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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

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 地球が温暖化している傍証として様々な現象が報告されています。中でも、サンゴの白化現象というのは、私たちにに訴えかける力が強いようです。
 サンゴの白化現象というのは、水温が上昇することで、サンゴの体内に住む褐虫藻が逃げ出していくというものです、サンゴの色は体内の褐虫藻がつくりだしているので、これらが逃げ出すことで、サンゴは白化してしまいます。ところが、褐虫藻はサンゴの体内で光合成を行うことにより、サンゴに栄養を供給しているのですが、これらがいなくなるとサンゴは十分な栄養をとることができず、やがて死んでしまいます。
 こうした現象が、沖縄だけでなく、世界中で広がっているわけですが、その原因は地球の温暖化による海水温の現象にあると考えられています。

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by T_am | 2008-08-31 20:55 | 科学もどき
 わが畏友セイヤさんから、清水靖晃さんのことを教えてもらいました。そこで、早速iTunes Store で「CELLO SUITES 1.2.3」の 1番PRELUDEを購入しました(もちろん試聴したうえで)。
 バッハの作品を他の楽器で演奏するという試みは、とても刺激的で、高校時代には「主よ 人の望みの喜びを」をギターで弾いていた友人がいました。演奏する楽器が異なると曲に対するイメージも異なることがわかり、とても新鮮でした。(念のためYou tubeで検索するとこの曲をギターで演奏している人がけっこういることがわかりました。バッハという作曲家の偉大さを改めて知ったように思います。)

 さて、「CELLO SUITES 1.2.3」は、バッハの無伴奏チェロ組曲をサキソフォンで演奏するという野心的なアルバムです。制作は1996年ですので、今頃素人が何をいうかとおしかりを受けると思うのですが、どうしても書いておきたいものですから、書きます。
 演奏を聴いたときの最初の印象は、どうやったらこんな音が出せるんだろう、というものです。そこで、清水さんのサイトを見て納得。レコーディングする場所が違ったのですね。

清水靖晃さんの公式サイト

 興味のある方は、お聴きいただきたいのですが、チェロというのはどちらかというと地味な楽器です。ですから、原曲も正直言って、やや退屈、という感があったのですが、清水さんの音は、サキソフォン独特の味わい深さもあって、心のひだに染み入ってくるようです。しかも、残響音の効果なのか、サキソフォンの音だけではなく、楽器に呼応するかのように別なところから音が響いてくるようです。
 深夜、この曲を聴くと、自分自身が持っている心の修復機能が活性化されるような気がします。ちょうど、城達也さんのジェットストリームがそうだったように。
by T_am | 2008-08-31 07:34 | その他
こんばんは

この間の同期会は、何から何までお世話になりまして、本当にありがとうございました。
のみならず、終わった後も、アップロードした当日の写真を、同期のみなさんに告知する作業までしていただき、もはやセイヤさんちの方角に足を向けては寝られません。

当日の写真を見ていて気がついたのですが、みんなニコニコしていて本当にいい顔をしています。
セイヤさんのアップの写真も、いい顔をしていましたよ。で、スライドショーの一番盛り上がるところに載せました。ぜひとも奥様に見せてあげてください。

同期のみなさんは、勤務中はさぞや悪相をしているに違いない、と容易に想像されるポジションについている人ばかりなのですが、この日ばかりは、何の悩みも邪心もない、いい笑顔をしていました。
思うに、利害がからまなければ、人間は自然といい顔になって人に接することができるのですね。
仏頂面ではなく、いつもいつもニコニコしていられたら、血圧も下がるかもしれません。

サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ

また、お目にかかりましょう。
by T_am | 2008-08-29 21:20 | セイヤさんへの手紙
 子供は一組の男女から生まれます。したがって、父母は二人ですが、祖父母は二組四人となります。これが曾祖父母となると、三組八人の男女がいることになります。このように世代が一つ繰り上がると、先祖の人数は2倍に増えていきます。
 試みに計算してみると、10世代遡ると先祖の数は千人を超え、20世代遡ったところで百万人を越えます。さらに25世代を遡ると先祖の人数は三千万人を越えます。世代交代に25年かかると仮定すると四世代で百年ですから、25世代というのはおよそ六百年前の時代になります。この三千万人を越える人数というのは、おそらく当時の日本の総人口に匹敵する数字だと思います。
さて、ここで問題です。このことは何を意味すると思いますか?

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by T_am | 2008-08-28 22:59 | 科学もどき
人間の身体には、たとえ嫌なことでも続けているうちに次第にそれが快感であると感じるようになる、という不思議な機構が備わっています。長距離走に伴うランナーズ・ハイという現象がまさにそうなのですが、勉強も同様です。我慢して続けているうちに、次第にそれが気持ちよくなってくるという場合があるのです(紛らわしい書き方をしていますが、この稿はエッチな話しではないので、誤解しないようにしてください)。

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by T_am | 2008-08-27 22:32 | 心の働き
 北京オリンピックが終わりました。人種問題や報道規制がクローズアップされ、抗議活動を行ったアメリカ人が拘留されるという事件も起こりました。オリンピック開催国に対して、これほどまでにネガティブな報道がなされたのは初めてのことであろうと思います。
 今日のニュースの論調には、中国はオリンピックを契機として今後変わることができるだろうか? というものが多く、これには反語のメッセージが込められているように感じられます。なぜなら、その方が視聴者や新聞読者に受けがいいというのもあります。そして何よりも記者自身がそう思っていることが明白です。
 ただし、そう判断する根拠は人によって異なるような気がします。
 私も、中国は変われないと考えるひとりですが、以下その理由を述べたいと思います。

