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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 中国製冷凍餃子にメタミドホスが混入されて中毒を起こした事件で、容疑者が拘束されたというニュースが伝えられました。容疑者の供述に「長期間臨時工として勤務したが、正社員にしてもらえなかった」という待遇面に対する不満があるとのことです。問題の餃子が製造されていた天洋食品の工場は閉鎖されてしまいましたから、一従業員が憂さ晴らしのためにやったことが、組織に致命的なダメージを与えたことになります。
 食品が対象ではありませんが、日本でも同様の事件が発覚しました。京都大医学部付属病院で昨年11月、心疾患で入院していた女性患者が一時意識不明となった事件で、この病院に勤務する看護師が逮捕されたのがそうです。警察の取り調べに対し、容疑者は、少なくとも2回インシュリンを投与しており、さらに別の複数の患者にも不必要な薬を投与したと述べているそうです。
 餃子事件の容疑者もこの看護師も、犯行を繰り返していたことが伺えます。
 このことから、 私には、二つの事件の容疑者に共通する心理があるように思えます。それは、「私は被害を受けているのだから、私にも同じようなことをする権利がある」というものです。そこで「どうなっても構わない」とか「(相手が)死んでも構わない」と思うのです。
 
 このようなことは、日常的に広く起こっています。
 ベビーシッターが親の目の届かないところでこどもを虐待したり、介護の現場でヘルパーが老人や障碍者をいじめたりするという事例はいくらでもあります。

 そういう事件の犯人は口を揃えたように待遇の悪さを指摘します。では、待遇や労働環境を改善すればそういう「犯罪」を防ぐことができるかといえばそうではありません。犯人たちが問題にしているのは、「自分が提供している労働が不当に低く評価されている」ということです。このことには2つの場合が考えられます。
 ひとつは、内田樹先生がかねがね指摘されているように、犯人たちが等価交換を要求している場合です。等価交換とは「俺は会社に1億円儲けさせたやったのだから、俺に1億円寄越せ。」といっているようなものなのですが、それが現実のものになったら会社はたちまちつぶれてしまいます。ゆえに、個人が会社にもたらす利益と個人に還元される利益はイコールではあり得ません。したがって、等価交換を主張する人に対して、いくら待遇を改善してやっても、彼らは決して満足しないのです。
 2番目の場合は、自分に還元される利益が他人のそれと比較して我慢できないくらい低いという場合です。「長期間臨時工として勤務したが、正社員にしてもらえなかった」という餃子事件の容疑者はこちらの場合に該当するように思えます。冷たい言い方をするようですが、「私は被害を受けているのだから、私にも同じようなことをする権利がある」と考えるような職業意識のままでは、いつまで経っても正社員にはなれないといえます。
 自分の能力が正当に評価されていないと考える人にとって唯一ともいえる正解は、さっさと転職してしまうことです。自分の認識が正しければ、次の職場で正当に評価されることでしょうし、次の職場でも同じような待遇であるとすれば、自分の認識の方が間違っていたということになるからです。
 したがって2番目の例に該当する人に対しては、待遇の改善というのは起こりえないのです。その人が本当に優秀であったとしても、会社にも上司にもそれを見抜くだけの眼力がないのですから。

 このように考えてくると、自分の待遇に不満を持っている人はどこにでも、いくらでもいるということに思い当たります。そのうちの大部分の人は問題を起こさないまま人生を全うするでしょうが、ごく一部の人が「私にも同じようなことをする権利がある」と考え、その一部が実行に移すというのは避けられないのではないかと思うのです。したがって、そのような「不心得者」が出ても組織や会社がダメージを被らないのようにするにはどうしたらいいかを考えておくことが重要であるといえます。
 出張の際の宿泊費が8千円出るところ、3千円のカプセルホテルに泊まって、差額の5千円を飲食費に充てるというのはよく聞く話です。これは一見会社にとって損失のようですが、そういう状況を見て見ぬふりをすることで、社員の不満の「ガス抜き」に役立っているという側面も無視できないと思います。
 従業員というのはどのような待遇をしたとしても何かしら不満を持つものです。それをマニュアルや管理、監査で押さえ込もうとしても限界があります。一人の従業員がちゃんと仕事をしているかを絶えず監視する人間を一人ずつつければ、従業員の不正や犯罪を防ぐことができるかもしれませんが、従業員と監視者が結託する恐れも否定しきれないわけですから、監視者をさらに監視するという人間も配置しなければならないことになります。
 近未来SFの題材になりそうな話ですが、現実にそんなことをしている会社はありません。
 機械やシステムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合でも、常に安全側に制御するように仕組みを設計しようという思想(フェイルセーフ)があります。たとえば、自動車のアクセルとブレーキを同時に踏んだ場合、ブレーキが優先されるようにするというのもこの思想に基づくものですが、根底には人間はミスを犯すものであり、機械は故障することがあるという一種の割り切りがあります。
 自分の待遇や労働環境に、不満やストレスを感じる従業員が組織に重大な被害をもたらすことがあるかもしれない。トップがそのことを認識しないと同様の事件は今後も起こり続けることになるといってよいと思います。
 その対策としては、不満を持たない労働者・ストレスを感じない労働者というのはありえないのですから、その不満やストレスを発散してやることです。そのような機会や場を確保するようにあらかじめ制度の中に盛り込んでおくことが重要でしょう。
 その場合、待遇の改善が必ずしも効果があるとはいえないことはすでに述べたとおりです。だからといって、経営者は待遇に無関心でよいというものではありません。そのような経営者は、いずれ労働者の憂さ晴らし(合法的な例として「内部告発」という手法もあるのです)によってダメージを被ることになります。

 読者の中には、従業員にコンプライアンスを徹底させればこのような問題を防ぐことができると考える方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそうは思いません。なぜならば、
「製品に農薬を混入させてはいけない」とか「患者に不要な薬(インシュリン)を投与してはいけない」というのは常識に属することだからです。そのような規定を設けているところはありません。したがって、コンプライアンスによってこれを防ごうとするには、禁止規定を設けなければなりませんが、そのような規定は無限に増えていくことにつながります。
 すべての法令や基準・規定を記憶し理解することは人間には不可能であって、それでも私たちが社会の中で生きていくことができるのは、常識に沿って判断し行動しているからです。
 餃子事件の容疑者も京大付属病院の看護師も、「このようなことをしてはいけない」というのは常識では理解しています。だから「大変な事をしてしまった」と後悔しているのです。したがって、これらの事件から教訓を得るとすれば、人間が常識という一線を越えないようにするにはどのように制度を設計しておけばよいのか、そのような問題を提起してくれたということになると思います。

付記
 どのようなことを考えて制度設計をすればいいのかというと、自分で決められるという権限を(限定的であっても)与えるということに尽きます。
 以前も述べましたが、弱者とは選択肢が相対的に少ない人のことをいいます。手持ちのカードといってもいいでしょう。トランプでは、今この状況で私が切ることのできるカードはいくらでもあるという人が勝ち、今この状況で私が切ることのできるカードは1枚しかないという人は敗色が濃厚であると考えて差し支えありません。そして切ることのできるカードが1枚もないという状態になったとき、その人の負けが確定するのです。
 人間は、給料が安くても、あるいは長時間働かされても、自分で決めることのできる範囲があれば仕事を続けることができるものです。もっとも不満とストレスを感じるのは、安い給料で長時間こき使われ、しかも言われたことしかしてはいけない、というプレッシャーをかけられたときです。そんな職場で働きたいと誰も思わないでしょう? でも、そういうところで働いているから、こういう事件が起こるのだと思いませんか?
by T_am | 2010-03-29 00:47 | その他
1996年に実施された小選挙区制は、その利点として、候補者が選挙区を重点的に歩き回ることが可能になり、選挙運動の費用が低くなるという効果があると思っていました。
 しかし、今回の北海道4区の小林千代美議員の違法献金事件を見る限り、相変わらず選挙運動には巨額のカネがかかるということが浮き彫りになりました。このような現実がある限り、カネを必要とする政治家と資金提供をする代わりに見返りを要求する団体とが結びつくことは避けられません。
 その見返りにかかるコストは誰が負担するのかといえば、そのような団体とは縁もゆかりもない一般の納税者たちです。このような構図が存在する限り、そのコストを捻出するために果てしなく増税が繰り返されていくことになります。
 亡くなった青島幸男さんは、参議院議員選挙に立候補した際に、選挙運動をまったくせずに当選したことがあります。けれどもそれは青島幸男という抜群の知名度があったからこそできたことであって、普通の政治家、特に新人の場合はそういうわけにはいきません。そこで芸能人やスポーツ選手などが「タレント候補」として擁立されることになるのですが、このことは有権者の投票行動が、候補者の名前を知っているかどうかに左右されるということに由来しています。
 現在の選挙運動のあり方は、選挙カーを使い、候補者の名前を連呼したり、大量のポスターを貼るというものです。それは結局、有権者に対し、とにかく名前を覚えてもらうということを目的としています。名前さえ覚えてもらえれば、投票用紙に自分の名前を書いてもらうことが期待できるという、ただそれだけのために、莫大な費用をかけているのが現状です。また、残念ながら、選挙公報や政見放送は、どの候補者に投票したらいいかという判断材料になっていないのが現実です。
 したがって有権者の投票行動は、次の3通りに集約されることになります。

