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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 スーパーインフルエンザを扱った小説で、ぼくが知っているのはスティーブン・キングの「スタンド」です。生物兵器研究所で遺伝子操作によってつくられたインフルエンザ・ウイルスが外部に漏れ、人類が壊滅的な打撃を受けるというところからスタートしています。ポイントは、致死率100%の凶悪なウイルスでありながら、なぜか免疫を持っていて感染しない人間がわずかながらいるというところです。もっとも人類が全滅してしまえば、物語はそこで終わりになるわけですから当然ですよね。
 物語の世界では致死率100%というウィルスが登場しますが、現実にはそんなウイルスは存在しません。仮に、そういうウイルスが誕生したとしても、自己の複製をばらまく前に宿主が死んでしまったのでは意味がありません。結局、極端に毒性の強いウイルスが誕生しても、宿主が死んでしまえば空気感染などの通常の感染ルートで大流行するとは考えにくいのです。

 これは想像に過ぎませんが、メキシコでのみ死者が発生し、他の国々ではインフルエンザに感染する人が出ても軽症で済んでいるというのは、ウイルスが2種類あるのではないかと考えることもできると思います。
 すなわち、毒性の強いウイルスは宿主を殺してしまうので空気感染によって広がることはできませんが、宿主(この場合は豚)の肉をきちんと加熱せずに食べてしまえば、そのウイルスは体内に取り込まれてしまいます。こうして毒性の強いウイルスは新たな宿主を殺してしまうということになります。
 その一方で比較的毒性の弱いウイルスは、宿主を殺すことは少ないので、空気感染によりどんどん広まっていきます。海外からの渡航者が感染するのはこのタイプのウイルスであると考えることも可能です。
 メキシコ政府が情報をきちんと公開していないので、検証する術はありませんが、このように考えると、メキシコでのみ死者が発生していることに説明をつけることができます。

 だから、今回のインフルエンザ・ウイルスはいずれ日本にも侵入してくるでしょうが、あまり恐れる必要はないともいえます。
 ただし、何らかの原因で免疫力もしくは体力が低下している人がインフルエンザに感染すれば、死ぬ危険性はゼロではないのですから注意を怠ることはできません。
 要は、インフルエンザに感染したときに自分が死ぬかそれとも生き残るか、ということに尽きると思います。もちろん、自分が感染しないということも大事なことです。

 どんなウイルスでもすべての人間が感染しかつ発症するというわけではありません。ウイルスが体内に侵入しても、その個体数が少なければ増殖できずに発症に至ることはないのです。会社や学校でインフルエンザに罹った人が出ても、他の社員や生徒でインフルエンザに罹らない人がいくらでもいるというのはそのためです。
 そこで、インフルエンザに罹ることを防ぐには、一度にたくさんのウイルスを体内に侵入させないことと免疫力(言い換えれば体力)を維持しておくことが肝要となります。
 前者を目的とした予防策は、うがいと手洗い、そしてマスクの着用が有効であることが指摘されています。また、後者を目的とした予防策は、夜更かしや深酒、過重勤務はできるだけ避けること、そしてストレスを溜めないということが有効です。

 今のところ、マスコミの報道をみていると、今回のインフルエンザ・ウイルスの感染力が非常に強いのではないかと思い込ませるような報道がされています。また、メキシコでは何人死んだという報道を聞けば、視聴者はその毒性が強いのではないかと思い込んでしまいがちです。
 SARSのときもそうでしたが、当事国の政府というのはこういう場合情報を隠したがる傾向が非常に強いといえます。それだけに憶測が先走りすることになり、右往左往させられることになりかねません。

 インフルエンザに感染するのが嫌であれば、新幹線や飛行機、映画館などの、大勢の人が密閉された空間にひしめいている状態に長時間我が身を置くというのは避けるべきでしょう。けれども、仕事やつきあいなどの行きがかり上どうしてもそうしなければならない場合には、マスクをつけることが自分を守ることになります。だからマスクを否定するわけではないのですが、むやみやたらとマスクをつけるのは感心できません。
 たとえば、豚インフルエンザ患者が日本でも発生したら(その人は海外からの帰国者の中にいます。日本の検疫体制が厳重であることは既に報道されているとおりです)、人混みの中に出るときにはマスクをつけるという使用方法で充分であると思っています。
 実をいうと、それでも(マスクをしていても手洗いやうがいをしていなければ)、インフルエンザ・ウイルスが体内に侵入してくることも考えられます。そのときのために、普段からストレスを溜めない生活をしている方がいいのです。具体的にいうと夫婦円満・親子相和して生活しているというのが理想的です。そうすると、不倫やいじめというのは相手に多大なストレスを与えることになり、その人がインフルエンザに感染すればやがて自分にも跳ね返ってくるのですから、ただちに控えるべきだということになります。
 マスクさえしていれば安心と思うのは軽率であると指摘させていただきます。

附記
 アメリカテキサス州で1歳11ヶ月の幼児が豚インフルエンザへの感染で死亡したと報じられました。これでウイルスが2種類あるのではないかという想像は間違っている可能性が高くなりました。こういう考え方もあるという立場から、削除することはしませんが、「本当かね」と思いながら読んでいただければと思います。
by T_am | 2009-04-29 21:35 | その他
セイヤ様

ここのところ毎日豚インフルエンザについてのニュースが相次いでいます。これだけ騒がれている理由は、このインフルエンザがヒトからヒトへ感染するからですね。メキシコでの死者が多いことから、毒性も強いのではないかという疑いもあります。しかし、他の国で感染した人々の間には軽症の患者も多いので、よくわからないというところが正直なところです。

