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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 参議院議員選挙の投票日が近づいているので、誰に投票したらいいかを判断するために候補者のホームページの閲覧を続けています。
 今回はその3人目として、現職議員ながら無所属で立候補したした候補者のホームページを取り上げます。

 この人は県会議員を5期務めた後、参議院選挙に立候補して当選。社民党に属していますが、先の連立離脱には最後まで反対しており、今回の選挙では党籍を残したまま無所属で立候補するという離れ業を演じています。

 この人のホームページをみると、今までどんなことに力を注いできたかがアピールされています。この辺が既に取り上げた二人の候補者とは違うところであり、有権者にとってはそれだけわかりやすいといえます。さらに、「国会質問」というリンクが貼ってあり、自分が国会でどのような質問をしたかが質問趣意書とともに閲覧できるように工夫がしてあります。
 それだけ自分の仕事に誇りを持っており、誰に対しても恥じることはないという自負が感じられるようで、実に好ましいといえます。

 そこで、この候補者の政策についてみてみましょう。
 「10の約束」として、次のように簡略にまとめられています

・「国民の生活が第一」の姿勢を堅持し、年金・医療・福祉・介護・教育・子育てなどを改善します。
・情報公開の徹底。政策決定の透明化をさらに推し進めます。
・国民から信頼されるクリーンな政治を実現し、「政治とカネ」の問題の浄化にトコトン努めます。
・環日本海経済圏、アジアの繁栄を呼び込み、環境と社会保障の分野で雇用を生み経済を成長させます。
・中小企業支援を強化し、「ものづくり新潟」を応援します。
・労働者派遣法の改正などで不安定な働き方を見直し、格差と貧困を減らします。
・農林漁業者に対する本格的な戸別所得補償制度を確立します。口蹄疫など家畜伝染病対策を強化します。
・自然エネルギー利用促進のためのロードマップを作ります。
・郵政改革法案を早期に成立させます。
・沖縄の負担軽減、米軍基地の国外・県外移転を求め続けます。


 これを読んでどのように思いますか? 私は、安全志向というか、できなかったと子のいいわけができるような政策であると感じました。というのは、「改善」「推し進める」「努める」「成長させる」「応援する」「減らす」「強化する」「求め続ける」などの表現は、成果はともかく行動だけはする、という意味の言葉が並べられているからです。これならば、約束したことができてないじゃないか、と非難されても、「いえ、現在改善の途中です」とか「現在努めているところです」といえば済むわけです。賢いですね。
 結果を約束しているのは、「戸別所得制度を確立する」「ロードマップを作る」「郵政改革法案を早期に成立させる」の3つのみで、あとは要するに「努力します」といっているに過ぎません。つまり、普天間基地の移設問題のように、「国外・県外移転を求め続け」ていれば公約を実行したことになるのであり、結果についての責任を負う必要はないのです。国会議員というのは楽な仕事なのですね。サラリーマンやってる方がよっぽど切ないといえるでしょう。

 そういう目で、この政策を見直すと、借り物の言葉が多いことに気がつきます。厳しい言い方をすれば、借り物の言葉を使うことで何となくわかった気になりますが、実はそこで思考が停止してしまうという落とし穴があり、本人はそのことに気づいていないのです。
 例を一つあげましょう。「自然エネルギー利用促進のためのロードマップ」と書かれています。自然エネルギーとは化石燃料に基づくエネルギーと区別するためにつくられた言葉であって、多分に誇大広告的なニュアンスがあるのですが、太陽光・風力・潮力・地熱発電は私がこどもの頃から取り組まれてきたものであり、それ以来数十年経つ現在でも、どれも未だに経済ベースに乗っていないという問題を抱えています。経済ベースに乗るというのは、次の不等式を満たすものでなければなりません。

 そのエネルギーから生み出された価値>そのエネルギーを生み出すために費やされたコスト

 経済ベースに乗るようになると、この不等式の左辺にある価値の一部が次のエネルギーを生み出すコストを捻出することに費やされ、その結果、エネルギーは絶えず生み出されることになります。たとえば、火力発電所で用いる燃料代と発電によって得ることができる電気料とを比較したときに、燃料代よりも電気料の方がはるかに大きいからこそ、発電を続けることができるのです。
 それでは自然エネルギーの場合はどうかというと、もっとも普及しつつある太陽光発電でも、補助金や余剰電力の買取制度によって左辺が右辺よりもかろうじて大きくなっているというのが現状です。補助金の支給や買取制度を廃止してしまえば、コストの方が高くつくのですから、とても実用にはなりません。
 自然エネルギーですべての電力を賄っているという工場はまだ存在しませんし、そもそも電気で飛行機は飛ばないのです。
 そういうものに対してロードマップをつくるのは税金の無駄というものです。まして普及させればさせるほど補助金が必要になるのですから、その財源はどうやって捻出するというのでしょうか。

 こういうことは、マスコミや政府の情報を鵜呑みにしている限り気がつきません。しかも自然エネルギーなどと見た目のいい言葉に対しては、それ以上自分の頭で考えるということをしなくなるのが普通です。そして、無駄遣いをなくすといいながら、大きな無駄遣いをしていることに気づかないということになるのです。

 ですから、これだけ真面目で熱心であり、しかもバイタリティーに溢れた人が借り物の言葉で満足してしまい、自分自身で考えようとしないのは実にもったいないと思います。また、真面目でバイタリティーのある人ほど、間違った方向に努力するとその被害は大きなものとなります。
 ということで、この候補者も私にとって、投票に値するかというと不適ということになります。

 追記。
 ネット選挙というか、ホームページだけをみて投票する人を決めるというのも実は危険な行為であるといえます。というのは、候補者のホームページには書かれていないことも多いからです。それを補うにはマスコミによる情報も活用する以外にありません。たとえば、すべての候補者に同じ質問を投げかけて、その回答を掲載するというのはマスコミでないとできません。選挙期間中は、そういう記事も掲載されるので、積極的に利用したいところです。
by T_am | 2010-06-29 22:54 | その他
 今回は、自民党候補者のホームページをみることにします。(読者も、ご自分の選挙区の候補者のホームページを一度チェックされるといいと思います。)
 今回取り上げるのは、県会議員を15年務め、このたびの参院選に立候補したという人です。ホームページに記載されているプロフィールは、経歴の他にどんな人柄なのかを知ってもらおうという努力の跡があり、その点前回取り上げた民主党候補者とは雲泥の差であるといえます。
 個人のブログが解説されていたのでそのリンクを辿ってみると、議員としての活動の記録といってよいものであり、今年の3月以降は写真付きでほぼ毎日更新されていることがわかります。選挙を意識したのかもしれませんが、かなりまめなひとなのだなと思います。しかしながら、その内容はどこそこの会合に出席したという事実が淡々と書かれているのみで、この人の考え方が伝わってこないのは残念に思います。
 前回取り上げた民主党候補者も含めて、現職議員というのはかなり多忙なのだろうと思いますが、それでも暇を見つけては自分の考えを発信していくということをしていかないと、ネット選挙の時代になったときに存在感がかすんでしまうのではないかと思います。この候補者はまだ若い(51歳)だけに、もったいないですね。