1.自分が名前を知っている候補者に投票する。
2.自分が所属する組織や団体が応援する候補者に投票する。
3.政党に投票する。

 前回の衆議院選挙では、2と3によって民主党が大勝することができました。自分がこの前の選挙で誰に投票したか、名前がいえる人はそう多くはないのではないか? このように思います。その場合、政党に投票したといえるのですが、同時に、自分が投票した議員がどのような活動をしているのか知らないということでもあります。それは、有権者が知ろうとしないか、議員が知らせようとしていないか、あるいはたいした活動をしていないか、そのいずれかの理由が考えられます。
 自分の選挙区の議員がどのような活動をしているのかについて、有権者が無関心であれば、議員は有権者に配慮するということをしなくなります。逆に、有権者が強い関心をもっていることが議員にわかれば、その議員は有権者の方を向いた政治を心がけるようになります。議員が自分の支持基盤に配慮した行動をとるのはこのためです。
 問題となるのは、その議員が自分の支持基盤という全体の中では少数派にすぎない集団の利益のために行動することによって、そのコストをそれに無縁な大多数の人たちが負担することになるという場合です。組織票に依存する議員が増えれば、それだけ少数派に貢献するという議員が増えるわけですから、そのツケは残りの大多数の納税者が支払うことになってしまいます。

 そのことを防ぐには2つの方法が考えられます。

 まず第一に、自分の選挙区の議員がどのような活動をしているか、私たちが関心を持つことです。幸いなことに、現代ではたいていの議員(とその候補者たち)は自分の公式ホームページを開設しており、それをみれば、その人がどのようなことをしているのかがだいたいわかるようになっています。
 実際には、活動報告といっても、どこを視察してきたとか、どのような会合に出席したとか、表面的なことしか書かれていないことが多く、議員自身の考え(自分は何をしたいのか)が載せられていることはほとんどありません。議員の抱負が載っていても、その多くは選挙公報にあるような抽象的な美辞麗句が並べられているにすぎないので、結局何がやりたいのか、何を考えているのかわからない場合が多いのです。わからないということは、その人が実はたいしたことをしていないということでもあります。
 現職の議員であれば、自分が関わった議員立法の趣旨を公式ホームページでわかりやすく説明するという丁寧さがあってもいいと思います。会社勤めをしている人であれば、自分がやったことを上司に報告するのは当然、ということになっています。議員の場合、上司というのは存在しませんが、その代わり自分を選んでくれた人に対して、自分がやっていることを報告するのは当然と考えることができます。その際に、表面的形式的な報告で済ませるというのは、その議員の職務に対する誠実さがどれほどのものであるかがかえってわかるのです。

 二番目の方法は、小選挙区制をやめることです。一選挙区一当選者というのが小選挙区制の大原則です。仮に、投票率が6割であるとすれば、そのうちの4割の票を得ることができれば、その候補者は当選することができます。ということは、0.6×0.4 ということですから有権者の24 %の意思が活かされ、残りの76% は切り捨てられるということです。それだけ組織票が存在感を増すことになるのは当然といえるでしょう。
 中選挙区制を復活させて、当選者を各選挙区2名以上とすれば、その選挙区の死に票はそれだけ少なくなります。その分だけ組織票のウェイトは少なくなります。
 さらに、議員定数を減らすことで、組織票は意味を失います。衆議院の場合480人の議員がいるわけですが、それを大幅に減らすことによって選挙区が拡大することになりますから、組織票に依存する議員が当選する可能性はさらに低くなります。また、議員歳費の総額を維持してやれば、議員はそれだけ充実したスタッフを抱えることができるようになります。
 一方、選挙区が拡大すればそれだけ選挙活動の資金が増大してしまうという心配もあります。確かに従来の選挙運動(選挙カーと大量のポスター)という手法をとる限り、その心配はつきまといますが、現代はインターネットというツールがあります。選挙のために統一されたフォームのサイトを候補者に用意してやれば、現職も新人も同じ土俵で戦うことができるようになります。もっとも選挙公報や政見放送のように無味なものでは、有権者もそっぽを向くことになるので、工夫が必要でしょう。

 民主党の支持率が下がりながらも自民党の支持率が上がって来ないというのは、政権交代の受け皿が存在しないということでもあります。具体的には、次の選挙でどの政党に投票したらいいのかを考えたときに、投票する政党がないということにつながります。
 けれども、すでに述べてきたように、そのような事態が起こるというのは、私たちが議員個人の活動に関心を払ってこなかったということの帰結でもあります。だから陣笠議員が増えるのであって、議員の顔が少しも見えてこないのです。
 仮に、地方分権が実現し(それは道州制の導入であってもいいのですが)、国政が外交・防衛・金融などの地域にとらわれない分野に絞られるようになれば、国会議員の選挙は全国一選挙区でも差し支えないのではないかとも思います。その中で、得票数の多い人から順番に上位100人が当選するという制度も考えられるのではないでしょうか。
 そんなことをすれば国会はタレント議員ばかりになってしまうという心配をされるかもしれませんが、私はそうは思いません。知事選挙を勝ち抜いたタレント議員をみると、単なる有名人ではなく、有権者から見て、こいつは何かやりそうだという人が当選しています。議員定数を極端に減らし議員の重みが増すと、単なる有名人では選挙に勝てないのです。有権者の中にはおもしろがって投票するという人もいるでしょうが、決して多数派にはなりません。そのことは東京都知事選挙をみればわかります。

 最高裁判所の裁判官に対する国民審査が衆議院議員選挙と同時に行われることがあります。不信任とする裁判官に×をつけるこの制度は、有権者にとって裁判官に関する情報が皆無に近いために、実質的に形骸化しています。このように、その目的を達していない制度であっても実施するには巨額の経費がかかっているはずです。投票用紙の印刷や運搬、集計だけを見ても相当の金額が支出されていることが予想されます。
 だからやめてしまえというのではなく、制度の目的が達成されるようにやり方を改めるべきではないでしょうか。

 有権者が議員や裁判官に関する活動の情報を知りたいと思ったときに、いつでも手に入るという状況をつくりあげることは重要です。それは県議会・市議会のレベルであっても同じことです。
 名古屋市で河村市長による市議会議員を半分に減らし、議員報酬も半分に減らそうという案をめぐって市長と議会が対立しています。名古屋市の人口は2,252,249人(平成22年3月1日現在)であり、市議会議員数は75人ですが、これを38人にまで減らそうというものです。また、議員報酬1,600万円を半分の800万円にし、一人あたり年600万円支給されている政務調査費を廃止しようとしています。ちなみに市長自身の報酬は就任直後に800万円に減額しているとのことです。
 議員が活動しようとすれば、どうしても通信費と交通費は発生します。また人を雇う必要もあるでしょうから、議員報酬と政務調査費に手をつけるのはちょっと行き過ぎのような気もしますが、議員数を半分に減らすことには賛成です。
 名古屋市民の皆様、市会議員の名前をどれだけいえますか? ちゃんといえたとしても、せいぜい一人か二人が限界ではないでしょうか。大半の市民は一人の名前も知らない(というよりも覚えていない)のではないかと思います。
 その理由は、すでに述べたように、市民に関心がないか、議員が知らせようとしていないか、あるいはたいした活動をしていないか、そのいずれかです。
 乱暴な言い方をするようですが、市民に名前を覚えてもらえない市会議員とはいったい何なのか、と思います。もちろん、市政に無関心な市民はどこにでもいます。それにしても、名前を覚えてもらえないというのは情けないと思います。
 「ザ・選挙 JANJAN全国政治家データベース」というサイトがあります。2007年に行われた名古屋市議会議員選挙の結果が掲載されているので、そのデータを加工してみました。


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 その結果いえることは、議員定数に対して立候補者数がそれほど多くないために競争倍率が低いこと、さらに最下位当選者の得票数が低いことです。これは投票率が低いことも影響しているのですが、それにしても一番少ない人で3,593票ですから、これならば組織票をきちんと固めれば当選する可能性は極めて高くなるといえます。得票数をその選挙区の有権者数で割ってみると、一番高い人で18.09% ありますが、一番低い人になるとわずか2.63% しかありません。にもかかわらず、18.09% の議員も 2.63% の議員も議会では同じ一票を行使できるわけですから、いくらなんでも差がありすぎるように思います。
 少数の有権者の信任しか受けられない議員でも当選することができるという仕組みを排除していかないと、いつまで経っても特定の団体や組織に対する利益誘導はなくなりません。議員定数を思い切って減らした方がいいというのは、このためなのです。
by T_am | 2010-03-28 01:44 | その他
 この夏の参議院議員選挙で民主党が単独過半数を占めると思っている人はまずいないでしょう。
 自民党が政権をとっていた頃は、選挙で負ければ時の総理が責任を取らされて辞任し、代わりの人物が総理になるということで自民党政権の延命が行われていました。そういう意味で派閥というのは人材の供給装置であったといえるかもしれません。
 参議院議員選挙で民主党が負けた場合も、おそらく党内で同じような力学が働くものと思われます。すなわち政権を維持するため(ということは次の衆議院議員選挙で負けないようにするため)に、総理が交代するという可能性は極めて高いといえます。

