ブログトップ

カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

2010年 07月 17日 ( 1 )

 菅総理が就任早々G8に出席して、各国とも財政再建が急務であるという合意が成立したことから、日本でも財政再建ということがクローズアップされるようになりました。それ以前から国債の残高が800兆円もあり、これを減らさなければいけないという声が合ったことは事実です。そういう状況に加えて、今年度は44兆円という国債(うち赤字国債は29兆円)を発行する予算となっていることも議論に拍車をかけているといえます。

 財政再建といわれれば異論のある人は誰もいないはずです。ただし、財政再建とは何を意味するのかということが明確になっていないところに問題があります。かつての小泉内閣時代の「構造改革」について多くの人が賛成しましたが、その中身について誰も知りませんでした。それぞれ、構造改革とはこういうことだろうと勝手に思い込んで賛成していたのです。

 同じ轍を踏むのは賢明ではありません。

 政治家は「強い財政」とか「健全な財政」という聞こえのいい言葉を使いますが、実態は何かということについて丁寧に説明するわけではありません。そのような曖昧な言葉を使って、とりあえず世論の賛成という白紙委任状を取り付けておいてから、じっくり中身を組み立てるということが今まで行われてきたのです。

 財政再建といっしょに、消費税率のアップということがいわれています。自民党は10%といい、菅総理もそれをベースに議論しましょうと呼びかけています。マスコミによるアンケート調査では半数以上の人が消費税の増税もやむを得ないと考えていることが明らかになっています。
 
 そこでお尋ねしますが、消費税率を上げると財政がどのように再建されるのかご存知ですか?

 増税論者の中には消費税の増税分は社会福祉に充てるべきだという人もいます。また、菅総理は所得に応じて還付することも考えられると発言してきました。こういう状況で、消費税率を上げることがどれほどの効果をもたらすのか誰もわからないというのが本当のところではないでしょうか。
 そういう状況であるにもかかわらず、消費税の増税もやむを得ないと判断するのは危険だと思いませんか? 心配されるのは、税率が10%になっても何年か後でさらに税率を上げなければならないといわれることです。そのときも読者はやむを得ないと判断するのでしょうか? それではなんのためにあのとき税率を上げたのか? そう考えるのが普通ではないでしょうか。

 こんなことを申し上げるのも、消費税の増税を行っても結局その分は使われてしまい、財源不足は解消されないと考えるからです。恒久減税といわれていた所得税減税が廃止されて3年経ちます。減税廃止によって財源が増えたはずですが、財政赤字はいっこうに減っていません。そういう前例がある以上、安易に増税に賛成するわけにはいかないのです。

 政府の予算の決め方というのは、各省庁が「こういうこと(事業)をやるのでこれだけ予算が必要である」という計画の積み重ねを財務省との間で折衝して決めるというものです。本質的には高校の生徒会予算の決め方と変わりはありません。このように書くと官僚の皆様は不愉快に感じるかもしれませんが、高校の生徒会が国の真似をしているのだと考えて我慢してください。
 ところで、高校の生徒会では支出が収入を超える予算を組むかというとそんなことはありません。支出が収入を上回るので、生徒会長がサラ金へ行って生徒会名義でお金を借りてくるかというと、それはまずあり得ないということにご同意いただけると思います。
 しかし、国の場合は違います。支出が収入を上回るので国債を発行して資金を調達するということが毎年行われているのです。高校生徒会と国と比較するのは気が引けるのですが、どちらが健全であるかはいうまでもありません。

 財政法第4条には国会の議決を経た上で建設国債の発行ができるという規定がありますが、赤字国債の発行は認められていません。戦後赤字国債が始めて発行されたのは、1965年の補正予算を組むためであり、このとき1年限りの公債特例法が制定されました。その後1974年まで赤字国債が発行されることはありませんでしたが、75年に公債特例法が制定されてからは毎年「1年限りの公債特例法」が制定されてきました。

 赤字国債の発行は財政法で禁止されている。そこで1年限りという公債特例法を制定して赤字国債を発行する。しかし、毎年公債特例法を制定して赤字国債を発行しているので、赤字国債発行の禁止規定は事実上死文化してしまったといえます。

