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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 先週の出来事です。
 大阪に住むビジネスマンが東京に出張し、予約してあったホテルにチェックインしようと、フロントで住所・氏名を記入する際に、「大阪府茨木市」と書いたところで、フロントマンから「お客様、申し訳ございません。本日は満室でございまして、お客様のご予約はダブルブッキングとなっておりました。」と宿泊を断られてしまいました。
 ちょっと前に医療機関でインフルエンザらしい症状を呈している人に対して、渡航歴がないにもかかわらず診療拒否があったと問題になっていましたが、今回の事例では、新型インフルエンザの患者が発生した地域に住んでいるというだけで宿泊を断られたというものです。どちらの場合も根底に無知蒙昧があって、これが世界でも有数の先進国の国民の実態であるかと思うとやりきれません。

 ちょっと大げさかもしれませんが、「約束したことは守らなければならない」というのは常識であると、私は思っていました。そうでなければこの社会は成り立たないからです。
 私たちの生活や仕事は、無数の「約束」の積み重ねによって営まれています。朝、目を覚ましてスイッチを入れればテレビが映るというのは、電力会社が電気を供給するという「約束」と、テレビ局が番組を放映するという「約束」、さらにはよほどのことがなければテレビは壊れないというメーカーによる「約束」が生きているからです。蛇口をひねれば水が出るというのもそうですし、あなたのケイタイに友達からメールが送られてくるというのも同様です。
 これらの無数の「約束」を一方的に破棄して構わないということが許されるのであれば、誰も信じることができなくなります。つまり、この社会はお互いの信頼関係によって維持されているということができるのです。

 そうはいっても、信頼関係を堅持すること(すなわち約束を守ること)と個人の利益が相反した場合、人間は自分の利益の方を優先させる行動を選択するというのはよくあることです。それがいいか悪いかは、その人の置かれた状況によって異なるので、一概に決めつけることはできません。また、その人の持っている価値観やモラルによっても異なります。
 政治家による収賄は後を絶ちませんし、年金記録の紛失や改竄という社会保険庁の問題の発覚、また、食品の品質や消費期限の表示の偽装という事件が相次いで起こったことは、「自分の利益を優先して行動する人間の方がこの社会の勝者となることができる」という意識が日本人の間に広く浸透していることを教えてくれます。
 しかし、よく考えてみると、自分の利益の方を優先して行動するというのは、自分以外の他人はそのような行動をしていないということを期待していることに気がつきます。というのは、みんなが自分と同じ行動をとれば、自分だけいい思いをすることができなくなるからです。
 したがって、悪意を持って他人に接する者は自分が同じ目にあっても文句を言う資格はないことになりますし、他人に対し理不尽な仕打ちをする者は自分が理不尽な仕打ちをされても仕方ないということになります。最初にご紹介したホテルの例でいえば、予約した客が現れなかったとしてもこのホテルは文句をいうことはできません。自分は一方的に約束を踏みにじっても構わないというのであれば、他人も同じことを自分にするようになるからです。そのうちに、客の質がしだいに悪くなっているということに気づくかもしれません。
 一度汚れたトイレは、直ちに掃除をしないと、どんどん汚くなっていき、最後には誰も使わなくなってしまいます。駅でも公園でも、大勢の人が利用する施設というのはどれも同じです。
 それを防ぐには、汚すのをためらうほどきれいに保っておくというのが一番です。そのためには不断の努力が必要であり、そうすることによって施設としての格も高まっていきます。(また行きたくなるような遊園地は、どこもゴミが落ちていないことに気づきます。)
 そのような発想ができずに、短絡的に対処してしまうというのは、頭が悪いと決めつけてしまうのは簡単ですが、むしろその人の中で何か大切なものが欠落しているといわざるを得ません。
by T_am | 2009-05-28 06:16 | あいまいな国のあいまいな人々
 前回、現在のところ民主党の存在意義は自民党の代打であるところにある、ということを申し上げました。代打というのは、「その場限り」という宿命を背負っています。自分の出番が終わればまた引っ込まなければなりません。なぜ民主党が自民党の代打なのかというと、ともに保守でありながら決定的な違いが見えてこないからです。
 これは自民党が意図的に、民主党との対立軸を消失させようとしているということも影響しています。高速道路の無料化という民主党の主張に対し、自民党は土日祝日は千円で乗り放題ということを制限付きながらも実現させました。自民党のこのようなセコイ政策は民主党の特徴を曖昧なものにするという効果をあげているように思います。
 今回の小沢代表の辞任という事件は、自民党的な体質と何ら変わりがない人を党首に仰いでいるというイメージを国民の間に与えてしまいました。党代表の地位を辞任したとはいえ、相変わらず党内に強い影響力を維持しているあたり、師匠である田中角栄がかつて行ったことをそっくり真似をしているように思います。

 本来は、このような疑惑を持たれた時点で自分の政治家としての生命は尽きたと解釈するのがあるべき姿であり、このような姿勢は政策以前の政治家としての資質の問題であるといっていいでしょう。
 つまり、民主党は政策以前の問題でつまずいてしまったのです。それはかつての自民党がさんざんさらけ出した出した姿であって、その点で民主党も自民党と何ら変わりはないということを自ら証明しているようなものです。

