるかにまっとうな考え方であることに違いはありません。
by T_am | 2010-09-19 07:48 | その他
iPhoneでメールの受信ができなくなったときの復旧について

 iPhoneでは、SMS(ケータイのショートメール)とMMS(普通のケータイのメール)、そして、@i.softbank.jp というPCメールと同じ機能を持ったメールを使うことができます。(このほかにGmail も使用可能)。
 
 @i.softbank.jp には送受信できるメールサイズが1メガ以内という制限があって、その便利さに調子こいて、ついうっかり1メガを超えるメールをiPhone に送ってしまうとメールの受信ができなくなってしまいます。(送信は可能です。)
 ここまでは解説に書いてあるのですが、実際にそういう事態に遭遇したらどうしたらいいかまでは書いてないので、ここに書いておきます。ただし、ここに書いてある方法は偶然の賜であるかもしれないので、この通りにやっても復旧できないこともあるかもしれません。そこまで責任は持てないので、そのつもりで読んでください。

(手順)
1.「設定」→「メール/連絡先/カレンダー」→「アカウントを追加」をタップします。
2.「その他」をタップして、「メールアカウントを追加」をタップします。
3.@i.softbank.jp で設定済みのアドレス、パスワードを入力して(名前と説明は前と違うものを入力しておきましょう)登録します。
4.メールの受信を試みても、受信できないことを確認します。
5.今追加したアカウントを削除します。
6.もう一度メールの受信を試みると、「パスワードが入力されていない」というメッセージが表示されます。
7.「設定」→「メール/連絡先/カレンダー」で元からある @i.softbank.jp のアカウントのパスワードが消えているので、再度正しいパスワードを登録します。

 これでメールの受信ができるようになりました。メールの送信はできるけれども受信はできないというときに、この方法を試してみるといいかもしれません。保証はできませんが・・・


追記
 この問題に関する解決方法(アカウントをいったん削除して再度追加する)がAppleのサポートページに記載されていました。どうせなら、もっと早く掲載してくれていればよかったのに・・・

http://support.apple.com/kb/TS3899?viewlocale=ja_JP
by T_am | 2010-09-16 21:37 | iPhoneを使いこなすために
 読売新聞のWebサイトにこんなニュース速報が載っていました。

 小沢氏に投票の田中真紀子元外相「しこる人はしこるけど、しこらない人はしこらないんじゃないの。菅さんのやり方一つ、器量が大きい人かどうかが見られる」

 皆さん、この発言の意味がわかりますか? 恥ずかしながら、私は10秒ほど考えて、もしかしてこれは「しこりを残さない」とか「根に持たない」という意味なのではないだろうか、ということに思い当たりました。
 新聞記者もさぞ困ったことだと思います。せっかくとった田中真紀子のコメントですが、このまま載せれば意味不明だし、かといって無断で書き直すわけにもいかないのですから。
 
 念のため「しこる」という言葉を辞書でさがしてみたところ、三省堂大辞林には次のように解説してありました。

(1)身体の一部に筋肉のこりかたまりができる。
「首が―・る」

 そのほかに動詞として用いる場合、かたまって集まる、何かに熱中する(集中する)、という意味があることが紹介されているのをみると、あまり言い意味で用いられる言葉ではないようです。
 それにしても、こういう言葉があるとは不覚にも知りませんでした。我ながら無知であったと思います。
 これは合っているかどうか確信がもてないのですが、「しこる」という言葉には、意図してそうなったという意味は希薄であるように思います。どちらかというと偶発的にそうなったという意味合いが強いのではないでしょうか。ところが、田中真紀子の発言は、「しこる」「しこらない」は自分の意思によるものであるという意味がありますから、用法としては適当ではないと思います。それをいうなら、「根に持つ人は根に持つ。根に持たない人は根に持たないんじゃないの。菅さんのやり方ひとつでそのことがあきらかになるのだから、器量の大きい人かどうかが自ずとわかる。」とでもいっておけばよかったのです。
 せっかくの発言も、私のようなものにまで揚げ足をとられるようでは何にもなりません。

 面白いと思うのは、田中真紀子は管直人代表に対して、今回の代表戦のしこりを残すようでは器量の小さい人だと思われるわよ、と述べているわけですが、それでは田中真紀子氏個人はどうかというと、今までの言動を見る限り、いつまでも根に持つタイプではないかと思っていただけに、意外な感じがしました。こういうのを天に向かってつばを吐くというのではなかったか、とひとしきり考えさせられたのですから、やはり存在感のある政治家であることに間違いはないようです。
by T_am | 2010-09-15 00:10 | その他