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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

現代社会における責任(1)

 よく「責任をとる」とか「任命責任」とか、あるいは「責任者出てこい」といういい方をします。あるいは「無責任」という言葉もよく聞く言葉です。
 3月18日に全日本柔道連盟の理事会が開催されましたが、大方の予想に反し、現施行部全員の留任が決まったそうです。マスコミ各紙が、誰も責任をとらないと批判しているこの問題、責任というものを考える上で格好の材料となりそうです。

 ところで、「責任」とはどういう意味なのでしょう? 大辞林によれば次の3つに大別しています。

(1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。
(2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
(3)法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。


 まず、(1)について、自分が任務を引き受けると同時に一定の権限が付与されるのが普通です。権限の中には、任務を遂行する権限(たとえば医療従事者には、これはできるけれども、これはしてはならないと定められている場合があります)や提案する権限もあれば、他人に指示命令する権限や決定する権限もあります。権限の中でもっとも大きななのが決定権であり、通常は組織のリーダーやトップ(行政組織では首長や首相)のみが決定権を持っていますが、組織が大きくなると何でも一人で決めるのは無理になっていきますから、その一部を限定して部下に委譲することがあって、これを権限委譲と呼んでいます。たとえば、大臣の決定権は、首相から大臣として任命されたと同時に権限委譲されたものであるといってよいように思います。(首相が大臣を任命しなければ自分がその業務を行わなければならないわけです。)

 絶対主義とは、一人の人間に強大な権限を集中させるものですが、その弊害が極めて大きいものであったという反省から、近代社会は三権分立によって権限を分散させることにしました。とはいうものの、それでも行政府の権力は強大であるために、行政府には予算の立案権と執行権を持たせ、決定権は議会が持つという形にしています。これは、言い換えれば議会が決定しなければ予算の執行もできないということを意味しています。たとえば、衆議院議員選挙が行われた時期の問題もあって、安倍内閣が作成した平成25年度予算案は、通年よりも遅れた1月末に提出されました。国会の審議を経て議決されるわけですが、日程的に間に合いそうもないために、安倍内閣では当面必要な最低限の項目(職員の人件費など)だけに絞り込んだ補正予算案を提出しようとしています。、

 一般に、大きな責任を負う人はそれだけ高い報酬を得ることが約束されています。会社でいえば、社長が一番高い給料(役員報酬)をもらい、次に副社長・専務・常務・役員・部長・課長・係長と続き、新入社員の給料は一番低くなっています。(パート・アルバイトはさらに低い。)それは責任が大きければその結果も大きいからだと考えることができます。
 このようにして考えてみると、責任には権限と報酬とがセットになっているということがわかります。
 なお、年俸制というのは、あらかじめ話し合って決めた基準以上の成果をあげることを前提に(概して高い)報酬を支払うという雇用形態をいいます。プロ野球やJリーグの選手に見られる雇用形態です。基準に満たない成果しかあげられず、今後も達成できる見込みがない(責任を果たすことができない)場合、雇用契約は打ち切られても仕方ないということになります。

 次に、(2)についてですが、ここでは「自分がかかわった事柄や行為から生じた結果」があまり芳しいものではなかった場合であると解釈できます。たとえば、「責任を全うする」というのは後始末をきちんと行うという意味ですし、「無責任」というのは知らん顔をするということです。また、「責任をとる」というのは義務を背負うとか償いをするという意味を含んでいて、たとえば、つきあっている女の子が妊娠してしまった場合に「責任をとって結婚する」といういい方をする場合があって、これは、その女性と結婚することで生まれてくる子どもを養育する義務を負うということを意味しています。(ほかに、「責任をとって辞職する」という場合もありますが、これについては別稿で考えたいと思います。)
 また「責任者出てこい」といういい方をする場合、「責任者」とはその任務を遂行する集団やグループの中でもっとも大きな権限(決定権)を持っている人を指すと考えられます。つまり、「責任者出てこい」というのは、決定権を持つ者に対し、事情説明と謝罪を要求する意図が込められた言葉だと解釈できるのです。
 「任命責任」というのは、権限委譲された人が何か問題を起こしたときに、権限委譲をした人が連帯責任を負うという意味を持つ言葉です。ただし、任命責任が問われるケースというのはある程度限定的であって、たとえば権限委譲された人が不適格であると非難されている場合に限られるように思われます。