 自民党に理念がないのと同様に民主党にもそれがないというところが、所詮は自民党の代打に過ぎないという所以です。

 民主党の岡田幹事長は清廉潔白な人であり非常に真面目な人であるといいます。その人柄に期待して、岡田さんを党代表に担ぎ上げた方が次の選挙に有利であるという考え方も党内にはあったようです。
 しかし、このような発想自体が自民党のそれと何ら変わりないということを、私は申し上げているのです。どうすれば次の選挙に勝てるかという発想を否定するわけではありませんが、その前に自分たちの政治理念はどこにあるのか、それは自民党とどう違うのかがいっこうに見えてこないというところが民主党の持つ最大の弱点であると考えます。
 かつて社会党は、自民党のやることなすことすべてにおいて反対しかしないことから、口先ばかりの党であると思われてしまい、大幅に議席を失い解体することになりました。民主党が同じ轍を踏まないでいられるのは、保守という看板を掲げているからです。保守である以上、頼ることができるのではないかというふうに国民から思われているところが民主党の強みでもあります。
 したがって、自民党に対しこれ以上任せておけないという国民の思いが大多数を占めたときに、民主党は大きく議席を伸ばすことができるのです。しかし、それはあくまでも一時的なものであり、民主党が国民の期待に応えることができなければ、その次の選挙であっけなく転落することは容易に想像できます。

 自民党は政権党であり続けることを唯一の目的として成立している政党です。自民党の国会議員の共通項は政権を担うという一点にあり、もともとそれ以外何もない政党なのです。もう少しわかりやすくいうと、総理大臣になりたいと思っている自民党国会議員は多いはずですが、ではなぜ総理になりたいのかと尋ねると明確に答えられない人が多いはずです。総理になることが目的であって、自分がやりたいことを実現するために総理になるという発想をする人は皆無であるといっていいでしょう。そう思うと、小泉さんは例外的な総理だったといえます。(失礼ながら安倍さんの場合、総理になれそうだということがわかってから後付けで何をしたいかを考えた形跡があります。)
 そういう目で見ると、小沢さんが何をしたいのかよくわかりませんでしたし、鳩山さんにもこれはいえることです。もっとも、何をしたいかがはっきりしていればいいのかというと、ジョージ・ブッシュ氏の例もあるので一概にそうだとはいえません。本人がやりたいとおもっていることがはた迷惑であるという場合だってあるからです。

 この次の衆議院選挙の結果がどうなるか、自民党が議席数を減らすだろうということまではわかりますが、はたして民主党と自民党の議席数が逆転するのかどうかまではわかりません。
 仮に民主党が政権をとったとしても、いずれ近いうちに国民から見放される日が来ると思います。逆に自民党が政権を維持したときは、そのまま麻生総理が続投するわけですから、党内でこれに替わり得る実力を持った政治家が出てくるまで総理の座に居座り続けることになります。
 だとすると、どちらが選挙に勝ってもあまり明るい未来はないように思えるのです。その予想を覆す事態が起こるとすれば、それは民主党が長期本格政権を樹立できたときでしょう。本当はそうなってくれればいいと思うのですが、期待と予想は一致しないことが多く、今度もそうなるのではないかという気がしてなりません。
by T_am | 2009-05-27 06:39 | あいまいな国のあいまいな人々
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/special/flu2007/pickup/200803/505731.html

 このテキストにあるように「N95」というのは規格の名称であり、製品名ではありません。
 数百種類もあるN95マスクの中で、自分の顔の形にジャスト・フィットするマスクを見つけ出すというのは、
意外と困難であるように思います。
 運が悪ければ、せっかく購入したN95マスクもすき間がスカスカあって、「横モレ」が起こることになるのですから、そもそも、数種類の製品を比較購入するというのは個人でできるものではありません。

 将来、強毒性のウィルスによる感染症が流行した場合、頼みの綱は医療機関だけとなりますが、そのスタッフが感染症に倒れたのでは、医療機関の役割を果たすことができないことになります。

 ということは、せめて医療機関に従事する人たちには感染の恐れのない環境を実現してあげることが必要だということになるのですが、実態はどうなのでしょうか?

 わが国民性には、このようなメンドクサイ問題は頬被りしてしまうという性癖があるように思います。真面目で熱心に取り組んだ者が、何か問題が起こったときに責任を追求されるというお国柄ですから、何もせずに手をつけないでおくか、やったふりだけして実は何もしないという方が利口であるということになっています。
 その一方で、たいして効果もないことであるにもかかわらず、自分がやったとアピールする人がもてはやされるというお国柄でもあります。よかったね、桝添さん。

 今回の新型インフルエンザ騒動で、僕はこうした事例を数々目にしてきました。いい加減これを教訓にして、いつか発生するかもしれない強毒性ウィルスに備えるには今のうちに何をしておかなければいけないか? という発想が出てきてもいいのではないかと思うのですが、為政者の間にそういう意識が芽生えているようにはみえません。

 「頭のいいバカ」という言葉がありますが、これは判断の物差しがある方面においてまるっきり欠落している人を指すものです。では、なぜ判断の物差しが欠落するかというと、責任を持とうとしないからです。医療と教育の分野において、このような「頭のいいバカ」が舵取りをするような社会は大勢の人が被害を被ることが立証されています。
 にもかわらず、そのような傾向がいっこうに改まっていないのをみると、やはり自分の身は自分で護る以外ないのか、と絶望的になってしまいます。
by T_am | 2009-05-26 21:39 | 科学もどき
 民主党の代表が替わり、もしかすると鳩山さんが次期総理大臣になるかもしれないと思われています。先の参議院選挙の結果と現在の内閣支持率をみると、このような推論が登場するのは十分理解できることです。
 ということで、この辺で民主党の存在意義について考えてみたいと思います。

