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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

他人を変えようとすることの愚

今はあまり見かけませんが、以前はやったドラマで、ヒロインをいじめる同性という設定がありました。理不尽にヒロインをいじめるのは、姑・小姑・先輩・同級生(同僚)など、同性であれば誰でも構いません。




 また、いじめ方がひどいほどヒロインに対する視聴者の感情移入がなされ、人気が出ます。(花登筺のドラマが思い出されます。)悪役もまた人気が出るのが不思議です。(「細うで繁盛記」の中で、義姉役の富士真奈美の名台詞「おみゃーにやる飯はにゃーだで!」を覚えておいでの方もいらっしゃるかと思います。)
 中には、色々な事件が起きた後、最後にはヒロインの善意に気づいた迫害者たちが翻意し、ヒロインと和解するという感動的なフィナーレを迎えるものもあります。
 けれども、意地悪ないい方をすれば、このような結末は「ドラマになるほど」珍しいことであるといえます。
 実際に、率先して他人をいじめていた人が翻意するということはまずありません。あるとすれば、その人に引きずられるようにしていじめに荷担していた人です。

 他人の考え方を変えることができるとすれば、それはお互いの力関係に隔絶したものがある場合に、(結果的に)みられる現象です。弱者である側は強者に迎合せざるを得ないからですが、強い方は意図的にやっているわけではありません。
 そうでもない限り、他人の考え方を意図的に変えるなど、できるものではありません。このことに気づかない人を、私たちの社会では「精神的に幼い」(子供である)というのです。
 ですが、先に述べたドラマの最後には「翻意し和解する」というパターンが受けるのは、私たちが内心ではそのことを望んでいるという証左でもあります。
 こうした方が絶対にいいという場合でも、いったとおりにしない(あるいはしてくれない)人がいると、私たちはイライラします。
 たいていは愚痴をこぼして忘れてしまうというのが、精神衛生上健全であるといえるのですが、どうしても忘れることができないということもあります。
 いわゆる「根に持つ」というやつですが、これは禄なことにならないので、なるべく考えないようにすることをお勧めします。
 他人の考え方を変えることができない理由をひとつあげるとすれば、それは人間関係において錯覚があるということです。
 この人の考え方を変えてやろう、という不遜な気持ちは、その人よりも自分の方が優位にあるという意識が前提にあります。
 親が子に対して、先輩が後輩に対して、上司が部下に対して、夫が妻に対して、自分の恋人に対して、相手の考え方を変えてやろう(変えてやるべきだ)と思うのは、自分の方が優位にあると思っているからなのです。
 でも実際には、いわれる方はうるさいと思うだけですから、その通りにはなりません。そうするとますます腹が立つので、一層口やかましくなってしまい、余計いうことを聞かなくなるという悪循環が発生します。
 こうして人間関係は壊れていきます。
 このような悪循環がなければ、離婚したり、喧嘩別れするカップルが何割かは減るのではないかと思います。

 相手を変えるのが無理ならば、自分が変わるという方がまだ手っ取り早いと思います。他人を変えることはできませんが、自らが望めば自分を変えることは可能です。
 それは嫌だ、というのであれば、他人を変えようなどと考えない以外、方法はありません。その人のいいところだけをみていれば、それほど腹は立たないものです。
by t_am | 2008-03-24 23:47 | 心の働き

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