 次に、「政治活動」というリンクを辿ってみると、この人が過去にどんな役職についたかが記載されています。いわば経歴をすこし細かくかいただけのものであり、政治信条や過去にどんな条例の制定にかかわったとかいう記録がないのが残念です。
 選挙公報や政見放送というのは有権者にとっては受け身の情報であり、その機会を逃せば手に入れることはできません。ところがネットでの情報発信は、有権者がその気になればいつでもアクセスできるという点が決定的に異なります。つまり、ネットというのは、きちんと仕事をしている現職議員にとって自分の実績をアピールするうえでとても効果的なツールであるといえるのです。
 昨日取り上げた民主党候補者も、今回の自民党候補者もそのことに気づいていないのかもしれません。現職議員が自分の実績をネット上でアピールしないのは、その重要性に気づいていないか、あるいはもともとたいした仕事をしていないかどちらかです。会合に出席したり、人に会ったりするのは議員の仕事の中でも避けて通れない部分であると理解はしますが、それが議員の仕事の主流だと思われたのでは困ります。会合に出席したり人に会うというのは手段であって、目的ではないはずです。
 いろいろな会合に出席しているというアピールは精力的に仕事をしているというつもりなのかもしれませんが、私には本末転倒であるとしか思えないのです。

 さて、肝心の政策ですが、この候補者の場合、選挙運動用の個人ビラをPDF化しており、それを見てもらえばいいということなのでしょう。このあたりわざわざサイトをつくるということをしないだけコストをかけないという工夫のあとが伺えるようです。政党本部がおなじことをしたら手抜きといわれるでしょうが、個人なのですから事情を忖度してあげるべきなのかもしれません。
 そこで、このビラから「主な施策」というのを引用してみます。

・円高の是正とデフレ経済からの脱却
・必要な社会資本整備予算の確保
・地域を支える建設産業の経営改善
・物づくりへの支援策の充実強化
・産地ブランドの育成・強化
・北陸新幹線建設促進
・離島航路への支援
・佐渡航空路の機能強化
・子育てにかかる経済的支援の充実
・父子家庭支援策の充実
・地方の勤務医不足の解消
・福祉、介護人材の確保に向けた処遇政策
・県内情報の発信機能の強化
・トキの野生復帰に向けた生息環境整備の促進
・トキの安全な飼育環境の確保に向けた対策の推進
・国際観光推進のため、中国人の訪日手続きの緩和
・真の地方分権の推進
・拉致事件の解決
・北朝鮮の核やミサイルを各国と連携して阻止
・家族の絆、社会への奉仕の精神を育む施策の推進
・学校施設の耐震化に係る補助制度の弾力化
・警察官の増員
・非主食用米の生産に対する支援策の充実強化
・農林水産業が果たす多面的機能の評価と適切な支援
・国産農林水産物の消費と輸出を倍増し、競争力のある攻めの農林水産業を実現
・農山漁村の基盤整備に必要な財源の確保
・国産木材の利用促進による持続可能な森林経営の実現
・資源栽培漁業の推進


 なんと28項目もあり、書き写すだけで疲れました。どれもこれも言わんとするところはわかるような気がしますが、よく考えるとやっぱりわからないというのが正直な感想です。たとえば、「地域を支える建設産業の経営改善」とあるのは何をするつもりなのでしょうか。一企業の経営改善というのは経営トップの役割であり、決して不可能なことではありませんが、産業全体の経営改善というのはどうやれば可能になるのか、私には検討もつきません。
 さらに、「国産農林水産物の消費と輸出を倍増」とありますが、消費を倍増するには、原理的には人口を倍にする以外にありません。補助金を大量に投入すれば輸出量を増やすことはできますが、それによって価格を下げたからといって消費をアップさせることには限界があるからです。国民がおしなべて胃拡張にでもならない限り、食事の量が倍になるということはありません。したがって、この項目も意味不明な政策であるといえます。
 また、「北朝鮮の核やミサイルを各国と連携して阻止」とありますが、阻止するのは「核やミサイルの開発」なのか、それとも「核やミサイルの使用」なのかによって、対策はまるで異なったものになります。
 ついでに申し上げておきますと、「国産木材の利用促進」とありますが、これは補助金を導入するという意味でしょう。しかし、補助金を支給することによって持続可能になる経営というのは、既に経営として破綻していると思いませんか? 国産木材の利用を促進するというのならば、輸入木材に高率の関税をかけるという方法もあるはずです。しかし、それを行うと、報復として日本が輸出する工業製品に高率の関税がかけられる恐れがあるのでできないという事情があるのです。それならば、日本の国土を維持するために森林の保全は大事なのだから赤字覚悟で補助金を支給するという文脈で政策を展開する方がよほど誠実な物言いだと思います。それをしないのは、穿った見方をすれば、失礼ながらあまり深くものごとを考えていないのではないかと思われるのです。

 政治家とは言葉を操る職業なのですから、自分の政策を箇条書きにして終わりというのは自殺行為です。箇条書きの政策というのは、論文で言えば見出しのようなものであり、本文が別にあって然るべきでしょう。スペースの都合上、選挙用ビラや選挙公報、政見放送では簡略化した表現しかできないかもしれません。しかし、ネットではそのような制約は一切ないのですから、そういう努力をすべきでしょう。それをしないのは、必要性を感じていないか、そこまで深く考えていないかのどちらかであると私は思います。

 さらに、ざっとみて、ローカルな課題が多いということに気づきます。そのことを否定するものではありませんが、国政の場で取り上げる問題なのかというと、やはり疑問が残ります。この候補者が主張する「真の地方分権」が実現した暁には、いずれも地方の役割となるものばかりです。
 そういう視点でこれらの政策をみると、この候補者が当選した際には、地元への利益誘導を第一義に活動する国会議員になるのだろうなという気がします。かつて、そういう国会議員が多かったために、各地で赤字のローカル線や高速道路、箱物がつくられたわけです。
 この候補者は、それと同じことをやろうとしているのだろう。そんな感想を持たざるを得ないホームページです。

 次回は、無所属で出馬する現職参議院議員のホームページを取り上げたいと思います。

 
  
by T_am | 2010-06-28 23:23 | その他
ネット選挙(2)  候補者のホームページをみる

 前回、ネット選挙について、やり方によっては費用をそれほどかけずに自分の主義主張を述べることができるという利点と、民主主義というのは有権者が誤った選択をする可能性を排除することができず、ネット選挙ではむしろそのリスクが高まる恐れがある、ということを申し上げました。それゆえに、有権者の過ちによって当選した政治家がもたらす弊害に対する安全装置を制度の中に組み込んでおく必要があるのですが、一番いいのは変な候補者を選択しないことです(当たり前ですよね)。
 そこで今回は、実際に参議院議員選挙の候補者のホームページを検証してみることにします。
 まず、民主党のある現職国会議員のホームページから、その政策を引用してみましょう。

