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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

公園を歩く

 新潟市では、ご存知の通り、市街地の真ん中を信濃川が流れています。その川岸を整備して「やすらぎ堤」という緑地が設けられています。信濃川左岸のやすらぎ亭は、「新潟市民芸術文化会館」(りゅーとぴあ。ここはビルの6階に相当する高さの屋上に上がることができ、外周の手すりに沿って歩道が設けられています。)を経て白山公園(と白山神社)につながっており、全体を歩いてみると、変化に富んだ公園エリアとなっています。
 昔の新潟市は、公園の貧弱な都市でしたが、今日では白山公園からやすらぎ亭に至るエリアをはじめ、鳥屋野潟公園、海浜公園とそれに隣接する松林(ここは石碑が多い)など、公園の充実した都市となっており、地道な努力を続けてきた当局に敬意を表したいと思います。



 この前の日曜日、久しぶりに暖かかったので、白山公園からりゅーとぴあを経てやすらぎ堤へ行ってきました。

公園を歩く_c0136904_525997.jpg


 
 この写真は、リュートピアの屋上から写したものです。桜はまだ三分咲きというところでしたが、天気が良かったせいか、大勢の人で賑わっていました。

 こういう公園に行くといつも思うことがあります。
 連れ立ってきている人が圧倒的に多く、私のように一人で来ている人は本当に少ないのです。
 子供連れ(小学生以下の子供ばかりです)のお父さんお母さん、夫婦連れ、デートとおぼしきカップル(健全ですね)、ウォーキングのグループなど。色々な人がいました。その一方、一人で来ている人といえば、犬の散歩をする人、黙々とウォーキングをしている人、カメラを抱えたオジサンくらいしかおらず、圧倒的に少数派となっています。ですから、一人でこのような施設に来るといつも気恥ずかしい思いがしてならないのです。
 誰かと連れだって、こういうところに来れば、それは気持ちいいと思うのですが、その代わり1年のうち数えるくらいしか来ないだろうな、と思います。誰かと一緒では、そういつもいつも同じところに行ってられるものではないからです。
 誰かと連れ立ってきている人が圧倒的に多いという現実を見て思うのは、もしかしたらこの人たちは一人ではこういうところに来ようとは思わないのではないだろうか? ということです。(逆に向こうからは私のことを、休みの日なのに誰からも相手にしてもらえない孤独な中年、というふうに見ているかもしれません。)
 私の場合、家族と一緒にいても、「孤独な時間」というものがあります。そういうことに慣れてしまっているというのが大きいと思うのですが、一人でなにかをするということが結構多いのです。

 ですから、公園に来ている人たちを見ると、「身近な人と一緒に過ごす休日の過ごし方」というものを見ているような気がします。つまり誰か好きな人と一緒に過ごすことが当たり前ということで、人間にとってそれは当然のことといえます。

 それにしても、連れだってゴルフへいくという男のグループはありますが、連れだって公園へ来ているという男のグループを見かけたことがないのはなぜなのでしょうか?
by t_am | 2008-04-09 05:39 | 写真日記

by T_am