 今の民主党離れが起こった直接の原因は、鳩山総理と小沢幹事長のカネの問題と普天間基地の移設問題が迷走していることに由来します。
 カネの問題では、野党時代に自民党のカネの問題を執拗に追求しておきながら、矛先が自分たちに向けられると証人喚問にも応じないというふてぶてしさが国民を呆れさせています(この問題に対するマスコミの追求はちょっとしつこいかな、という気もしています。報道するのであれば、他にも重要な問題がいくらでもある思うのですが・・・)。また、普天間基地の移設問題では、民主党幹部に外交センスが欠落していること、および問題解決能力が欠落していることを強く印象づけてしまいました。
 さらに、北教祖の違法献金事件について当初辞任すると思われていた小林千代美議員が、一転して辞職と離党を否定したことは意外な感がありましたが、考えてみればトップ二人に見倣ったということもできます。党の事実上のトップと内閣のトップが辞任もせず、説明責任も果たしていないのに、平の議員がなぜ辞める必要があるのかと開き直られて、諭すことのできる人が民主党の執行部にいるかどうか甚だ疑問です。
 そうかといって離党勧告をすれば、では幹事長や総理はどうなのだと世論の批判を浴びるのは火を見るよりも明らかなので、それもできません。せいぜいできるのは「本人が判断すべき」という言い方をして、暗に辞任を迫るくらいですが、今回はそれを逆手に取られています。「私に法的な責任を問うものではないとしても、道義的な責任を痛感している。今後は裁判の推移を見守りながら、国会、そして地域での活動に全力を尽くし、信頼回復に努め、職責を全うしていきたい。」と本人が言えば、他人はそれ以上言うことができなくなってしまうのです。

 民主党が政権を取ってから今日までの間の支持率の低下は「墓穴を掘る」という言葉がふさわしいと思います。オウンゴールともいうべき失点を重ねながらもそれを挽回することができないままずるずると後退を続けているという印象です。
 今回、亀井大臣と原口大臣が発表した郵政改革案について、閣内で異論が出ていることから鳩山総理は「自分は了解したわけではない。閣内で調整する前に発表したのはまずかった。」と述べています。ところが亀井大臣は「総理と副総理のご了解をいただいた。」といっているのですから、いったい何をやっているのかといいたくなります。
 この内閣の特徴は、担当外のことに対しても閣僚がマスコミに向かって好きなことをいう、というところにあります。総理の発言もそれに引きずられてぶれが生じるということを繰り返しています。亀井大臣にすればハシゴを外されたという思いがあるのではないかと思います。
 こんな内閣で本当に大丈夫なのか? 不安に思う人も多いことと思います。
by T_am | 2010-03-26 07:39 | その他


 人間は他人にモノやサービスを提供してその対価を受け取ることで生活していくことができる生き物です。働かざる者食うべからず、というのは、人は労働によってモノやサービスを創り出すことに加わることができるという意味です。
 しかし、日本の現実はどうかというと、今春の大学卒業生の就職率が80%であったように、働きたくても働く場がないという状況に陥っています。景気が上向きであるといわれながら、雇傭が一向に回復しないのはなぜなのでしょうか?

 その理由は、企業にとって将来の負担が増していくことがわかりきっているからです。

 サラリーマンの方はおわかりでしょうが、ほとんど毎年のように社会保険料が上がってきています。これは家計を圧迫しますが、企業の経営も圧迫しています。というのも社会保険料の負担増は個人と企業がそれぞれ負担しなければならないからです。つまり、企業が正社員を抱えている限り、その人件費の負担は上がり続けるということです。

 年金制度が「改革」されたのと製造業派遣が解禁されたのは同じ平成16年です。厚生年金保険料は、平成16年10月から保険料率(労使折半)を毎年0.354%引き上げが始まり、平成29年9月までこれが続きます。一方製造業の派遣が解禁されたのは平成16年3月からです。
 企業は派遣労働者の社会保険料を負担する必要はありません。そう考えると、年金制度が「改革」されたときに産業界から反対の声がでなかったのは、雇用形態を正社員から非正規雇用にシフトしていくという腹づもりがあったからではないかという気がしますが、これは勘ぐりすぎでしょうか?
 現実に、厚生年金保険料率はあと8年間上がり続けるわけですから、正社員の人数が同じであればそれだけ企業の人件費負担は増大していきます。

 景気が上向いているといわれながらも雇傭が回復しない理由はここにある、と私は思っています。
 それどころか、今後の日本は企業の負担がさらに増えていくというシナリオが描かれており、それが着々と実行に移されようとしています。
 そのひとつがCO2の排出権取引制度の導入です。これは、キャップ・アンド・トレードといい、企業ごとにCO2の排出権の上限を設定し、それを上回った企業はその分だけCO2の排出枠を購入しなければならないというものです。逆に上限を下回った企業は、その差分の排出権を売ることができることになっています。理屈からすれば、排出権を購入するのが嫌ならば、省エネに対する設備投資をしてCO2の排出量を減らしなさいというものですが、それができるのは資金的に余裕のある企業に限られます。資金にゆとりがない企業では排出権を購入するために、その分の経費を削減してその代金をひねり出さなければなりません。
 すなわち、財務体質のいい企業にとっては有利な制度となるかもしれませんが、そうでない企業にとっては大きな負担を強いる制度であるといえます。そのしわ寄せがどこにくるかというと、人件費によって調節するであろうことは容易に想像できるのです。

 このように考えると、日本の雇用情勢が改善の方向に向かう要因は何もなく、むしろ悪化していく要因ばかりが目立つ、というのが実情です。
 その一方で、こども手当の支給や高校の授業料実質無償化という制度が始まればその財源の手当も必要になります。現に、扶養控除を廃止する方向で検討がされているわけですが、それでも足りなければ消費税率が引き上げられることになると思われます。

 雇傭は不安定でありながら税負担だけは増えていく。そのような状況を招いたのは自民党政権ですが、民主党政権はそれに追い打ちをかけるような政策をとろうとしています。

 鳩山総理は施政方針演説の中で「いのちをまもりたい」と述べました。今にして思えば、それは富める者の施しという感覚から出た言葉であると感じます。こども手当を初めとする各種補助金(エコポイントも含む)を支給することで内需を刺激するのだというのが民主党政権の理屈ですが、国民の多くが雇傭の先行きに不安を感じている状況下では、せっかく手当や補助金を支給したとしても、そのうちの何割かは貯蓄に回ってしまうものと思われます。それが結局はどこへ行くかというと、金融機関を通じて国債を買うことに費やされるのですから、赤字国債の増発を担保するようなものです。
 その償還減資は若年層が負担していかなければならないのですが、なかなか働くところが見つからないという状況に苦しんでいます。そういう人たちを増やしておきながら、これまで以上の負担をしろという政策が継続的に行われてきたのです。

 人間は他人にモノやサービスを提供してその対価を受け取ることで生活していくことができる生き物です。そのための労働の場が十分に用意されないのであれば、生活に困る人がそれだけ増えることになりますし、現にそれは現実のものとなっています。
 国とは人が集まってできあがっているものですから、一人一人の生活基盤が脆弱であれば、結局のところ国の基盤も脆弱なものになってしまいます。
 排出権などという架空のモノを売り買いすることに精を出しても、国民生活に寄与するところはひとつもないばかりか、いずれ害を及ぼすであろうと思われます。
 このことはカーボン・オフセットという制度も同様です。
 私には、これらの制度が免罪符のようになっていくように思われてなりません。何の役にも立たないお札であると知りながら、それを購入しないと後ろ指を指されるという世の中が到来しようとしてます。
 このことは改めて書くつもりでいますが、そんなことにうつつを抜かすことよりも、緊急の課題は雇傭を創り出すこと、雇傭を安定させることでしょう。
 それが実現できれば何も補助金など支給する必要はなくなるのですから。
by T_am | 2010-03-16 00:13 | その他
 日米間の密約に関する考察の続きです。

 以下は、昨日のasahi.com からの引用です。


 衆院外務委員会(鈴木宗男委員長)は10日の理事懇談会で、日米間の密約問題を調査するため、19日に参考人質疑を行うことを決めた。外務省元事務次官の斉藤邦彦氏と元条約局長の東郷和彦氏、元運輸相の森田一氏、元毎日新聞記者の西山太吉氏の4人から3時間にわたって話を聞く。

 また、民主、社民、国民新党の与党3党の国対委員長は10日、国会内で会談し、密約問題で、歴代の首相、外相経験者を衆院外務委員会などに参考人招致することで一致した。

 斉藤氏は1987年から2年間、密約を知り得る立場である条約局長を務めた。東郷氏も98年から1年間の条約局長時代、持ち込み密約関連の資料を整理したと朝日新聞の取材に証言している。

 森田氏は旧大蔵省の課長補佐時代に、沖縄返還に際して米側が本来支払うはずの土地の原状回復費400万ドルの負担にかかわったと証言。西山氏は、この沖縄返還時の密約に関する機密電文を特報した記者だ。

 歴代首相、外相経験者の参考人招致を決めた民主党の山岡賢次国対委員長は「真相を究明して国民にもお知らせしていく」と述べた。必要があれば元職の首相、外相経験者も参考人として呼ぶ考えも示した。また、国対委員長会談では、外交文書の保存や公表のルールについて国会で議論していくことも決めた。

http://www.asahi.com/politics/update/0310/TKY201003100331.html


 長くなって恐縮ですが、もうひとつ引用します。こちらは本日のasahi.com からの引用です。


 外務省の政務三役が与党議員から意見を聞く外務省政策会議が11日開かれ、日米間の密約問題が議論された。岡田克也外相は、19日に衆院外務委員会の参考人質疑に立つ元外務官僚の守秘義務の解除について、「委員会として要請された時点で考えたい」と述べ、検討する意向を示した。