僕は、こういう不安を煽るようなニュースに対しては、「自分は何をしたらいいか」ということを考えながら接するようにしています。今回のように、どこそこで患者が発生したというニュースが相次いで報道されると、次第に人々は不安になっていきます。次は自分の周囲で患者が発生するかもしれないと考えてしまうからです。こうした報道が繰り返されて人々の不安が高まっていったところで、権威のある人から「こうだ!」という方向が示されると、無批判にそれを受け入れてしまうという性質が人間にはあります。
 ここでいう権威のある人とは、大学教授、博士号を持っている研究者、リーダーシップを備えている政治家、宗教の指導者などをいいます。ところが、その人たちの発言は説得力を持っていますが的を射ているとは限りません。偏見という思い込みや見当違いの指摘であることも多いのです。

 では、今の段階で「自分は何をしたらいいか」ということですが、次のようなことくらいが思い浮かびます。

1.食事と睡眠をきちんととり、深酒や夜更かし、過度の運動を避ける。
2.汗をかいたときはまめに着替えて、身体を冷やさない。
3.喉が渇いたり空腹を感じたときはやせ我慢をしない。
4.疲れたかなと思ったときは無理をせずに休息をとる。また、休日はきちんと取る。
5.新幹線や飛行機、映画館などの密閉された空間に大勢の人がひしめいている場所はできるだけ避ける。
6.家に帰ったら、手洗いとうがいをする。
7.部屋の中は毎日掃除をして、清潔にしておく。
8.洗濯は毎日行い、食器もその都度洗う。
9.風邪をひいたかなと思ったら、早めに医師の診察を受ける。

 身の回りを清潔にすると同時に、体力と免疫力の低下を防ぐよう気を配るのが、病気予防の鉄則です。過去のインフルエンザで罹患した患者の致死率が100%であったというものはありません。感染しても死ななかった人の方が多いのですから、ここに挙げたことようなことから実践するというのが妥当なところだと思います。
 正直いうと、N95マスクの効果はあると思うのですが、自分が住んでいる地域に豚インフルエンザにかかった人が発生しているわけでもないのにああいうマスクをする人が増えると、それを見て不安に駆られる人が慌ててマスクを買い求めるという連鎖が発生するので、あまり感心できません。マスクをしていればそれで充分というわけではなく、たとえば、N95マスクをしていても手洗いやうがいをまったくしなければ意味がないことはおわかりいただけると思います。

 少なくとも現時点では、豚インフルエンザウィルスの毒性が強くしかも感染力も強いと証明されたわけではないので、SARSと違って(注意は必要ですが)右往左往する必要はないと思います。また、豚肉も国産であれば(今のところ)安全ですし、輸入品であってもきちんと加熱して調理すればインフルエンザに感染することはないので、根拠もなしに怖がる必要はありません。生産者が受ける風評被害というのは大きなものがあります。その原因は不安を煽るマスコミと無邪気に怖がる大衆にあるのですから、これに荷担することは避けたいと思います。
by T_am | 2009-04-28 06:41 | セイヤさんへの手紙
 草彅剛くん(この人は「くん」づけが似合う)が公然猥褻罪で逮捕されましたが、翌日に処分保留で釈放されました。家宅捜索まで入ったということですから、薬物使用の疑いをかけられたのだと思います。その結果、薬物に関する疑惑は晴れたので無罪放免ということになったわけで、結果的には酔っぱらいが裸になって騒いだという、いささか近所迷惑な事件として決着しました。
 問題を大きくしているのは、草彅くんがいろんなコマーシャルにも出演している超一流の芸能人であったことです。出演しているコマーシャルは軒並み放映中止となり、中には契約の打ち切りという措置をとった企業もあることは皆様既にご存じのことと思います。
 注意をひいたのは、地デジ推進の所轄官庁のトップである鳩山法務大臣が草彅くんを「最低の人間」と批判したのに対して、抗議の電話やメールが殺到したということです。草薙くんのファンがそれほど多いということなのでしょう。赤坂署に対しても爆破予告がなされたとのことです。もしかすると、コマーシャルを打ち切った企業にも抗議が届いているかもしれません。

 イメージを売り物にする芸能人が、自らのイメージを失墜させるような行動をとることは自殺行為であるといえます。それはあくまでもその芸能人がファンから見放されるというだけのことです。このように、本来は単純な構図なのですが、その芸能人をコマーシャルに起用している企業の場合はそうもいかないようです。
 草薙くんをコマーシャルに起用している企業は、彼のイメージが決して華やかではないが真面目で誠実というところを見込んで契約したのだと思います。契約に基づいてお金を支払っている以上、草薙くんはそのイメージを維持するという義務を負うことになります。
 現に、所属するアイドルタレントに対し、男女交際禁止を言い渡している芸能事務所もあるくらいですから、芸能人にとっていかにイメージが大切であるかがわかります。
 したがって、草薙くんが自分からそのイメージを壊すようなことをすれば、それは契約違反となってコマーシャル契約を打ち切られても仕方のないことであると言わざるを得ません。そのことでダメージを負うのは草薙くん本人と彼が所属する芸能事務所です。
 このようなときは、とにかく謝罪して神妙にしているというのがこの国における危機管理マニュアルのイロハです。謝罪が遅れれば、謝罪がないといってケチをつけられる世相ですから、釈放された日の夜に草薙くんが謝罪の記者会見を開いたのはこのマニュアル通りの賢明な行動であったといえます。

 このような危機管理マニュアルは、本来は、社会に与える影響が大きい事件や事故に関するものです。航空機や鉄道などの大量輸送機関の事故、あるいはデパートやショッピングセンターなど大勢の人が集まる場所での火災、原子力発電所の事故などがそれにあたります。そのような事故は社会に不安を与えるので、責任者はまずそのことに対して謝罪し、事故が起きた経緯を調査し明らかにしていくことで同種の事故の再発を防止するという手順を踏みます。その一連の手続きを第三者を交えて公明正大に行うことで、社会の信頼を取り戻すというのが危機管理マニュアルの本来の目的です。
 しかし、現実はどうかというと、偉い人が頭を下げて謝るという姿に溜飲を下げる人が多いせいか、事件や事故が起きたときにはとにかく責任者が謝罪したかどうかを問題にする風潮が強くなっているように感じます。
 ですから、草薙くんの謝罪記者会見は、いってみれば火消しのための記者会見であるということになります。付近の住民は迷惑したことと思いますが、もともとたいした事件ではないので、素直に謝って神妙にする(しばらく芸能活動を自粛する)ことでそれ以上追求されることはないという計算が事務所側にあったと思うのです。幸いなことに草薙くんの熱烈なファンが、かれを誹謗中傷する大人に対し抗議してくれるという予想外の出来事もありました。さぞ心強い思いをしたことと思います。

