優越感と劣等感は裏表
おわり。
これでやめようかと思ったのですが、ちょっとだけ補足します。
優越感は、スライムのように勝手に肥大化していきます。そして、肥大化していくうちに人を見下すようになっていきます。
こんなこともわからないの?
こんなこともできないの?
精一杯努力してもその程度なの?
あたしの方がまだましね。よかった。
俺の方が大きい。
このように、優越感というのは様々です。
実際のところ、誰でも自分以外の誰かにたいして何かしら優越感を持つことは可能です。自分にあってその人にないものを見つければいいのですから。
では、自分にあってその人にないものを見つけるのはどのようなときかというと、偶然発見したというわけではありません。それは潜在的に自分が気にしていたものであることが多いのです。そうでなければ、むりやり発見するかどちらかである、といってもいいと思います。
最初のケースは、その人が持っている劣等感の裏返しであることがおわかりいただけると思います。いつも気にしているので、その点で自分よりも劣る人を見つけると安心できるわけです。勉強が苦手という人は、自分よりも成績が悪い人を見つけるとほっとします。自分よりも下がいる、と思えるからです。
二番目のケースは、その人の中に自分よりも優れているものを発見した場合、その穴埋めに何か自分よりも劣るものをむりやり発見しようとする心の働きです。
「A子って、可愛いけど性格は悪いのよね。あれじゃつきあう男の人はかわいそうだわ。」「B男はスポーツ万能だけれども、ものすごい音痴なんだよな。女の子とカラオケに行ってもあいつがいると全然盛り上がらねーの。」
これらの意識の底にあるものは、「自分の方がまし」という気持ちです。そういうところを発見すると、それまでの落ち着かない気持ちから解放されて、なんとなく安心できるわけです。
これと似たような心理で、次のようなものがあります。経験ありませんか?
女の子をナンパしようと声をかけたけれども一顧だにされないとき、「けっ、ブスのくせにお高くとまってんじゃねーよ。」と悪態をつく。
これは、傷ついた自我を守ろうとする働きです。わかるでしょ。(ちなみにナンパに成功する秘訣は、成功するまで声をかける、です。ダイエットと同じように、楽をして成果を出そうと持ってもそうは問屋が卸しません。でも、99敗しても最後に1勝すればそれでいいわけです。99敗してそこでやめてしまえば、全敗したという結果しか残りません。それに数をこなすうちに、自分なりの経験則が導かれるものです。)
優越感と劣等感は裏表、というのは以上のようなことをいいます。たいていの人が一度は経験するといってもいいと思いますが、いずれそのバカバカしさに気づいて、他人と自分とを比べることをやめてしまいます。A子さんは自分にできないことができる。自分はA子さんにできないことができる。なのに、自分にできないことをいちいち気にするのは無意味である、と気づくからです。
ところが、中には自分の劣等感をバネにして人並み以上の努力ができるという人がいます。これは、動機はともかくとして、何かを成し遂げるという点では刮目に値すると思います。ただし、自分の成功体験が唯一無二のものであるかのように思いこみ、他人にとっての大切なものを理解してやる余裕を失う傾向があるようです。
優越感と自信とは異母兄弟のような関係です。よく似ていますが、優越感は他人との比較によって自分で生み出すものですし、自信は他人が与えてくれるものです。さらに、自分に自信のある人は他人と比較することの愚かしさをよくわかっています。ですから人を誰かと比較して傷つけるということもありません。
友達にしたくないのはどちらであるか、答えは自ずから明らかであると思います。