・経済成長が持続的可能な経済財政政策および金融対策を推進する。
・企業の活発な活動と家計がその恩恵を享受できる経済環境を実現し、経済規模に相応しい豊かさが実感できる生活・住宅大国を目指す。
・拡大する所得格差に対応できる社会保障制度や税制を構築する。ほどよい国民負担率を堅持する。
・21世紀の進路を展望した新たな地方の時代を構築する。
・国土の均衡ある発展を基本としつつ平成の大合併による政令指定都市、新25万都市、地方中核10万都市、また過疎地域、離島等の各地域に密着した経済、医療、福祉、教育等の基盤整備を図り、国土全体が躍動する地域に再生する。

 これをお読みになっていかが思われたでしょうか? 私の感想は、議員歴が長いとこんなふうに抽象的な言葉を並べるようになるのかな、というものです。言いたいことは何となくわかるのですが、それであなたはいったい何をするのですか? と突っ込みを入れたくなるような政策です。具体的なことはひとつも書いてありません。したがって、これらの政策がどの程度実現されたかということが誰にも検証できないようになっているのです。
 それともうひとつ。
 ここには、あなたはいったい今まで何をやってたんですか? と質問したくなるようなことが臆面もなく書かれています。
 というのは、ここに書かれている政策はすべて現在実現されていないことばかりだからです。これから国会議員になろうという人がこういうことを言うのはともかく、既に何期も国会議員を務めてきた人であれば、これらの問題が発生していることについて、そしてそれを解消することについて自分が無力であったという反省や恥ずかしさはないのか、そんなことを考えてしまうのです。(この議員は2008年まで自民党の国会議員でした。)
 
 「私は今まで議員としての仕事を何もしてきませんでした。しかしこれからは一生懸命頑張りますから、どうか私に投票してください。」
 こんなふうにいうのならともかく、笑顔の写真といっしょにこういう政策が掲げられているのを見せられると、どこかずれてるんじゃないの? と思ってしまうのです。
そういえば、この議員のホームページでは、活動記録が準備中となっていました。こういうところにも、自分の議員としての仕事をきちんと有権者に伝えていこうという意識の低さが伺えると思います。

 今回は悪口となってしまいましたが、要はご自分の選挙区の候補者のホームページをのぞいて、その候補者がどんなことをいっているのか、それを自分で判断して投票しましょうということです。

 次回は自民党候補者のホームページを検証してみたいと思います。
by T_am | 2010-06-28 00:10 | その他
 最近「ネット選挙」という言葉をよく目にします。政党や政治家がホームページを持つことはもはや常識であり、ブログを開設している政治家も珍しくありません(もっとも有名になったのは阿久根市長でしょう)。
 ホームページ、ブログ、メールマガジン、ツイッターは、使い方によっては自分の意見や考えを大勢に人に知ってもらうことができるツールであり、選挙運動で用いられているポスターや選挙カーよりも安く運動を展開できると思われます。
 といっても、ホームページを凝ったものにすれば当然それなりにコストもかかりますし、著名な政治家になればなるほど、ハッキングやウィルス攻撃の標的になりやすいので、サーバーのセキュリティにも気を配らないといけないようになることでしょう。そうなると、ネットの活用を低コストで、というわけにはいかなくなるので、ある程度の資金力を持った政治家でないとネット活動の維持ができなくなる心配もあります。

 これらのツールを普段から用いることは現在でも行われていることですが、選挙運動にこれを用いるためには公職選挙法の改正が必要とのことです。携帯電話がインターネットに接続できるようになって久しく、大勢のユーザーが利用しているのですから、さっさと改正して、代わりに選挙カーの使用を禁止してもらいたいところです(なんといってもやかましいので)。
 
 選挙運動にネットの活用ができるようになると、どうなるか?

 まず考えられるのは、有権者の側に参画意識が高まるということでしょう。時々、市民運動によって特定の候補を応援し当選させようという現象が起こることがあります。ネット選挙が解禁されることによって、これがもっと頻繁に起こる可能性が高くなると思われます。ということは既存の組織票に頼る政治家にとっては不利になるかもしれないということでもあります。
 また、実際に韓国であったように、不的確な候補者を落選させようという運動が起こる可能性もあります。そうなった場合、もっとも影響を受けるのは小選挙区ですから、選挙区制度の見直しが迫られるかもしれません。選挙区が小さければ「雑音」の影響がもろに出てしまいますが、選挙区がある程度大きくなると「雑音」が打ち消されてしまいます。
 もともと小選挙区というのは、世論の風潮に左右されやすく、また死に票も多い制度なので、民意を反映させるという点で危険も多い制度です。早く小選挙区をやめた方が日本のためになると思っているので、選挙区制度の見直しのきっかけになるかもしれません。

 しかしながら、現実は日本でのネット選挙解禁がなかなか進んでいないのであり、その理由は組織票に頼っている政治家が多いからだといえます。ネット選挙が解禁されて、ひょっとしたら投票率が高くなるかもしれません。そうなると組織票の影響力がそれだけ低下するわけですから、組織票に頼る政治家の当選が危うくなってしまいます。
 特定の候補を応援しようという市民運動も一種の組織票であるといえるのですが、大きな違いは選挙が終わってしまえば自然消滅するということです。ところが、経済団体や労働団体などは選挙が終わっても存続するのですから、政治家とのつながりは次第に深くなっていきます。そうなると、国会で、特定の業界に有利な質問をしたり、有利な法案を提出するということも起こります。政治とは、税金をどこにどのように使うかを決めることですから、極論をすれば、そのような特定の団体の利益のために税金が投入されるということになるのです。

 したがって単純に考えると、ネット選挙によって将来的には組織票が影響力を失っていくかもしれないといえるでしょう。それは非常に喜ばしいことなのですが、その反面心配もあります。
それは、世論というのは誘導できるということです。その典型的な事例が小泉内閣の時の郵政解散選挙でした。小泉純一郎という人は、大衆の心をつかむのが天才的にうまく、長期本格政権を実現させました。その結果がどうであったかは、今では否定的に見られているように思います。
 ネット選挙時代には、大衆の心をつかむのがうまい政治家が台頭する可能性が高くなることは間違いありません。たとえば舛添要一という人は人気の高い政治家ですが、派閥全盛期の自民党であれば、あれだけ目立つ活動はさせてもらえなかったことでしょう。
 従来は資金力があって子分を多く抱えることができる政治家が力をふるいましたが、今後はそれとは違った人材が活躍できるようになったといえます。
 そのかわり、人気が高い政治家は皆、人格・識見・能力ともにすぐれ、日本国民を幸福にしてくれるかというと必ずしもそうではありません。むしろそうでない場合の方が多いのではないかと思います。最高権力者というのは絶大な力を持っているので、某国の大統領のように、バカな政治家が権力を握るとその悪影響は凄まじいものがあります。
 残念なことに、バカを当選させないというのは制度上不可能です。なぜなら、バカであるかどうかはやらせてみないとわからないからです。そこで、次善の策として、バカな政治家であってもその害をできるだけ小さなものにしようという制度が必要になります(アメリカで大統領の三選が禁止されているのはそのためです)。たとえば、議員の定年制を設けるとか、総理大臣は6年以上続けることができないとかいう制度の導入が考えられます。
 バカな政治家を選んでしまった代償として、ある一定期間は我慢しなければならないが、その時代はいつまでも続くわけではないというのは制度設計上不可欠な思想ではないかと思います。 
 