 ところで、草薙くんはあの謝罪会見で誰に対して謝ったのでしょうか?
 夜中に騒いで迷惑をかけた近所の住民とコマーシャル契約を結んでいた企業が草薙くんと利害関係にある立場ですから、これらに対して謝るのは理屈が通っています。しかし、このような記者会見を見ていていつも思うのは、会場に来ているマスコミ関係者に対して謝っているのではないか? その彼らを通じて直接利害関係のない赤の他人に対して謝っているのではないか? という気がしてなりません。
 このたびはお騒がせして誠に申し訳ございませんでした、といって頭を下げておくというのは、そうしておけばそれ以上おおごとにはならないということがわかっているからです。それを見ている方も、なかなか感心な謝り方をしているようだからこれ以上責めるのは勘弁してやろう、以後気をつけるように、という気持ちでいます。

 いったい人を責めて何になるというのかといえば、単なるストレス発散に過ぎないと私は思うのですが、それだけにもう少し理性的に行動してはいかがなものかと思います。特に、謝罪のあるなしをことさら取り上げるマスコミの姿勢は実に見苦しいといえます。しかし、それに対して誰も異を唱えない社会の方も窮屈であると思います。桑原桑原。
by T_am | 2009-04-27 23:14 | あいまいな国のあいまいな人々
 日立製作所の子会社である日立アプライアンス製の冷蔵庫が、リサイクル材を活用して二酸化炭素排出量を削減したとうたいながら、実際にはリサイクル材をほとんど使っていなかったので、公正取引委員会は4月20日、景品表示法違反(優良誤認)で同社に排除命令を出したという報道がなされました。
 設計の現場と広報との連絡ミスということですが、本当かね、と思ってしまいます。こういうときは、事実をありのままに公開し、しかるべき処置をとるというのが鉄則ですから、同社の姿勢如何では今後の風当たりが更に厳しくなることも予想されます。日立アプライアンスでは昨年度受賞した「省エネ大賞」を返上し、経済産業省もこれを取り消したとのことですが、製品の性能には問題がないというので返品や交換は受け付けない方針だそうです。

 このニュースを聞いて、再生紙といいながら実は古紙が含まれていなかったという昨年の事件を思い出しました。また、大手家電量販店でリサイクル品として廃家電を受け取りながら正規のルートに乗せていなかったというニュースもありました。
 どうも、リサイクルには嘘が多いようです。
 できそうもないと思われることにチャレンジし、苦労しながらそれを実現したという事例は多くあります。新しい技術はそうやって開発されてきたことは否定できません。しかし、そこには経済性・採算性というハードルがあって、どんなに優れた技術を開発しても採算が合わなければ取り上げられないということです。
 仮に、リサイクルによってつくられた製品が100円の売価で販売できるとして、その製造原価が200円かかったとすれば、その製品はつくればつくるほど赤字になるわけですから、つくる人は誰もいなくなります。しかし、そこに「何があってもつくらなければならない」という状況があると、今回のように、やってもいないのに「やってます」ということが起きるのだと思います。
 嘘をついた企業が悪いことも確かですが、正論を振りかざしてできもしないことをやらせようとする社会の風潮にも問題があるような気がします。採算性を度外視すれば、現在の技術でたいていのことはできるはずです。しかし、それが実際に軌道に乗るかどうかは偏に採算性(赤字倒れにならないか)と経済性(それを行うメリットがあるか)にかかっているのです。
 高すぎるコストを税金で補填するということも選択肢として考えられるかもしれません。しかし、その結果として、財源不足を補うために消費税率を上げましょうという増税案の口実にされることは目に見えています。豊かな消費生活を送っている人(つまりお金持ち)ほどリサイクルに出せる製品を消費してゴミを出しています。しかし、リサイクルにかかるコストを補填するために消費税率を上げるということは、貧乏な人の負担が重くなるということであり、自分が消費していないゴミのリサイクル費用を負担することになります。逆にお金持ちは、自分が出しているゴミの割にはその処理コストの負担が軽くて済むということになります。
 そのような不公平を回避するために、リサイクルにかかるコストを製品の販売価格に上乗せするという制度も考えられます。いわばリサイクルにかかるコストを前払いするというものですが、誰がそのお金を管理するのかということになり、結局お役人の天下り先がそれだけ増えることになります。
 したがって、リサイクルという風潮には何か純粋でないものを感じてなりません。真面目に取り組んでいる人も多いだけに、人の善意につけ込んでいるかのようで気になって仕方ないのです。

