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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

首長選挙について

 2月1日、大阪市の橋下徹市長が辞意を表明しました。毎日新聞によれば、「大阪府・市を再編する都構想を巡り、制度設計をする法定協議会で1月31日、市を分割してつくる特別区の区割り案4案を1案に絞り込むとの橋下氏らの提案を、維新以外の各会派の反対で事実上否決」されたとのことですから、これが直接のきっかけとなったようです。
 橋下市長の考えは2月3日に予定されている記者会見の場で、辞意の正式表明とともに述べられる見通しですが、昨年の堺市長選挙で敗れたのに続き、大阪都構想実現のための区割り案を否決された以上、このままでは大阪都構想そのものが頓挫してしまうという危機感から再度民意を問いたいということのようです。

 首長が出直し選挙に打って出たというのは、最近では2002年の田中康夫元長野県知事の事例があります。これは、脱ダム宣言を巡って県議会との確執が決定的となり不信任決議が可決されたことにより、田中元知事は議会の解散ではなく自身の失職を選択。再選挙で対立候補に圧倒的な大差をつけて再選されました。
 そのほかには、リコールによって失職した市長の出直し選挙が2010年に12月に阿久根市で行われという事例(このときは対立候補が当選しました)があります。

 こうしてみると首長選挙が政治闘争や権力闘争に使われているという側面もあるように思われます。特定の政策の是非を巡っての選挙といえば、首長の選挙ではないものの2005年に行われた衆議院の郵政解散選挙を思い出しますし、つい最近では普天間飛行場への辺野古移転を巡って行われた名護市長選挙があります。

 当選したという事実をもって、自分は民意に選ばれたのだから、自分の考え・自分が下す決定は民意に沿うものであるというと論理が大手を振って通用するようになったのは田中元知事の出直し選挙以降からのように思います。(決定的となったのは、郵政解散選挙からですが。)
 
 田中元知事の場合、県議会による田中元知事への不信任決議の可決という決定を、出直し選挙によって長野県民が自ら否定したと解釈することができます。知事も県議会議員も有権者によって選ばれたわけですが、期待される役割は違います。知事は行政職として政策の執行がその役割ですし、議員はそれを監視するのが役割です。したがって、知事と議会が対立した場合に、再度民意を問うという手続きは、制度設計上想定されているできごとであるといえます。

 このように、議会と首長(総理)が対立した場合、選挙によって決着をつけるという手続きが認められていることは間違いありませんし、その手続きに沿って選挙が行われた暁には勝った方が民意の代弁者であるという理屈が成立するというのも否定できないところです。

 そのせいか、選挙の争点として、いわゆる白か黒かという単純な対立軸を持ち込んで有権者に選択させるという手法がここ最近目立つように思います。14年1月19日に行われた名護市長選挙では普天間飛行場の辺野古移転を受け入れるのかどうかが争点となっていましたし、2月9日に行われる東京都知事選挙でも細川・小泉コンビによって脱原発が争点になりつつあります。
 そのうえで、今度は橋下市長による出直し選挙が予定されているということになるわけです。

 普天間基地の辺野古への移設問題も、原発を推進するのかそれとも脱原発を選択するのかというのは、いずれも重要な問題であることはわたしも認めますが、だからといって単純な二項対立に持ち込んで結論を出すという手法には疑問を抱かないわけにはいかないのです。

 名護市長選挙の結果は、現職の稲嶺候補が19,839票を獲得し対立した末松候補の得票数は15,684票でした。有権者数46,582人に対し投票者数35,833人(投票率76.71%)でしたので、それぞれの候補の得票数を比較すると次のようになります。

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 投票率76.71%というのは郵政解散選挙(68.53%)よりも高く、民主党への政権交代選挙(80.91%)に次ぐ数字ですから名護市民の関心の高さが伺えます。そのうえで、双方の得票数を比較すると、一方的な差がついているとは言い難く、むしろ拮抗していると考えるべきなのではないかと思います。

 このように思っていたところ、朝日新聞の岡田玄記者による一連のツイート(1月20日付)を見つけました。

(岡田玄さんの一連のツイートの一番最初のもの)
http://twitter.com/OkadaG/status/425093110054412288

 氏によれば、「どうせヤマトは押し切る」という思いが市民の間にあって、それならば利益を引き出そうと考えた人が末松氏に投票し、意地を見せたいと考えた人は稲嶺氏に投票したとのことです。ぜひ上記のリンクを辿って詳細をご覧いただきたいと思いますが、今回の市長選挙に現れた名護市民の思いが単純な賛成反対ではないことがおわかりいただけるはずです。