 結論をいってしまうと、民主党の存在意義は自民党の代打であるということに尽きると思います。というのは、日本が今のままの民主主義体制であった方がいいと考える人がほとんどだからです。
 かつて社会党が健在であった頃、国民の投票行動は、基本的に自民党に信任票を与えながらも、自民党が行きすぎだと思ったときは社会党にたいする投票数が増え、相対的に自民党の議席数が減るので、国会における自民党の自由を制限するということをしてきました。そして一段落ついたら、また自民党に投票するということの繰り返しを続けてきたのです。
 これは、政権を委託する党をひとつ(自民党)に絞りはするけれども、自民党に白紙委任状を与えるわけではないという日本人の知恵であったと思います。任せるけれども好き勝手にはさせないという意識は現在も変わってはいませんが、自民党に代わりうる政党として民主党の台頭を許してきたというのが世論です。その分、社民党と共産党が議席を減らしてきました。
 そのような背景には、アメリカ型の二大政党制が日本においても必要ではないかと思われるようになったというのが大きいと思います。アメリカの共和党の特徴は、できるだけ市場経済に委ねるために規制を減らし、減税によって経済を活性化させる小さな政府というところにあります。これに対して民主党は、資本主義が行き過ぎることによって生み出される社会的弱者を救済するという、平等の実現に力を注いでいるのが特徴です。したがって、政府が経済に介入することが増えますし、税負担が増える代わりに社会保障が厚くなるという政策が行われます。
 アメリカの内政というのは、この繰り返しであると理解してもいいと思います。

 翻って日本はどうかというと、二大政党制にまでは至っていないというのが現状です。だから、自民党と民主党の勢力が拮抗するまで民主党が伸びる余地があるわけです。このようにして、一時的に民主党に対する期待が高まった時期がありましたが、西松建設による献金事件が発覚し、結果として小沢代表が辞任するという事態になったことで、民主党に対する疑問が国民の間に広がっているように思われます。
 第一の疑問は、民主党議員も自民党議員と大差ないのではないか? という当然の疑問です。
 二番目の疑問は、果たして民主党に政権担当能力があるのか? という、より根源的な問いかけです。自民党が政権党として国政を運営できるのは、官僚が味方についているからに他なりません。自民党議員といえども個別にみると、決してレベルが高いとはいえない人物でも当選回数を重ねたあげく、大臣職についても馬脚を現すことがないというのは官僚がバックについているからです。
 細田幹事長が民主党の政権担当能力を疑問視する発言を繰り返しているのも、民主党が第一党となっても官僚がいうことをきかないと計算しているからでしょう。(この人は官房長官時代は影が薄かったけれども、幹事長になってからは一転して、こんなに「軽躁」な人だったのかという言動が目立ちます。自民党も人材がいないのですね。誠にお気の毒であると思います。)
 なぜ、官僚がいうことを聞かないかというと、自分たちの代わりはいないとタカをくくっているからです。アメリカのやることがすべてよいというわけではありませんが、二大政党制を可能にしているのは、大統領が替わるとホワイトハウスのスタッフが一新されるというところにあります。つまり、大統領が替わると高級官僚の顔ぶれが全部変わってしまうのです。
 
 現代において、日本をダメにするのは官僚であると思っています。それを回避するには、政権が替わると高級官僚の顔ぶれが一新されるという体制をつくることが現時点で最も重要なことであると考えます。
 それができたら、民主党は自民党の代打に過ぎないという頭書の指摘を喜んで撤回したいと思いますが、いかがですか。 鳩山さん?
by T_am | 2009-05-25 21:44 | あいまいな国のあいまいな人々
 セイヤさんから、インフルエンザに対して、N95マスクは有効な防御策だが通常のマスクはそうではない、という指摘をもらいました。
 マスクには簡易なものから高機能なものまで多くの種類があり、それぞれ用途があります。現在「マスク」といっているのは、このうちどれをさしているのか曖昧なまま用語が使われているので、きいた人が自分なりの解釈をしているところに混乱の原因があるようです。
 どういうことか、セイヤさんからの指摘も踏まえながら、ちょっと整理してみます。

(N95マスク)
 空気中に浮遊する0.1~0.3 μm(マイクロメートル、マイクロは百万分の1。)の微粒子を95%以上除去できる性能をを持つマスクのこと。0.3μm以上の微粒子は確実に除去すると考えられます。つまり、感染者の咳やくしゃみの中に含まれる飛沫(ウィルスはこの中に潜んでいる)を除去することができるわけです。SARSの騒動の際に有名になりましたので、ご存じの方も多いことでしょう。微粒子の除去率が高いので、正しく装着すると息苦しく感じることがあります。
 なお、これは性能の基準ですから、この基準を満たしていればN95マスクと表示することができます。したがってN95マスクといっても多くの製品があります。