 次に、企業の内部の問題ですが、想像するにこれらの会社ではまともにものがいえない風潮があるのではないかと思います。言い換えれば、トップのいうことには誰も逆らえないということです。一時期立て続けに発覚した食品の偽装事件でも、そういう問題を起こした会社はまず例外なくワンマン経営者がいる会社でした。
 それらの会社では、たとえ間違っていても、トップの指示に忠実である社員が評価され、いうことを聞かない人間は飛ばされるか辞めさせられるかするのが普通です。こうして裸の王様現象が進行していくのですが、致命的な事件が起こるまで誰も何とも思わないというのも共通しています。そういったことを防止するために取締役会や監査役という職位が経営を監視するために設けられているのですが、まともに機能してない企業が多いのも事実です。
 それにしても、こういう問題を起こすのは個人商店レベルの企業だけかと思っていましたが、世間の評価が高い大企業でもこういう事件が起きるということがわかりました。大企業といえども人間性に問題のある経営者や管理者がいるというのは特段不思議なことではないのかもしれません。
by T_am | 2009-04-22 06:33
 北朝鮮のミサイル発射に対して、国連安保理事会が議長声明を全会一致で採択しました。それに対し、北朝鮮が間髪入れずに「六カ国協議の必要性がなくなった」「核の再開発に着手する」と表明し、IAEAの査察官とアメリカの作業チームに対し退去するよう通告をしました。
 この国の反応はいつも同じです。交渉相手に対して、決して甘い姿勢を見せずに何かあると強い態度に出るというのは一貫して変わっていません。むしろ周辺国の方が「まあまあ、そういわずに」などといって譲歩を繰り返しており、事態をいっそう深刻なものにしてきたといえます。

 北朝鮮という国は外国からの援助と軍事力がなければ国を維持していくことができません。したがって援助を引き出すために、ゆすりたかりといったことを繰り返してきました。そのときに、卑屈になったり弱気になったりするとたちまち足元を見られてしまうので、どうしても強気な姿勢を崩すわけにはいかないという事情があります。
 このような国を待ち受けている未来は、自壊するか戦争によって崩壊するかのどちらかしかありません。かつての日本がそうであったように、北朝鮮が国際的に孤立すると戦争を起こす可能性が極めて大きいといえます。そのときに一番被害を被るのは韓国であり、次が日本です。
 周辺国が北朝鮮に援助をするというのは、戦争を起こすのを防止する代わりに現体制を延命させるというジレンマを抱えることになります。しかも、北朝鮮では援助を受けた物資の大半を軍備にまわしているので、戦争になったときに韓国や日本が受ける被害が大きくなる方向に向かっています。

 私たちから見れば、北朝鮮が戦争を起こしても結局敗れることになるということがわかります。そこから、北朝鮮がみすみす敗れるとわかっている戦争をしかけるということがあるだろうか、という疑問が生まれます。これは私たちからすれば当然の疑問なのですが、これもかつての日本のように、北朝鮮の当局者はそうは考えていないと思います。自分たちが総戦力で劣ることは十分理解しているはずですから、戦争状態に突入したとしても早期講和を実現するというシナリオになるはずです。以前であれば、このシナリオは絵に描いた餅でしたが、北朝鮮が現実に核兵器を保有するようになった以上、充分可能性があると考えていると思います。
 つまり、通常兵器を用いて韓国に侵攻し、中国やロシアに対し仲裁を依頼するという構図を描いているはずですが、そのときに核兵器を保有しているという事実がものをいいます。周辺の国も戦争が継続すればいずれは北朝鮮が核兵器を使ってくる(ただしそのときは北朝鮮が滅亡するときです)と予想しており、その被害が大きすぎるために、なんとかして核兵器を使わせないようにしたいと考えるからです。したがって周辺国が講和の成立に向けた動きをすることは確実ですし、そのときは日本も協力せざるを得ないと思います。

 こうしてみると北朝鮮をめぐる情勢というのは、絶えず綱渡りをしているということがわかります。北朝鮮を追い詰めれば戦争となり、かといってその要求に屈して援助続ければ(北朝鮮がその見返りに核兵器を放棄するということは絶対にありません)、その軍事力はますます危険なものになっていきます。
 このような状況の中で、日本が北朝鮮に対し経済制裁を継続するというのは理にかなっています。北朝鮮をめぐる五カ国(韓国、日本、アメリカ、中国、ロシア)が一枚岩となって北朝鮮に接するというのは、それが敵対であれ譲歩であれ、事態を悲惨なものとする方向に向かわせるだけです。中国やロシアが北朝鮮に譲歩する姿勢を見せているということは緊張状態に向かうことを抑止する効果があるといえますし、日本が厳しい姿勢を示すということは北朝鮮に対する譲歩に一定の歯止めをかけるという作用を及ぼします。
 私は、北朝鮮に対しては援助を続けるけれども充分には与えないというやり方がベストであると思います。国家予算に占める軍事費の割合が4割を超えると国力は急速に消耗します。ソ連が解体したのは軍事費の割合が突出しすぎたために、連邦体制を維持することができなくなったからです。
 北朝鮮のウィークポイントは軍備を縮小させることができないというところにあります。そんなことをすれば革命が起こって金正日体制が覆ることになるか、イラクのようにアメリカに侵攻されてしまうと恐れているからです。そのような状況の中では、経済が衰退すれば結果として軍事力の割合が突出することになります。
 兵器があっても、金と食料がなければ戦争はできません。また、兵器を使えるように維持しておくのにも金がかかります。その金がなければ虎の子の兵器もいずれ使えないようになってしまいます。
 北朝鮮に対し過去もっとも支援をしてきたのは韓国です。国境を接している以上、韓国がどのような姿勢で接するかというのは非情に難しい問題ですが、現政権も認めているように、北朝鮮が過去に受けた援助の大半をミサイル開発に向けていたのですから、今後も大きな支援を続ければそれだけ北朝鮮の軍事力を増大させることになることは充分理解しています。韓国が北朝鮮に対して甘い顔を見せないのは、根底に北朝鮮に対する不信感があるからでしょう。
 したがって、今後朝鮮半島には緊張状態が続くものと思います。しかし、北朝鮮は離脱を表明しましたが、六カ国協議という枠組みがなくなることはないと考えられます。もっとも北朝鮮がアメリカをテーブルに引っ張り出すことに成功し、米朝協議が行われれば別ですが。
 そのときに五カ国のうちどの国がリーダーシップをとるかによって今後の方向が決まっていくと思います。今のところアメリカにはアフガニスタン問題を優先し朝鮮半島にはあまり深入りしたくないという思いが伺えますし、それに乗じて中国とロシアにはアメリカに対する牽制力として北朝鮮を利用したいという思惑があるようにみえます。
 国際社会の秩序といっても、所詮は大国同士のエゴという力学に基づいて運営されています。そうでない国は大国の傘に入って守ってもらうか、大国の仲間入りを目指すか、あるいは小国同士群れるかのいずれかとなります。どれを選択するにしても外交能力を磨いておかないと、いつ大国のエゴの犠牲にされるかわかったものではありません。その点、北朝鮮という国は金王朝の存続という大目的のためにあらゆるリソースを一点に結集しており、実に見事というほかありません。
 一方日本はどうかというと、ミサイル発射の誤報という大失態をやらかすなど、持っている力が集約しきれていないという弱点を露呈しました。このあたりが他の国から侮られる所以であろうと思います。
 日米同盟を結んで50年経ち、その間戦争に巻き込まれるということがなかったおかげで、政治家と官僚の間に外交における問題意識が欠落しているのではないかと思います。
 自民党のお歳を召された方々は憲法改正を考えているようですが、そのためには、いつまでもアメリカから片務的に守ってもらうという考えをそろそろ改めなければなりません。今の政治と外交のレベルでは自前の軍隊を持っても、結局使いこなせないままに終わると思います。
by T_am | 2009-04-20 06:31 | その他
 テレビを見ていたら、軽自動車のコマーシャルで「シートのデザイナーがフランス人」という文字がでかでかと表示されたのがありました。
 現在は死語ですが、昔々舶来品という言葉があって、アメリカやヨーロッパからの輸入品をこう呼んでありがたがっていました。この傾向は特にウィスキーに強く、これはスコッチ・ウィスキーですといわれると、飲みもしないうちから「おお」と感心するというのがお約束となっていたのです。そういえば、家の客間のサイドボードにこれらの洋酒が飾られていたのを覚えておいでの方もいらっしゃると思います。大事なお客が来たときや正月といった特別な日のための酒という位置づけがされていたからですね。
 この舶来崇拝というのは色々な心理が重なっています。

