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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

変化する言葉?

 今朝のテレビ(ズームインSUPER)を見ていたら、読売新聞特別編集委員の橋本五郎さんが、「檄をとばす」と「煮詰まる」という言葉について解説していました。
 解説の趣旨は、どちらも間違った意味で使っている人が増えており、あの広辞苑(第六版)でさえも誤用を採録するようになっているので、言葉は変化するということをみとめてもいいのではないか、というものでした。
 橋本五郎さんは感じのいい人なので、こういうことを述べるのは心苦しいのですが、それはないでしょう、と思ってしまいました。



 言葉や慣用句の誤用には、発生する原因とそれが蔓延る要因とがあります。
まず、誤用が発生委する原因ですが、第一に意味をきちんと教えられないために勘違いして理解するという場合があります。
 「兎おいし かの山」を野山でバーベキューをした追憶の歌であると勘違いしている例や「夕焼け小焼けの赤とんぼ 追われてみたのはいつの日か」と思っている例などがこれに該当します。念のため正解を書いておくと、「兎追いし かの山」であり、「負われてみたのはいつの日か」です(背負われながら赤とんぼをみた記憶があるのですね)。
 二番目の原因として、類似の言葉と混同して誤解してしまう場合があります。「檄をとばす」の「檄」を「激励」の「激」と混同して、「監督は選手に檄をとばした」という誤用が発生したのでしょう(この場合の正解は「活を入れる」です)。
 ほかに間違いやすい言葉として、「頭越し」(間に立つべき人を差し置いて、直接相手に話しをしたり働きかけをすること)と「頭ごなし」(人のいうことも聞かずにガミガミ言ったり抑えつけたりすること)などがあります。
 あるいは「団塊の世代」を「ダンコンノセダイ」と言い間違える人がいますが、これは「団塊」の「塊」を「魂」と勘違いして覚えているからでしょう(正解はダンカイノセダイ)。

 以上は、誤用が発生する原因ですが、個人が間違えている分には笑い話で済んでしまいます。でも誤用が蔓延るときには、全部とはいいませんが、それに荷担している勢力があってこれをマスコミといいます。
 「監督が選手に檄をとばした」といういい方は、野球中継のアナウンサーから広まったと思います。一般人は、新聞やテレビが間違ったことをいうはずがないと思い込んでいますから、こういういい方をすればいいんだ、と納得する人も多いのです。(私自身、漫画で多くのことを学びました)。
 それだけの魔力が新聞やテレビにはあるのですから、新聞記者やアナウンサーとなる人はそえだけ言葉に対して敏感でいていただきたいと思うのですが、現実はそうではありません。
「人間国宝の○○さんが亡くなりました。享年85歳でした。」などと真面目な顔をしていう例が後を絶ちません。

 ですから、橋本五郎さんの、国民的辞書である広辞苑が採録しているくらいなんだから言葉の意味が変化するということを認めてもいいのではないか、という主張に素直に与すすることができないのです。
 間違った意味を広めているのは、あなたの同僚たちじゃないですか? それに頬被りをして、言葉は変化するというのはいかがなものかと思います。

 そうはいっても、現実の動きはそれが誤用であるといっても止めようがありません。かといって、自分が誤用に荷担するのも憚られるので、こうして小言幸兵衛のように、口やかましいジジイと化すしかないと思っています。
 幸いなことに、日本は、私のようなひねくれ者にも発言の自由を与えてくれています(耳を傾けてくれる人がどれだけいるかはわかりませんが)。
「お前のようなひねくれ者は人類の敵、社会に害をなす不穏分子である。天に代わって成敗してくれる。」などいう社会にはなってほしくありません。
by t_am | 2008-07-28 21:24 | 言葉

by T_am