 こうしてみると、ネット選挙が解禁されるとそれですべてオッケーかというと、そうではないことがわかります。他の制度も連動して改正されなければならないのですが、そのような議論が起こってほしいと思います。
by T_am | 2010-06-27 06:57 | その他
 私が住んでいる新潟県には国道8号線という幹線道路が通っています。新潟市から滋賀県の栗東を結ぶ道路ですから交通量の多い道路です。
 国道8号線のうち、渋滞が多い区間は4車線化されており、さほどでもない区間は2車線のままなのですが、ここ数年郊外の2車線区間で幅員を広げる工事が行われています。最初は4車線にするのかなと思ってみていたのですが、できあがったのをみると確かに車線の幅員は広がっているのですが、あいかわらず2車線のままです。それよりも立派な歩道ができているのには唖然としました。
 郊外の幹線国道ですから、道路の両側に民家があるかというとそんなことはありません。辺り一面田んぼであり、民家がある区域は国道から数百メートル離れています。国道にはバス停もあるのですが、乗客が待っているのを見たことはほとんどありません。つまり、誰も歩行者が通らないところであるにもかかわらず、車が走れるくらい立派な歩道が設けられているのです。


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 この先で歩道が切れています。左側前方に樹木が植わっているあたりに民家が密集していますが、市街地はその向こう側なので、こちら側に歩いて来る理由はありません。(国道の右側前方には農地が広がっています。)
 予算がつけばその時点で歩道を延伸するのかもしれませんが、次の写真でおわかりいただけるように、この後ろ側に民家などありませんし、また、この沿線にはバス停もありませんから、歩行者が通る理由はないのです。


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 同じ地点の反対側の写真です。道路の両側に3m以上の幅の自転車歩道が設置されています。右手遙か彼方に樹木が茂っているあたりに集落があります。それまでは一面の田んぼです。その集落の中には別な道路が通っているので、そこに住む住民が国道まで歩いて出てくるということはありません。ちなみに左側に見えるのは塀の左側には工場があります。




 こういう無意味な整備が行われる理由は道路構造令にあります。


道路構造令(最終改正:平成一五年七月二四日政令第三二一号)

(自転車歩行者道)
第十条の二  自動車の交通量が多い第三種又は第四種の道路(自転車道を設ける道路を除く。)には、自転車歩行者道を道路の各側に設けるものとする。ただし、地形の状況その他の特別の理由によりやむを得ない場合においては、この限りでない。
2  自転車歩行者道の幅員は、歩行者の交通量が多い道路にあつては四メートル以上、その他の道路にあつては三メートル以上とするものとする。
(中略)
4  自転車歩行者道の幅員は、当該道路の自転車及び歩行者の交通の状況を考慮して定めるものとする。



 道路構造令にこのように規定されているために、歩行者も通らないし自転車も走らないというところでも幅員3m以上の立派な自転車歩行道が設けられているのです。そのための用地買収費や工事費はまったく無駄な支出ですから、こういうのはインフラ整備には該当しません。
 インフラ整備とは、それによって効率が上がり、社会全体で生産性が上がるものをいい、企業活動でいえば設備投資ということになります。

 誰も利用しないレジャーランドをつくれば、その企業は遠からず倒産するであろうことはおわかりいただけると思います。それと同じことが、道路で起こっているのです。これは新潟だけの現象かというと、そんなことはないでしょう。全国至る所でこのような現象が起きているものと思われます。
 おそらく、歩行者と自転車が安全に共存できるような自転車歩道が必要な区域というのは、住宅や店舗がびっしり張り付いているわけですから、用地買収するだけのスペースが残っているはずがありません。その一方でスペースが残っているところには、歩行者や自転車のニーズがないところとなります。そんなところにせっせと自転車歩道という立派なものをつくって、道路整備の進捗率○○%という発表をするわけです。

 こういう無責任な支出がまかり通っていながら、菅総理は財政再建のためと称して、消費税の税率を上げることも真剣に議論しなければならない、と訴えています。冗談じゃないよ。そう思いませんか?
 確かに赤字国債の残高は増える一方であることは事実です。しかし、建設国債も一緒にして国の借金という大雑把な言い方をして、国民の不安を煽り、財政再建のためには増税もやむなしという方向に世論を誘導しようとしており、マスコミもそれに荷担しています。
 財政再建を訴えるなら、こういう無駄なお金の使い方は直ちにやめるべきでしょうし、マスコミもこういう無責任な道路整備にお金が使われていることをきちんと指摘すべきです。

 おそらく財政再建=増税を主張する人たちは、自由に使える予算がもっとほしいということなのでしょう。だから増税しても赤字国債の発行残高がゼロになることは、絶対にありません。

 結局、この国では政府やマスコミの言うことを鵜呑みにしているとひどい目に遭う、そんな国になってしまいました。
 「自分のこどもの世代に借金を残すわけにはいかない。」そう思う気持ちはとても立派ですが、だからといって政府・政治家の増税の主張に賛成すると、「自分のこどもの世代に今まで経験したことがないような重い税金を負担させる時代がやってくる。」そう考えた方がいいと思います。
 政府やマスコミの言うことを頭から信じるのではなく、自分で考えて判断することが大事なのです。
by T_am | 2010-06-25 21:55 | その他
 相撲界の野球賭博事件に関する報道が連日行われているのをみて、これはいったいどういうことなのだろうと考えていました。その上で到達した結論は、相撲協会とそこに属す親方・力士の感覚の鈍さが、ここまで騒がれる原因であろうというものです。

 相撲をめぐる八百長疑惑は昔からいわれてきましたが、いっこうに払拭される気配はありません。また、時津風部屋で起きた力士死亡事件、元横綱朝青龍による一般人への暴行事件、マリファナ事件など他のプロ・スポーツ界(相撲がスポーツかどうかは疑問がありますが)と比較しても事件が多い世界であるといわなければなりません。
 マリファナ事件では力士が解雇されましたし、力士死亡事件でも逮捕者が出ました。朝青龍は引退に追い込まれましたが、どうやら相撲界の人たちはこれらの事件について真剣に考えるということを怠ったものと思えます。

 起きてしまった事件から教訓を得ようと思うならば、1)どのように対処するのがよいのか、2)同種の事件を今後起こさないようにするにはどうしたらいいか、このような観点で事件を総括することになります。その際に外部の人間を入れるのは、身内だけでは気づかないものの見方があるからです。
 ところが相撲協会がもっぱら関心を示したのは、事件を起こした人間をどのように処罰するかにあったようです。そこには危機管理をどうするかとか、予防措置をどのように講じたらいいかという発想がなかったのだと思います。形を変えて刑事事件が頻発するのは、そのような背景が相撲協会の内部にあるからではないでしょうか。

