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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

反論を許さない問いかけ   船場吉兆の問題

 船場吉兆が、客の食べ残した料理を再調理するなどして、5~7年前から週に1度とか2、3週間に1度くらいのペースで、他の客に出していたことが分かったという報道がありました。
 報道記事の文脈を見ていると、大阪市保健所が二日に船場吉兆を立ち入り調査したことがきっかけで発覚したようです。どこかからか通報があって保健所が動いたものと思われます。
 保健所の見解は、「健康被害がなければ法的責任は問えないが、由々しき事態で放置できない。厳重注意のうえ、今後こういうことが起きないよう指導した」というものです。(MSN産経ニュースから)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080502/crm0805022348048-n1.htm)



 以前大阪の日本料理店で働いていたことがあるという人から、10年くらい前に聞いたことなのですが、こういう店ではとにかく「捨てる」ということがないのだそうです。お客さんの食べ残しは再調理して、全く別の料理に仕立ててから別のお客さんに出すのが当たり前で、捨てるのは本当にどうしようもなくなったものだけだったそうです。
 そういえば、西洋料理についているパセリを、「あれは使い回ししているから食べちゃダメだよ」というのは、私が高校生の頃に聞いた覚えがあります。大学生になってアルバイト先で、調理場に戻ってきたパセリをキレイに洗ってとっておき、次の料理の添え物として使っているのを見たことがあります。
 ですから、船場吉兆で食べ残しの食材を使い回していたというニュースを聞いても別に驚きはしませんでした。腕のいい職人がいるのだからそれくらいやっていても不思議ではないと思っていたのです。
 けれども昨夜から今朝に欠けて、しつこいくらい繰り返して報道されるのを見聞きしていると、船場吉兆をかばうつもりはありませんが、報道に対して、それはちょっと違うんじゃないか、と申し述べたくなってきたのです。

 我が家では、夜の食べ残しが翌朝の食卓に上るのは当たり前となっています。おそらく多くの家庭がそうなっていることと思います。(気持ち悪いから捨てているという家庭も皆無ではないと思いますが。)
 主婦がこういうことをしても、それを「道義に反する」と咎め立てる家族はいません。
 でも船場吉兆では、道義に反しているとされました。興味深かったのは、このニュースに登場する人たち(船場吉兆の従業員、大阪市保健所、記事を書いた記者)のすべてがこれを「よくないこと、はずかしいこと」と考えているということです。ただし、船場吉兆の従業員には、「食材の使い回しはよくないこと」という気持ちと「まだ食べられるのにもったいない」という気持ちのダブルバインドがあるように感じられました。
 推測でものをいって申し訳ないのですが、「5~7年前から週に1度、2,3週間に一度」というのは本当かね、と疑ってしまいます。もっと前から頻繁に行われていたとしても、私は驚きませんし、それが悪いことだとは思いません。でも、こういうふうにいわないわけにはいかなかったのだろうと推測するのです。
 食べ残しの食材でも、それを再調理して別の料理として出すには、職人の技術が必要です。腕のいい職人がいない料理店ではこういう芸当はできません。
 船場吉兆を責める人たちの気持ちの底には、「高級料理店がそんなことをしていいのか」というものがあるように感じられます。ということは、この人たちは、高級でない料理店ではそんなことをしても構わないと認めていることになります。

 そうではなくて、食材の使い回しという行為自体が問題あるんだよ、と大阪市保健所はいうかもしれません。
 でも、どこに問題があるのでしょうか?
 「健康被害がなければ法的責任は問えない」と認めているように、今回のことは、期限切れの牛乳を回収し再加工した上で出荷していた雪印乳業の問題とは次元が異なります。
 保健所が、使い回しをすることで品質を損ない衛生上危険ではないか、という目的で立ち入り調査をしたというのであればそれは理解できます。家庭内のおかずの食べ残しと違って、不特定多数のお客に料理を提供するわけですから、その衛生状態を調査するために保健所が動くのに異論はありません。
 どうやら立ち入り調査の結果、食品衛生法に照らしたうえでの違反行為は発見できなかったようですが、「由々しき事態で放置できない」と判断したので、「厳重注意のうえ、今後こういうことが起きないよう指導した」わけです。
 大阪市保健所が、船場吉兆に対して高級料亭だから「指導した」のではないのであれば、どんな理由によるのでしょうか。「
 衛生以前の問題である」という保健所のコメントを報道していたテレビ番組がありましたが、街の消費者がインタビューに答えてこのようなコメントするのであればともかく、保健所がこういう情緒的な発言をするのはいかがなものかと思います。
 回収した食材を消費期限を守りながら再加工して使うということは広く行われていることです。でも、それを「衛生以前の問題である」と断罪した保健所は未だかつてありません。なぜ、船場吉兆に限って「衛生以前の問題である」としたのでしょうか。
 要は、「他人の食べ残しを出されるのは何となく気持ちが悪い」という気持ちの裏返しであろうと思います。
 これが、町の大衆食堂であれば、「おばちゃん、あんまりいいことではないけれども、衛生には充分気をつけてね。」くらいで終わっていたのだろうと思いますが、船場吉兆が相手ではそうはいかなかったのでしょう。

 食べ残した食材を再調理して他の客に提供することを「道義に反すると思わないのか」といわれたのでは、何人といえども反論はできません。料理長が会見する様子がテレビに映っていましたが、おそらく似たような質問を受けたのだろうと思います。
 このような質問の仕方は、不倫は悪いことだと思わないのか、というのと同じロジックです。いいか悪いかどっちなんだ、といわれれば「悪いことです」と答えないわけにいかない問いかけなのです。
 このような追求の仕方は、追求される人にダブルバインド(理屈として悪いことだと認めざるを得ないけれども本心は違うという葛藤)をもたらします。

 マスコミの論調は、○○して当然、というロジックで組み立てられることが多いと思います。
 その、○○して当然、の例としては「罪を犯したのだから謝罪して当然」とか、今回のように「客の食べ残しを使い回すのは道義に反している思うのが当然」というのがあります。
 私は、このような発想は思考停止を招くと思っています。何も考えずに行動するほど楽なことはありません。でもそれは周囲から見ると醜悪な行動に見えます。その実例を、この度の聖火リレーで、私たちは目の当たりにしたばかりです。

 深夜、料理店の厨房から大量の残飯がゴミとして排出されている様子をテレビでご覧になったことがおありでしょうか。あるいはコンビニで賞期限の切れた弁当やおにぎりが廃棄処分にされているということはご存知のことと思います。
 そういう光景を見ると私は「もったいない」と思ってしまいます。
 これらの企業では、期限切れの食品を販売して食中毒を起こすよりは廃棄した方がまし、という考え方で廃棄しているわけで、船場吉兆の問題とは異なります。
 昨今流行しているエコロジーという観点では、これらの企業と船場吉兆のどちらが「地球にやさしい」ことになるのでしょうか。
 船場吉兆も、「食材をムダにせず、再調理してお客様に召し上がっていただくことで、二酸化炭素の排出量を○○トン削減することができました。」といっていたらマスコミはどう反応していたでしょうか。興味が尽きないところです。
by t_am | 2008-05-03 09:47 | 社会との関わり

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