 外務委は斉藤邦彦・元事務次官、東郷和彦・元条約局長への質疑を予定しているが、公務員は退職後も、職務で知り得た秘密を明らかにしてはならない守秘義務が課せられている。ただ、国家公務員法は大臣が許可した場合は公表できると規定しており、外務委員長の鈴木宗男氏が「国民に真実を明らかにするため」として許可を求めた。

 また岡田氏は、密約が政権交代後も効力があるかどうかを問われ、「政府と政府の約束なので直ちに失効するわけではない」と述べ、政権交代が密約の効力を失わせるわけではないとの認識を示した。

 核を搭載する米艦船や航空機の日本への寄港・領海通過の可能性についても取り上げられた。岡田氏の「90年代の米国の政策変更で(核が)持ち込まれることはなくなった」との説明に対し、出席議員からは「納得がいかない」との意見も出された。

 さらに、「自民党政権下でうその政府答弁の起案にかかわった外務官僚を処分すべきだ」との指摘も出たが、岡田氏は「悪いのは外務大臣や総理大臣だ」として、処分しない考えを示した。

http://www.asahi.com/politics/update/0311/TKY201003110256.html


 最初のニュースと後のニュースを続けて読むと、参考人質疑に呼ぶ外務省OBに関しては守秘義務を解除し、さらに、密約があったという事実を認めたとしても免責するつもりでおり、「だから、本当のことを言ってもいいんだよ。」というメッセージを送っていることがわかります。
今回招致が決まった四人は出席の意向を示しているそうですから、密約の存在が事実であったと証言するつもりでいるものと思われます。
 これは推測ですが、外務省OBの三人は、密約がありながら嘘をつかなければならなかった状況の方がおかしいと考えており、事実をはっきり証言することによって、この国の姿を正常なものにするきっかけにしたいと考えているように思います。
 また、元毎日新聞記者である西山氏を招致する理由はどこにあるのかを考えると、西山氏を被害者としてクローズアップさせたいのかな、とも思います。外務省機密漏洩事件として裁判になったこの事件は、西山氏が不倫関係を利用して機密文書のコピーを入手したことが暴露されたことによって、密約の存在から取材方法が不適切であったというところに問題がすり替わってしまい、密約の追求がうやむやになったという経緯があります。その点西山氏は政府と検察の陰謀の被害者となったわけですから、外務委員会はそのことを取り上げるつもりなのかな、とも思います。

与党の狙いはその後に予定している歴代総理大臣と外務大臣経験者の参考人招致です。これは「お前、嘘をついていただろう! けしからんじゃないか!」という図式をつくりあげるためのイベントであって、参議院の選挙前に自民党を叩いておくことが真意でしょう。

外務省OBが密約の存在を認め、過去の核持ち込みに関する政府の答弁が嘘であったことを認める。
西山氏は政府による隠蔽工作の被害者である。

こういうお膳立てをしておいて、歴代総理と外務大臣経験者を呼びつけるわけですから、これは魔女裁判と同じです。というのは、彼らを有罪にするつもりで呼びつけるからです。

しかし、情報公開の趣旨からいって、こういうことを政治家がしてはいけません。なぜなら、外交文書の公開とは、政府には国民に明らかにできない機密があるという前提で設けられる制度だからです。今は明らかにすることができないけれども、時間が経ってその機密が過去のものになったときに公開してその評価を後世に委ねるというのがこの制度の趣旨です。そのときに評価するのは政治家の役割ではありません。第三者が公平な目で評価し、議論する中で、しだいに一定の方向に評価が固まっていくだろうというものです。政治家は、それを参考に以後の政策立案に活かしていくというのが筋であって、政治家が評価する作業に荷担したのでは党利党略に利用されるからです。

機密というのは存在そのものを明かすことはできないわけですから、「こういう機密があるということですが間違いありませんか?」と質問されたら「お答えできません」と回答するわけにはいきません。「答えられない」と言った瞬間に機密があることを認めたことになるからです。したがって、「そのようなものはございません」としらを切るのが唯一許された回答になります。
それを後になって、「お前、あのとき嘘をついていたじゃないか! けしからん!」ということを許したのでは、機密など維持できないことになります。

既に密約があることが有識者委員会の報告書で明らかになっているのですから、これ以上「真相を究明して」何をするつもりなのでしょうか?
それよりも、当時密約を結んだことが妥当であったかどうかを議論すべきでしょう。それによって、日米同盟を維持するのか、それとも強化するのか、あるいは解消に向けて舵を切るのか議論するきっかけにすべきです。
岡田外相は「90年代のアメリカの政策変更で核が持ち込まれることはなくなった」と述べていますが、それは単なる憶測に基づく詭弁です。
歴代総理大臣と外務大臣を嘘つき呼ばわりするのであれば、その前に、アメリカ政府に対し「日本は今後も非核三原則を堅持していくので、かつての約定(密約のこと)は破棄する。いかなる理由があろうと日本に核を持ち込んでもらっては困る。」と通告すればいいのに、そういう気配はありません。
つまり、アメリカの手前今更密約を破棄することもできないので、時代が変わってもはや実効性を失っているということにしてこのままうやむやにしてしまおうというのが民主党政府の考え(有識者委員会の結論もそうでした)であると想像できるのです。ところが、せっかくの機会だからこの際徹底的に自民党を叩いておこうということから、今まで自民党は嘘をついていた、という一点に問題を絞ろうとしているようです。

他人がついた嘘には容赦しないけれども身内の嘘には見て見ぬふりをするというのがこの政党の特徴です。こういうのを欧米人はダブル・スタンダード(二枚舌)と呼ぶのではありませんか?

「アメリカによる事前通告がない以上、核の持ち込みはなかったものと考えられる」という答弁を行ってきた自民党は、(ほかにも理由がありますが)最終的に国民から信用されなくなりました。
民主党も、票目当ての工作にうつつを抜かしているといずれ信用されなくなってしまいます。すでにその兆候があらわれていることは世論調査から伺えるのですから、とっとと「今やるべきこと」に取り組んだらどうかと思うのですが、そういうことには気が回らないようです。
by T_am | 2010-03-12 01:04 | セイヤさんへの手紙
ああ、やっぱりね・・・

 率直にいうと、こういう感想を持ちました。核兵器の持ち込みはずっと「公然の秘密」でしたから。

それよりも、この問題は整理して考える必要があると思います。
どういうことが問題として考えられるかというと、


1.アメリカ軍によって日本に核が持ち込まれていた。
2.アメリカ軍による核兵器の持込みを日本は拒否することができない立場にある。
3.2の状況があるにもかかわらず、政府は口をつぐんでおり、さらに国民に対し嘘をついていた。それも「事前通告がないのだから持込みはないものと考える」という二重の嘘を。
4.歴代の首相が密約の存在を知りながら国民を騙していた。特に故佐藤栄作元首相は密約の当事者でありながら「非核三原則」を打ち出すということをしており、きわめて悪質である。
5.外務省では、意図的に文書を廃棄した形跡がある。


 さて、マスコミや左翼の皆様は一体どれが問題と考えているのでしょうか?

 社民党は非核三原則の法制化を考えているようですが、この政党には学習しようという意欲と能力がないと改めて思いました。
 今回公表されたのは「密約が存在したかどうかという事実に対する調査結果」にすぎません。それをどのように評価するのかはこれから議論していかなければなりません。
 そういうプロセスをまるっきり無視して、非核三原則を法制化すれば問題はすべて解決すると思っているかのようです。そういう発想法には、自分は何の努力もしないくせに他人に守ってもらうのが当然と考えている自己中心的な性格が伺え、とても国の大事を任せようとは思いません。

 かつての安保闘争の闘志の皆様には申し訳ないのですが、僕は、密約が結ばれたという背景には国を挙げての「思考停止」があったように思います。

 「思考停止」というのは、その中身を議論することなしにスローガンに飛びついては後生大事にそれを守ろうとする姿勢のことを指します。最近の例でいえば、「コンプライアンス」「個人情報」「食品の偽装表示」「CO2削減」「天下り」などがあり、ちょっと前には「痛みを伴う構造改革」というのもありました。

 「思考停止」に共通する現象は、いったい何のためにそれをやるのかが忘れられてしまい、それをやること自体が目的となってしまっている、というものです。

 たとえば、

・郵政や道路公団の民営化によっていったいどんなプラスがあったのでしょうか?
・CO2を25%削減するという目標を掲げて、それで地球のCO2濃度がどれだけ減少するというのでしょうか? それも定かでないのに、排出権取引やカーボン・オフセットを初めてどうするつもりなのでしょうか? さらに温暖化対策税という増税策を実施しようとしているのですから悪質です。温暖化対策税の導入後10年経っても効果がないとわかったら、関係者は責任をとる覚悟でやっているのかというと、そんなはずはありません。失政の責任をとって官僚が辞めたとか、議員辞職した政治家がいたとか、あるいは私財をもって償ったという事例を僕は知りません。


 こういう本末転倒な現象が容易に起こりうるところが「思考停止」の弊害です。また、誰もが「わかったような気になる」巧妙なスローガンを掲げるために、これに飛びつく人が多いというのもやっかいなところです。

 今回の事例でいえば「非核三原則」というのが、日本人を思考停止に陥れるスローガンであると思います。

 「非核三原則」が高邁な理想であることは否定しませんが、外交と防衛上のあらゆる選択肢を考慮した結果として非核三原則を採用するのであればいいのですが、現状はそうではありません。

 アメリカの軍事力によって守ってもらうという選択が今の日本の政策です。そのアメリカが核保有国である以上、非核三原則と矛盾することは自明の理です。したがって、日本が非核三原則を貫こうとするのであれば、アメリカによる軍事的庇護を断って、自分たちの力で防衛を行うということをしなければなりません。

 しかし、このような考え方は本末転倒です。

 日本の安全保障をどのようにして実現していくのか? 日米同盟を堅持するのか、それとも自衛隊を軍隊に昇格させて自分たちで日本を守ろうとするのか。そのような議論の延長で非核三原則をするのかどうかが決められるべきだと思いませんか?