 まず第一に、世界の中にはとびきり上等な国があり、その国の人々や製品は例外なく高級であるという思いこみがあります。
 次に、そういう高級な国とつながりを持っている自分も同じように高級な人間であるという自惚れがあり、そして、それにひきかえお前たちは数段劣っているという蔑視も交じっています。
 世界に冠たるメイドインジャパンの製品の中には、いいものもあれば不良品や粗悪品もあるということを、日本に住む私たちはよく知っています。
 ところが、これらのとびきり上等な国はそうではないという思い込みがあります。何の根拠もないのにね。

 それから既に数十年経っており、相変わらず舶来崇拝をしている人は減っているだろうと思っていたのですが、このコマーシャルを見たことで、舶来崇拝がまだまだ根強いことに気づきました。
 日本人にもピンからキリまであるように、フランス人にも優秀な人もいれば箸にも棒にもかからない人もいます。これはあらゆる民族についていえることなのですが、そういうことを無視して、この車のシートはフランス人がデザインしたんですよというメッセージには、「それがどーした?」「あんた、もしかしてバカじゃないの?」と思ってしまいます。同時に、この車のメーカーでは東南アジアとか中東とかの国のデザイナーには、その人がどんなにすぐれた人であろうと決して仕事を依頼することはないんだろうな、とも思います。
 もっとも、ミシュランのガイドブックが刊行されたときも大騒ぎしていたことを思い出すと、ものの善し悪しを自分で判断することのできない大人がこの国には大勢いるんだろうなと思ってしまいます。ガイドブックは、店の情報をそれを知らない人に伝えるという点で効果のある媒体であると思いますが、問題は情報の受け手である私たちの側にあります。好みなんて人によって異なるのですから、無理して他人に合わせる必要はないのですが、そうは割り切れないのでしょう。付和雷同が人の性とはいえ、不自由なことだと思います。
by T_am | 2009-04-17 05:53 | その他
 今回は財政出動をしてもなぜそれほど効果が上がらないかについて考えてみます。

 財政出動というのは民間企業に例えれば投資にあたります。新規投資によって工場や店をつくればその分売上高が増え、利益が増えることになります。その分企業は成長することができます。
 行政が行う公共投資がこれにあたります。税金を使ってインフラを整備することで、その恩恵を個人や企業が等しく受けることができ、生産性の向上に寄与します。
 このとき、投資にかけた金額と経済効果として現れる金額との差額がプラスであれば、その公共投資は適切であったということになります。逆に、差額がマイナスになってしまえば無駄な投資をしたということになります。
 1994年から今日まで毎年赤字国債が発行され続け、その残高は増える一方です。にもかかわらず景気が一向に回復しないのは、効果として返ってくる以上のお金を注ぎ込んできたからです。無駄なお金の使い方をしてきたからです。
 国土交通省は新しい道路を建設するために、今後人口が減少していくという予測が公表されているにもかかわらず、将来の交通需要を過大に見積もるということを意図的に繰り返してきました。その結果採算割れを起こしている高速道路が次々と建設されることになったことは記憶に新しいところです。
 ほかにも関西国際空港や東京湾アクアライン、本四連絡橋という壮大な無駄遣いが行われていますが、誰も責任をとった人がいないという不思議な現象が起きています。

 新しいトラックを導入すれば売り上げが1億円増え、利益は2千万円増えるといって新型トラックを導入したところ、売上げがさっぱり増えず、かえって経費が増えたことにより赤字になってしまったといえばわかりやすいでしょうか? 普通の会社であれば担当役員はクビになるか降格されても仕方のないところですが、政府というのはそうではありません。責任をとるどころか、きちんと定年まで勤め上げるか早期退職しても天下ることができるのですから、怖いものはありません。安心して無駄なお金を使うことができるようになっているのです。
 ではなぜ無駄な投資が行われるのかというと、税金を使うということが目的となってしまっているということがあげられます。大事なのは予算を残さず使い切るということであって、それによってどのような効果が期待できるかということについては嘘八百がまかり通っているからです。
 
