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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

教育委員会制度廃止の動きに異議を申し立てる

 Webでこんな記事を見つけました。

(【高橋昌之のとっておき】無責任体制の根源・教育委員会制度は廃止すべきだ)MSN産経ニュースより
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130320/plc13032018010010-n1.htm

 記事の内容をかいつまんでご説明すると、日本維新の会が教育委員会制度を廃止するための関連法改正案を今国会に提出する方針を固めたことに対し、産経新聞記者の高橋昌之氏が賛成意見を表明しているものです。
 その根拠としては、今の日本の教育には「いじめによる自殺問題、体罰問題、さらには歴史教育問題」(上記記事から引用。以下同じ)などの難問が山積みされており、その中で「『教育の無責任体制』がはびこっている根源は、教育委員会の存在だ」と高橋氏も考えていたからなのだそうです。
 「教育の無責任体制」とは、高橋氏によればこういうことです。(2)に、高橋氏が過去に教育委員会を取材した経験から「教育委員会は委員が単なる名誉職化しており、委員会自体も実質的な議論はせず、事務局の案を追認しているだけでした」という教育委員の無責任ぶりを指摘する記述があり、さらに「仮に都道府県、市町村内で教育に関する重大な問題が生じれば、本来なら教育委員会が責任をとるべきでしょうが、そういうことはまずありません」とも書かれています。そして、「仮に責任をとるといっても、その職を辞する、あるいは解かれるだけの話ですから、別に職業を持っている委員本人にとっては痛くもかゆくもないでしょう。そうした教育委員会に形式上、教育行政の決定権限が与えられているため、首長はそれを「隠れみの」にして責任をとらなくていい、つまり、だれも責任をとらなくてすむシステムになっているのが、日本の教育の現状なのです。」とあり、要するに、何か重大な問題が起こっても誰も責任をとらなくてすむシステムになっていることが「教育の無責任体制」だと言っているわけです。

 教育委員が任命される手続きは、この記事の(3)に書かれてある通りですが、候補者の人選は事務局が行い、首長が承認した上で議会に提案されるのだろうと思います。現に、大阪府では2008年に橋下知事が就任した後に、陰山メソッドで有名な陰山英男氏が大阪府の教育委員に任命されており、この人事には当時の橋下知事の意向が強く働いていたことが陰山氏によるツイートからもわかります。

(陰山英男氏ついに大激怒!教育委員長は辞めます)
http://togetter.com/li/298816


 このように、教育委員の人事には首長の意向が反映されるのですから、首長が委員の人選に責任を持てばいいだけのことであり、それを怠って事務局が上申してきた人事案をそのまま議会に提案するから、高橋氏が指摘するような「単なる名誉職」くらいの意識しかない教育委員ができあがるのでしょう。つまり、現行の制度でも、責任感のある教育委員を選出することは可能なはずですし、言い換えれば、もともとたいした使命感のない人を委員として任命するから責任感の希薄な教育委員会になってしまうのだと私は思うのですが、高橋氏にとっては教育委員会という存在がそれだけで無責任体制を生み出しているように思えるのでしょう。
 それならば、教育委員と同じような手続きを経て任命される日銀総裁と副総裁も責任感の希薄な人たちということになるのでしょうか? いくらなんでもそんなことはないはずです。つまり、教育委員の責任感が希薄だというのは、そのような人物しか任命しない地方自治体の事務局と首長にこそ問題があると考えるべきでしょう。
 
 既に述べたように、大阪府の教育委員になってくれるよう陰山氏に頼み込んだのは当時の橋下知事でしたが、日本維新の会では教育委員会を廃止しようという法律の改正案を提出する方針を固めたとのことです。日本維新の会の政治家たちにとっては、首長に楯突いてくる教育委員が目障りでしょうがないのだと思います。幸いなことに、教育委員の大半は無能無気力な人たちだと思われていますから、これを廃止して首長が直接教育に責任を負うという体制に改革するのだといえば聞こえがいいと計算しているものと思われます。

 今回の高橋氏の記事がどのような思惑で書かれたものなのかはわかりませんが、その主張をみるとどうも的外れであるように私には思われます。記事の(3)には、教育委員会を廃止する根拠として、さらに、「教育委員会は日本国憲法などと同様、戦後、米国から押しつけられた制度という側面があります。その米国が掲げた大義名分も、公選制の廃止や教育委員会の形骸化によって、今や意味をなしていません。」と書かれています。
 アメリカによる押し付けというのは、憲法を改正しようと主張する人たちの論拠となっているのはご存知の通りです。押しつけだから悪いと決めつけるのはちょっと短絡的(はっきりいうとバカ)だと申し上げざるを得ません。卑近な喩えで恐縮ですが、親が決めた結婚相手でも夫婦仲がよかった例はありますし、恋愛結婚した間柄でも夫婦仲が冷めてしまって離婚したという例もいくらでもあります。つまり、押し付けという事実とその後の経緯の間には明確な因果関係は存在しないのですが。これは憲法も同様であるように教育委員会制度にもいえることです。まして、教育委員会制度が形骸化したというのは、行政サイドの役人と首長がそのような人事を繰り返してきたのが原因ですが、高橋氏はそのことにはひと言も触れていません。こういうのを責任転嫁といい、問題の所在をわからなくする悪質なやり方であるといってよいと思います。
 また、高橋氏の首長はあと二つあって、「文部科学省によると、教育行政の決定権限を『教育委員会』という行政から独立した機関に与えているのは、米国と日本だけ」であり、「その米国も、州や地方学区ごとの教育委員会のうち95%は公選制がとられており、日本のように首長が任命しているのはわずか5%にすぎません。それを考えても日本の教育委員会制度は、国際的に奇妙な制度なのです」というのが一番目です。国際的に数が少ないからダメというのは理屈になっていないというのはおわかりいただけるでしょうか。それをいうなら日本の皇室は、王室として世界最古の家系を辿ることができる国際的にも珍しい存在ですが、だからといって奇異な目で見られるということはなく、そのことでかえって尊敬を受けているという側面は否定できません。(それ以外にも皇族の方々の人間性も大きいと思いますが。)
 残る二番目の根拠は、「有権者から選挙で選ばれている首長が、教育行政についても権限を持ち、責任をとるようにすべきだ」というものです。これなどは、民意を受けて当選した首長のやることは絶対に正しいという幻想を振りまいているのに等しい意見ですからとうてい看過することはできません。というよりも、マスコミに籍を置く人間の言葉とも思えません。
 人間は誰でも間違いを犯す生き物なので、投票によって選ばれた首長や政治家であっても任期が4年ないし6年と限られているのです。その理由は、有権者による投票が間違った選択であったとしても4年間ないしは6年間我慢すれば、その後は罷免することができるという安全装置を設けているわけです。そうはいっても、首長が好き勝手を始めては困るので、監視するために議会を置き、さらにはマスコミという利害関係がないはずの機関によっても監視するようにしているわけです。
 民主主義というのは、独裁者による被害をいかにしてくい止めるかという観点から設けられた制度ですから、権力者に与える権限をできるだけ制限しようとしています。ところが、「決められない政治」といういい方をして政治家に権力を集中させようとする動きが見られ、マスコミもそれに同調するという現象が起こっています。今回取り上げた高橋昌之氏の記事がまさにそうであり、マスコミが政治家のお先棒を担ぐようになったときに何が起こったかは、昭和の時代の歴史を見れば明らかです。
 であるがゆえに、このようなマスコミの動きには異論を申し立てておかなければならないと思うわけです。
by t_am | 2013-03-21 00:41 | その他