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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

自民党の憲法改正草案を読む(2) 前文について(その2)

 今回は、自民党の憲法改正草案の前文を検討する2回目の試みになります。


(前文)
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。



 この前文の特徴として独特の言葉遣いがあげられるといえます。以下並べてみましょう。

・「長い歴史と固有の文化」
・「誇りと気概を持って」
・「和を尊び」
・「互いに助け合って」
・「美しい国土と自然環境」
・「活力ある経済活動」
・「教育や科学技術を振興」
・「良き伝統」

 これらの言葉に共通するのは、なんとなくわかったような気になるものの、具体的に何を意味するのかということを突き詰めて考えようとするとよくわからなくなるというところです。しかも、ここに書かれていることは特段悪いことではないだけに、余計に質が悪いのです。というのは、どれも反対しづらいことが書かれているわけですが、実際には「誇りと気概を持って」と判断するのは「わたしではない誰か」になるのはいうまでもありません。同様に、「良き伝統」と判断するのも「わたしではない誰か」になるのです。
 さらにいえば、「互いに助け合う」ことができない場合だってあるはずですが、そのときはどうなるでしょうか? そもそもこういうことまで憲法で規定しなければならないのでしょうか?

 思うに、これらのことは、この草案をつくった人たちの心の中にある「良いもの」なのかもしれません。そのような「良いもの」で溢れた国にしたいという思いがあってこのような前文になったのかもしれません。問題なのは、それを実現させるためには個人に対し義務を課し、権利を制限することも厭わないという点です。

 自分の価値観を実現させるためには他人に対しその権利を制限し、義務を課してもよいのだという考え方に与することはわたしにはできません。個人の趣味嗜好としてファンタジーの世界を思い描くことは勝手ですが、それを現実の社会に摘要させようというのは正気の沙汰とは思えません。
 この間の参院選で、神奈川県でトップ当選した三原某の発言である「神武天皇の建国のときからの歴史というもの、そのすべてを受け入れた憲法をつくりたい」に対し、呆れたり批判する声が聞こえてきていますが、わたしには改憲草案の前文も同じレベルであると思われます。
 というのは、自分たちのファンタジーを現実の政治に持ち込もうとする姿勢と、そのことに何の疑いも抱いていないというところが同じだからです。

 同調圧力が高いと言われている日本社会において、ファンタジーを政治に持ち込むということが現実のものになったらどうなるのか? その答えを、およそ80年前の日本人は経験しました。当時は国を挙げて無謀な戦争に取り組んでいた時代でしたから、その矛盾から国民の目をそらすためにも同調圧力が意図的に高められていました。このことは是非覚えておいたほうがいいと思います。国民の一挙手一投足に文句をつけるような世の中になりつつあるとき、それは決まって権力にとって不都合なことが進行しているということなのですから。

 自民党の改憲草案の前文を読むと、将来日本がそのような方向に進んでいく途を拓くものであるといわざるを得ません。もしかすると、この草案をつくった人たちの間にも、「自分たちが戴くファンタジーには矛盾があっていつか破綻するだろう」という予感がこのような言葉を選ばせたのかもしれません。
 もっともそのツケを払うのは彼らではなく、社会の動きに無関心でいた国民の方なのですが・・・


追記
 前文の中に、「平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」という文言がありますが、これはアメリカを中心とした国際秩序の維持を前提としたものです。平和主義といっても、アメリカと敵対する国がその対象とはならないことはイラク戦争を見れば明らかです。アメリカもイギリスもイラク戦争は過ちであったという反省がなされていますが、日本政府の見解は「大量破壊兵器があるという嫌疑をかけられて、そうではないと証明しなかったイラクの方が悪い」というものです。これは言いがかりをつけておいて、その相手が自分は無実であると証明できないならば武力に訴えても構わないといっているのに等しいわけです。このようにならず者の理屈を公然と口にする政権の積極的平和主義がどのようなものであるか、想像するのはそれほど難しいものではないと思います。
by t_am | 2016-07-13 23:36 | その他