 まず、危機管理という点について、今回の野球賭博事件でも相撲協会は、調査結果の公表が不十分であるという批判を受けています。(調査に時間がかかりすぎているようにも思いますが、そのことについての指摘はあまりないようです。)
 一般に、事件として報道されてしまえば、世間の耳目はそのことに集まるのであり、大衆の好奇心が満足するまで、知りたいという欲求が途絶えることはありません。マスコミはそのことに敏感ですから、いつまでも食らいつくということが起こります。そのような騒動を早期に鎮静化するには、調査して明らかになった事実を包み隠さず公表する以外にありません。それはまさに時間との戦いであり、調査結果の公表が遅れればそれだけ蒙るダメージは大きなものとなります。
 この点、相撲協会の対応は落第であるといわねばなりません。過去にあれだけ騒動を起こしておきながら、何も学んでいないというのはよほど鈍感なのだろうと思います。

 次に、予防措置について。相撲協会はさほど大きくない組織であり、他の組織と違って分業が行われているわけでもありません。このように単純な組織では、その構成員が意識を変えることが予防措置となります。逆にいえば、意識が変わらなければ予防も何もないということで、そのためには上から順番に意識を変えていくということが有効です。
 どの企業でもコンプライアンスということがいわれています。それがどのように行われているかというと、まずトップがその必要性を認識し、社内に訴えていくことによって、役員や部課長がことあるごとにコンプライアンスというようになり、ついには一般社員にまで伝播していくのです。もちろんコンプライアンスを推進する部署(たいては法務と総務)も設けられます。
 では相撲界はどうかというと、憶測でものを申し上げるのは恐縮ですが、たぶん理事の誰一人(外部から招聘された理事はともかく)として、コンプライアンスという意識がないのだろうと思います。したがって、親方たちにもそのような意識が芽生えるはずがありません。ましてその弟子である力士たちにもコンプライアンスについて無知であるという状況が起こるのでしょう。
 一般に、組織が閉鎖的であり、同じ業界の人間としか接する機会がない人間(かつて日本のサラリーマンはほとんどがそうでした)ほどモラル・ハザードを起こしやすいといえます。また、モラルを喪失した人間ほど出世するという状況もこれに拍車をかけています。

 このように考えてみると、相撲界という特殊で閉鎖的な組織であればこそ、次々と刑事事件を引き起こす体質が温存されているのだろうということに気づきます。一部の識者やマスコミは、相撲協会が公益法人(正確にいうと文部科学省スポーツ青少年局競技スポーツ課所轄の特例財団法人)であることへの甘えや国技と呼ばれることへの甘えがあると考えているようですが、他のプロ・スポーツ団体のように潰れることが(たぶん)絶対にないという点では極めて恵まれているといえます。
 プロ野球チームでは収支が悪化すれば身売りせざるを得ません。Jリーグで身売りをしたチームがあるかどうかは知りませんが、収支が悪化すれば選手の待遇や練習費用にまで響いていくことは間違いありません。もっとマイナープロ・スポーツであれば、消滅するかもしれないという危機感がつきまとっていることでしょう。
 しかし、大相撲だけはそのような心配とは無縁でいられます。というのは、中高年層を中心に根強いファンが多い(企業による懸賞金はこのため)ので、本場所はNHKが欠かさずテレビ・ラジオ中継してくれるからです。

 ところが、ここへ来て懸賞金を取りやめる企業が出て来たり、NHKが名古屋場所の放送について見直すことも検討しているとも報道されています。相撲協会としては頭の痛いところでしょう。
 ところで名古屋場所(7月11日初日を予定)を開催するかどうかは7月4日の臨時理事会で決定するとのことですが、なぜ7月4日なのでしょうか? おそらく、本音は名古屋場所を開催したいのでしょうが、開催決定後に力士の中から賭博容疑で逮捕や書類送検される者が出て来た場合、当然名古屋場所に出場させるわけにはいかなくなるので、番付がその分空位となってしまいます。仮に逮捕者や書類送検される力士が何人も出た場合、番付は虫食いだらけとなってしまいますから、名古屋場所が開催できなくなってしまいます。その辺の見極めをするタイムリミットが7月4日ということなのでしょう。
 このような見方があたっているとすると、相撲協会はまったく懲りていないということになりますから、今後も類似の事件が発生することが想像できます。相撲協会の真意がどこにあるのかは、今後行われるであろう調査結果がどこまで公表されるのによって窺い知ることができます。
 さて、どうなるのでしょうか?
by T_am | 2010-06-23 23:10 | その他
 工学実験探査機「はやぶさ」が無事帰還したことで国民の関心が高まったせいか、事業仕分けで減額された「はやぶさ2」の予算を復活させようという動きがあることが報道されました。
 高度な技術を伴うプロジェクトに対し予算がつくことは喜ばしいことですが、政治が国民に迎合するのをみると、定見のなさが暴露されたようで、いささか鼻白む思いをしています。国民の人気取りのためには臆面もなく振舞う(国民栄誉賞もその道具につかわれているように思います)くせに、薬害訴訟では突っ張るのですから、政府というのは一体何を考えているのかよくわからないところがあります。「どーせ人ごとだから」、そんな意識があるのかもしれませんね。

 よくいわれることですが、天然資源もなく、狭い国土に1億2千万人の国民がひしめいている日本にとって最大の財産は人間と人間が生み出す技術です。したがって教育と技術開発に対する支援が政策の重要課題としなければならないのは明白です。しかし、現実はどうかというと、政治家は経済成長率には関心があっても、技術の支援についてはさほど興味がないようです。事業仕分けの様子をみても、仕分け人といわれる人たちはビジネス理論に基づいた考え方には長けているようですが、ビジネスセンスには欠けているようです。といっても、別にバカにしているわけではありません。ビジネスセンスというのは特別な才能なので、それを持っている人は限られているからです。100mを12秒で走ることができないからといって、人間的に劣っているとはいえないのと同じことですから。

 ところで、新たに開発された技術をビジネスに結びつけるというのは、また別な才能が必要になります。新しい技術がビジネスになるかどうかの判断にはビジネスセンスが必要ですが、それを実現させるのは別な人材だということです。
 したがって、政府は技術の支援に資金を提供しても、ビジネスには手を出さない方がいいのです。どういうことかというと、そういう才能を持った人はそもそも役人になろうとは思わないからです。その証拠に、グリーンピアなどのように政府・官僚がビジネスに手を出したものは悉く失敗したではありませんか。これは、いわゆる「事業」も同様です。
 国が取り組むべき事業は次の3つの条件を満たしているものに限られると思います。