 日本では、政治家は信用できない、というのが「公然の秘密」です。そう思いながら、そういう政治家を当選させる有権者もどうかと思いますが、ここ数年空気が変わってきいます。
 というのも、「信用できない政治家」を自民党的体質として拒否しようという動きが出てきているように思うのです。
 今回行われた世論調査で鳩山内閣と民主党の支持率がまた下落しましたが、その分自民党の支持率が伸びているかというとそうではありません。自民党の支持率は横ばいですが、民主党が落ちてきているので、あまり差がないようになってきました。
 その理由として、鳩山代表率いる民主党政権に自民党的体質を嗅ぎ取った人が嫌になってきている、ということがひとつ。
 もうひとつは、民主党に改革は期待できないという失望感の広がりでしょう。

 民主党が、というよりもまともな考え方をする政治家であれば、今回の調査結果を教訓として情報公開法の改正に取り組むべきです。

 どこの国の政府にもリアルタイムで国民に公表できない暗部を抱えているはずです(見たことはありませんが)。それをリアルタイムで公表せよ、というふうにするとかえって国益を損なうという場合もあると思います。今回の密約の件がそうですね。
 時間が経過して、もはや「過去」と呼んでもいいようになった頃にそれを公開する制度を設ける。そのために、機密文書の保管は公文書図書館のような施設を設けて、そこで行うということにし、そこに行けば誰でも閲覧ができるというものにすべきだと思うのです。

 そのような仕組みをつくっておくことで、現在の選択の是非を後世の評価に委ねるということになります。また、自分の決断が後世の評価に晒されるという認識は政治家と官僚の行動に制約を加えることになります。

 まともな国づくりというのは、そのような地道な努力の積み重ねによって実現すると思いますが、いかがでしょうか?


付記
 読売新聞の速報によれば、与党三党の国対委員長は日米間の密約に関する有識者委員下院報告が公表されたことを受けて、歴代の首相と外務大臣経験者を衆参外務委員会に参考人として招致することを決めた、とのことです。
 別に自民党の政治家を擁護するつもりはありませんが、これは稀代の愚策であるといえます。過去に遡って問責するということが行われるのであれば、今後不都合な文書は片っ端から廃棄され、すべてなかったことにされることになります。
 民主党の山岡委員長は、今後外交文書の保管のしかたや公開のしかたについて議論する必要があると発言していますが、それは建前であって、本音は夏の選挙前に自民党に大ダメージを与えたいという目論見が見え見えです。
 自分たちは、小沢幹事長の参考人招致に頑として応じないくせに、数の力を頼んで政敵を攻撃するというのは卑怯千万です。こんな政党に日本の舵取りを任せるわけにはいかないと改めて考えさせられました。
by T_am | 2010-03-10 22:35 | セイヤさんへの手紙
 農水省では、現在41%となっている食糧自給率(カロリーベース)を2020年までに50%に持っていくとのことです。以前も取り上げたことがありますが、カロリーベースでの食糧自給率にどういう意味があるのか、どうしても理解できません。むしろカロリーベースで食糧自給率を語るのはもうやめた方がいいと思います。
 食料自給率の定義についてWikipediaには、「1国内で消費される食料のうち、どの程度が国内産でまかなわれているかを表す指標」とあります。
 実際には品目別食糧自給率(重量ベース)と総合食糧自給率(カロリーベースと生産額ベース)の3種類があり、マスコミで紹介されるのはほとんどがカロリーベースでの食糧自給率です。というのは、農水省の発表がカロリーベースを使用しているからです。

 それぞれの計算の仕方は農水省のサイトに事例が掲載されています。

〈品目別自給率〉
小麦の品目別自給率=小麦の国内生産量(88.1万㌧)/小麦の国内消費仕向量(608.6万㌧)=14%

(総合食料自給率)
カロリーベース総合食料自給率=1人1日当たり国産供給熱量(1,012kcal)/1人1日当たり供給熱量(2,473kcal)=41%

生産額ベース総合食料自給率=食料の国内生産額(10.0兆円)/食料の国内消費仕向額(15.3兆円)=65%

 品目別自給率(重量ベース)はそのものずばりを示した指標です。実にわかりやすい。
 しかし、総合食糧自給率になるとなぜか重量ベースでの計算方法が載っていないのが不思議ですが、とりあえず各々の計算方法をみてみましょう。

 食品によって単価がまるで異なるので生産額ベースでの計算にはあまり意味があるとは思えません。また食品は一部の例外を除き相場が上下しますから生産額で捉える限り、毎年のぶれが避けられないように思います。そのせいかこの数字が使われることはあまりありません。
 さて、問題のカロリーベースですが、ここで用いられている「1人1日あたり供給熱量」という数字は、実はその国の国民生活のレベルによって左右されます。国が豊かになれば主食以外にも副食やおやつなどの消費が増えるわけですから、当然「1人1日あたり供給熱量」は高い数字になります。ですから、この数字は「国民1人が1日当たり必要とするカロリー」ではないということに注目する必要があります。食糧自給率(カロリーベース)といった場合の意味は、「国民の今のレベルの食生活で国内生産されている食料の割合」というふうに理解した方がよいでしょう。
 日本では、戦後の経済成長に伴って「1人1日あたり供給熱量」は増え続けてきました。その結果日本人の体格は欧米人に近づきましたが、その反面メタボリック症候群が話題になるなど肥満傾向に陥りつつあることも事実です。また、大量の残飯が発生しているという指摘もあります。
 そういうこともみていくと、現在の日本の「1人1日あたり供給熱量」は人間が健康的な生活を送る上でやや過剰気味にあると考えた方がいいのです。決して「人間が生存していく上で必要な熱量」を意味しているのではありません。
 しかし、食糧自給率という言葉を聞かされたときに、私たちはそれが「日本人が生きていく上で必要なものがどれだけ国内で賄われているか」とつい錯覚してしまいます。カロリーベースにはそのような魔術があることに気づくべきです。

 先ほどの農水省のサイトでは次のように書かれています。少し長くなりますが引用してみます。


日本においては戦後、食生活の洋風化が急速に進んだという特徴があり、この急激な変化が食料自給率を引き下げてきた大きな要因となっています。日本では昔から主食(ごはん)を中心とした食生活が行われてきましたが、戦後、副食(おかず)の割合が増え、中でも特に畜産物(肉、乳製品、卵など)や油脂の消費が増えてきました。自給率の高い米の消費が減り、自給率の低い畜産物や油脂の消費が増えてきたことにより、食料全体の自給率が低下してきたのです。
また、自給率低下の要因は、単に食料消費の変化があったということだけではなく、この消費の変化に生産が対応しきれなかったことも要因の一つであるといえます。特に近年では、日々の食事の中で惣菜、冷凍食品といった調理・加工された食品の割合が増え、また外食をする機会も増えてきました。こうした中で、これまでの国内の生産では食品加工メーカーや外食店といった食品産業が求める要望に十分に応えられてきませんでした。
したがって、国産の農産物が利用されるよう、こうした食品産業の要望に応えていくことが期待されています。



 農水省のサイトではさらに、昭和40年度では73%あったカロリーベースでの食糧自給率は現在では41%にまで低下していることをグラフ化し、また他の先進諸外国との食糧自給率の比較もグラフ化してくれています。
 従来の日本の政策が農業よりも工業を重視するというものでしたから、これらの事実はその「成果」であるといえます。実際に農業の就業年齢をみると高齢者が多く、10年後にはどうなっているのだろうと心配になることがあります。
 また過疎化の進行により山間部の農地が耕作放棄の危機に晒されているという問題もあります。山が荒れると洪水などが起こりやすくなり、平地に影響を及ぼす懸念があります。

 このように農業には様々な問題があることは事実であり、これらを解決していかなければならないというのには私も全面的に賛成しますが、カロリーベースでの食糧自給率が低いという理由で、だから日本の農業を守らなければならないというロジックには同意することができません。