 官僚が何かをやろうとするときには、外部から有識者を集めてナントカ審議会というものをつくります。御用学者や提灯持ちのような文化人が集められるわけですが、バランスをとるためにちょっと毛色の変わった人物を招聘することもあります。このようなナントカ審議会では、官僚による説明を聞いて各委員が意見を述べるという形で運営されています。しかし、事務局は官僚が運営しているのですから、自分たちに都合のいいように議論を誘導するということが行われます。ですから最終的にまとめられる答申や方針は、官僚の意向に沿ったものになるようになっているのです。わざわざ時間と費用をかけてまで、なぜそんなことをするのかといえば、官僚に対する免罪符となるからです。何か問題が起こっても、ナントカ審議会の答申に沿った結果でございます、といっておけば済みます。だからこそ、ナントカ審議会やカントカ審議会が雨後の竹の子のように次々と設置されることになるのです。
 これらの運営費用はすべて税金で賄われています。どうせ自分たちの都合のいいような結論を出すのですから、いっそのこと自分たちのポケットマネーで賄ってくれれば文句も言わないのですが、そんなことは絶対に起こりません。
 このようなナントカ審議会とは、実はあってもなくてもどうでもいい存在であるといえます。なくてもいいものに対して税金を注ぎ込むわけですから財政が悪化するのも当然といえます。

 総額2兆円という定額給付金を支給するために必要な事務費用はおよそ800億円かかるといわれています。2兆円という金額に目を奪われがちですが、その陰でひっそりと800億円という費用の支出が行われているのです。麻生内閣の総額15兆円という経済対策も同様です。それらの対策を実施するための事務費用がいったいいくらかかるのかについては、たぶん公開されることはないと思います。公開すれば余計な(と官僚は考えている)批判に晒されることになるからです。
 したがって総額15兆円といっていますが、実際に支出される税金はもう少し大きな金額となります。
 先週末に、東京都下水道局で職員の新しい作業着の胸につけるワッペンおよそ2万枚のデザインが内規違反であったという理由で、約3400万円のお金をかけて作り直していたということが明らかになりました。石原都知事は「くだらねえ完全主義だ」と批判し、無駄遣いをたしなめる声が相次いでいました。確かに無駄遣いなのですが、3400万円を2万枚で割ると1枚当たり1700円という金額になります。たかがワッペンに1枚1700円もかけて何とも思わないという神経が私には理解できません。ブレザーの左胸につけるエンブレムは小売価格で1個あたり数千円から1万円を超えるものまであります。しかしそれらは手作業で一つ一つつくるからであって、2万枚のワッペンとはわけが違います。東京都ではきっと作業着1着の値段も相当高いんだろうなと思います。
 身近な例として東京都下水道局の事例があったので取り上げたのですが、似たようなことはあちこちで行われていると思います。ところが行政はどこも財政難に苦しんでいるというのですから、本当かね、と疑いたくなります。

 せっかく財政出動をしても効果がなかなか効果が上がらない理由には、この社会がコストの高い社会であるということもあげられます。
 どういうことかというと、本当に必要なのかどうか疑わしいことに企業や国民がコストを費用を負担しなければならないようになっているということです。たとえば車検がそうですね。新車は購入後3年経過した時点で車検を受け、それ以降は2年ごとに車検を受けなければなりません。昔は自動車の性能が低く、しょっちゅう故障していたという事情があったかもしれませんが、現在ではなかなか故障しないようになっています。にもかかわらず2年ごとに強制的に検査を受けさせるのは合理性を欠くのではないかと思います。しかもその代金がやたらと高いのです。車検代には法定費用と検査費用・点検整備費用とあって、不要不急の整備をしなければその分車検代は安くなりますが、法定費用と検査費用はどうにもなりません。自賠責保険はやむを得ないにしても自動車重量税が高いので、これを確実に取り立てるために車検制度が温存されているのではないかと勘ぐりたくもなるのです。
 世の中には、そのほかにナントカ協会というのがあって、一応任意ですが、個人や企業はその会費を負担することになっています。払いたくないと心の底で思っていても、払わないことによって自分の身に降りかかる不利益を考えるとおとなしく払っておいた方が得であると判断して、誰もが会費をおとなしく払っているといってもいいでしょう。
 企業が支払ったこれらの会費は、製品の価格に転嫁され最終的には消費者が負担することになります。そのことに消費者は気づいていませんが、実際に負担しているコストは大きなものとなっています。ちなみにレジ袋の有料化というのもそうですし、やたらと複雑なゴミの分別回収というのもそうです。

 このように、この国の仕組みはあってもなくてもどうでもいいようなことに対し税金が注ぎ込まれ、あるいは国民がその費用を負担しているという構図が至るところに存在してます。前者はせっかく集めた税金のうち効果的に使われるのはその一部に過ぎないということですし、後者は国民の体力を削っていきます。
 このことは、たとえば燃え上がる火を消すために、穴の開いたバケツで一生懸命水を組みながら、貧血でふらふらしている人を連想させます。それで火を消すことができるとは思えません。