 このように考えると、当選した稲嶺市長が「自分は辺野古への移転に反対する人たちの意向を受けて当選したのだから、辺野古への移転に断固反対する」と考えるのも一理あるのですが、そうなると今度は、どうせ押し切られるのだったら利益を引き出した方がいいという人たちの思いはどうなるのか?という疑問が残ります。

 どちらの思いも大切にするというのであれば、まずアメリカに対して、日米地位協定の改定協議の申し入れを行い、それが解決するまでは普天間基地の移転は留保するという意思表示を行うことが最善の道なのではないかと思います。

 自衛隊の基地は日本中至るところにありますが、自衛隊は出て行けという反対運動が起きているところはありません。ではなぜ米軍だけが反対運動の対象になるのかといえば、自衛隊員が問題を起こせば日本の国内法によって処罰されますが、米軍兵士はそうではないからです。一種の治外法権が在日米軍基地にはあって、その法的根拠となっているのが日米地位協定なのです。したがって、まず日米地位協定における問題点を解決しない限り、いつまで経っても沖縄はヤマトに押し切られたという不信感が残ることになります。

 しかしながら、日本政府はそのような地元の思いを酌み取ろうとすることなく淡々と基地の移設を進めようとしています。そうなれば、稲嶺市長が反対姿勢を硬化させるのは当然のことであり、双方の対立は火種となって残る可能性もあると思います。国内のトラブルは、対立国にとっては願ってもないチャンスですから、つけいる隙を与えないという観点からも、政府のやり方はまずいといえます。


 橋下市長が3日の記者会見でどのような発言をするのかはわかりませんが、首長が対立軸を設定して選挙を行うというのは賛成できません。というのは、政治課題は白か黒かだけで決められるもの以外にも様々な分野に及んでいるのが普通だからです。
 にもかかわらず、二項対立だけを争点にして選挙を実施するのは、それ以外の分野では自分に白紙委任してもらいたいと言っているに等しいといえます。なぜなら、「自分は民意によって選ばれた首長なのだから、自分の考え・自分が下す決定は民意に沿ったものなのだ」と強弁するに決まっているからです。
 特に橋下市長の場合、その傾向が強く、有権者が自分に不満を持つのであれば次の選挙で落とせばいいという意味の発言を行っています。これはいい方を変えれば、自分の政策はいかなる反対があろうと押し切るという意思表示に他なりません。実際にそういうことをやる人を「強いリーダー」と呼んで、私たちは待望してきたというのも事実であり、そのことは反省しなければならないと思います。

 どうやらわたしたちは、政治家と経営者を混同して考えているようです。強いリーダーとは、反対意見があっても権力によってそれをねじ伏せ、自分の意見を押し通す人のことをいい、企業経営ではそれが功を奏することが多々あります(もちろん失敗するリスクもあります)。それが可能なのは、企業経営は利潤の最大化を目指すからで、そこのところが政治とは決定的に異なります。

 政治の目標は、その時代・その時々の状況によって変わってくると思いますが、政治が行うことは常に「富の再分配」ということに尽きます。つまり、国内で生産された富の一部を税金という形で吸い上げて、再分配することです。

 最近の政治を見ていると、富の再分配の目的が、企業の利潤の最大化に寄与するということに特化しつつあるように思われてなりません。利潤が最大化された企業が増えていくことによって国としての活気=経済成長が持続できるという考えかたなのかもしれませんが、それを実現するために、トップが企業経営者のように振る舞っている政党が目につくようになりました。その背景にあるのは、選挙に勝ったものは次の選挙までの間は自由気ままに振る舞うことができる(勝てば官軍)、という暗黙の了解なのではないかと思うのです。
 そして、マスコミもわたしたちもそれを当然のこととして考えているわけですが、その弊害がそろそろ無視できないものになりつつあるように思えるのです。


追記
 実際に、安倍政権下ではそれが行われており、国会の軽視が甚だしいと思います。安倍総理が考えている国会の姿というのは、議論や協議をする場ではなく、自分の政策を議決する手続きをとる装置なのではないでしょうか。同様の考えかたは内閣が行う人事にも反映されており、日銀総裁、内閣法制局長官、NHKの経営委員の決まり方を見ると総理と考えかたの近い人がこれらのポストに抜擢されていることがわかります。これらの人たちをイエスマンであるというつもりはありませんが、総理の考えに反対する人をそのポストから追いやるということが現実に行われているわけです。その結果、この国がどういう方向に向かうのかが心配です。


 
by t_am | 2014-02-02 22:10 | その他