 日本のように耕作適地が限られており、なおかつ人口密度の高い国が食糧自給率100%を達成するにはただひとつ『鎖国』しか方法はありません。その代わり国民の食生活のレベルは現在よりも大幅に下がることになります。そんなことを提唱する政治家がいたら落選することは間違いありませんから、日本の総合食糧自給率が100%になるということはありえません。むしろ日本人の食生活レベルは外国からの輸入食料があって初めて実現できているということを自覚すべきでしょう。
 農地を増やせばいいじゃないかと思うかもしれませんが、山間地の耕作放棄地に手を入れてもそれほど農地が増えるとは思えません。大規模に山林を削って開墾しない限り農地の面積が増えることはないのです。しかし、山林をこれ以上削ることは環境破壊という観点からとうてい推進できるものではありません。
 北朝鮮では「斜面を開墾し段々畑にせよ」という国家のトップの指示に従って国家的プロジェクトとして農地の面積を増やすということを行いましたが、その結果大雨がふると洪水が発生するようになり、表土が流されてかえって国土が荒れてしまいました。現在の北朝鮮が外国からの食料援助に頼らなければならない状況にあることは報道をみていればわかります。

 ではどのように考えるべきなのかというと、2つあります。

 ひとつは、品目別に食糧自給率(重量ベース)を吟味して、重点的に伸ばしていく品目をいくつか選択することです。
 その際に基本となる考え方は「国民を飢えさせない」というものです。
 栄養的に重要な品目で自給率が低い食料が取り上げられることになるでしょう。ただし、日本の風土に適さない農作物というのもありますから注意が必要です。
 親戚に農家がいて、法事の場で減反した田んぼで小麦を植えたらいいのではないかという話題がでたことがあります。小麦の自給率は低いのだから、つくればいくらでも売れるだろうというのです。ところが親戚のいうには、新潟の場合小麦を植えても麦仮の時期に梅雨が来るので具合が悪いのだということでした。農作物には、その土地に適したものとそうでないものとがあります。農家を指導することは必要でしょうが、政策として押しつける愚は避けなければなりません。
 したがって、農業というのは国の問題ですが農業政策は地域が策定すべきです。極論をいえば農水省の農林部門は、情報を集め統計を作成する部局と外国と交渉する部局を残し、それ以外は地方に権限を移した方が日本の農業のためにはいいと思います。

 二番目は外国から食料の輸入ができないという状況をなんとしても回避するということです。
 日本はどのみち食料の輸入をしなければならない国なのだとはっきり自覚しましょう。総合食糧自給率を高めなければならないというのは正論ですが、日本の国土と人口密度がそれを許さないのだと申し上げました。にもかかわらず総合食糧自給率を高めるには食料の輸入を制限しなければなりません。それでは日本人の食生活のレベルが落ちることになります。
 また、現在でも日本の農業は石油に依存しています。それは、農業機械を動かす燃料として石油が使われているということもありますが、化学肥料や農薬をつくるのに石油が不可欠であるという点も大きいのです。仮に石油が使えなくなったらどうなるかというと、機械が使えないので人海戦術に頼る意外ありません(農耕用の牛馬がいないのですから)。農村部にはそのような働き手は限られていますから、米の場合、少なくとも田おこしと、田植え、草取り、稲刈りの時期は外部から手伝いに行かないと米づくりができないようになります。
 また農薬や化学肥料が使えなくなると収穫量は落ちてしまいます。有機肥料を使うことも検討しなければなりませんが、そのためには人糞を肥料にすることも避けられません。もっともそのときには水道網も大半が使えなくなる(現在の水道はポンプで高い圧力をかけている)でしょうから、水洗トイレも使えなくなっていることと思います。
 このように考えると、日本という国を維持するためには、あらゆる面で貿易が正常に行える状態にあることが不可欠であることがわかります。外国から食料の輸入ができないという状況をなんとしても回避するというのはそのような意味で申し上げています。
 日本にお金がなければ外国から食料を買うことができないのですから、そのお金を稼ぐことが必要です。もう一つは日本にものを売ってくれる国と日頃から仲良くしておくことです。ビジネスなんだから金さえ払えばいいだろうと思うのは身を誤るもとです。買い手の側には「誰に対して売ってくれという申し入れをするか決める自由」がありますが、売り手側には「誰に対してものを売るかを決める自由」があるのです。
 さらには、日本への交易ルートの安全を確保するのは誰が責任を負うのか? ということも考えなければなりません。日本の領海外だからわれわれの知ったことではないというのは通用しません。既にマレーシアの海賊というのが国際的な問題となっており、海上保安庁が巡視船を派遣しています。有事には直ちに対応できるというようにしておかないと食料の安全保障が脅かされることになってしまいます。

 農水省がどのような思惑でカロリーベースでの総合食糧自給率を使用しているのかわかりませんが、食糧自給率が低いままだと将来有事が発生したときに日本人は飢えるのではないかという恐怖心を巧妙に煽っているように思えます。そうすることで予算と仕事(天下り先)を獲得し、省庁間で主導権を握ろうという野心があるようにも思えます。
 政府内の特定の部門が大きな権限を持つとロクなことはありません。戦前の軍部や内務省がそうでした。当時とは事情が違うといえばその通りなのですが、それでも突出した権力が存在するというのは危ういと思いますし、なんとしても阻止しなければなりません。
 そのためには、カロリーベースでの食糧自給率という報道に接してもそれほど気にしないことが一番です。このままいくと、たばこやCO2のようになってしまうような気がするのです。
by T_am | 2010-03-07 08:55 | その他
 季節外れの風邪を引いてしまったせいか、なんとなくExcel を使った暇つぶしをしたくなったので、カレンダーをつくってみました。


c0136904_034232.jpg




 1ヶ月表示なので、月が変われば内容も自動的に変わるようにしてみました。欲張って六曜と祝日名も表示させるようにしたので、細かい部分での仕上げに手間がかかりました。
 使用した関数は次の通りです。

・IF関数
・DATE関数
・TODAY関数
・YEAR関数
・MONTH関数
・DAY関数
・VLOOKUP関数

 Excelで表をつくるたびにいつも感じるのですが、唯一の正解というのはないと思います。つくった人以外は目に見える部分でしか判断しないわけですから、超絶技巧を駆使して表をつくっても紙に印刷してしまえば、わかってもらうことはできません。そう思うことが気楽にExcelとつきあうコツなのではないかと思います。
 ちなみに、どんな構造なのか(それほどややこしくありません)興味がある方は下記のリンクをクリックしてください。

http://bit.ly/ZfnDGl


 Excel2007 でつくりましたが、それ以前のバージョンのExcelでも動くと思います(たぶん)。両方のフ
ァイル形式で作成したものをアップしています。ダウンロードはご自由にどうぞ。

 ところで、こういうカレンダーをExcelでつくっても、どういう使い道があるのかわからないと思いませんか。どこの家でも職場でもカレンダーはあるわけですから。いちいちExcelファイルを開いてカレンダーを見るというのも馬鹿げていると思います。
 まあ、Excelの練習だと思えばいいんじゃないかと思います。

付記
 祝日と六曜を2013年のものに修正したものを公開しました。
by T_am | 2010-03-05 00:07 | Excel のあの手この手
 国の進路を考えるときに、どうやって安全保障というテーマを避けて通ることはできません。ここで扱う安全保障とは他国から侵略されないというだけでなく、他国とどのようにつきあっていくのかということまで含みます。というのは、鎖国をすれば別ですが、日本人が世界の中で生きていくためには貿易によって必要なものを売買することが不可欠だからです。
 必要なものといっても、たとえばボージョレ・ヌ・ボーのようなものまでも含むわけではありません。中にはこれがないと生きていけないという人もいるかもしれませんが、そういうレアなものを指すのではないのです。他国に輸出できるだけの資源を持たない日本が国際社会の中で生きていくためには、輸入した資源を原材料に製品をつくり海外に輸出して外貨を稼ぐということが不可欠であり、その加工貿易に必要なものという意味です。
 日本の弱点はこれだけ狭い国土に1億3千万人の人間が住んでいるというところにあります。国土面積をその国の人口で割った数値を比較すると、日本のそれは思いの外小さいことがわかります。
 日本の場合国土の大半が山林ですから、日本人が使用可能な面積はさらに減ってしまいます。江戸時代の終わり頃の日本の人口は約四千万人程度でした。当時は今よりも医療・衛生面で遙かに劣っていましたから平均寿命が短かったことも考えなければなりませんが、他国から食料を輸入せずに国内生産だけで賄ったときに、日本の国土がどれだけの人口を養えるかということを考えると、今の1億3千万人という人口は多すぎるように思います。
 少子化によって今後人口が減っていくとはいえ、国民を飢えさせるわけにはいきません。 現在の農業生産高は石油によってつくられる化学肥料や農薬と、石油によって動く農業機械に支えられています。では、その石油はどうやって調達しているかというと、100% 輸入に頼っているわけです。20年ほど前でしょうか、大前研一さんが、日本の石油の備蓄量は90日分しかないのだから石油の輸入がストップしたら91日目に農業機械は動かなくなる、という意味のことを書いていました。大前さんの主張は、だから自国の産業の保護に固執するのではなく国際分業体制を進めることで必要な資源の確保ができるようにする必要がある、というものでした。
 現状でも、日本は世界を相手に貿易をして金を稼ぎ、それで外国から資源を購入して生産を行うということでなんとか国民が飢えずに生活していくことができるのですから、この体制を変えることはできません。したがって、日本の進路について考えるときも、この仕組みを維持するということが与件となり、そのことは絶えず念頭に置いておく必要があります。