 したがって、総額15兆円にも及ぶ経済対策を実施する前に、まず、行政の中で行われている「あってもなくてもどうでもいいようなこと」に税金を使うという慣行をやめるべきです。ましてその財源を赤字国債に求めるというのですから、官僚による脳天気なお金の使い方を改めるのが筋でしょう。国民に増税に対する理解を求めるのであれば、やるだけのことをやってからにしていただきたい、と思います。
 小泉純一郎氏と麻生太郎氏を戦後最悪の総理大臣であるとみなしているのは、このような構造をほったらかしにしておきながら、国民に負担増を押しつけるという破廉恥なことをやっているからです。
 日本はどんどん住みにくい国になりつつあります。では、自民党の代わりに民主党が政権を担当したら世の中が変わるのかというと、あまり期待できそうもないというのが情けないところです。
by T_am | 2009-04-16 06:15 | その他
 麻生内閣が15兆円規模の補正予算案の内容を明らかにしました。住宅取得を条件にした生前贈与の非課税枠拡大、低燃費車や環境配慮型家電の買い替え補助、子育て応援特別手当の拡充などが盛り込まれています。
 15兆円といえば国民一人あたり12万5千円となります。しかし、誰もがその恩恵を受けることができるわけではありません。自分には関係ないという人も多いはずです。
 麻生総理は、その財源を国債で賄うと説明しており、将来の景気回復を前提に消費税を含む抜本的な税制改革に取り組む決意であることを表明しています。
 このことを単純化してみると、次のことがわかります。

1.今回の補正予算(経済対策)で額面通りの恩恵を受ける人は少ない
2.その財源は国債なので、将来国民が返済しなければならない。
3.消費税率がアップした場合、今回恩恵を受けなかった人も税負担をしなければならない。

 麻生総理のいう「抜本的な税制改革」がどのようなものになるのかは明らかではありませんが、その内容は個人に対する増税であることが予想されます。所得税の恒久減税はいとも簡単に廃止されましたが、企業に対する優遇税制が撤廃されたという話は聞きません。 今回の経済対策で恩恵を受けるのは一部の個人だけでなく、企業もそうなのですから、その財源である国債という借金の返済を企業も負担しても罰は当たらないと思います。しかし、財政再建のためには増税が不可避であるというメッセージは常に個人に向けられており、マスコミも政府の説明通り国民に向けて忠実に報道してきました。
 今回行われているETC利用者だけに高速料金の割引をするというのも、税金を使って割引分を高速道路会社に補填するわけですから、税金の使い方としては非常に偏ったものであるといえます。自動車に乗らない人やETC車載器を持っていない人は割引を受けることができないからです。それでも高速道路料金の割引は霞ヶ関埋蔵金といわれる確保済みの税金を使うのですが、このたびの経済対策の財源は赤字国債を発行して確保することになっています。その借金の返済は消費税という個人に対する増税で賄うと総理大臣が明言しているのです。
 この国はいつの間にかこのような不公平が横行する国となってしまいました。そして誰もそのことに異議を申し立てないという情けない国でもあります。
 せっかく補助金が出るのだからもらわなければ損であるというのはまだ理解できます。それよりも、自分さえ金儲けができれば後はどうなろうと構わないという気分が横行していることの方が不公平を横行させる原因となっているのだと思います。
 金を儲けた人間が賢いのであり、そうでない人間はバカである。そして自分には金儲けできるだけの能力が備わっている。このような根拠のない自信を持つ人が増えればそれだけ社会の不公平さは助長されることになります。なぜならば、社会に環流しているお金をできるだけ多く手にするということはゼロサムゲームに参加するということですから、大儲けをする人間がいればその分貧乏になる人が出てくるのは当然ということになるのです。
 大貧民というトランプのゲームがあります。今の日本は国を挙げて大貧民をやっているようなものです。トランプゲームとしての大貧民は大富豪でも大貧民に没落しかねないというスリルがありますが、現実の社会はそうではありません。企業というプレーヤーも参加しているにもかかわらず、大貧民としてなけなしの財布から「税金」を支払うのは常に個人であるというところが決定的に異なります。つまり、大貧民は個人の指定席となっているのです。そして、その旗振りを一国の総理大臣がしているのですから、もはや支離滅裂というか末期状態であるといわざるを得ません。
 私は小泉純一郎氏を戦後最悪の総理大臣であると思っていましたが、麻生太郎氏もこれに匹敵する総理大臣であると申し上げます。過去に無能な総理大臣は何人もいましたが、ここまで国民生活に害をなす政治家はちょっと見あたりません。
 私たちの不幸は、極めて短期間に最悪級の総理大臣を二人も持ってしまったということと、自分自身がその共犯者であることに気づいていないというところにあります。したがって、これからも似たような総理大臣が登場することも充分考えられるのです。

 こうして書いているとだんだん腹が立ってきました。今回の経済対策がどれだけの効果をあげるか疑問に思っておいでの方も多いと思います。そこで、次回はなぜ財政出動が充分な効果をあげられないのかについて述べることにします。
by T_am | 2009-04-15 06:48 | その他
 今回は春日武彦先生の「精神科医は腹の底で何を考えているか」(幻冬舎新書)を読んで思ったことを書きます。

 血圧が高いので医師に処方してもらった薬を呑んでいます。今のところ、1日1回の服用なので、高血圧症の患者としてはビギナーの部類かもしれません。
 出張などで薬を忘れていくことがあり、その場合2-3日薬を呑まないことがあります。また、家にいても薬を飲み忘れるということもたまにあります。ブログで偉そうなことを書いている割に、私生活は結構ルーズなところがあって、決していい患者ではありません。そう思うと医者というのも大変だというのがわかります。

 医師が処方する薬は、必ず服用方法が決められています。1日のうち薬を呑むタイミングは朝昼晩就寝前の4回しかありません。このうち、どのタイミングで服用してもらうかを医師が決めることになります。その際、薬の強さというか持続性などの性質を考慮して決めることになります。
 1日1回朝食後に呑む薬であれば、24時間経つ間に効き目が薄れてくるために、それを補給するという意味合いがあるということがわかります。しかし、それも患者が医師の指示通り服用方法を守るということが前提となっています。
 みなさんはこんなことを考えたことはありませんか?