1)それが社会から必要とされている
2)その事業から利益をあげることができない
3)国民の大多数が利用することができる

 こういう視点で眺めると、東京にしか施設がないとか、全国でも8つしか施設がないなどという事業はやる意味がないということがわかります。具体的な名前をあげて恐縮ですが、京都府にあった「私の仕事館」(2010年3月閉鎖)がその典型的な例ですね。Wikipediaによれば、「若者を対象に職業体験の機会、職業情報、職業相談等を提供する施設である」とのことですが、関西以外の地域に住む若者はどうやって利用したらいいのでしょうか?
 こういう博物館的な施設をつくっても、しょせんはその地域に住む人しか利用できないのですから、意味がないのです。つくるのであれば、全国にある職業訓練校の講師や職業相談を行っているカウンセラーに対し、情報や技術を提供するための拠点として設けるべきでしょう。個人では集めきれない新しい情報や技術を収集蓄積し、研修などを通じてこれらの人々に伝えていくという仕組みを備えた組織であれば必要だと思います。サービスを提供する実務は国民が対象なのですから、その施設は全国になければなりません。だから地方自治体がそれをやるわけであり、国がそれをサポートする体制を整えるのならともかく、地方自治体と同じことをやる意味はないのです(同じことをやればそれを維持する費用の分だけ財政を圧迫することになります)。
 閉鎖されてしまいましたが、私の仕事館で働いていた人は真面目に一生懸命勤めていたことと思います。そういう人たちに間違った努力をさせるというのはいかがなものでしょうか?

 先にあげた3つの条件を満たすものは何かというと、図書館、ハローワーク、郵便局、病院、鉄道、バスなどの公共交通機関があります。サービスを提供する実務の部分は地方(民間を含む)で行い、国はそのサポートに徹するというふうに割り切って考えた方が、コストパフォーマンスは高まっていくはずです。
 たとえば行政の窓口は、所轄官庁ごとの縦割りになっています。住民票は市町村役場の窓口ですが、雇用保険の受給申請をハローワークに行かなければなりません。また、パスポートの申請は都道府県が窓口になります。細かいことをいえば、同じ市役所内でも住民票は市民課、課税証明は税務課というふうに窓口が分かれます。コンピュータがこれだけ発達して、役所の中でもLANが設置されているのは当たり前という状況になっているのですから、これらの窓口をすべて一本化した方が、住民にとっても便利ですし、行政の側も維持費を抑えることができるのではないかと思います。

 話がだいぶ横道に逸れてしまいました。技術支援の話に戻します。
 昨年行われた事業仕分けの祭に、スーパーコンピュータの開発費に対して、「世界で1番目にならなくてもいいのではないか」という仕分け人の発言が物議を醸していました。発言者はその後反省されたようですが、議論のきっかけにはなったと思います。
 思うに、技術開発を支援するための予算組が密室の中で行われているところに問題があるのだといえます。事業仕分けはそこにメスを入れたわけですが、そういつもいつも事業仕分けをやるわけにもいかないでしょう。そうなれば、予算のつけ方の仕組みを変えてしまわなければなりません。
 これは一つの提案ですが、研究機関から研究費を申請する形にして、それを認めるかどうかを審議することにしたらいいと思います。その際に、しがらみを排除するために、裁判員のように民間人を委員に抜擢し、研究者は審議委員に向かって「素人にもわかるように」自分の研究の意義を説明するわけです。ただし、なんといっても素人ですから、舌先三寸で丸め込まれる心配もあるので、企業の経営者にも加わってもらって、その研究がビジネスに結びつくかどうかを(直感的に)判断してもらう方が安心できると思います。
 誤解のないように書いておきますが、「はやぶさ」が小惑星の砂を持ち帰ったからといってそれがビジネスに直接結びつくわけではありません。(博物館に展示すれば、物珍しさで見に来る人から入場料を取り立てることは可能ですが、それでは費用対効果が小さすぎます。)むしろ、ビジネスに結びつくのは、「はやぶさ」を無事に帰還させた技術の方なのです。世界で追随を許さないような高い技術が民間に活かされれば、それだけ生産性と国際競争力が高まることになります。
 そういう研究を見いだして支援する仕組みが必要だということを申し上げているのです。現状のように、密室で予算付けが決まる状況では御用学者が増えるばかりであり、社会のためにはなりません。
 ギリシャ危機以来、財政再建が喫緊の課題とされるようになりました。その議論をみていると、財政再建が目的であるかのように思っている人も多いようです。目的であると位置づけてしまえば、単純に予算を削って増税すれば財政再建は達成できます。
 しかし、財政再建は結果であると考えることもできるのです。つまり、この国をどの方向に導いていくのかという青写真が最初にあって、それに基づいて仕組みをつくりかえていくというプロセスを経るうちに、財政構造の再建が達成されるのです。たとえば、国と地方の役割を明確に区分し、どちらが何をするか、それに対して他方がどのようなサポートをするか、というアプローチのしかたもあるでしょう。
 私には、日本中が、いつまでも経済成長を続けていかなければならない、そのような幻想にとらわれているように思えてなりません。それが通用したのは高度成長時代のことであり、人類史の中ではかなり特殊な状況であったと理解すべきです。現在は、ご存知のように、少子化が進み人口が減少する局面にありますから、従来とおなじ発想をしていたのでは、いくら努力をしても報われないということが起こるのです。
 今回消費税率を10%にしようという提案がなされています。それに対してやむを得ないと感じている人も多いようです。けれどもはっきり申し上げておきますが、消費税率を10%にしても「財政再建」は達成されません。いつの間にかうやむやになって、あと何年かすればまた、消費税を上げなければ財政がどうにもならない、といわれるようになるのは目に見えています。
 なぜかというと、私たちの発想法が、経済成長を持続しなければならないというところにとらわれているからです。

 いいかげん、その思い込みから脱却しないといつまでも同じことを繰り返すことになります。そのための手段として、国の役割について考えてみるのはとても有効であると思います。
by T_am | 2010-06-19 11:34 | その他
 「子どもを性的な対象として描いた悪質な漫画の販売を規制する都青少年健全育成条例改正案」(東京新聞のWebサイト 2010年6月17日)が東京都議会の本会議で反対多数により否決されたとのことです。マスコミの取材に対し、石原都知事は「数が通れば道理が引っ込むという典型的な例だ。改正案の目的は間違っていないから、何回も繰り返してやる」と述べたそうです。
 この条例については、以前、規制のガイドラインが公表され、一例としてドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンはOKという紹介がされていました。覚えておいでですか?
 私は、行政がこういうガイドラインを作成すること自体がナンセンスだと思います。
 人間の活動を制限したり禁止して、違反者は処罰するという規定を設けるときは、してはいけないことが何なのかが誰にでもわかるようになっていなければなりません。殺人、窃盗、傷害、詐欺などの犯罪はいずれも明白であり、ガイドラインと照らし合わせなければ犯罪かどうか判断できないというものはありません。したがって、ガイドラインを設けなければならないようなものは、規定としては欠陥品であるいっても構わないと思います。
 そもそも、その漫画が悪質であるかどうかというのは、人によって判断が異なります。こういうものを取り締まろうというのがどだい無理な相談なのです。

-でも、東京都が示したように、ガイドラインを公表して周知すれば判断基準が統一できるのではないか?