 国際間での金とモノと情報の流れがスムーズになっていくと国境という垣根が低くなっていくことが求められるようになります。グローバリズムには国際間のルールを統一して金とモノと情報の流れをスムーズにしようといういう側面があります。もっとも、そのルールが特定の国に有利なように策定されているという嫌いがあります。ルールなのですから、双方がそれに従うと合意して初めて効力が発生するのであって、先方の言いなりになってそれに従うというのはおかしな話です。これは考え過ぎかもしれませんが、オリンピックなどで日本人選手が活躍するとルールの変更が行われ、それ以降日本の選手はいい成績をあげることができなくなるとことが行われてきたように思います。スポーツの場合多数決で決まるわけなのでしかたない面がありますが、国際政治には多数決という制度はないのですから、納得のいくまで議論をし、それでも合意点が見いだせなければ問題を保留するということでいいのです。
 グローバリズムによって変更された日本の会計制度をみていると、日本の社会に及ぼすマイナス面が大きいように思えますから、この点、日本政府の選択は思慮を欠いていたといえます。

 しかしながら、議論や交渉を行う際にその場の空気を読みながら合意点を見いだそうとする傾向が私たち日本人には強いことも事実です。どちらかというと論理よりも空気に左右されるわけで、その結果自分が大幅に譲歩しなければならないと判断されたときに、他に選択肢がなかった(つまりそれがベストの選択であった)と身内を説得することに労力の大半を費やすようになるという傾向もあります。したがって日本人というのは、先方と身内の2カ所に対して交渉をしなければならない局面に陥ることがあり、ややもすると身内を説得することの方が大変であるという情けないことになってしまいます。

 そのいい例が、最近では普天間飛行場の移設問題です。

 滑走路を沖合に設けることで環境汚染が懸念されるという問題は抱えていたものの、票目当てに日米両政府で合意していたキャンプ・シュワブへの移設をひっくり返したのは民主党ですから、現在の混迷は身から出た錆であるといえます。岡田外務大臣も就任直後は威勢のいいことをいっていましたが、最近はすっかりトーンダウンしてしまいました。「政権が替わったのだから」と言い訳すれば通ると高をくくっていた節が見えますが、アメリカ政府が思いの外強硬な態度に出ているのを目の当たりにして、ほぞをかむ思いをしているはずです。
 このような事態を招いたのは、直接的には民主党首脳部の責任ですが、間接的には日本の安全保証をどうやって実現していくかを真面目に考えたことのない私たちにも責任があります。そのうえで「基地問題」というのは人間に起因する問題(人災)であることをきちんと説明し、解決が可能な問題なのだと国民に理解してもらうことが政府の役割です。
 日本の米軍基地が抱える問題を大きく分けると、①航空機の墜落事故の危険性、②航空機の騒音、③米兵による犯罪、の3つになります。
 ①と②はどこに基地を設けるかで結果は違ってきます。普天間飛行場のように民家が密集しているところに基地があるのか、それとも周辺に人が住んでいないような場所に基地を設けるのかとではまるで違うことは私にも想像できることです。また、③の問題は、軍隊といえども人間の集団である以上犯罪が皆無であるということはありえません。だからとといって野放しにしてもいいというものではなく、犯罪人をどのように処罰するのか、そのルールを厳格に適用することで犯罪の発生を抑制しようというアプローチが求められます。そのためには日米地位協定の改定が避けて通れません。
 たかだかヘリ部隊の基地をどこにするかという問題ですから、防衛に占める問題としてはそれほど大きなものではありません。ですから、①から③の問題をどのように解消していくかをきちんと立案し、丁寧に説明することで理解を得られる問題なのですが、にもかかわらずここまで大騒ぎするようになったというのは、歴代政府が臭いものには蓋とばかりに地元にアメをばらまいて不満をうやむやにしてきたからです。
 今更こんなことをいっても手遅れですが、基地問題を抱えているところに税金を投入すれば街が大きくなって人口が増えるに決まっています。それだけ基地に不満を持つ人が増えるということですから、金をばらまいて黙らせるというやり方は国家にとってもっとも愚かな選択肢であるといえます。

 政府は「ゼロベースで移転先を考える」といっていますから、それに沿って考察すると日本の安全保障をどうするかという問題に帰結していきます。
 見方を変えると、日本の安全保障をどのようにするかについては次のようにいくつかの選択肢があります。


1.従来通り日米同盟を堅持してアメリカに防衛を担当してもらい、日本はその対価として基地のために必要な土地と資金の一部を提供する。

2.この際アメリカにはお引取り願い、日本の防衛は自衛隊が一手に引受けることにする。

3.アメリカ以外の国と同盟を結ぶ。

4.どの国とも等距離で外交を行い、仲良くしておくことで、どこか一国と紛争が発生しても他の国が仲裁してくれることを期待する。


 このうち4は夢物語にすぎません。たぶん日本以外の国はすべて自国の国益を最優先に考えて外交に取り組んでいます。したがって戦争というのは外交の延長であり袋小路でもあります。どこかで戦争が起こった場合、それを仲裁する国が現れるということはそれなりに理由があるからであって、義侠心で仲裁を買って出る国というのはありません。このことから、日本が4の選択をするのであれば、日本のダメージはその国がダメージを受けるに等しいと思わせるような状態を普段から作り上げておくことが必要となります。口で言うのは簡単ですが、実行するのはきわめて困難です。これができるのは、世界でもバチカンくらいしかないのではないでしょうか。
 3について考えてみると、新たな同盟候補として考えつくのは中国くらいです。だからといって中国を無条件で信用できるかというとそうではありません。この国は経済成長を維持しないと共産党政権が倒れてしまうという切実な問題があり、そのためにはなりふり構ってられないという事情があります。現在のところ中国は資源の確保に血道を上げており、いずれ尖閣諸島などの海底資源をめぐって日本と対立する事態に陥る可能性が否定できません。そうなれば同盟関係は簡単に解消されてしまいます。むしろ日米同盟のときのように軍事力は中国任せということにしておくと、いざというときに何の抵抗もできないということになってしまいます。いずれ自分に危害を及ぼすかもしれない相手を無条件に信用して身を寄せるというのは、はっきりいって愚かです。
 実をいうと、現在の日本の仮想敵国はどこかというと、かつてはソ連でしたがもはや中国になっていると考えるべきです。日本に留学している中国人の中には愛すべき人たちが多いのですが、個人と国家は別物です。
 地理的に、日本列島と台湾は中国大陸にかぶさる蓋のような形をしています。このことは軍事的に大きな制約となって中国にプレッシャーを与えることになり、それだけに逆の立場になってみると、何とか取り払ってしまいたいと考えても不思議ではないということになります。
 ですから中国が台湾が独立国家であると認めることは絶対にありません。
 また、尖閣諸島の領有権問題をめぐる日本と中国の対立の背景には地下資源の存在があり、資源確保のために紛争となる可能性もゼロではありません。

 次に、アメリカ軍には日本から退去してもらうという選択肢ですが、沖縄の世論を最優先に考えるならばこれしか方法はありません。その場合、日米安保条約を廃棄するということになりますから、中国を仮想敵国として用心するのであれば、米軍に代わって自衛隊の基地が沖縄にできることになります。
 当然、憲法9条第2項は書き直しとなります。
 日本がしなければならないのはそれだけではありません。どの程度の軍事力を保有していれば侵略されることはないかと見極める必要があり、万一現有の戦力では不足だということになれば軍備を増強しなければなりません。そうすれば財政上の負担は大きなものになります。
 あるいは、万一武力侵攻を受けても、他の国が仲裁に乗り出してくれるという状況を普段からつくっておけば、侵攻を受けた最初の1~2週間さえしのぐことのできる戦力があればいいということになります。ただし、どの国も助けてくれないという危険性もあります。そうなったときに助けてもらえるかどうかは、日本を助けることにより生じるメリットとデメリットの収支計算をしてどちらが大きいかによって決まります。友愛などという抽象的な概念で決まるのではありません。
 実をいうと、私自身は日本という国の将来を考えると、この自分の国は自分たちで守るという選択肢がもっとも妥当であると思っています。日米安保条約は、金と土地を提供していればアメリカが日本を守ってくれるのだから、日本は余計なことを考えなくてもよいのだ、という意識を私たちに植え付けました。その結果、誰も日本の安全保障について真面目に考えたことがないという社会になっています。そのことは、大げさな言い方をすれば、自分たちが考えたり決めたりしなくてもいいのであって、誰か他の人が考えてそして決めてくれるのだという他人に依存する性癖をもたらしたといえます。
 ですから日本の外交はアメリカに寄りかかるという選択肢以外選びようがないのです。イラク戦争のときに日本が自衛隊を派遣したのはこのためです。たとえ戦争の大義名分がなくとも、アメリカがやると決めた以上日本はそれに従う以外にありません。それ以外のことを考えられないのですからしかたありません。
 そういう体質は国家として不健全ですから、まず自分の国は自分で守るという気概を持つところから始めないと、自分できちんと考えて行動するという習慣が日本人にはいつまでも身につかないことになります。
 これも口で言うのは簡単ですが、実現させるまでには相当の時間と費用を要します。なによりも、この国を自分たちで守るのだという合意が形成されなければならないのですから至難の業であるといえます。そういった手続きがうまく進んだとしても、軍事費が突出すれば、その分他の支出を削るか、もしくは増税するしか財源を確保する方法はありません。いずれにせよ、国民がそれを負担しなければならないのです。