 なぜこのようなことになるのかというと政府の予算編成はまず事業ありき、だからです。つまり、こういう事業を行うのでこれだけの予算が必要であるという発想法が染みついてしまっており、それ以外の考え方ができなくなっているからなのです。
 個々の事業計画を策定するときに必要な資金を計算するというのは当然ですが、それを予算化する際には全体の中でのバランスをみながら、その事業計画を採用するかどうかという判断がなされるのが普通です。そうやって予算の総枠をはみ出さないようにするわけです。財務省もそういう努力をしているはずですが、担当者レベルで排除しても大臣折衝があり、最後には総理の決断というのもあって、総枠を守るというのは無視されてしまいがちになります。
 あれも必要だ、これも必要だということで予算が肥大化し続けた結果、国の借金が800兆円という水準になった(この中には建設国債も含まれているので鵜呑みにするわけにはいきませんが・・・)わけです。

 財政を健全化しよう(=赤字国債の発行をゼロにする)と本気で考えるのであれば、各省庁に対して機械的に前年比95%(別に90%でも構いません)という形で予算枠を与え、その中で計画を組めというところまでもっていかなければなりません。大臣折衝は廃止、総理の決断も廃止する。どうしてもやりたい事業があるのであれば、それは別個に国会で審議してもらいそのための赤字国債の発行を認めてもらうというふうにしなければ、いつまで経っても財政の健全化というのはできるものではありません。
 前年比95%という予算を10年間繰り返せば、予算総額は最初の年のおよそ6割の水準になり、そうすれば、赤字国債の発行額はほぼゼロに抑えることができるようになります。
 こういうことを申し上げると、それでは経済成長がおぼつかなくなるという反論を頂戴するかもしれません。しかし、次の表をご覧いただくとおわかりいただけるように、一般会計の歳出額(支出済みのもの。予算ではありません。)と名目GDPの前年比を比較してみると、両者の間には因果関係もなければ相関関係すらないことがわかります。


c0136904_6593022.jpg



 それでも経済成長を財政規模にも反映させるべきだというならば、経済成長率を1%と仮定して、予算を前年比95%×1.01というふうにすることも考えられます。予算そのものは減らすけれども、経済成長による増加も認めるというわけです。ですから、経済成長率が5%見込めるというのであれば、95%×1.05としてもいいのです。その代わり経済成長率が5%に達しなかった場合、関係者は全員責任をとって辞職してもらわなければなりません。現行の制度では、大臣が辞職しても国会議員の身分まで失うわけではありません。責任をとって辞職するといっても痛くもかゆくもないわけです。まして官僚にはお咎めがないわけですから、事実上誰も責任をとらないようになっているといっても過言ではありません。
 政治家であれば政界を引退する、官僚であれば公務員の身分を失う。国民に増税を課すのですから、それくらいの覚悟を持ってやってもらわないと納得できないと思いませんか?
 そういうふうに持っていかないと、政治家と官僚の無責任体質は改まらないのです。


c0136904_70435.jpg



 この表は、支出済みの歳出に占める国債の発行割合を示したものです。恒久減税が廃止されたのは2007年からであり、その年の赤字国債の発行割合は前年に比べると1.6ポイント下がりました。ところが翌年赤字国債の発行割合はどーんと7.3ポイント増加しており、このことから財源が確保されても歳出が増えれば、赤字国債に依存しなければならないという体質は変わらないことわかるのです。

 政治家や官僚が財政再建の必要性を訴えるのであれば、歳出総額を絶対に増やさないという覚悟がなければ、財源増やしても財政再建にはつながりません。
 健全財政とは赤字国債に依存しないことをいい、財政再建というのは財政を健全化する一連の手続きを指す言葉であると私は理解しています。
 2008年の段階で歳出の3割を占める赤字国債の発行額をゼロにするためには、その分の支出を減らすか、あるいはその分を増税によって賄う以外に方法はありません。増税によって賄うのであれば、単純に考えて国民の税負担は今の1.5倍になることがわかります。今、ご自分が払っている税金と社会保険料が全部1.5倍になると思ってもらえば、それがどれくらいの負担増になるかおわかりいただけるでしょう。
 これは消費税の税率を10%に増やしたくらいではとうてい捻出できる規模ではありません。

 そういうことをきちんと説明せずに、財政再建が必要であると主張するのは国民に対してフェアではありません。そういうところが無責任だと申し上げているのです。
by T_am | 2010-07-17 07:01 | その他