(サージカルマスク)
 手術や治療などの医療行為の際に、感染を防ぐ目的で用いるマスク。マスク性能の基準は、アメリカ食品衛生局の基準では4.0~5.0 μmの微粒子の95%以上を除去できることと定められています。しかし、風邪や花粉症の患者が用いるマスクもサージカルマスクと呼ぶことがあります。この場合性能よりも目的を重視して、こう呼んでいるものと思われます。

(衛生マスク)
 自分が異物を飛散させないことを主眼に用いるマスク。ガーゼ製のものから不織布製のものまで幅広くあります。その性能についての基準は特に設けられていないようです。

 こうしてみると、コンビニやドラッグストアなどで販売されているマスクは、N95とかサージカルマスクという表示がない限り、衛生マスクであることになります。その性能について基準がない以上、メーカーが微粒子の除去率を表示しているわけではありません。まだインフルエンザに感染していない人が感染を恐れてこれを装着しても、どれだけ効果があるか疑問が残ります。テレビで、ガーゼのマスクは効果はありませんが、紙や不織布のマスクなら効果があります、という報道をしていましたが、正確性を欠いた報道であったと思います。

マスクのつけ方
 マスクは構造上、異物を除去するためのフィルターと顔に装着するための部品からできあがっています。フィルターを口や鼻の前にセットして、呼吸のための空気から異物を除去することがマスクを使う目的です。したがって、フィルターの性能がどんなに高機能でも、正しく装着していないと「横モレ」が起こるので意味がないことになります。
 なお、マスクの種類によっては自分の顔の形に合わない製品もあるので、自分にフィットした製品を見つけることも重要です。医療機関などが職員のために高機能マスクを用意する場合このことを考慮して、数種類のマスクを用意し、その中から職員に各自自分にフィットしたマスクを見つけ出してもらうということをしなければなりません。どうです、結構大変でしょう?

(どのようなときにマスクをつけたらいいのか)
 それでは、どのようなときにマスクをつけたらいいのかというと、基本的には、感染の疑いのある人(もしくは感染者であることがわかっている人)の1m以内に近づかなければならないときということになります。この条件に該当するのは、救急隊員と医療機関の職員です。したがってこれらの人々は優先的にマスクをつける必要があります。その際、感染者にマスク(衛生用で充分)を着用させれば二次感染の恐れは低くなると思います。
 ということは、自分が感染しているかもしれないと思ったら、躊躇せずに衛生マスクを(横モレしないように)つけた方がいいということを意味します。もちろん外出は避けなければなりません。
 通勤電車に乗るなど人混みの中に出るときに周囲の誰が保菌者かわからない以上、自分が感染するのは絶対イヤだという人はサージカルマスクかN95マスクを着用すべきでしょう。ただし、これらは値段が高いので、毎日つけるのはちょっと大変です。衛生マスクは気休めにしかならないので、大枚をはたいて高性能マスクを買い求めるかそれとも割り切るかの決断が求められることになります。むしろ、一般人がN95やサージカルマスクを買い漁ると、医療機関で必要な分が足りなくなる恐れがあるので、かえって問題を大きくすると思います。
 なお、一般企業でも従業員につけさせるマスクを確保しているところがありますが、どうも数あわせで終わっているような気がします。顔の形は人によって異なるのですから、その人にジャストフィットするマスクを用意してあげたうえで、マスクの正しい着用方を教育しなければせっかくの経費が無駄になります。それよりも一般の消費者に与える不安の方が大きいように思いますので、こういうやり方はどうかと思います。自分を防御するために決して有効とはいえない衛生用マスクを誰もが買い漁るようになると、感染者が周囲にウィルスを飛散させないためにつけるマスクが不足してしまうことも心配されるからです。
 マスクをつける効果とは、ウィルスが胎内に侵入するルートの一つを遮断することに過ぎません。他のルート(手から口へ)を通じて侵入することもあるので、マスクをつければ安心というわけではありません。

(本当の問題点)
 今まで書いてきたことは個人レベルでの対策です。インフルエンザの流行は社会現象となってしまうので、個人の対策だけでは不十分です。
 今回の騒動により、我が国の状況がいろいろとわかってきました。その中で一番の問題点は、マスクやタミフルの備蓄量よりも、強毒性ウィルスに感染した患者が運び込まれた場合の受け容れ体制が整っていない病院がほとんどであるということです。発熱外来と称して屋外にテントを張っている医療機関もあれば、インターホン越しで応対するために患者は車の中で待機してもらうというところもありました。今は暖かい季節ですからそれほど問題とはなっていませんが、これが厳冬期の流行となると、屋外で待たされている間に症状が悪化するということも予想されます。
 また、医療機関による診療拒否というニュースを耳にすると、この国の医療機関では救急患者の受け容れ拒否が横行している事実を思い出してしまいます。
 今回の騒動により、そういう要の部分の対策がおざなりにされたまま、周辺の対策(検疫や一斉休校、イベントの自粛要請など)だけが一人歩きしているように思います。