 そういうことが嫌だというのであれば、従来通りアメリカに守ってもらい、日本はその対価として基地のための土地を資金の一部を提供するという関係を続けることになります。その際に、国民に重要なことを知らせないでことを進めようとすると、政府に対する不振が残るので基地問題はいつまで経っても解消されません。
 米軍基地の経費を負担するための財源をまさか「みかじめ料」とか「用心棒代」と呼ぶことはできないでしょうが、すくなくとも「思いやり予算」などという変な呼び方はやめて、「守ってもらうための対価である」とはっきり述べるべきでしょう。その上でアメリカに対し「対価を我々は支払う以上、当然すべき要求があればさせてもらう。手始めに日米地位協定の改定協議に応じてもらいたい。貴国の兵士はわれわれができない任務に従事しているのだから尊敬に値すると思うが、われわれ民間人が敬意を払うに値する行動を示していただきたい。」というようなことをきちんと申し入れするのが対等の関係というものでしょう。
 さらに基地周辺の住民に対しては、アメを与えて黙らせるような真似をしてはなりません。なぜ、この場所に基地が必要なのかをまず説明した上で、できることとできないことをきちんと説明すべきでしょう。たとえば、基地が来ることで住民が受ける苦痛に対しては政府として引っ越し先の住居と仕事を確保し、その費用を負担する。また、住民が所有している土地と建物については時価で買い取ることもする。引っ越しが嫌な人については政府の費用負担で防音工事を行う。しかし、それ以上のことはできない。というようなことを説明すべきだと思います。

 日本では軍隊についてまともに議論することがタブーでした。戦前においては素人が口出しするなという雰囲気でしたし、戦後は憲法によって戦争放棄しているのだから軍について議論してはいけないという空気が続いてきました。
 すでに述べたように、戦争は外交の選択肢のひとつです。にもかかわらず軍についてまともに考えようとしない国民が鋭い外交感覚を身につけることができるかというと、そうではないと思います。むしろ日本しか見ていないという蒙昧さを感じてしまいます。
 そういう国民が平和を訴えても、他の国の人々からは、自分の手を汚そうとしない人間のきれい事、としか受け取ってもらえないであろうことも想像できます。

 不思議に思うのは、個人のレベルでは詐欺や強盗が横行し、他人に財産を奪われるという事態が頻繁に発生しているにもかかわらず、国対国のレベルになると話せばわかると思ってしまう傾向が私たちにはあるということです。話せばわかるということが通用するのであれば、社会から犯罪はなくなっているはずですが、実際にはそうではありません。話してもわからない人がいる、ということも事実なのです。
 仮にも国家を代表する人物なのだから人格識見ともに優れているはずだと思うのは勝手ですが、国を代表するということは国益を最優先に考えるということでもあります。双方の利害が一致しないときこそ、どこかで折り合いをつけなければいけないのですが、自分の国の利益を後回しにして相手国の便宜を図るという外交官がいれば、それは売国奴と呼ばれることになります。
 今回の普天間基地の移設問題をみていると、外交感覚がないのは政府だけでなく、国民もそうであると思えてなりません。自国の安全保障に関して普段から情報開示が行われてれば、戦略的にどこが重要であるかということは国民の側も自ずと理解するようになります。そういうことを一切国民に知らせずに、一部の玄人だけが密室で決めてきたというのが今の日本の安全保障です。

国民に知らせようとしない政府
政府の発表をそのまま報道するマスコミ
自ら知ろうとしない国民

 この三者がセットになって今の日本をつくりあげてきたといえます。
 世論調査をみると、国民の関心は政治改革にあることがわかります。それを実行してくれそうだと思えば内閣支持率は高くなりますし、とても期待できないと思えば支持率は下がります。政府に対する圧力としては必要なことなのですが、マスコミを通じて与えられた情報だけでなく、自ら知ろうとすることが政治改革を正しい方向に導くことになるのだいえます。
 安全保障とは異なりますが、名古屋市で地域委員会という試みがスタートしようとしています。これは地域の課題という限られた分野ではありますが、その地域の人々から選ばれた委員(市会議員ではありません)が市の予算の一部の使い道を決めるというものです。
 地域委員は原則無報酬で交通費などの実費弁償として月額2000円程度が支給されるだけですから、ボランティアだといってよいでしょう。それでもこういう活動に身を投じたいと考える人がいるのですから、この国も捨てたものではありません。
by T_am | 2010-03-01 20:46 | その他
2015年には自動車保有台数が1.7倍になりますか。うーん。
現在我が家では、自動車が3台あります。といっても長男は栃木にいますが。
2015年には次男も就職しているでしょうから、自動車を持つことになるでしょう。
そうすると、家族5人のうち4人が車を持つことになります。
1.7倍というのもうなずけるように思います。

今後ガソリンの価格は、じりじりと上がり続けるだろうと思っています。
リッター200円時代がいずれやってくるのは避けられそうもありません。

そうなると、地球温暖化問題が吹っ飛んでしまうというのも理解できます。
この間試算したのを紹介します。

現在の太陽光発電パネルの性能は1㎡あたりおよそ166ワットです。
太陽の光エネルギーは1㎡あたり1kWですから、およそ16%という効率です。

これを使って標準的な家庭で使用する電力(30kW)を発電するためにはどれだけのパネルがいるかというと、
およそ20㎡(6畳の部屋が2つ分)あればいいということになります。

ところが、雨が降ったり曇ったりすると発電量はおよそ10分の1にまで低下してしまいますから、
200㎡分のパネルがないと電力を賄うことができないことになります。

さらに、日が沈んでいる間は発電できないのですから、日中の間に夜間に使用する電力を蓄えておくことも必要です。
そうなると、日照時間を1日に2分の1と仮定して、およそ400㎡のパネルが必要となります。

400㎡(約121坪)というと、一戸建ての敷地面積(平均40~50坪)を遙かに超える値です。
そういう設備をいったいどこに設置できるのか、はなはだ疑問に思います。

設置できるとすれば、人が住んでいない砂漠くらいのものでしょう。日本にはありません。
そうなると、解決策としては宇宙空間に設置するということくらいですが、そのためのコストは莫大なものになりそうです。

発電効率が仮に現在の2倍になったとしても、必要な面積は200㎡です。
つまり、自分の家で使う電気を太陽光発電で賄うことは不可能だということがわかるのです。

現代は石油文明の時代であるといえます。
石油はエネルギー源でもありますが、同時に医薬品や化学肥料、プラスチックなどの原料でもあります。
日本だけでなく、世界の農業は化学肥料によって支えられています。
石油の価格が高騰するということは、これらの産業に与える影響も大きいということです。

農業生産物の販売価格よりも化学肥料の購入価格の方が大きければ、農業は成り立たなくなります。
レジ袋削減などと見当違いの議論をしている場合ではありません。

オイルサンド
オイルシェル
石炭の液化

これらの資源は石油よりも扱いにくいために、ほとんど手をつけられずに放置されて来ていましたが、
今後はこれらの資源を活用するための技術の確立が必要となってきます。

CO2の排出量を25%削減しますなどという前に、石油に代わる資源の開発が喫緊の課題です。
石油というと、どうもエネルギー問題だけにとらわれがちですが、原料問題でもあることを忘れてはなりません。

太陽光発電は効率が悪すぎると思います。
バイオエタノールも原料となる植物を化学肥料を使って栽培するわけでしょう。
石油が不足して化学肥料が高騰すればバイオエタノールの価格も高くなってしまいます。
風力発電と潮力発電はできる地域が限られています。
地熱発電は技術的な課題が多すぎます。
水力発電は環境破壊が目立つようになってきました。
原発は住民の間にアレルギーが強すぎます。
それというのも、きちんと説明せずに、アメをばらまいて不満を封じ込めるという政策をとってきたからです。
技術的には十分クリアできる段階にあると僕は思っていますから、きちんと説明して理解を得る努力をすること、
それが必要だろうと思います。

現在のマスコミは報道機関というよりも煽動機関であるといえます。
マスコミが世論を合理的な方向にリードするということはとても期待できそうもないだけに、
マスメディアの凋落というのは好ましいと思っています。

ネットで誰もが活発に自分の意見を述べて、その結果として世論が収斂していくというのが
今後の理想的な形なのかもしれませんね。


(付記)
 仮に200㎡の太陽子発電パネルを設置する場合、その角度を考慮しなければなりません。一番効率よく発電できるのは太陽に対して直角に設置することですが、そのためには時刻と季節によって向日葵のようにパネルの向きと角度を変える必要があります。
 まあ、単純に考えて10m×20m(=200㎡)のパネルを45度の角度で設置したときの、垂直投影図の大きさは、10m×14.14m(20m÷√2)となります。これは約42坪程度の面積となりますから、なんとか自分の家の敷地内で収まりそうです。そのかわり、自分の家の高さを14m高くするのと同じことになりますから、奥の家の日照はその分遮られることになります。もしかすると日照権をめぐる争いが起こるかもしれません。
 一戸建てでもこれくらいの影響があるのですから、これが高層マンションとなると、その電力需要を満たすだけの太陽光発電パネルを設置する場所などどこにもないことがおわかりいただけると思います。
 郊外の田んぼや畑の上に設けますか? それでは農作物は育ちません。また、山の斜面に設ければ森林を破壊することになります。結局日本の電力需要を太陽光発電で賄うことは、宇宙空間にでも設置しないことには不可能であることがわかります。それもずいぶんとコストのかかる話ですから、実現性は低いと考えてよいでしょう。
by T_am | 2010-03-01 15:08 | セイヤさんへの手紙