 なお、(3)は法の定めによって問われるものですから、ここでは考慮の対象外とします。

 さて、冒頭に申し上げた全柔連の理事会では上村春樹会長が辞任するのかどうかということが焦点となっていました。というのは、女子選手に対するパワハラ指導が表面化し、監督が責任をとって辞任した事件をきっかけに、指導者によるパワハラは柔道界に蔓延る体質ではないかという指摘がなされ、そのような状態を招いた全柔連の執行部の責任が問われるのではないかと思われていたからです。ここでいう責任を問うというのは、上記の(2)の意味であることはおわかりいただけるでしょう。執行部として全柔連を指導する立場にありながら、結果としてパワハラ指導が起きてしまっただけでなく、問題が発覚し多後の対応も杜撰であったとみなされていたわけです。
 したがって、組織の指導者としての適格性という観点からは、全柔連の執行部は不合格とみなされても仕方ないと思われていたのですが、結果は執行部全員が留任。理事会後の記者会見で上村会長は「今やるべきは第三者委員会の提言を実現していくのがわれわれの仕事だ」と述べたそうです。今までやろうとしてこなかった人たちから、「第三者委員会の提言を実現していくのが我々の仕事だ」といわれてもねえ。信用しろいう方が無理というものです。
 こうしてみると、(2)の「責任をとる」というのは、自らとろうとすることをいうものであり、第三者から強制されて「責任をとらされる」というのは、懲罰にすぎません。

 ときどき耳にするのは、「私が辞めても事態がよくなるわけではありません。それよりも、今の事態を収拾することが私の責任であると考えます。」といういい方です。こういういい方はとても説得力があるように聞こえますが、かなり限定された局面でのみ有効な理屈だと私には思われます。それはどんな場合かというと、事件や事故が進行中であり、現時点で責任者を交代させたり処罰することは得策ではないと思われる場合(たとえば、船が座礁して沈みかけている場合や工場が大規模な火災を起こしている場合など)に限られると思うのです。
 全柔連の場合はそうではありませんから、これだけ大きな事件を起こしてしまった以上、本来であれば責任者は自らを律するということが行われて当然だったのではないかと思います。

 ところが、本来責任をとるべき立場の人が責任をとらないというのは今回の全柔連が初めてではありません。これまでも何度も同じようなことが繰り返されてきました。たとえば薬害エイズ事件は厚生省の責任ですが、当時の官僚で誰か責任をとって辞任したという人がいるのでしょうか? あるいは、旧社会保険庁の管轄になりますが、年金記録が消えたことで誰か責任をとった官僚がいるのでしょうか? もっというならば、年金の原資を他の用途に流用できる(リゾート法案によって年金資金がグリーンピア建設に費やされ、結果として不採算事業となった挙げ句に二束三文で叩き売る羽目になった)という法律に賛成した政治家で誰か責任をとった人がいるのでしょうか? 
 残念なことですが、日本には、大きな事件を起こしたり、国に大きな損害を与えた場合でも、公的な立場にいる人は誰も責任をとらないという習慣があるといってもよいと思います。このことは何も最近始まったことではありません。太平洋戦争や日露戦争のときでも、大勢の兵士を殺す作戦を立案した参謀やこれを取り上げて実行した将官たちも責任をとるということはしていませんし、責任を追及されるということもありませんでした。(ただし、神風特攻隊を創設した大西瀧治郎中将は、敗戦の翌日16日に割腹自殺を遂げたそうです。これは、現代という視点でものをいわせてもらうのですが、もう少し違う責任のとり方があったのではないかと思いますし、そういう考えかたをしていればあのような悲惨な戦争にはならなかったのではないかと思います。これは、歴史に「たられば」を持ち込むつもりではなく、今後のことをいっているのです。)
 
 話が脱線してしまいましたが、権限のある人が本来とるべき責任をとろうとしない組織はいずれ崩壊する運命を免れることはできないと思います。というのは、その組織が責任を果たす能力のない人に率いられているからです。
 何か問題が起こったときに、自ら責任をとろうとする人は、よほど運がよくない限り組織のトップの地位に就くことはできないのかもしれません。(その前に、どこかで挫折するから。)そうだとすると、責任をとろうとしない人ほど出世できるということになります。

 今回のWBCは日本が3位に終わるという残念な結果になってしまいました。代表チームの通称を侍ジャパンといっていたようですが、能力もなくかといって責任をとろうともしないまま握った権限を離さない人が横行している今の日本において、このようなチーム名がつけられるというのは何とも皮肉なことだと思います。(断っておきますが、本稿はWBCの日本チームについて書いたものではありません。)
by t_am | 2013-03-20 18:37 | その他