 拝啓 桝添厚生労働大臣様。毎日のお勤め、誠にご苦労様です。
 ところで、感染者発見の記者会見に臨むのも結構ですが、どうせならそのエネルギーを医療機関の受け入れ体制の充実に、弱毒性感染症と強毒性感染症への対応策の違いも含めて、率先して指揮を執られてはいかがでしょうか? 今回の厚生労働省のとった一連の措置は、自分の実績を誇示することがかえって国民の不安を煽ったといわれても仕方ないと思います。
 そんなに自分の実績をアピールしたいのであれば、「私が指示をした結果こういう体制が整いましたので、国民の皆さん安心してください。」と断言できるように持っていった方がはるかに国益に叶います。
 パニックは人の心の中にある不安を燃料にして燃え広がります。制度に対する安心が人々の間にあれば、パニックが起こることはありません。そういう状態に持っていくのが担当大臣と高級官僚の責任ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
by T_am | 2009-05-22 23:04 | 科学もどき
 仕事をしていると、どうしたらいいかわからないというときがあります。今回はそんなときのための話です。

 「わからない」というのは、「知らない」という場合と「どのように考えたらいいかわからない」という場合に分けて考えるべきです。というのは、それぞれ対処の仕方が異なるからです。

 まず、「知らない」という場合ですが、どうすればいいかというと解答は単純明快、「知っている人に教えてもらう」というものです。そのときの魔法の言葉は「すいません、ちょっと教えてください。」です。事実、このようにいわれると、(よほど根性の曲がった人を除き)たいていの人はきちんと教えてくれるます。
 このように、仕事の中には知識さえきちんと教えてもらえれば一応できるようになるという種類のものがあります。いわばアルバイトの仕事、と理解していただければよいでしょう。
 それよりも大事なのは、自分が知らないことを知っているのは誰か? ということを見当をつける能力に磨きをかけることです。自分が知らないことを知っているのは、あなたの先輩であるかもしれませんし、あるいは上司であるかもしれません。もしかすると他部署の人であるかもしれません。中には、間違ったことを教える人もいます。ですからその人選を間違えないということが必要なのです。

 次に、「どのように考えたらいいかわからない」という場合ですが、仕事をしていて迷うことは何度もあると思います。この場合、選択肢がある程度「わかっている」わけであり、そのうちのどれを選んだらいいのかが「わからない」のですから、比較的扱いやすいといえます。問題なのは、「どうしたらいいのかさっぱりわからない」という場合です。 実は、「わからない」という場合も「わかっている人に訊く」という解決策は同じなのですが、訊き方はちょっと異なります。
 正解は、「この問題について私はこのように考えますが、いかがでしょうか?」というものです。ダメな訊き方は「どうしたらいいでしょうか?」というものです。
 これがなぜダメかというと、自分の考えというものがないからです。「いや、そんなことを言ったって、考えてもわからないから訊くんじゃないか」とおっしゃるかもしれませんが、「私が考えるには、これとこれとこういう案があって私はこうしたらいいのではないかと思うけれども、イマイチ自信がありません。どう思いますか?」という相談をするならまだしも、「どうしたらいいかさっぱりわかりません。」と相談に行っても「お前はアホか」で終わってしまうのがオチです。尋ねた相手が意地の悪い人であれば、「教えてあげてもいいけど、その代わりこの会社におけるあなたの存在理由はないよね。もっとましな人にあなたの仕事を任せた方がみんながハッピーになれると思うよ。いっそのこと、辞表を書いて持ってきなさい。そうしたら教えてあげるから。」といわれるかもしれませんし、短気な人であれば「そんなこと自分で考えろ」くらいは言うと思います。

 仕事を行うにあたって、「どうしたらいいかわかりません」と周囲に漏らすのは、「私がいてもいなくてもこの会社にとっては同じことです」と宣言するに等しい行為であるといえます。
 仕事のやり方に唯一の正解というのはありません。どのようなやり方であってもメリットもあればデメリットもあります。要は、その総量を比較したときに、どのやり方がより有利であるかというだけのことに過ぎません。ただし、自分一人だけで考えていると見過ごしていることがあるかもしれないので、他人の意見にも耳を傾けるということが有効です。
 仕事に対する誠実な姿勢というのは、自分が正しいと思っていることはもしかしたら間違っているかもしれないという疑問を絶えず持ち続けることです。矛盾するようですが、その上で自分が下した決断に対しては自分が責任をとるという自覚を持つことも必要です。
 しかしながら、仕事がうまくいっている間は自分の手柄にするくせに、何か問題が起こると他人に押し付けて知らん顔をしているという人も世の中には多いのです。そういう人が身近にいるとストレスが溜まって仕方ないのですが、上司も同僚も部下も何一つ自由に選べないというのが宮仕えの辛さです。対策としては、せめてオンタイムとオフタイムとのメリハリをつけること、そしてオンタイムにおいては突き詰めて考えるという習慣をつけることが挙げられます。
 この「突き詰めて考える」というのは、本当に効果のある方法ですから、大勢の人が実践されることをお勧めします。
by T_am | 2009-05-20 23:12 | その他
今回の新型インフルエンザ騒動を振り返ってみました。

まず、厚生労働省の「水際対策」について。
成田空港で神戸の高校生と引率教員が検疫に引っかかって隔離されましたが、同じ高校の生徒が検疫をすり抜けてしまい、兵庫と大阪で2次感染を招くという事態が起こりました。
 この限りでは、水際でウィルスの侵入を防ぐという目的は達成することができなかったといえます。事実、他国では検疫を重視している事例はないという報道がされてきました。どのような対策を施そうと、潜伏期間が長いウィルスはいずれ国内に侵入するということが今回の教訓であるといえます。これが第一。

