孤独な経営者
だいぶ前、バブル経済が始まる前になりますが、地方の中小企業に東京の大企業から転職してきて、参謀として迎えられた人がいました。この人はトップに対して、売上目標を前年の40%アップにすることを強く進言しました。その理由というのは、「前年比40%アップという目標は、とてもいきそうもない数字だけれども、それを達成するにはどうしたらいいかを皆に考えてもらいたいので、こういう高い目標を設定するのだ。」ということでした。
結果はどうだったかというと、惨憺たる数字に終わりました。
なぜだと思いますか?
この会社では、トップから権限委譲がされていなかったからです。権限のない者がいくら考えても実行できないのですから、それは妄想に終わります。もっとも進言した当人は、この会社の人間は考える習慣がない、と嘆いていましたけれども。
別の会社の社長さんは、私の知る限り、責任感が強くかつ仕事熱心で勉強もよくしている経営者です。全身これビジネスマインドの塊みたいな人です。ですから社内の誰も、この人に太刀打ちできません。
ところが、この社長さんが部下を熱心に指導すればするほど業績が悪化していくのです。
なぜだと思いますか?
この社長さんのいうことは正論で誰も否定することができません。ですからどんなにハードルの高い課題でも、やりもしないうちに、「それは無理です」ということは許されません。
社長さん自身、ハードルの高いことを要求しているという自覚はあるのですが、だからこそそれにチャレンジすることに意義があり、やる前から「できません」という様な奴は怠けていると信じているのです。
その結果どうなったかというと、誰もが与えられた課題に取り組みますが、やがて「こういうことをしましたが、こういう理由でできませんでした」という言い訳をするようになっていったのです。
交渉ごとの基本は、相手をして「まあ、仕方ないか」と思わせた方の勝ちです。この会社では、社員が経営者に対してほどほどの結果で納得してもらう、ために「色々とやってみたけれどもダメでした」ということが当たり前になっていったのです。
このことは、ビジネスマインドの化身であるこの人にとっては矛盾する出来事であるといえます。当人は、ムダとコストをできるだけ省き、利益を最大化することが経営の要諦と信じているのですが、部下たちは、できもしないことに取り組み、その結果「やっぱりダメでした」といえるだけのアリバイをつくることに汲々とするようになったのです。
つまり、全く意味のない行動を重ねないと、仕事の成果をトップに承認してもらえないのですから、普通にやっても100の労力で得られる成果を承認してもらうために、更に100の労力をつぎ込まなければならない、というのです。部下に対して要求することが、正反対の結果をもたらしているわけです。
ですから、この会社ではデスクワークによる資料づくりがものすごく多いのです。それは何のためにやっているかというと、すべてトップに説明するための資料づくりなのです。管理職はそのために部下に作業指示を行い、部下は自分の仕事を放り出して、資料づくりに取り組まなければなりません。
こういう状態が長く続くと、社員の意識も変化していきます。トップに怒られないようにするにはどうしたらいいかが個人の判断基準の中でプライオリティを持つようになり、いい仕事をすることよりも、トップに怒られないようにとりあえず何でもいいからやっておけばいい、というところに関心がシフトしていくのです。
この会社では、個人のポジションと責任感(そしてモラル)とが反比例するという不思議な現象が起きています。社長さんは非常に真面目な方なのですが、熱心に部下を指導しようとすればするほど、逆に業績と離職率が悪化していくという、笑えない状況が発生しています。
企業経営はゼロサムゲームではありません。利益を自分だけが独り占めにできるというのはあり得ないのです。我が社も儲けるけれども御社も儲かる、という状況の中で我が社の利益をいかに極大化していくかがポイントであると、私は(経営者ではありませんが)思うのです。