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by T_am | 2008-08-25 22:49 | 社会との関わり
 自由競争・自由貿易は、論理的には正しいけれども、それを適用してはならない分野もあるということを前回は述べました。
 今回は金融の自由競争をめぐるルールについて考えてみたいと思います。

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by T_am | 2008-08-24 11:50 | 社会との関わり
 経済には、強いものが弱いものを呑み込んではさらに強くなる、という部分があります。また、人間には、利益を得るためには何だってする、という性質もあります。これらを野放しにしておくのは有害であることが経験値として知られているので、たとえば独占禁止法や証券取引法などの法律をつくり、ある程度規制をかけているわけです。

 ところで、お金を媒介として、モノやサービスのやりとりをするという行為は万国共通です。したがって経済の成長に伴い、その活動は国境を越えて行われるようになります。そうすると競争の場が国内だけではなく、国際的になっていき、これに勝ち残るだけの競争力を身につけることが求められていきます。このこと自体は論理的に正しいので、異存のあるかたはいらっしゃらないと思います。
 ところが、この単純な論理をふりかざして、社会をミスリードする動きがあるように思います。
 現在でもときどき聞くのは、日本の農業も国際協力をつける必要がある、という主張です。外国産の安い農産物に対抗するには、それが不可欠であり、そうでなければ日本の農業はダメになっていく、というものです。
 ご存じのように、日本の食糧自給率(カロリーベース)は全体で39%しかありません。ただし、米や野菜などのようにほぼ国内産でまかなっているものもあれば、小麦などのように輸入品が大部分を占めているものもあり、品目によってばらつきがあります。

http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/report18/pdf/p03.pdf

 大豆の自給率が5%しかないのは、かつてアメリカ産の安い大豆が輸入されたことで、日本産が価格で対抗できなかったために、このようなことになったという経緯があります。経済の原則からすれば、これは仕方のないことであり、そうなりたくなければ価格を引き下げる努力をするか、品質を高める努力をするべきである、ということになります。
 世の中に流通する商品(食料も含む)には、それを購入しなくても何とかなるものとそれがないとすまされないものとがあります。
 前回は、買う立場の方が強いということを述べましたが、それは代替え品がいくらでも調達できるという場合に成り立つ原則なのです。世の中にそれしかない、ということになれば、人は争ってでもそれを買うことになります。
 ガソリン価格の高騰に伴って、小麦や大豆などの輸入価格が上がっています。食品の相次ぐ値上げについては、新聞やテレビでしつこいくらい報道してくれたので、皆様よくご存じのことと思います。
 なぜ、こんなことになるかというと、代替え品がないからです。国産小麦や大豆の生産量では、国内の需要をカバーできないので、外国産小麦や大豆が値上げされたら、おとなしくそれに従う以外に選択肢はありません。
 これが、自由競争のもたらした結果です。
 自由競争経済の信奉者(あるいは原理主義者)は、文句があるならば、国際競争力をつけるよう努力するべきで、それを怠ったのは農家自身の責任である、というかもしれません。
 しかし、そんなに単純な問題であるならば、WTO(世界貿易機関)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が7月29日に意見の一致をみずに決裂ルることはなかったはずです。
 自由競争というのは、工業製品のように、どこでも、いくらでも生産ができる(増産や減産も弾力的に可能)という製品については有効に機能しますが、農産物や海産物のように生産量が限られていて、そうおいそれとは変化させることができないという分野にはなじまないのです。
 だから、各国の政府は自国の農業を保護する政策を打ち出しているのであり、優先順位の付け方ははっきりしています。自国の産業も守れないで、何が自由貿易だというのが政策担当者の本音であろうと思います。

 なぜ農業が特別扱いされるかというと、それが基幹産業だからです。しかし、日本では農業が基幹産業であるという意識はあまりありません。したがって、日本は世界の工場となり、食料は他の国が生産する、という国際分業論が説得力を持つのもやむを得ないと思います。
 しかし、食料を輸入に頼るというのは、食品の安全性、安定供給という点で不安が解消されません。さらに農業の衰退は国土を荒廃させます。日本中をコンクリートやアスファルトで固めるならばともかく、現在の日本の自然環境の保全に農業従事者が大きな役割を果たしていることを、指摘する人はあまりいません。

 自由競争・自由貿易というのは、論理的には正しいと思います。
 けれども、それを適用してはならない分野もある、というのもまた事実なのです。
by T_am | 2008-08-22 07:13 | 社会との関わり
 体操や柔道などの競技で点数の付け方が変わっていることで、北京オリンピックをご覧になりながら、イライラしている人も多いかと思います。また、審判のあまり公平ではなさそうな判定に対して、テレビのこちら側で抗議しているかたもいらっしゃるのではないでしょうか?
 今回は経済の話です。

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by T_am | 2008-08-20 07:02 | 社会との関わり
 表現の自由に基づいて、報道機関には報道の自由があります。ところが、新聞紙面やニュースの放送時間は無限にあるわけではないので、何を報道して何を報道しないかを選択するかは、その報道機関に委ねられています。その判断基準を「見識」とよぶこともあり、あるいはその報道機関の「立場」と呼ぶこともあります。つまり、各社とも何らかの判断基準をもって、何を報道し何をカットするかを決めているわけです。
 このことは非常に重要なことで、全社が同じ基準に従って報道するとどういうことになるかを、先の大戦で私たちの父母・祖父母の世代は経験しました。ですから、報道機関が独自の判断基準を持つということは非常に重要なことなのです。
 物事には必ずプラスの側面とマイナスの側面があるように、報道する自由を保障することにより、国民受けする内容に偏って行く傾向があると思います。昨今の例でいえば、中国に関する報道がこれにあたります。

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by T_am | 2008-08-18 22:29 | 社会との関わり