 第二に、弱毒性であるということが繰り返し報道されているにもかかわらず、府県単位での一斉休校・大阪兵庫への修学旅行や出張の自粛という「過剰な」措置がとられていることが注目されます。ウィルスに感染して発症するまでの間の潜伏期間が長いということは、その間感染者は自由に行動するので、それだけ周囲にウィルスをまき散らす可能性が高いといえます。つまり、これから兵庫・大阪に行くことを慎んだとしても、これまでに兵庫・大阪から自分が住む地域にウィルスを運んできた人がいるかもしれないという可能性を無視していることになるのです。学校や企業の責任者であれば、修学旅行や出張の中止を指示するのはやむを得ません。なぜなら、視点の対象として自分の組織の中だけを見ていればいいからです。それでも、インフルエンザに感染する人は週単位で拡大していくものと思われます。今はまだ大阪と兵庫だけですが、今後拡大していくことは間違いないと思われます。
 つまり、厚生労働省の「水際作戦」と同じように、あまり意味がないことを一生懸命させようとしているということになるのです。

 学校や企業の当局者にすれば、何の対策も講じないで感染者が出た場合、自分の責任を問われることになるからやっている、ということは理解できます。つまり、根底にあるのは自分の責任を回避するという意識なのです。といっても、これらの人々を責めることは酷であると思います。というのは、その人たちの責任を追及しないと気が済まない人たちがこの国には大勢いるからです。
 それは、その人の無知蒙昧と無自覚無責任に由来するものです。悪いのは常に他人であり、他人を平気で断罪するくせに、そのことに対する責任をとりたくないと考える気持ちがこの人たちに共通しています。一例を挙げれば、福岡の元公務員が飲酒運転により事故を起こし、幼い子どもを三人死なせた事件の控訴審の判決は危険運転致死傷罪を適用し懲役二十年を言い渡しました。この判決を当然と考える人は多いのですが、そのくせ自分は判決を下す立場にはなりたくないと考える人もまた多いのです。

 そういう人たちが当事者になると、自分の責任を回避するということを第一に考えて行動するようになります。すなわち、当たり障りのないことをやってお茶を濁すということをやるわけです。

 今回の新型インフルエンザ騒動で、不思議でならないのは、例年発生しているインフルエンザと毒性において大差ないといわれているにもかかわらず、なぜ今回だけこれだけ大げさな反応をするのか? ということです。冬にインフルエンザが流行してもマスクをしなかった人が今回はマスクを買い漁っています。休校は学校の判断に任されていたのに、なぜ今回に限って府県単位で一斉に休校させるのでしょうか? そんなことをしても流行を食い止めることはできないと思うのです。

だったら、インフルエンザが流行してもその被害をできるだけ少ないものにするにはどうしたらいいかを主眼に行動するというのが現実的であると思います。
残念ながら、そういう考え方ができる人は官僚にも少ないと思いますし、マスコミにも少ないといえます。むしろ社会の不安を煽るようなことをやっているというのが、今回の騒動の三番目の教訓です。
以上のことは、突き詰めていえば、この国が教育をないがしろにしてきたことのツケであるといえます。おばかタレントの無知を嗤うことが格好の娯楽であるように、知識の多少が人間の価値に比例するという世の中になっているように思います。ただし、知識を多く持っているといっても、それが関係ない知識であれば何の役にも立たないということは既に明らかになっています。
大切なのはどのように考えるかです。
その際に、自分の考えはもしかしたら間違っているかもしれない、もっといい解答が存在するかもしれないと思えることが大切です。そう思うからこそ、自分と異なる意見に対しても耳を傾けるということができるのだと思います。
by T_am | 2009-05-19 22:50 | セイヤさんへの手紙
 新型インフルエンザの感染者が増えています。朝昼晩とニュースの時間が来るたびに感染者の数が増えていっています。この様子では、早晩全国に広がるであろうと思われます。

 事ここに至って、自分にできることは何かという視点で考えてみました。そうすると、現在行政当局がやっていることは無駄だとはいいませんが労多くして益少なしというところではないかと思うのです。

 厚生労働省による徹底した検疫体制という「水際作戦」にも関わらず、新型インフルエンザウィルスは国内に侵入してしまいました。これは、感染から発症までの間に日数があることから、その間に感染者が無自覚かつ自由に動き回ることが原因です。したがって、企業が従業員向けに通達している「発熱して38度以上になったら会社を休むべし」というのは何の効果もないことがわかります。感染者は発症するまでにウィルスを周囲にまき散らすからです。
 ここでやっかいなのは誰が感染者かわからないことです。当然感染者自身にもそういう自覚はありません。

 そうなると、これ以上新型インフルエンザを広げないために最も効果的な方策としては、医療・警察・消防の従事者を除いたすべての国民に対し3~4週間の外出禁止を徹底することです。感染者が家から一歩も出なければ、周囲にウィルスをまき散らすことはありません。仮に、家族が感染したとしてもこれだけの期間を設ければ完治してしまいます。したがって感染者これ以上増えるということは考えられないことになります。
 しかし、一見完璧に見えるこの方策も現実的に可能かどうかを考えると、不可能であることがわかります。そんなことをすれば日本経済は大打撃を受けることがわかりきっているからです。ということは、感染者はいずれ全国的に広がっていくことになります。それを防ぐ術はありません。
 