・朝食後に呑むことになっている薬を飲み忘れたら、昼食後や夕食後に呑んでも構わないのか、それとも翌朝まで我慢した方がいいのか?
・昨日薬を飲み忘れたので、今日はいつもの2倍の量を呑んでもいいのか?
・1日1回薬を呑んでいるが、効き目が悪いようなので、朝夕2回呑んでもいいのか?
・身体の調子がよくなったときは服用を中止してもいいのか?

 私は医師ではないので、これらの疑問に対する正解が何であるかはわかりません。しかし、患者が自分勝手に判断して服用方法を変えるというのはやはりまずいだろうということはわかります。薬といっていますが、毒と薬は裏表の関係にあります。適量を呑んでいるから薬なのであって、量を間違えれば副作用によって身体に害を及ぼす毒になることだってあり得るのです。また、全然利かないということだってあるでしょう。
 そういうことがないように、医師は処方箋を書いて服用方法を指定しているわけです。けれどもそれは患者が医師の指示を忠実に守るということが前提となっています。実際には、私のように医師の言うことをうっかりして守らないという患者も多いはずですし、中には積極的に医師の指示を無視するという患者もいることと思います。
 春日先生は、「患者がどんな薬の飲み方をしているかも把握せずに脳天気に処方している医師」は藪と呼ばれても仕方があるまいと述べています。医師というのはずいぶんとシビアな職業なのですね。
 患者の側からすると、症状が重く苦しいときは医師の言いつけ通りおとなしく薬を呑むものです。ところが、自分の身体の治癒力と薬によって症状が改善してくると、薬を呑むのを怠るようになります。
 そうしてみると、名医の条件とは患者の人柄を見ながら、こいつはだいぶよくなってきたのでうっかりして薬を飲み忘れることがあるなとか、この患者ははいはい言ってるけれどもあまりいうことを聞くタイプではないな、などという見極めができることなのかもしれません。そのうえで治療方針を修正していくという、常に患者の上手をいく医師が名医と呼ばれるのではないでしょうか。患者が治って初めて医師の手腕が評価されるのですから。
 現実には、大病院では患者があまりにも多いために、充分な診療時間を割いてもらうことができません。ロクに会話もせずに薬を出されるということも多いのですから、大きな病院をありがたがって、たいした病気でもないのに診てもらいに行くというのも考えものです。
 実は、私の主治医は高校の同級生です。私にとって彼は医師であり同級生でもあるので、彼が言うことは信用できると思っています。私のように言いつけに従わないことがある患者は、医師にすればずいぶんと不愉快な存在であるということは容易に想像できるのですが、同級生であれば私のことをよくわかっているので「しょうがねえなあ」で済むという利点があります。
 このように患者と医師との間の信頼関係というのはとても大事なことであると思います。そのためにはある程度の時間と運が必要です。自分が信頼できる医師に巡り会うということも人生における幸福のひとつであることは間違いありません。
by T_am | 2009-04-14 06:44 | その他
 今年は桜が咲き始めてから晴天続きだったために、花見にはこの上ない好条件となりました。この前の日曜日は天気がよかったので、散歩がてらカメラを持って公園へ行ってきました。
 いつもの鳥屋野潟公園に9時前に行ったのですが、既にブルーシートが敷かれていたのには驚きました。その昔、坂口安吾は桜の森の満開の下には死体が埋まっていると述べましたが、現代はブルーシートが敷かれるようになりました。この日ももう少し時間が経てば、後から来た人によってブルーシートがびっしり敷き詰められたのではないかと思います。

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 しかし、こうして見ると、ブルーシートというのは風情がないですね。一生懸命場所取りをしている人には悪いと思いますが、まるで工事現場であるかのような味気なさが漂っています。桜がなければ難民キャンプと間違われても仕方ないような気がします。

 私は、花見というのは酒を飲んで騒ぐための口実ではないかと思っています。冬の間は寒くて家の中に閉じこもっている以外どうしようもないのですが、春になって桜が咲く頃というのは外に出ていても風邪をひく心配もありません(その代わり花粉症に悩まされる人もいます)。外に出て太陽の光を浴びたいという欲求を満たすにはちょうどいい時期なのだろうと思います。その証拠に、真夏のひまわり畑でカンカン照りの中宴会をするというのは聞いたことがありません。暑過ぎもせず寒過ぎもせず、穏やかな気候の時期であるからこそ、外に出て大勢でお酒を飲んだりおいしいものを食べたりするのでしょう。どうせなら殺風景なところよりもきれいなところの方がいいに決まっているので、桜の下で花見をするということになったのだと思います。

 正直なところ、私は満開の桜があまり好きではありません。ソメイヨシノのように枝全体が花で覆われるというのは、なんだか厚ぼったい感じがして好きではないのです。近づき過ぎるとかえって欠点ばかりが目につくというのは人間にもいえることです。それだけにある程度離れてみた方が、細かいところの粗がわからないので、かえっていいような気がします。

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 上の写真は新潟市民芸術文化会館(リュートピア)の屋上から撮ったものです。リュートピアは信濃川のすぐ横にあり、堤防を整備した緑地(「やすらぎ堤」といいます。新潟市には申し訳ないけれども、この名前も押しつけがましい感じがして好きではありません。)から直に行くことができます。30年ほど前の新潟市は公園も満足に揃っていなかったことを思うと隔世の感があります。それを考えると、ネーミングなどという些末なことに囚われずに、素直に市当局の労をねぎらうべきなのかもしれません。

 この日曜日は青空が広がり、桜がよく映えていました。

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 私生活ではルーズな人間なので、休日ともなればビールを飲んで眠くなったら昼寝をするというのが大好きなのですが、こうも天気がいいとやはり外へ出かけようという気になります。そう思って夕方1時間ほど歩いて散歩がてら桜を見てきたのですが、帰りに缶ビールを買って来たのは言うまでもありません。散歩した後のビールはとてもおいしいのです。その代わりいっこうに痩せないことも事実です。
by T_am | 2009-04-14 00:14 | 写真日記