 このように思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ガイドラインというのはいつでも恣意的に変更可能ですから、そのようなものを基準にして取り締まるというのは間違っています。
 人間が社会の中で生活していくときに、秩序を維持するためには個人に無制限の自由を与えるというのはできない相談です。お互いに何をやってもいいというのであれば、人間は野獣と同じになりますから、個人の自由を制限することが行われます。そのときの基準となるのが常識と法律です。
 法律は常識でカバーしきれない部分を補うものですから、基本的に常識と法律は矛盾することはありません。常識的にはOKだけれども、法律的にはNGだということはないのであって、この点、法律は常識と同じ平面上にあると考えることができます。
 それでは常識とは何かというと、それについて誰もが理屈抜きで納得する、そういうものをいいます。決して誰かが決めたものではありません。
 けれどもガイドラインは誰かが決めたものであり、しかも、自分以外の誰かの手によっていつでも変更することができるというものです。
 ご自分が裁かれる立場になったとき、そういう曖昧なものを基準にして裁かれることに平気でいられますか? また、あなたが他人を裁く立場になったときに、そういう曖昧なものを基準にして他人を裁くことに対して、良心の痛みを感じませんか?

 この条例に賛成していた人の意見はどうかというと、東京新聞によれば、次の通りです。


「子ども不在の政治の駆け引きで否決され、非常に残念。子どもが性的対象になる被害や風潮のまん延は危機的状況なのに」

「反対する人は自分たちへの権利侵害ばかりを主張して、子どもの環境を悪化させていることは認めようとしない。本当に権利を侵害されているのは子どもだ」

 一見もっともな言い分のようですが、実をいうと、「子どもを性的な対象として描いた悪質な漫画」と、子どもを対象にした性犯罪とのあいだで因果関係が立証されているわけではありません。因果関係というのは、その名の通り、原因と結果の関係をいいます。
 たとえば、子どもを対象にした性犯罪を犯した犯人が、それまでは善良な市民であったにもかかわらず、そのような漫画を読んだせいで理性がぷっつんして犯行に及んだ。こういうときに因果関係があるといえるのです。そうであれば、性犯罪を抑止するために何らかの規制を設けるのはやむを得ないという判断が成り立つかもしれませんが、実際にはそうではありません。
 成人男性で、アダルトビデオを見たことがないという人はまずいないと思いますが、アダルトビデオを観た人がすべて性犯罪を犯しているかというとそんなことはありません。「子どもを性的な対象として描いた漫画」も同様でしょう。読み手の理性を奪い取り、獣のような行動に走らせる、そんな漫画があるはずはありません。
 
 「子どもを性的な対象として描いた悪質な漫画」と、子どもを対象にした性犯罪とのあいだに何か関係があるとすれば、それは相関関係でしょう。相関関係というのは、2つの独立した出来事があって、片方が増えるにつれてもう片方も増えるという場合「正の相関関係」があるといい、逆にもう片方が減っていくという場合は「負の相関関係」があるといいます。
 相関関係の一例としては、「運転歴が長い人ほど、スピード違反で捕まった回数が多い」というのがあります。運転歴1年未満の人であれば、スピード違反で捕まった回数というのはゼロ回かせいぜい1回でしょう。一方運転歴10年以上という人になると2-3回捕まったという人も多くなります。けれども運転歴の長さはスピード違反で捕まることの原因ではありませんから、この2つの間には因果関係は存在しないことになります。
 つまり、相関関係というのは見かけの関係を指すのです。

 相関関係があるからといって、その片方を取り締まるというのは何の意味もありません。ところが、残念なことに、自分の頭で考えるということをしないために、そのことに気づかない人が多いのも事実です。

 思うに、石原都知事やこの条例改正に賛成している人は、このような漫画が存在することが許せないのでしょうね。ご自分が嫌いだから、この世から抹殺してしまいたいと思っているのだと思います。

 権力を持つ人や社会的影響力の高い人が、自分の気にくわないものを社会から排除しようというのは許されることでしょうか?
 その答えは、「自分の気にくわないもの」というところに、たとえば次の単語を当てはめてみれば、自ずと明らかになります。

・ユダヤ人
・イルカ猟
・捕鯨

 人間ですから、好き嫌いがあるのはやむを得ません。しかし、自分が嫌いなもの、不快に感じるものを許容できない精神というのは、いじめに通じるものがあります。いじめは社会的に非難される行為ですが、この人たちはそれを合法的に行おうとしているわけです。
 そのような人たちに、憲法が保障する表現の自由を説いても無駄でしょう。なぜならば、いじめに熱中する小中学生レベルの精神構造の持ち主だからです。


 
by T_am | 2010-06-18 00:14 | その他
 工学実験探査機「はやぶさ」が2592日の航海を終え、無事に地球に帰還しました。といっても、「はやぶさ」の本体は大気圏突入の祭に燃え尽きてしまい、カプセルだけが大地に帰り着いたわけです。
 テレビの映像で、ばらばらになりながら無数の流星となって落下する「はやぶさ」本体を従えて、ひときわ輝く光跡を残しながら、大地に向かって夜空を一直線に駆け下りてくるカプセルが映し出されていました。正直言って、この映像を見て年甲斐もなくどきどきしてしまったのです。
 大気中を動く物体は、その前方にある空気を押しやりながら進んでいきます。ところが、秒速12kmで落下する「はやぶさ」の場合、その移動速度があまりにも速すぎるために、空気が脇にどく暇がありません。そのため「はやぶさ」やカプセルの前方には空気の塊がどんどん溜まり圧縮されていきます。超高圧になった空気はおびただしい熱を持ち、その温度はおよそ1万度にまで達するといわれています。空気抵抗によりばらばらになった本体にもこのような高熱が生じるので、無数の流星となってそのまま燃え尽きるのです。
 カプセルの方は耐熱加工され、さらに重心の設定により、常に同じ面(耐熱加工されている)が地表に向かうように設計されているので、表面温度が1万度になっても内部の温度は50度に保たれるようになっています。こうやって内部にある荷物(小惑星の砂)を保護しようというわけです。用意周到というか、人間の知恵のすばらしさを感じます。

 「はやぶさ」の偉業はこれだけではありません。人類史上初めて月以外の天体を訪れ無事に帰還したこと、しかも、もしかすると小惑星の砂を持ち帰っているかもしれないこと、何度もアクシデントに見舞われながらもその都度問題を解決し、帰還にこぎつけたこと。どれをとってもすばらしいといえます。