 そうすると個人にとって何ができるかというと、自分の身は自分で守るという以外ないことになります。
 外出するときはマスクをするというのも一つの方法でしょう。しかし、お店へ行ってもマスクの売り切れ状態が続いている以上、もっと別な方法を実践しなければなりません。

 一つは自分の体力を温存し免疫力を高めておくということ。
 もう一つは、うがいと手洗いを実践し、ウィルスの体内への侵入をできるだけ防ぐということです。

 ウイルスが体内に侵入したら必ずインフルエンザに感染するとは限りません。ウィルスの侵入個数が少なく、体力が十分あって免疫力が強ければ感染を防ぐことが可能です。よく引き合いに出されるスペイン風邪でさえも、当時のすべての人類が感染したわけではありません。
 ですから、過剰に反応する必要はないのです。過剰に反応するというのは、マスクの効果を盲目的に信奉するということも含まれます。マスクをしているから大丈夫と思って、長時間の残業や寝不足といった日々を続けていれば、やはりインフルエンザに罹りやすくなります。
 それならばいっそ意識を変えて、自分がインフルエンザに感染するかもしれない可能性と自分が他人にウィルスを移す可能性は同じであると考えた方がいいと思います。その意味するところは、どちらも自分の責任ではないということです。もっとも、発熱して咳き込んでいるにもかかわらず、人混みの中に出ても構わないというわけではありません。通常の注意を払っているにもかかわらず、自分が感染することは不可抗力であり、他人に移すことについてもどうにもならないと考えるべきだと思うのです。
 なぜなら、他人にウィルスを移しても、すべての人が感染するとは限らないのであって、感染しない人もいるからです。
 このことは、今回の感染ルートを冷静にみればわかることです。神戸の高校のバレーボール部員が部活動で他校の生徒と接触したことが感染を広げることになったわけですが、その場にいた人がすべて感染したわけではないはずです。したがって、この生徒には責任があるとはいえません。感染した人には申し訳ありませんが、運が悪かったとしかいいようがありません。
 
 関西方面への修学旅行を中止する学校が出始めています。そういう措置はウィルスを地元に持ち帰らないという意味では有効ですが、これだけ交通機関と経済が発達している以上、別ルートでインフルエンザ・ウィルスが侵入してくることは避けられないと思います。学校を休校にしても(効果がないとはいいませんが)結局は同じことです。自分がマスクをしても、すべての日本人がマスクをできるだけの流通在庫はないので、インフルエンザの流行を食い止めることはできません。そのうちに、マスクを使い果たすのがオチです。
 結局、インフルエンザを広めないようにするには、すべての国民が会社と学校を休んで自宅から一歩も出ないというのが最善の策になるのですが、実際にそんなことができるはずがありません。
 したがって、インフルエンザに罹る人は罹るが、すべての日本人が感染するわけではないというふうに割り切って考えるべきでしょう。
 どんな伝染病でもいずれ流行は終息に向かいます。それまでの間、自分が感染しなければラッキーであるといえますし、万一感染しても軽症で済めばそれに越したことはありません。自分がインフルエンザに罹るかどうかはわからないのですから、万一罹っても軽症で済むようにするにはどうしたらいいかを考えた方が現実的であると思います。
 そうすると答えは決まっているのであって、

・休息をきちんととり、疲労を残さないこと。
・栄養をきちんととること。
・夜更かしをせず、規則正しい生活を送ること。
・深酒はしないこと。
・うがいと手洗いを励行し、身体を清潔に保つこと。
・汗をかいたらちゃんと着替えをし、身体を冷やさないこと。
・ストレスをなるべく溜めないこと。

 以上のことを実践するに限ります。
 だけど、「インフルエンザに罹るのはしょうがない。むしろ罹っても軽症で済むように日頃から注意しておきましょう。」ということを行政が言おうものなら、たちまちごうごうたる非難が巻き起こることは容易に想像ができます。そのあたり、この国の国民には体質的な問題があるといえます。すなわち無知蒙昧と無自覚無責任という体質です。

 なお、セイヤさんから教えてもらった「あわあわ手洗いのうた」は面白かったです。大勢の人にみてもらいたいのでURLをブログにも掲載しておくことにしました。

http://www.youtube.com/watch?v=kAeXCeQ_Xs0
by T_am | 2009-05-18 21:57 | セイヤさんへの手紙
 エコポイントに関するニュースが流されています。地デジ対応テレビで最大3万6千円分のポイントがつくという話です。

