料理から学ぶこと
昨日は久しぶりの休日だったので、昼食に簡単な料理をつくってみました。献立はポテトサラダとミートソース・スパゲッティにポタージュ。ミートソースの方はレトルトを買ってきました。また、ポタージュはインスタントです。この方が一からつくるよりも安く簡単につくることができます。ですからこれは料理とはいえません。
包丁を握ったりフライパンを持ったりしていると、その間は料理に集中しているので格好のストレス解消になります。何かに集中して嫌なことを忘れるというのがストレスを溜めないコツになります。
といってもストレスを解消するために料理をしたわけではありません。もともとこういうのが好きなのです。料理に関してはまだまだ幼稚なレベルなのですが、これでアイロンかけまで好きになったら、村上春樹の世界に突入することになりそうです。以上余談。
ポテトサラダは簡単な料理ですが、つくったのは今回が初めてです。
実際に自分でつくってみてわかったのですが、料理には段取りというのがあるのですね。そもそもじゃがいもはどれくらいの大きさに切ったらいいのか? 大きさによって茹で上がるまでの時間が変わってきますし、マッシュにも影響を与えます。初心者である私の場合、こういうことを考えずに皮だけむいて鍋に放り込んだものですから、茹で上がるまでの時間がかかり、結局じゃがいもの中が少し堅いままになってしまいました。こうしてマッシュするときに、ものすごい力が必要となり、道具がひん曲がってしまいました。人は失敗の中から何かを学ぶということを身をもって感じた次第です。
私の場合、単純な料理の組み合わせですから、それほど難しいことはありませんでした。それでも複数の料理をつくるわけなので、できあがりのタイミングをなるべく合わせるにはどうしたらいいかには苦労しました。冷めても食べられるものはあまり気を遣う必要はないのですが、熱いうちに食べた方がいいものは冷ますわけにはいきません。そうするとできあがりのタイミングを見計らって、今度は何をするかということを考えなければなりません。
こういったことが料理の「段取り」です。
例をあげましょう。食器を洗う場合、洗剤で洗うときは大きな器から洗って順番に積み重ねておきます。水洗いするときは積み上げてある食器の上の方にある小さな食器から水洗いしてそのまま順番に水切りカゴに入れてしまいます。こうすると水も節約できますし、水切りカゴに入れるのも楽にできます。
こういうことを「段取り」というのですが、これは自分で経験してみないとわかりません。また、「段取り」は人間が行う行為(仕事や勉強も含まれます)の成果も左右します。入社して日が浅い社員とベテラン社員の差は何かというと、この経験に基づく仕事の段取りが頭に入っているかどうかというのもあるのです。
話を料理に戻すと、主婦は毎日何種類もおかずをつくる(朝は朝食の他にお弁当もつくる!)わけなので、もっと複雑なことをやっているのかと思うと頭が下がる思いがします。このように家事というのは、作業の「段取り」というものを体得するための訓練の場にもなっているといえます。企業は主婦のパワーをもっと活用することを考えるべきかもしれません。
男の子であっても、我が子には包丁を持たせる、掃除洗濯をさせる方がその子のためにもいいと思います。自分のことは自分でできるようになった方がいいのはもちろんですが、自分で経験してみて「わかる」というのはもっと大事なことだと思うのです。
自分が「わかる」ようになることは、他人の場合はどうかという想像力を養うことにもつながります。他人の痛み、喜びがわかるというのは、自分が痛み、喜びを知っているから可能だと思いませんか?