 特にすばらしいと思うのが、「はやぶさ」の開発・運用チームが、不測の事態に備えてあらかじめ柔軟なシステムの設計をしていたことであり、そして問題が起こるたびに素早く的確な対応がなされたという行動力です。
 4基あるイオンエンジンがすべて停止したさいに、異なるエンジンのうちまともに動く部品を組み合わせて一つのエンジンとして稼働させるということは、あらかじめそういう事態を想定した設計がされない限り、できるものではありません。まさに危機管理の見本のような設計思想であるといえます。
 「はやぶさ」のすごいところはほかにもあって、3億km離れた小惑星に軟着陸して、砂を採取した上で離脱するというのは、あまりにも遠すぎるゆえに、地上から人間が遠隔操作するわけにはいきません。3億kmの距離を電波が届くまでおよそ1000秒(16分40秒)かかるわけです。「はやぶさ」から発信した電波が地球に届くまで同じ時間がかかるのですから、そのタイムラグを考えると遠隔操作などできるものではありません。したがって「はやぶさ」は自律的に行動しなければならないことになり、そのためのプログラムが用意されなければならないのです。
 何が起こるかわからないところで、あらかじめ決められた動作を組み合わせて、小惑星に軟着陸した上で、砂を採取して離脱する。言葉にするとなんでもないことのようですが、実際には適切に書かれたプログラムとそれを正確に実行する機械の連携が不可欠です。しかも不測の事態が起これば作業を中断し、後でやり直すという選択肢も用意されていなければなりません。
 もちろん機械に任せっぱなしというわけにもいかないので、絶えず人間が監視していなければならないのです。

 今回の「はやぶさ」の帰還は、人間の知恵と努力の賜であるといってもよいでしょう。「はやぶさ」は私たちに、人間の持つ可能性について勇気と希望を与えてくれました。いずれ「はやぶさ」の航海の様子と、それをサポートする地上スタッフの奮闘の記録が公開されるものと思います。それは人類にとっての大きな財産となるのですから、素直に喜びたいと思います。


 
by T_am | 2010-06-15 21:28 | 科学もどき
 宮崎県で発生している口蹄疫がついに隣の県にまで広がりました。日夜、口蹄疫対策に奮闘してこられた皆様の努力にもかかわらず、口蹄疫の感染エリアが広がっているということは、今まで行ってきたことが充分ではなかったということになるのでしょう。

 口蹄疫にかかった家畜は人間と違って治療されることがありません。治療して治ったとしても、肉質が落ちてしまい高く売ることができないからです。治療されることがないのですから、放っておけば周囲に口蹄疫ウィルスをまき散らすことになります。そこで速やかに殺処分することになるのですが、その間に同じ畜舎内の他の家畜が口蹄疫に感染している可能性は排除できないので、一頭でも口蹄疫に感染した家畜が発生した農場では、そのすべての家畜を殺処分にするということになっています。

 今回の場合、あまりにも大量の家畜を殺処分しなければならないようになったために、処分が進まないという事態が発生しました。
 殺処分した家畜は焼却するか埋却しなければなりません。現実的なのは埋却処分ですが、そのための土地の確保に手間取っていること、および殺処分をする獣医の人数が足りないことがその原因です。
 殺処分と埋却。言葉でいうのは簡単ですが、埋却する土地を確保して、それから埋却用の穴を掘らなければなりません。さらに、薬殺した家畜をそこまで運搬しなければなりませんし、埋却した跡はきちんと土をかぶせておかなければなりません。さらに運搬に使った車両は消毒しなければなりませんし、作業にあたった人間も同様に身につけていた衣類を焼却するなどしなければならないのです。
 殺処分対象の家畜が十数万頭にまでふくれあがってしまったのですから、従来と同じやり方ではいっこうに処理が進まないのは自明の理といえるでしょう。その間ウィルスに感染しているかもしれない家畜が生かされているわけです。
 
 口蹄疫の感染が広がっている二番目の原因は、感染ルートの遮断が完全ではなかったと考えられます。道路にマットを敷いて通行する車のタイヤを消毒するという映像をテレビでご覧になられたことと思います。移動禁止区域と制限区域を設けてこれだけ厳重な体制をしいていたにもかかわらず、感染が広がったということは、口蹄疫の感染ルートは何も人間だけに限ったものではないと考えられ、たとえば、餌を求めて畜舎の近くまでやってくる野生の動物や昆虫などもウィルスを運搬しているのではないかと疑われます。
 そうかといって、野生動物や昆虫まで殺処分することは不可能です。
 ではどうしたらいいのかというと、畜舎を外部と物理的に遮断するという方法が考えられます。防虫ネットや防獣ネットなどを用いて、動物や昆虫が畜舎に近づくの防ぐというのはウィルスを隔離するということであり、隔離は感染症対策の基本です。
 にもかかわらず、このたびの口蹄疫対策はマニュアルに書かれていることに忠実すぎるように思えるのです。

 感染の疑いのある家畜はすべて殺処分しなければならない。
 殺処分した家畜は焼却か埋却しなければならない。

 これらの方策が定められているのは、ウィルスと健康な家畜を隔離するためです。したがって、殺処分が遅れているのであれば、別な隔離の方策を考えるというのが当然でしょう。
 今回政府がとった方策は2つあります。ひとつは感染がまだ確認されていない牛や豚にワクチンを投与すること。ふたつめは、感染エリアの外側の家畜を屠殺処分して出荷してしまうことでした。
 これらは、山火事を広げないようにするために、その外側のエリアの木を切り倒すということと発想は似ています。
 ところが、屠殺して食肉に加工するといっても処理場の能力には限界がありますし、ワクチンを投与しても感染を完全に防ぐことができず、何割かの確率で口蹄疫が発症するとのことです。そうすると、これらの方策は机上のプランということになってしまいます。

 硬直的対応の事例として、エース級の種牛を残して他はすべて殺処分したというのもそうでしょう。種牛の場合、食肉にするわけではないのですから、他の家畜にウィルスを感染させないような手段が講じられていれば、何も殺す必要はなかったと考えられます。
 口蹄疫対策の目的は、他の家畜にウィルスを感染させないということですから、そのための手段というのは、これしかないというものではないはずです。状況に応じて適切な手法を選択して指示する。せっかく農水省からトップクラスの人間が派遣されているのですから、他の省庁に働きかけて弾力的な対策の指示がなされるべきでしょう。

 現時点で考えられる対策として次のようなものが考えられます。

1)検問所での車両の消毒を徹底する。
2)殺処分された家畜の埋却場所として国有地を提供する。また、穴を掘るための重機と運搬のためのトラックを大量に借り上げる。
3)短期決戦のつもりで、殺処分の実施が法的に認められている獣医を全国から大量に派遣する。
4)他県の食肉処理場も利用できるようにする。
5)畜舎に防虫ネットや防獣ネットを設置して、家畜を外部の野生動物・昆虫から隔離してしまう。

 既に実施されている対策もありますが、要は、縦割り行政の枠を超えて柔軟な対応ができるようにするということであり、そのためには強力な決定権のある人(もしくはその権限を委譲された人)が現地に入らなければならないでしょう。また、費用もかかるでしょうが、それは後で清算することにして、まず対策を実施するということも必要でしょう。
 人間の病気とは対応策が異なるのですから、短期決戦態勢で望むというのが必要であると思います。 
by T_am | 2010-06-15 06:50 | その他