 ポイントカードを導入しているお店は多く、買い物金額のうち一定の割合(1%程度が多い)をカードの中にポイントして貯めておいて、次回以降の買い物の際に、そのポイントを使うことができるというものです。ビックカメラやヤマダ電機といった家電量販店のポイントカードは有名です。
 消費者からみたときに、このポイントというのは、次回の買い物のときに値引きしてもらうことができるという仕組みと、一定数溜まったら商品券や割引券にひきかえてもらえるというように2種類があります。前者の場合のポイントは値引きしてもらう権利ですからそれを行使するしないは消費者の自由です。もう少しポイントを貯めてからまとめて使うという選択をすることも可能です。
 このようにお得感のあるポイントカードですが、加盟店でしかそのカードを使えないという宿命があります。もともと顧客をその店に囲い込むために発明された制度なので、ビックカメラのポイントをヤマダ電機で使うことができないのは当然です。そのため、消費者が不便であると感じないように、ポイントカードを導入している会社は、店数が多い(全国至る所で使える)か買い物頻度が割と多い(その店にしょっちゅう買い物に行く)、もしくは1回の買い物金額が高いところに限られています。ですから1店舗しかない家具店がポイントカードを導入しても便利だと思う消費者はほとんどいないのです。
 一方、店側からみたときに、ポイントは(理論的には)顧客から預かっているお金になるので、一定の条件を満たすか顧客の要請があれば無条件で払戻しをしなければなりません。実際には、「払戻し」を販促費という経費で処理しているところもあるので、ポイントカードの規模が大きくなるにつれ、企業の経費負担は大きなものとなっていきます。それが苦しくてポイントカードを廃止した小売店もありますし、現在実施中の企業でもいっそやめたいと考えているところもあるのではないかと思います。そこで、ポイントや割引券に対し有効期限を設けておき、その期限内に使わないと失効してしまうという制限を設けている企業もあります。

 このように、ポイントとキャッシュバック(値引き)はどちらも得したような気分になるという共通点がありますが、中身はかなり違います。
 一番目の違いは、キャッシュバック(値引き)の場合には、安くなった分は現金で還元されるので、その使い途は消費者が自由に決められるますが、ポイントの場合は、それが使えるお店で売っている商品しか買うことができない、というところです。
 二番目の違いは、ポイント制では初回は買い物代金の全額を支払わなければならないということです。一見安くなったように思えますが、実は、次回以降の買い物のときに(権利を行使して)初めて安くなるのです。ところが、値引きの場合は、初回から値引きしてもらえるので、その分安いということがわかります。
 A店という10%値引きをしてくれる店とB店という10%のポイントをつけてくれる店と比較してみます。買い物金額を初回10万円、2回目2万円とするとお店に支払うお金は次のようになります。

A店
初回  9万円
2回目 1万8千円   合計10万8千円

B店(ポイントの全額を2回目の買い物で使うものとして計算)
初回  10万円
2回目 1万円 合計11万円

 こうしてみると、安くなっているのは2回目の買い物であり、1回目は全然安くないことがわかります。しかもトータルの支払額は値引きしてくれる店の方が少ないのです。それでもポイントがお得だと思うのは、それを使ったときの安くなり方が大きい(上の例でいえば2万円の商品を1万円で買える)からです。でも、よく考えると同一条件であれば値引きしてもらった方が消費者には得であることがわかります。

 今回の補正予算でエコポイントという制度が導入されました。要するに家電製品の買い換えを促すために、政府が税金を使って補助をするというものです。その補助のしかたが現金の還付ではなく、購入者にポイントを付与して次回以降の買い物の際に使えるようにしようというものです。ただし何に使えるかは、[1]省エネ・環境配慮に優れた商品、[2]全国で使える商品券・プリペイドカード(環境配慮型のもの)、[3]地域振興に資するもの、と決められており、なんだか用途が限定されそうな気配もあります。
 マスメディアはこれを、「地デジ対応テレビが安く買えるチャンス」といういい方で説明してます。しかし、既に述べたようにこの制度では消費者は最初の買い物時点では代金の全額を支払わなければなりません。そのことによって付与されたポイントを使って別の買い物ができる(ただし、どの店で使えるかは未定)というものですから、還付金制度に比べると自由度は低いといえます。
 冷蔵庫やテレビが壊れて買い換えなければならないという人にとって、今回のエコポイントという制度はメリットがあると思います。そうではない人にとって、まだ使える家電製品を買い換えるだけのメリットがあるのかどうかは、私にはわかりません。
 今回の補正予算の成立後、環境に対応した自動車への買い換え促進のための補助事業が実施されますが、普通自動車で登録後13年経った車を環境適応車に買い換える場合25万円の補助が出ることになっています。登録してから13年経っていない車であれば10万円の補助が出ます。(軽自動車はいずれの場合も半額が補助されます)
 補助金の額が結構大きいとはいえ、だからといって買い換える人がどれだけ増えるのかについてはわかりません。とはいえ、その狙いが、景気対策のために新しい製品を購入してください、そのために税金を使って補助金を出します、というものであることは明らかです。ただし、それだと聞こえが悪いので「環境によい」というキーワードで括っているわけですね。

 これらは、高速道路の土日祝日千円で乗り放題といっしょで、該当する人にはメリットがありますが、そうでない人にはまったく関係ないという制度です。どうも思いつきでやってるような感じがしますが、消費者がそれにつきあう必要はないので冷静に考えて行動しましょう。
by T_am | 2009-05-17 12:40 | その他
この映画は一人で観に行くのがお勧めですが、
女の人と観に行くのであれば、長年連れ添った奥さんと一緒に観に行くのがいいと思います。

二人で観に行ったとして・・・

あなたが女性であれば、
この映画のラストで、隣に座っている彼の様子を伺うと、彼が涙をこらえているのがわかるかもしれません。
あなたは、なんだかほっとして、彼に寄り添い、そっと頭を預けたくなるかもしれません。

あなたが男性であれば、
そんな彼女が傍らにいてくれることに感謝したくなるかもしれません。

そういう人たちにこそ観ていただきたい映画です。
by T_am | 2009-05-13 20:46 | その他